六幕 【ロキ決戦】


 ロキの姿ははっきりとは見える位置にはいない。

 それは距離であり、高さのせいであった。


 光がないはずの洞窟どうくつの広間には煌々と謎の光が照らしだされている。

 いわゆる魔法だろうか。

 

 だが、そんな見えない距離にいるはずなのにロキの姿ははっきりと表情が見える様だった。

 それは一種のオーラのようなものだろうか。


 自身に満ちあふれれ、表情、態度、見た目からして、自分がここの支配者と言わんばかりの余裕よゆうがある。

 ロキは待っていたんだ。

 俺たちが来るのを。




 1章 6幕【ロキ決戦】




「お前は今更いまさらラグナロクでもおこすつもりなのか!」


 蒼が吠える。

 距離の問題ではないだろう。

 おそらくはこちら側の戦意表明せんいひょうめいと言った所だろうか。


「別にラグナロクなんて起こすつもりはないさ。ただね、この世界は退屈たいくつなんだ。だから僕が楽しい楽園らくえんを作ってあげようと思ってね。僕が支配者になってあげようって言うだけの簡単なお話さ」


 大きい声でしゃべっているわけでもないのにロキがすぐそこにいるように聞こえてしまう。

 もしかしたら魔法の力なのかもしれないが、おそらくは違うだろう。

 そう思わせる何かがロキにはあったのだ。


「君たちに最後のなさけをくれてやろう。僕の家来けらいにならないか?三食おやつもつけよう。ただ、犬のようにいつくばってもらうけどね」


「残念だったな。お前にやしなってもらわなくても生活には困ってないんだ。むしろその生活をおびやかす存在に消えてもらわなくちゃ、俺たちには明日がないかもしれないんでね」


 ロキの言葉にあおりをかけるのは君丈だ。

 君丈はそういいながらヨルムンガンドと戦った時のように髪が白く長く変わっていく。

 右手には雷を放つミョルニルもいつの間にかにぎっていた。


「よろしい。ならば戦争だ」


 ロキはそれを言い切るとあざ笑うかのような顔で右手を振る。

 何も握られていなかったはずの右手に突如とつじょとして燃えるような剣が現れた。


 それを口切に君丈が飛出とびだし、続いて光る槍を持った蒼とありすが飛び出す。

 光の槍は先ほどよりも形をあらわしており、それがフェンリルから力をうばった証拠しょうこなのだと俺の中で勝手に解釈かいしゃくされた。


 ふと気づくと俺と縷々の周りもまくのようなものでつつまれており、なんとなくにもそれが盾の役割を持つことがわかった。

 おそらく隣にいるのは縷々ではなく、フレイヤなのだ。

 俺を守っているのだろう。


「安心しろ、オーディンからフェンリルの力を分けてもらっている。多少の攻撃ならこちらに被害ひがいはない」


 口調からしてもやはりフレイヤだった。

 そんなフレイヤの言葉を信じたいのはやまやまだったが、戦闘が始まってからというもの、いたる所の地面から火山のように火がいている。


「ほんとに大丈夫なのか?すごくやばそうな雰囲気ふんいきだけど」


「おそらくはロキの持つレーヴァテインのせいだろう」


 レーヴァテイン。

 一度話にでてきたような気はするがきちんとは覚えていなかった。

 それをさっしたのかフレイヤはそれを補足ほそくする。


「レーヴァテインとはラグナロクを起こすための神器じんきだ。三つの神器を合わせて作る形のない剣と言った所だろうか。あの地面から吹き出ている炎もレーヴァテインの一種ともいえる」


「待てよ、まだその神器ってのは二つしか集まってないんだろ?それとも他の神器を合わせたってのか?」


 俺が知りうる限りでは蒼、つまりはオーディンと、縷々、つまりはフレイヤの神器は奪われているはずだった。

 だがこちらには君丈、つまりはトールの持つミョルニルと言う神器があればそれは作れないはずなのではないか。


「他の神器はないだろう。レーヴァテインはオーディンのグングニル、私のスキーズブラズニル、そしてトールのミョルニルでしか作れない神器のはずだ。だから今ロキが手にしているレーヴァテインは未完成のレーヴァテインのはずだ」


