ヒューマンアンドロイドとアンドロイドヒューマン
Pure 7試作完成体ロゼ・プードゥの1日。
7:00
アイカの手で起動後、ロゼは自室から自分で図書室へと向かう。ウエハラ博士から指定されたタイトルを1日1冊閲覧。読みきれない場合は翌日へ持ち越す。
アイカはこの間、ロゼの視覚を映したサブモニター上に表示される退屈で不必要な文献を読まなければならない。
ウエハラ博士がロゼに指定するのはフィクションばかりだ。高性能人工頭脳の学習の為に専門書を読ませれば良いのに。
しかしアイカの思惑は外れ、ロゼの学習分野ゆ会話波形が活発な様子からは有益であるようだ。専門書だとどう違うのか確認したいがウエハラ博士に禁止されている。
要調査。
9:00
ロゼは第1研究室へ出勤。第1研究室内だけは音声も記録できる。研究室内にはあちこちに監視カメラとマイクを散りばめてある。そのうち掃除ロボット型監視ロボットと幾つかのマイクをロゼ専用に変更してある。
ロゼはローハン博士の指示により研究補助を行う。白衣を身にまとったロゼの見た目は完璧に人間だ。瞬きをしないという一点は気になるだろう。出入りの業者が不審そうに他の研究員に尋ねるのが最初の週だけで3回あった。
研究員とのコミュニケーションは良好。ロゼの会話プログラムは日に日に学習結果を出している。
《会話具体例》
起動3日目
「ロゼそれを取ってくれ。」
「それでは分かりません。私に具体的な名称を告げてください。」
「そこの紙だ。」
「そことはどこでしょうか?机でしたら紙が何枚もあります。単数なのか複数なのか命令してください。」
「ちょっとメモするだけだ!なんだっていいんだ。もういい。全くこれだからアンドロイドってやつは。」
「次回までに学習しておきます。」
この日の終わり、ロゼはアイカの元へ質問に来た。アンドロイドだから抽象的な物事が分からないのは当然。これは現行アンドロイドも同様だが、会話が崩れるのは人間側に要因がある。ロゼの見た目のせいでついロゼがアンドロイドだと忘れるのも一因なのは明白。
ロゼに人間の抽象さや曖昧さの学習をさせるのは一苦労だった。質問責めに辟易しつつアイカは何とか説明した。
言葉だけではなく、状況把握と相手の仕草や行動を把握していくつか予想を立てること。それから優先度を設定する。なるべく疑問で尋ねること。
《会話具体例2》
起動11日目
「ロゼあれはどこだ?」
「部品パーツ245rかな?」
「そうだ245r。」
「そこの引き出しだ。僕が出すよ。」
「ありがとう。」
「いや。またあれば言ってくれ。」
起動13日目
「ロゼ今晩の予定はどうだ?」
「貴方のです?僕のですか?」
「ははっ!君のスケジュールは知っているよ。予定は何だっけか?」
「ローハン博士の予定ですね?」
「そうだ。公演は大学だっけかそれとも高校だったかなとな。」
「大学です。交通手段は手配済みです。16時には研究室を出てください。」
「ありがとう。」
「いえ。とんでもないです。」
滑らかな会話に砕けた口語文。かと思えば真上の人物を敬うような敬語。ロゼは相対する人物によって口調を変化させ始めた。また自らを僕と呼称する。
すでに目覚ましい成長と言えよう。
17:00
就業時間が終了すると、ロゼは自室へ帰る。それに伴いアイカがロゼの元を訪れて面談を行う。アイカはロゼからの質問に答える。以後自由時間。ロゼは大抵ウエハラ博士と共にいる。もしくは図書室で本を読んでいる。
閲覧指定された本の続きだけではなく、ロゼは自発的に本を選んでいるようだ。今の所パターンが掴めていないが、全部フィクション作品である。
21:00
アイカがロゼの電源を切り必要であれば充電を行う。
それが現在のロゼの一日。そしてアイカもほとんど似たような1日を過ごしている。
単調であまり変化のない日々。
***
1ヶ月後
今日の解析補助はスミスとブランドー。アイカにとって不利益な研究員だが人材は限られている。仕方ない。
「終わりました?」
「いえ。そんなに早く出来ません。」
自分ならとっくに終了している。そう告げたらブランドーは恥辱を顔に浮かべてますます非効率的になるであろう。そういう性格だ。アイカは黙ってサブモニターに視線を戻した。ロゼは今日もローハン博士のサポートをしている。
アイカは手元の解析用パソコンでロゼの疑似脳神経の電気信号伝達パターンを分類する作業を続けていた。時折サブモニターを確認しロゼの様子を窺う。
「ロゼの脳波はほぼ人間ですね。覚醒時脳波しかないという点を除けば。」
ブランドーよりも役に立つ頭脳を持つスミスが興味深々といった顔つきで、手元にあるロゼの疑似脳波記録と自己解析結果を見つめている。
「アンドロイドの睡眠は機能停止。人間で言えば仮死状態。いや死そのもの。アンドロイドが睡眠する時代が来るんでしょうか?電気羊はアンドロイドの夢を見るのか?睡眠の無いロゼには夢こそ夢物語。ミス・ミタはどう思います?」
スミスの発言にアイカは返答に迷った。それから言葉を選んだ。
「アンドロイドは夢を抱かない。」
「ロゼを見ていて何か感じませんか?」
「事実を述べただけです。」
スミスが大袈裟に両腕を組んだ。しばしの沈黙。
「ミス・ミタ。そんなんだからロゼよりもアンドロイドらしいと呼ばれるんですよ。」
なぜ急にスミスが攻撃的になったのか理解できない。アイカは黙ってスミスを見つめた。
「よせスミス。」
「いやブランドー。冷めた目で下に見られて不愉快極まりないのはみんなの意見だろう?」
アイカが優秀で、他の者が劣っているのは事実。アイカは自慢したことも傲慢な態度をとったことはない。しかしアイカの態度は客観的に悪いようだ。どう改善するべきなのだろうか?
