第9話愛も罪も

 翌朝、聖輝は重い足取りで登校していた。昨日は教会でしばらく剣也を待っていたのだが、八時になっても帰って来ないので家に帰ったのだった。しかし、その後、別所沼公園で殺人があった。いつもは深夜のことが多かったのに、昨夜の犯行はちょうど八時頃。叫び声を聞いた人の通報で警察がすぐに出頭し、直ちに聞き込み調査を行ったが、犯人らしい人物を見た人は誰もいなかった。聖輝はちょうど家へ帰る時、パトカーのサイレンを聞いて胸が騒いだ。そしてニュースで犯行を知り、聖輝の疑惑はいよいよ確実になってきた。剣也は昨日、興奮した様子で飛び出していった。だからいつもとは違ってあの時間に殺人を犯してしまったのだ。誰も犯人を見なかったようだが、きっと剣也は多くの人に姿を見られていたに違いない。しかし、凶器も持たず、怪我もしておらず、若くてスマートな剣也を見て、どうして彼を犯人だと思えよう。犯人は剣也だ。しかし自分はもう夜、外に出ることを怖がらなくていいのだと思った。得体の知れぬ恐怖は消えた。怖くはない。ただ…。

 聖輝は学校の門にさしかかるとびくっとした。さりげない体を装っているが、鋭い眼差しで生徒たちを窺っている人物がいたのだ。学校に生徒でも教師でもない人物がいればただでさえ目立つ。

―刑事だ―

聖輝は冷や汗を掻いた。きっと刑事だ。なぜうちの高校にいるのだ。どうして判ったのだ。

 教室に入っていくと、剣也は既に来ていた。窓の方をボーっと見つめながら、不安そうな表情をしている。今までそんな顔をしていたことなどなかった。刑事がいるから不安なのだろうか。それとも、聖輝に知られてしまったかどうか不安なのか。それにしては昨日は何の躊躇いもなく自分の過去を話していた。剣也はきっと止めて欲しいに違いない。これ以上犯行を重ねることが恐ろしいに違いない。

 聖輝が剣也のことを見ていると、剣也はふと聖輝の方を見た。剣也は少し驚いたようにハッとしたようだったが、それから更に眉根を寄せて怯えたように聖輝の方を見ていた。聖輝はたまらなくなった。助けてやりたい。守ってやりたい。許してあげたい。聖輝はまず剣也の不安を取り除いてやりたくて、にっこりと笑った。極上の微笑みを向けた。

 剣也の手の中で弄ばれていた消しゴムがぽとりと机の上に落ち、コロコロと転がって机の端で止まった。聖輝が目を逸らして自分の席に着いても、剣也はまだ体を固めたまま聖輝を見ていた。

―俺は夢を見ているのか。俺を許してくれるのか。俺の、天使―

剣也は涙が出そうになって慌てて視線を机の上へ落とした。聖輝はきっと何もかも知っている。それなのになぜ。親殺しの告白もした。殺人事件のことだって気づいた筈だ。無視されると思った。怯えてもう二度と目を合わせてなどくれないと思った。自分から離れていって、それで今まで通り独りになって、それでいいと思っていた。それなのに、聖輝は笑った。微笑みかけてくれた。まるで天使のオーラのようだ。きらめいて。


 昼休み、聖輝は仲間たちから離れて一人で剣也の所へ行った。剣也はパンを買うと階段を上っていった。屋上へ行くつもりなのだ。聖輝は剣也を見つけると、急いで追い掛けていった。