「未完成でもあんなすごいのかよ」


 地面から吹き出る炎はもちろんだが、こちらが三人でかかろうともレーヴァテインの一振りで誰も近づくにはおよんでいなかった。

 近づこうとしては炎にさえぎられ、その一振りに吹き飛び、またその一振りを防御するので手いっぱいと言った感じだ。


「元々神器とは神の器と言われるほどの物。一つでも次元じげんゆがみ、世界に干渉かんしょうできるほどの力を持つ。それに、本来は資格がない限り本人以外にはあつかえない代物だ」


「じゃあその資格ってのをロキは持ってるって言うのか」


「そうだな。それには昔話をしなくてはならないからここでは割愛かつあいさせてもらうが、ロキはその昔に私たちの神器を操る資格を得ているのだ」


「ロキって実はすごいやつなんじゃないか?」


「その力を正しく振るえばそうも言えるだろう」


 つまりはロキはすごくても悪知恵わるぢえの方に頭を使っちまうわけか。

 そう考えるとフェンリルをはじめとしたヨルムンガンドとヘルだかってのを付きしたがえてるのも実はすごい事なのかもしれない。


「大丈夫なのか。勝てるのか、あいつらは」


 フレイヤはまた信じろと言うだろうか。

 信じることが強さだと言うだろうか。

 目の前の光景を見てもそう言うのだろうか。


 ヨルムンガンドの時とは明らかに違う光景がある。

 あの時は渡り合っている感じがした。


 だが今回はどうだ。

 ロキはどうだ。


 全くもって歯が立っていない。

 神の戦い、いや、神にド素人な俺でもわかるほど戦局せんきょくなんをきしていた。


 第一に攻撃などと呼べるような攻撃は一切行われていないのだ。

 武器と武器が交じり合えども一瞬で吹き飛ばされる。

 雷を放とうとも炎にかき消される。


 それどころかロキが放った一撃一撃は徐々に三人を苦しめているように見えた。

 いな、苦しめているのだ。


「心配か」


 信じることを言い渡されると思っていた俺にはそのフレイヤの一言がやけに心細く思えた。

 ヨルムンガンドの時もそうだが、自分が見ている存在と言う点ではフレイヤも同じなのだ。


「当たり前だろ」


 少し強めにそう言い放った。

 自分が力になれない事よりも、三人がやられて怪我けがをすることの方が今は心配だった。


「何の心配をする。いや、誰の心配をする」


 フレイヤの言葉に理解が追いつかなくなり、ふと戦闘から目を離す。

 そこには気丈きじょうに戦いだけを一身に見つめる同級生の姿があった。


 中身はフレイヤになっていると知っていても、その振る舞いは縷々として見てしまう色が強い。

 だからこそ、普段見せないようなその姿に、さらにはその言動をする口が目に焼付いた。


「誰のってどういうことだよ」


「言葉の通りだ。誰の心配を悠真はしているのだ」


「そんなの、皆に決まってるじゃないか」


「皆とは、君丈や縷々の事か?それともありすやオーディンも含めての皆か」


 何を言っているか本格的にわからない。

 フレイヤには俺がそこまで薄情はくじょうな人間に写っているのだろうか。


「そんなの、後者だろ。皆っつったら君丈や縷々、ありすも蒼も全員だろ。何なんだよ急に」


 フレイヤは俺の言葉に戦闘からゆっくりと目を離し、体ごとこちらに向き直る。

 そして純真無垢じゅんしんむくひとみを持つ縷々の目でこちらを見た。


「私にはわからない。悠真、お前にとってはありすやオーディンはこの状況に巻き込んだ側だろう。関わらなければ悠真がおそわれることもなかったはずだ」


「それは・・・」


 フレイヤのいう事はもっともだった。

 その目からなぜか逃げたくなってうつむいてしまう。


 縷々が倒れたのはありすのせいだ。

 ありすと俺が関わったせいだ。


 でもそんなのは結果論で、縷々は襲われてたのかもしれない。

 いや、襲われてただろう。

 だけど、フレイヤが言いたいのはそんな結果論ではない。


「最初は好奇心こうきしんだった・・・」


 ありすが不良から助けてくれた時。


「途中にくみすらした」


 縷々が倒れた時。


「でも悪いやつじゃないって、信じたいって思った」


 フェンリルに襲われた時。


「だけど関われば関わるほど訳が分からなくて、でも縷々や君丈を守らなくちゃって」


 ロキやトールを探した時。


「そんな必要ないって愕然がくぜんともしたけど、自己満でもいいからついていかなきゃ!とか思って・・・」


 トールが君丈だとわかった時。


「あー!わかんねぇよ!そんなの自分でもわかんねぇ。でも時間とかそういうのうでも、巻き込まれたとかそういうのでもなくて、なんかこう・・・一緒に居たいって、傷ついてほしくないとか力になりたいってさ!仲間になりたいってことだろ!俺はお前らの仲間になりたいんだよ!なんていうか友達の友達とも仲良くしたいだろ!いや、何言ってんだろ。よくわかんねぇけどさ!」