「彼女が優秀だからやっかんでいるんだ。5年前に新卒で入社していきなり専属助手。」
研究所内の周知の事実。アイカは特別訂正をしなかった。
「まあウエハラ博士の親戚だからな。しかしミス・ミタ。貴方は愛嬌が無さすぎる。な?スミス。」
「彼女は優秀だから多少欠落がある方が可愛げがあるというものだ。自分だけに微笑まられたら男なんてイチコロだろう?これだけの美人だ。」
「まあそうだな。」
「そうなってみたいものだ。」
スミスとブランドーが同時にアイカへ顔を向けた。
「やっぱりダメか。」
「どういうことですか?」
「ミス・ミタ。今晩食事でもどうです?」
アイカはスミスを注視した。質問の答えはどこへいった?スミスとブランドーが顔を見合わせてくすくすと笑みを交わす。
「ウエハラ博士からロゼの外出許可を得たんです。あなたも是非。」
「いえスミス研究員。私は仕事があります。」
「モニター越しではなく仕事でもなくロゼと話してみるといい。きっと貴方に大切なものが見つかるはずだ。18時に第1研究室前に集合です。」
いくつか予想を考えてからアイカは首を縦に振った。アイカは人間であるが酷く欠落している事を自覚している。上昇志向は成長に必要だ。
ロゼの観察も続けられる。
断る理由はない。
***
ロゼの初外出の許可を得たのはスミス、ブランドーの特別チーム研究員。
合流するのはララ、エルサの一般事務員、第2研究室所属のオーランド研究員だという。人選は慎重にすべきであるがメンバーの選出理由は同期というだけだった。
アイカは何のためにウエハラ博士に確認をしたが「楽しそうだね!僕も行こうかな?」だけで終わった。
第1研究室から出て行きたくないという理由でウエハラ博士は発言を撤回した。
腑に落ちない。
外出先は場所は研究所から徒歩5分の大衆酒場だという。待ち合わせ場所でロゼ、スミス、ブランドーと共に待った。
ロゼはスミスとブランドーが仲良くなった新人として彼等の同期に紹介される予定。勿論人間として。ある程度口裏は合わせた。
ロゼをアンドロイドと知らない者との接触。これは有意義な実験であるとアイカはスミスとブランドーの評価を多少変更した。
3分遅れで全員集まり、目的地へと移動した。
「まさかミス・ミタまで連れて来るとは見直したよブランドー。」
着席早々のオーランドの発言にスミスがムッとした表情を作った。
「俺の手柄だ。まあいいさ。」
スミスの隣席に腰掛けたオーランドが悪い悪いとスミスの背中を軽く叩いた。
「初めましてミス・ミタ。」
「いえオーランド研究員。以前第2研究室へ資料を届けに行った際にあなたに資料を渡しました。」
「覚えていてくれたんですね。これは嬉しい。」
オーランドがにこやかな表情で会釈した。アイカも会釈は真似をした。
「事実を述べただけです。ミス・ララとミス・エルサは初めまして。アイカ・ミタです。」
「私達は知っていますよ!お会いできて光栄です。噂通りの美人ですね。羨ましい。ウエハラ博士の親戚。唯一の専属助手。ねえこんなお店で良かったのかな?」
エルサがララとブランドーに目配せした。店を手配したのは2人なのかもしれない。
「それから。」
スミスがオホンと咳払いした。スミスが口を開くとロゼが右手で発言を静止した。それからロゼはオーランドにその右手を差し出した。
「初めましてロゼです。先月から第1研究室で働いている。今日はありがとう。」
ニコリと笑顔を作ったロゼに、ララとエルサが一瞬停止した。それから頬を赤らめて微笑を浮かべる。ロゼの容姿はかなり端麗に製作されている。女性がはにかんでも仕方ないだろう。
男性陣は少し不愉快そうだ。
「オーランドだ。よろしく。」
「ララよ。よろしくロゼ。」
「エルサです。」
全員と握手を交わすとロゼは自分の右手を見つめた。
「冷たくなかったかな?冷えてるっていつも言われるんだ。」
「通りで!大丈夫かい?」
オーランドの問いかけにロゼば首を横に振った。
「いつもだから問題ないさ。体質だよ。」
ロゼは嘘はついていない。上手い会話運びだ。
それから7人で他愛もない会話を交わした。意義も目的も、終着点もない脈絡のない会話。アイカは参加する理由が無いので黙って聞いていた。どうしてだか次第に会話が静かになっていく。
「ミス・アイカ。」
アイカの耳元でロゼが囁いた。初期起動25日目からロゼはアイカを名前で呼び出した。理由を尋ねると皆がそう呼ぶから真似をしたという。
