第6話神前の告白

 剣也は礼拝堂に佇んでいた。以前は滅多に足を踏み入れたことのなかった聖なる場所に、剣也はここのところしょっちゅう足を運ぶようになっていた。ある人物を待って。夕暮れ時。伯母は夕食の支度をしているのだろう。剣也は壁に寄りかかって腕を組んだ。窓の外は茜色に染まっている。チラと祭壇を見た。キリスト像は好きではない。しかし聖母マリアは嫌いでもない。このブルー中心のステンドグラスも結構好きだった。本当ならばこんな所にいるべきではない、似つかわしくない自分。それでももう少し待ってみたい。最近はここで待つのが習慣になっていた。

 剣也がボーっと思惑の中に捕らわれていると、かすかにギーという音がした。やけに遠くで聞こえたので、気のせいかと思った。しかしカツカツという音が近づいて来るようだ。剣也はゆっくりと振り向いた。

 それは待っていた人物だった。白い長袖のTシャツを着て、茶色い髪をサラリと垂らした聖輝が来たのだ。剣也は目を見張った。もう一度見たいと思っていた、髪を下ろした聖輝の姿だ。聖輝は少しうつむき加減に顔を傾げ、髪が顔半分を隠すようにこぼれかかった。剣也は思わず聖輝へ歩み寄った。何がどうなったのか判らない。ただ、目の前の天使を抱きしめたい。そしてあと一歩で手が届くところまで来て、剣也はハタと立ち止まった。聖輝は更にうつむいた。剣也は拳を握りしめた。触れることはできない。

「祈りに、来たのか」

剣也はやっとそれだけ搾り出した。

「いや…その、君に話があって」

聖輝は顔を上げた。憂いを含んだ潤んだ瞳がじっと剣也を見つめた。

「何だ?」

剣也は視線を外し、近くの椅子に腰掛けた。聖輝は体を剣也の方へ向けた。

「体育の時、ありがとう。俺、ボーっとしてて。もし君がいなかったら、頭割れてたよ」

「たいしたことじゃない」

剣也は聖輝の方を見ずに前を向いたまま答えた。体育倉庫の中で見た聖輝の姿がふっと目の前をチラついた。

「普通の人にとっては大変なことだろ」

聖輝が静かにそう言った。剣也は視線を聖輝の方へ向けた。

「そうか?」

「そうだよ。あの箱の中には鉄アレイがたくさん入ってたんだから。武本は片手で持ってたけど。…この前、屋上にいただろ。あの扉を一人で開けられるくらい、力が…あるんだな」

剣也はじっと聖輝を見た。聖輝は冷や汗を掻きながら剣也の言葉を待った。確かに怖い。 剣也はニッと笑った。聖輝は目を見張った。剣也の笑顔など、ほとんど見たことがなかったからだ。剣也は机に片肘附いてその手に頬を乗せた。聖輝の目は純粋だった。綺麗で淀みのない瞳。怯えていても覚悟を決めているような芯の強さが感じられる。魅かれる、どうしようもなくひきつけられる。しかし、剣也にとって聖輝は美しく清らかなるものの象徴だった。汚したくない、傷つけたくない。近づけない。

「どうして隠してるの?」

「何を?」

「本当はものすごく強いんだろ。スポーツだって真面目にやればかなり目立つだろうに」

「べつに隠してるわけじゃないさ。面倒臭いだけだ」

「それならなぜ…」

「どうして鍛えたのかって?」

剣也は少し自嘲気味に笑った。そして聖輝からまた視線を外し、淋しそうな顔をした。剣也は一つの告白を始めた。誰にも言ったことのない秘密。聖輝にはなんとなく聞いてもらいたかった。嫌われてもいい、嫌われるならそれでいい。その方がいい。自分がどんなに汚いか、知ってほしい。何も知らない聖輝が深く傷つく前に。そして、話せば自分も少しは救われるような気がした。

「俺の両親は、俺が十歳の時に死んだんだ。家族三人で山に行った時だった。二人とも崖から落ちたんだ。事故死ということになってる。

 俺の両親は少しおかしかった。本当は子供がいらなかったらしい。親戚中で言ってたからな、あんなに子供はいらないって言ってたのによく生んだねってな。そして俺に多額の保険金を掛けていた。判んないだろうな。あいつらは俺を殺そうとしていたんだ」

聖輝は声にならない言葉を発した。殺そうとしていた?

「ある晩、俺はあいつらが話しているのを聞いてしまった。俺をどうやって殺そうかと、それは楽しそうに相談していたよ。だから、俺は体を鍛え始めたんだ。あいつらにやられないように。毎日誰にも気づかれずに。

 何度か道路に突き飛ばされそうになったり、ベランダから落されそうになったり、家具へ頭をぶつけるように転ばされたり。十歳になった途端、いろんなことがあったぜ。命がけだった。

 山へ行った日、俺はあの二人が俺を突き落そうとしていることは予想していた。あの二人も間抜けだね。俺が何も気づいてないと思ってたんだ。あいつらが俺の背中を押そうとした瞬間、逆に俺が二人の腕を引っ張って、二人を崖の下へ落したのさ。だから本当は俺が二人を殺したわけ。

 驚いただろ。俺もあんな親から生まれたんじゃ、かなりやばいだろ。俺なんかに関わらない方がいいぜ。俺には未だに保険金が掛かってるしな。偽善者面した保護者に殺されるかもしれないな。側にいるととばっちりを喰うぜ」

笑っているようで、剣也は悲痛な顔をしていた。

「判ったか、俺は人殺しなんだ」

剣也は聖輝に顔を見せないようにそっぽを向いた。聖輝は何と言っていいか判らなかった。ただ、剣也が恐ろしい男だということは判っていたので、ショックだったのは、むしろ剣也がこれほどまでに孤独だったということだった。一番信じられる筈の肉親に命を狙われていたなんてどんな気持ちだろう。しかもまだ小学生だったのだ。剣也がどんなに歪んでいても、それは剣也のせいではない筈だ。

「これから改めればいいんだよ。もうしなければ」

聖輝はそう言ってそっと剣也の頭に手を置いた。

「ダメなんだ」

「え?」

「ダメなんだ、俺…」

剣也は拳を強く握りしめた。少し顔を聖輝の方へ向けたが、決して目を見ようとはしない。聖輝は何も言わずそっと剣也を抱きしめた。ふわっとシャボンの香りが降りかかった。安心できる胸を、剣也は知らなかった。未知の感覚に戸惑い、もっともっとと求めてしまう想いに我慢ならず、剣也はいきなり立ち上がった。そして数センチ下にある潤んだ瞳を見た時、自分の中の流れが逆流し始めた。

「武本?」

聖輝は、触れそうで触れない剣也の手を見てから、不思議そうに顔を覗き込んだ。目は自分を見ているが、どこかおかしい。

 ふっと緊張が解けたかと思えたが、次の瞬間、剣也はものすごい勢いで外へ飛び出していった。

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