 こちらを見続けるその目に向き直りながらそんな事を言っていた。

 考えは全くまとまっていない。


 何を言いたいのかもわからない。

 でもそれが今の俺の答え。


 ついていかなきゃ置いていかれそうな気もしてたんだと思う。

 でもそう思えるような存在になってる。


 少なくとも俺、桂木悠真からしてみれば皆は仲間なのだ。

 他の皆がそう思っていなくとも。


「すまない。余計な事を言ったようだ。そうだな。私にとって、いや、私たちにとって悠真はすでに仲間だ。私が保証ほしょうしよう」


 フレイヤがこちらの方を見てにっこりと笑いかけた。

 その表情は縷々の顔なのに縷々の表情とは違う。

 そこにはやはりフレイヤと言う存在がいるのだ。


「わかってくれれば・・・いい」


 なんだか急に自分の発言に照れくさくなって顔を背けてしまう。


「オーディンからだ。受け取れ」


 フレイヤは急に手のひらをこちらに差し向けてくる。

 その手のひらの上に、俺にはよく見知るものが置いてあった。


SAえすえーチップ?」


 そこにはこの中では俺にしかえんのないはずのSAチップがあった。


「オーディンがこの戦いが終わったら渡してやってくれと言っていた物だ。なんでもSAに興味がわいたらしくてな。トールを探すついでに試作しさくしてみたものらしい」


 SAチップは誰にでも作れる。

 作れるが、そう簡単に作れるものではない。


 SAの特性を理解し、その範疇はんちゅうで成しげられる事をプログラムとして作らなくちゃいけないのだ。

 プロが作っても1か月はかかるだろう。


「どうやってそんな・・・ってかなんで」


「私には作り方も知らないので何も言えないが、おそらく神の力、まあいわゆる魔法でも使ったのだろう」


 フレイヤからチップを受け取ると、そこには中身が空であるとチップが示していた。

 チップの表面にはプログラムを一回でも書き込みすれば、色が変わるように設定されている。

 確かに、これに何かしらのプログラムがインストールされているのだとしたら、魔法以外のなにものでもない。


「中身は私の魔法を真似まねしたものが入っている。威力などは本来の物より相当におとるらしいが、速さに関してはそのいきたっしていると言っていた」


「何が入ってるんだ」


「火の矢、かっこよくいうならフレイムアローとでも言うべきだろう。空中にある元素げんそ合成ごうせい変換へんかんし、作られた火の玉を高速で相手にたたきつける魔法だ」


 なぜかっこよく言いなおしたのかはわからない(たいしてかっこいいとも思わなかった)が、そんな事ができるのは確かに魔法の産物さんぶつだ。

 SAにも火を噴射ふんしゃする機能きのうはある。

 だがそれは料理や、鉄加工に利用できるほどの火であり、それをまとめて発射するなんて技はどんなSAプログラマーにもできないだろう。


「して、今これを渡した理由は?こんなんじゃ何もできないだろ」


 戦局は明らかに不利だ。

 俺がこれで援護えんごした所で何も変わる事はない。

 それほどにロキの強さは示されていた。


「別にこれでロキにダメージを与えられるとは思ってなどいない。すきを作れればそれでいい。後はあいつらにまかせておけ」


 つまりは先のフェンリル戦と一緒だ。

 こちらに意識が一瞬でも行けば三人ならどうにかしてくれるだろうと言う信頼の一撃。


 他人任せといわれればそれまで。

 フレイヤの言う所の信じる力というのはこういうのもふくまさっているのだろう。


「機会は一度きりだ。二度目は警戒けいかいされる。ロキが攻撃した後に隙があるからそこを狙え」


 ロキの隙。

 近くで戦っている者にもわかっている隙。


 だけど、一発一発が大きくて隙を埋めるだけの威力があるのだ。

 そこに付け入る。


「【フレイム・アロー】インストール」


 チップをSAに埋め込み、インストールを始める。

 本来なら何も入っていないチップ。


 つまりは反応しないはずだ。

 だが、右腕のSAはインストールを始める。