アイカはその時ロゼを通して自身が研究員から名前で呼称されている事実を知った。
「つまらないですか?」
ロゼの言葉が理解できない。
「何故?」
「貴方が発言しないからみんな心配そうです。表情も変わらない。」
ロゼがアイカの耳元から離れた。ロゼはアイカをからかうウエハラ博士とよく似た表情、いわゆる意味深な微笑と呼ばれるものを浮かべている。
「ロゼとミス・ミタって良い関係?」
ララが愉快そうに笑った。
「いや彼女は僕の指導者。上の空だったから疲れているのかなと。大丈夫みたいだ。」
ロゼの言葉で席の全員の顔の筋肉が弛緩した。会話のバグはアイカだった。そう結論づける。
「ありがとう。大丈夫よ。」
今の光景をサブモニターで確認したかった。いや遠くから撮影して他者の意見を求めたかった。ウエハラ博士の作り出したロゼがいかに人間であるか。
ついでならアイカへの感想。客観的指摘は有意義だが、ウエハラ博士以外にアイカに何か指摘する者がいない。
「一度聞いてみたかったんだ。ミス・アイカ好きなものは何だい?」
アイカは黙り込んだ。好き?
1 心がひかれること。気に入ること。また、そのさま。
2 片寄ってそのことを好むさま。
3 自分の思うままに振る舞うこと。
2について聞かれたということは理解できる。この場で何と発言する事が正解なのか。アイカには判断が下せない。
「ミス・アイカ?」
ロゼがアイカにメニューを見せた。それで思考の選択が可能になった。
「アイスティー。それに魚です。」
アイカの返答をきっかけに注文が決まっていく。最後にロゼが一言付け加えた。
「僕はアンドロイドだから何もいらない。」
オーランドが噴き出した。続けて腹を抱えて笑う。スミスとブランドーの顔つきに焦りが浮かんだ。
「君が?アンドロイド?」
オーランドは大袈裟なくらい目を丸めている。ララとエルサも口元を隠しながらくすくすと笑いだした。
「麗しのヒューマンアンドロイドを差し置いて?」
「オーランド。ちょっと。」
ララの制止でオーランドが口を閉ざした。その目はアイカに向けられていたが、すぐに晒された。
麗しのヒューマンアンドロイド。中々的を得た別名を付けられているようだ。
アイカがヒューマンアンドロイドなら、ロゼはアンドロイドヒューマン?
その境界を突き止めなければならない。
それがアイカの仕事だ。
アイカはぎこちないかもしれないが、笑顔を作った。
「やっと表情が変わったぞ。」
スミスが小さな声でブランドーに耳打ちするのが聞こえた。就業中の奇怪なやりとりはこれかと遅れて出た答えに対して記憶を反芻する。
表情が乏しい事は自覚している。しかし無駄なエネルギー、アイカの利益にならない。不利益の方が多いかもしれない。それならアイカは改善しないといけない。
「えっとロゼ。宗教かしら?」
「まあね。複雑だからノーコメントで。」
現在は断食で有名な宗教が断食を行う時期ではない。自身がアンドロイドだという秘密を保持する為に、大胆に真実を述べてそれから否定する。それが有効だと理解しているのだ。
ロゼの会話能力はいつ培われたのか記録を解析しなければならない。アイカは早く研究室へ帰宅するべきだ。鞄の中から通信機器を取り出した。
「博士の呼び出しです。申し訳ありませんがまたの機会に。」
アイカの優先はウエハラ博士の命令。つまりロゼの解析。それは嘘をついてでも優先されるべき事。アイカはさっと立ち上がって店を後にした。
研究所に戻ると急いでサブモニターを確認した。1人留守番をしていたボブが困惑したが無視した。
音声の無いサブモニターの向こう、6人は和やかそうに談笑している。
ロゼの起動から僅か1ヶ月。淡々と繰り替えされた日常。一体いつどうやってロゼはここまで人間を模倣出来るようになったのか。
毎日見ていたのに気がつかなかった。
「ミス・ミタ?大丈夫ですか?」
「何故ですか?」
アイカは存在を無視していたボブに顔を向けた。
「酷く疲れているような顔だ。働き詰めですよ。きっと。」
アイカは大きく顔を横に振った。疲れてなどいない。アイカはただ驚いただけだ。恐らくそう呼ぶ思考だ。でもボブにはそう見えないらしい。
「問題ありません。」
麗しのヒューマンアンドロイド。
感情表現という点においてアイカはロゼよりも劣っている。
その事実がアイカに今まで考えたこともない言葉が浮かんだ。
悔しい。
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