 聖輝がやっと剣也に追いついた時には、剣也は既に屋上への扉を開けていた。ギギーという重たい音が響いた。

「武本!」

聖輝が慌てて呼び止めると、剣也は扉に手をかけたまま振り返った。

「あっ、春名…」

「ダメだよ、屋上に出ちゃ。刑事が見張ってるから。…それにしても、本当に開くんだな、それ」

「…ああ」

剣也は開けた扉をそのまま思い切り引いて閉めた。

「こんなに大きな音たてたらすぐ見つかるよ」

「刑事って?」

「今朝校門の所にいただろ」

剣也は全く気がついていなかった。今までならそんなことはない筈だった。今日の剣也はかなりペースを崩していた。心を奪われていた。

「もう、屋上へは出るなよ。絶対に」

「どうして、庇うんだ」

「それは…」

「俺は隠してなんかいない。誰も気づかなかっただけなんだ。お前だけなんだ」

剣也はその場にへたり込んだ。心なしか顔を赤くしていた。聖輝は剣也の前に膝を付いた。

「昨日は急に出てっちゃってどうしたんだよ。俺、ずっと待ってたんだからな」

聖輝はわざと唇を尖らせて見せ、それからニッコリと笑った。

「……」

剣也はまたもや聖輝の髪を縛っているゴムを取ってしまいたくなった。無意識に近い状態で、剣也はそのゴムに手を伸ばし、聖輝の目を見つめながらゆっくりと引っ張った。

 聖輝は髪が解放されると、視線を剣也の手に落とし、ゴムを取り上げて自分のポケットに入れた。その時、剣也の右手は聖輝の髪に触れていた。

「あっ、ごめん、俺」

剣也は急に我に返ったように手を引っ込めた。夏でもないのに剣也のこめかみからは汗が伝い落ちた。

「俺の髪、気に入ったの?」

「うん、綺麗だ」

剣也が真面目に言うものだから、聖輝は思わず真っ赤になった。しかも剣也が見ているのは髪ではない。聖輝の目を見て言うのだ。

「俺、怖いんだ」

剣也は目を伏せて呟いた。

「殺さなければ、殺される…」

そして剣也は頭を抱え込んだ。聖輝はそっと剣也の肩に手を置いた。

 もう罪を告白したも同然だった。それでも聖輝は相変わらず側にいてくれる。

―俺の天使―


 剣也はまた、家に帰ると礼拝堂で聖輝を待った。これではいけない。巻き添えにしてはならない。それでも、あの優しさに甘えてしまう。あの美しさから離れられない。

「武本」

髪をサラリと垂らし、えんじ色のブラウスを着た聖輝が入り口に現れた。その服の色はより聖輝の顔の美しさを引き立て、髪をいっそう艶やかに見せた。

「外で月を見ないか」

聖輝は礼拝堂には入らず、剣也を外へ誘った。剣也は照れ隠しに頭を掻きながら外へ出た。二人は歩いて近くの神社へ行った。境内も避けて、神社の向う側の公園へ入った。もう暗いし、近頃連続殺人事件が起こっているせいか、公園には誰もいなかった。時々公園の外側の道路を足早に通り過ぎる人がいる以外は全く静かな二人だけの世界だった。 二人はベンチに並んで腰掛けた。空には月が照っている。二人はしばらく黙って月を眺めていた。

「教会では、言えないようなことを言いに来たんだ」

聖輝は急に口を開いた。

「え?」

剣也は聖輝の方を見た。聖輝の横顔は、月に照らされハッとするほど美しかった。聖輝は月を見上げたまま言葉を続けた。

「初めて教会で会った時、俺は懺悔してた。好きになってはいけない人を好きになってしまいましたって」

「好きになってはいけない人?」

「そう。その人は男だから」

「……!」

剣也は驚いた。いや、自覚した。自分の想いが愛だということを。今まで判らなかった。聖輝が男だから。でも惚れていた。もうとっくに。そして聖輝の好きな人に嫉妬した。

「ずっと好きだった。四月からずっと。でもどうしていいか判らなくて、神様にすがりついた。そしたら、神は俺にゴーサインを出した。たまたま行った教会でばったりその好きな人に会ったんだ。しかも、そこがその人の家だった」

「えっ?」

聖輝はゆっくりと剣也を見た。剣也は聖輝の目を見つめた。

「好きなんだ。ずっと、前から」

聖輝はそう言いながら左手でブラウスの胸の辺りをギュッと握った。胸が苦しい。そして視線を落とした。剣也は聖輝の不安そうな表情を見て狼狽えた。思わず、聖輝の両肩に手を乗せた。でも、どうしたらいいのだろう。汚れたこの手で抱きしめるというのか。暫く躊躇ってから、剣也は手を引っ込めた。確かに好きだ。しかし、好きだからこそ近づいてはいけない。危ない。側にいたら、いずれ殺してしまうかも知れない。

「だめだ。もうこれ以上俺に近づくな」

「!」

聖輝はハッと顔を上げた。目を大きく見開いている。

「俺が嫌い?そうだよね。迷惑だよね。こんな、こと、言う積りじゃなかった。俺、いい気になって…」

聖輝は立ち上がった。大粒の涙がいくつも頬を伝う。剣也は胸を締めつけられた。泣いているのは判る。

「春名、泣くなよ。泣かないでくれ」

剣也は拳を握り締めた。聖輝はぱっと振り返った。涙が光って目がダイヤモンドのようだ。

「武本、俺を殺してくれ。俺は武本に殺されたい。他には何も望まないから!」

剣也は立ち上がった。優しくて美しい天使が、こんなにも激しさを持っているとは思わなかった。聖輝は剣也の胸に飛び込んだ。剣也の厚い胸を拳で思い切り叩く。

「殺してくれよ、殺して…」

「やめろ」

剣也は聖輝の腕を振り払った。そして思い切り抱きしめた。

「武本…」

「俺がもう少し力を入れたら、お前死ぬんだぞ。近くにいたら、本当に俺はお前を殺しかねない。自分で自分が判らなくなる時があるんだ。俺はお前を守ってやる自信がない」

「殺されてもいい。抱きしめてくれるなら。嬉しい。俺、このまま死んでもいいよ」

「バカ」

剣也は聖輝の肩を掴んで少し体を離した。聖輝はまだ目に涙を溜めたまま、ニッコリと微笑んだ。涙が一粒目からこぼれ落ちる。剣也の体の中で、またいつものように激流が起こった。しかし、暴れ出す代わりに、剣也は聖輝の唇を奪った。突然の、初めての激しいキスに聖輝は驚いたが、次の瞬間、幸せと共に剣也の愛も罪も全て受けとめた。

 剣也は真に求めていたものを手に入れた。もう、探し求めることはない。心の迷いや怯えは救われた。もう、殺す必要はなかった。

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