「インストール完了。【フレイム・アロー】起動!」


 SAの術式を正式な形で起動させると、手の平に小さな炎の弓が出来上がる。

 弓と言うよりはボウガンに近いだろうか。


 フレイムアローをロキの方に向けると、魔法円で描かれた照準しょうじゅんがふっと現れた。

 魔法円にはなんて書いてあるかはまるでわからないが、意図いととしては頭が勝手に理解していた。


 当てたいものを強くイメージする。

 げんを引くだけで後は勝手に照準を合わせてくれる。


 狙いの先では今まさに蒼が槍で攻撃をしかけている所だ。

 当然ながらその攻撃ははじかれる。


 だが狙いはその弾いた瞬間。

 俺は今しかないと力いっぱい引いた弦を離した。


「あーーーたーーーれーーーーーー!!!」


 超高速で炎の矢が飛んでいく。

 狙いは頭だ。

 少しでも目くらましになれば隙はでかくなるだろう。


「ちっ、余計な真似を」


 ロキは寸前で気づいたものの、なかば気づいた分、目にクリーンヒットした。

 一瞬よろけるロキ。


 ロキとしては蚊に刺された程度だろう。

 だがそれで充分だった。


「今だ!」


 そこに反応したのは君丈だった。

 自慢の小槌こづち、ミョルニルを目いっぱい振り上げ、ロキめがけて上方から振り下ろしていく。


 ロキはそれに反応してレーヴァテインをかまえる。

 初めてと言っていいほどのつばぜり合いが生じる。


「みすったか!」


 駄目だったかもしれないと一瞬思うが、君丈は押し負けない。

 雷がさらに打ち付け、ロキは押し負けそうになる。


 だが、そこに関しては神器の強さもあったのかもしれない。

 後一歩の所でロキがそれを弾き返す。


 その瞬間ガラスが割れるような甲高い音が広間中にひびき渡り、今までのような隙を生ませない様な押し返しの一撃でもなかったのが遠目からでもわかった。


 もちろんその隙を逃さない。

 次に動いたのは蒼だった。


「グングニル!」


 フェンリル戦同様、自分の槍を瞬時に持ち替えて投擲とうてき

 ロキはけることもできず、あっけなくその一撃をくらうのだった。


「やったか!」


 真っ先に歓声をあげた声は俺の声だった。

 フレイヤがその言葉を返すかのように盾を解除する。


 ありすがロキの所へ飛んでいき、槍を差し向けこう言った。


「私たちの勝ちよ。これ以上やるって言うなら、そのボロボロの体で立ち向かってきなさい」


「降参降参。まいった。僕にそんな力はもうないよ」


 手をひらひらとさせて降参こうさんをアピールするロキ。

 蒼の槍を刺された状態でも一見ぴんぴんしているのは神だからだろうか。


 ともあれ、ロキとの決戦は幕を閉じたのであった。




「俺はこいつを天界に連れてくつもりだ。トールとフレイヤも手伝ってくれ」


 蒼はロキを軽々とつまみ上げると、手を何もない方向へ向ける。

 地面に魔方陣が出来上がり、光の扉が現れ、静かに扉を開けた。


「うへー、めんどくせー」


「トール、これも仕事だ」


「俺は仕事なんて引き受けた気はねぇよ」


 君丈とフレイヤがそんな話をしていると、ありすが一人横で何か言いたそうな顔をしていた。


「・・・また、置いてくの?」


 ぽつりとそうつぶやくありす。

 蒼はこちらを振り返らない。


「ねぇ、優斗。また置いてくの?」


 下を向くありす。

 ありすはこの街に蒼、オーディンを探しに来たのだ。

 今まさに去ろうとしてるオーディンに不安を感じるのも無理はない。


「・・・」


 オーディンは何もかたらない。


「すぐ、戻ってくるよね?」


 少しずつ上を向くありす。

 そのほほからは涙が流れていた。


 俺はありすと蒼の関係にいまいち納得がいっていなかった。

 ありすは育ての親と言ったが、それはありすの本心なのだろうか。


「ねぇ・・・答えてよ」


 またうつむいてしまうありす。

 そのありすの涙の意図を、蒼希優斗、オーディンは知っているのだろうか。


「私、待ってたんだよ。ずっと。優斗の答えを聞くために・・・」


「・・・」


 オーディンは何も語らない。


「優斗!答えてよ!」


 ありすが涙でぐちゃぐちゃの顔をあげる。

 ありすの涙の意図はわかっていた。

 数日間しか一緒に居なくても、ありすと蒼が絡んでいる所を見るとわかってくるものがあった。


「私、優斗が好き!こんな所で言うの、すごく変かもしれない。でももう待てない!だから・・・だから・・・」


 ありすは蒼希優斗あおきゆうとに好意があった。

 きっとオーディンではない、蒼希優斗が好きなんだろう。


「せめていなくなる前に答えてよ!」


「・・・」


 蒼希優斗は何も語らない。


「トール、フレイヤ、いくぞ」


 オーディンは自分の使命のために扉をくぐろうとする。

 待ち続けたありすを置いて。


「お前らも行くのか」


 俺はたまらず、一緒に行こうとする君丈とフレイヤに声をかけた。


「まあ俺たちは学校もあるし戻ってくるさ」


 そして背を向け、扉に入って行こうとする。


「優斗!」


 ありすの言葉に蒼は歩くスピードを遅めた。


「この意気地なし!ぽんこつ!振るなら振ってよ!女一人振れなくて何がオーディンよ!」


 その言葉に歩みを完全に止め、こちらに表情が見えないくらいで蒼はありすに非情な言葉を投げたのだった。


「俺とお前では、住む世界が違うんだ。ごめんな」


 そう言い残すと、今度こそ扉の中に入って行ってしまった。

 君丈とフレイヤはきがかりになりつつも扉の中に入っていく。

 ありすは何も言わず、下を向いていた。


「・・・ありす、いっちまったぞ」


 うつむくありすはその頬から絶えず涙を流している。

 俺はこういう時どうしたらいいかわからなかった。


「う・・・うわあああああああああん!」


 唐突に赤子のように大声をあげてありすは泣きじゃくっていた。

 ひざをつき、ちょこんと女の子すわりで泣くありすは、まるで本当に幼児退行してしまったかのように泣き止まない。


 あせりに焦って抱きしめて見たりもしたが、泣き止むことはなく、泣き止んだのは時計の分針が約一周した後だった。




「ごめんね、みっともない姿みせて」


 俺の背中の後ろからあやまってくるありす。

 その後、泣き止んだありすは座った体制のまま寝ており、子供かっと突っ込みながら背負って担いできたのだ。


 洞窟の大広間からありすを背負いつつ学校に戻ると、もう日がれかかっていて、ヘルやフェンリルの姿もなく、しょうがなく自分の家の方角へ帰っているありさまである。


「起きたのか。・・・みっともないなんて言うなよ。俺はそんな泣くほど好きな人ができた事は無いけどさ。なんか、こう、そういうのって青春だなぁって思うよ」


 ばか。と小さく後ろから小突かれた。

 なんとも可愛いと思ってしまったことは本人には一生言えないだろう。


「まあさ、すぐまた会えるよ。根拠こんきょとかはないけど、なんかあの性格ならひょっこりと出てきそうじゃん?」


「悠真の中の優斗のイメージってもぐらなの?」


「いや、そういうわけじゃないけどさ・・・」


 場をなごませようとしただけなのだが、逆に和まされているような気がするのは気のせいだろうか。


「もしあいつがもぐらだったら次はひっつかんでぼこぼこにして穴に戻してやる」


 だんだん腹立ってきたと背中であばれるありす。

 個人的には負荷ふかがかかるので大変やめていただきたいが、ここは何も言わないで受け止めることにした。


「背負わせてごめんね、ここでいい」


 そう言うとありすは俺の背中から飛び降りた。


「帰る方向わかんなかったから。反対方向だったらごめんな」


「ん、いいよ。私もこっちだったし。ま、今日の事は忘れてくれるとありがたいかな。ってか忘れて。・・・じゃあまた明日」


 ありすは少し涙でれた目で笑顔を作ると足早に帰路きろについていく。

 俺もそれに軽く手を振って家に帰った。


 こうしてありすのひと夏の恋は終わったのだ。

 なんて付け加えておけば俺の中でのありす恋物語はまくを閉めるだろう。

 本人に言ったら殴られそうだが。




 驚くべきは次の日だった。


「おはよう」


「おはよ・・・ってなしたんだそれ」


 朝の挨拶あいさつと俺の肩を叩いてきたありすに振り返ると、なんと、長く綺麗きれいな髪を切り落としていたのである。

 首から下をばっさりと。


「まぁ・・・べたなんだけど失恋には髪を切る事かなぁーって・・・似合う?」


 ちょっと照れるように自分の髪を触りながら評価を求めてくる。

 だが、俺の評価は辛辣しんらつな物だった。


「似合う・・・って・・・自分で切っただろそれ」


「そりゃあ、あの時間に美容室なんてやってないもの。おかげでお風呂場の排水溝はいすいこうがつまって大変だったわ」


 似合うとめてやるのが男としてのつとめなのかもしれないが、切り方があまりに雑すぎて目にできないほどであった。


「・・・斬新ですね」


「なに、切り方が下手へただって言いたいの」


滅相めっそうもございません」


 ありすに詰め寄られ、そっぽを向いてしまう。

 なんとなく顔が近いために少し自分の顔が赤らんでいる気もする。


「ま、いいのよ。明日からの休みの間にちゃんとした所で整えてもらうから」


 正直な所、切り方は確かに雑だが、すごく似合ってはいた。

 ありすは皆にふるまっているようなお嬢様キャラではない事は知っていたので、こっちの方が俺の中ではありすらしいのだ。


「ほう。髪は切らないようにすすめていたが、短いと短いでいいなぁ」


 ふとした声がありすの後ろから聞こえる。

 それはとてもこの数日間で聞きなれた声だった。


「ん?」


 ふと振り返るありす。

 そしてなぜか固まってしまう。


「よ!」


 固まるありすの横から顔を出したのは・・・蒼希優斗だった。


「蒼!お前帰ってこないんじゃなかったのか?」


「え、俺はそんな事言ってないけど」


 確かにそんな言葉は聞いていない。

 だが、それに納得しないものが目の前に一名いた。


「な、なにが言ってないよ!あああああああんた昨日あんな態度しておいて!・・・あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 なにやらありすが自分でドツボにはまっていた。

 しゃがみこみ、顔を赤らめながら一人で何かをぶつぶつとつぶやいている。


 そこに君丈や縷々も登校してきた。

 なんなく皆登校できたようだ。


「なんとも意地の悪い趣味だな、オーディンさんは」


 ありすに代わって蒼の事を責めといてやろうとそんな言葉を投げかけたが、帰ってきた言葉は意外だった。


「いや、なんていうかな。意地悪するつもりはなかったんだが。すぐ帰るとも言い出しづらくてな。・・・まあ単純たんじゅんずかしかったんだ」


 てへぺろ、と舌を出してくる蒼に精一杯の嫌な顔で返してやった。


「ゆ、優斗が私の事を振った事実はかわらないんだからね!・・・かわらないんだからぁぁぁぁぁ」


 顔をさらに真っ赤にしながら捨て台詞を吐いて逃亡する者がそこには一名。




 こうして俺はほぼ日常に戻ってこれた。

 周りの変化や心境の変化はあったものの、これでやっと普通の学園生活が送れるわけだ。


 非日常なんてものは体験しない方がいいのかもしれないし、体験した方がいいのかもしれない。

 少なからず、俺には新しい仲間ができて喜ばしい事だ程度に思っておこう。


 もう少ししたら夏休みが始まる。

 今年の夏休みは騒がしくなりそうだ。




   ・・・




 べたな事を言うようだが、この話はここでは当然終わらない。

 俺はこの出会いをきっかけにさらに非日常に足を踏み入れることになる。

 今思えば、こんなものは非日常における日常だったと言えるだろう。

 これは俺、桂木悠真が日常を捨てるお話なのだから。




 一章 【完結】


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