美波と下着と雨宿りの行方 後編

「…………」

「…………」


 無駄に広いリビングに、ガラス越しに届く雨の音だけがその存在感を主張している。


「……雨、やまないね」

「……そうね」

「…………」

「…………」


 沈黙。そうしてまた、僕らは視線をそらしたまま黙り込む。

 何故か微妙に離れた位置にそれぞれが座り、互いにちらりと視線を向けては、目が合った瞬間妙な気まずさが発生してまたそらす。

 さっきから、ずっとその繰り返しだ。


(……おかしい)


 どうしちゃったんだろう、僕。

 目の前でペタンと女の子座りしているのはまぎれもなく僕のクラスメート島田美波さんで、彼女は理由があって僕の家で裸ワイシャツになっている。

 ……おかしい。何がっていうか、この状況がだ。

 クラスメートをワイシャツ一枚で部屋に囲っている今の僕は一体何者なんだ。

 いやいや、そんなことよりも!

 相手は美波だよ? 遠慮なく接することができる、数少ない僕の女の子友達――

 なのに今、僕らの間には微妙な距離があって、でもそれは、なんというか疎遠とか遠慮とかそういうのとはまた違うような気がする感じで、当てはめるならそう、近くにいるから遠いというか――あーもう全然意味わかんないよ!

 だめだだめだ! 深く考えたら余計に分からなくなっちゃう!

 相手は美波なんだ! なんかこう、いつものように僕のことを容赦なく叩きのめしてくれなきゃ! 

 えっ、でもそれもどうなの僕!? いつも僕って美波にそういうことを望んでたわけ!?

 そうじゃなくてこう、もっとこう、自然体で、ナチュラルな感じが僕らに相応しい気がする。

 ……自然体かつナチュラルに。そう、極めて自然な感じで喋りかければ、きっと美波もいつもの調子を取り戻してくれるはず!

 さりげなく、さりげなく。


「そ、そういえば美波が髪をおろしてるのって、珍しいよね」

「え……あ、うん」


 お風呂上りだからか、今の美波は髪をストレートにして背中にたらしている。

 いつもはポニーテールの美波しか見ていないから、その姿は、なんというかすごく新鮮だ。

 こんな髪型を見るの自体、初めてか……あるいは2度目くらいな気がする。

 最初は……いつだったか、暗がりの中でぼんやりとしか見ていなかったから、まじまじと見るのは実質これが初めてかもしれない。


「……あ、ポニーテールにしたほうがいい?」

「え? ううん、別にそんなことないと思うけど。なんで急にそんなこと聞くの?」

「だって……」


 美波は心なしか顔が赤い。視線を僕に向けないまま、ぽつりと独り言のように呟いた。


「……アキ、ポニーテールの子が好きなんでしょ」

「……!」


 そ、それは否定しきれないけど!

 今それを言うのは、なんというかすっごく反則じゃない!?

 潤んだ目でそんなこと言われたら、こう、なんというか、色々ときちゃうから!

 僕は慌てて自分の動揺を隠すように、わけもわからず早口でまくしたてる。


「そ、そんなことなくなくないよ! 普段のポニーテールも好きだけど、今の美波もいいと思うし!」

「えっ……」


 あれっ!? 美波がまた俯いちゃった!

 僕はまた何か変なことを言ってしまったらしい。自分でも考えなしに言ったので、何を言ったのか全然覚えてない。まずい。

 分かるのは、状況が悪化したっぽいということだけだ。

 ……うー。気まずい。なんだか知らないけど、ものすごーく気まずい……。

 なんとか、この状況を打破しなくては。


「そ、そうだ! 美波、なんか温かい物でも淹れてくるよ! その格好で冷えちゃまずいしね!」


 とりあえずここから逃げよう。

 そう思いついた瞬間、僕はすぐさま動き出していた。

 立ち上がり、美波の横をすれ違ってキッチンに行――こうとして、突然動いたものだから足の痺れがとれておらず、うっかり足首を捻って体勢を崩してしまう。


「うわぁっ!」

「きゃぁっ」


 そのまま勢いを制御できず、僕はおもいっきり倒れこんでしまった。

 美波の悲鳴と、一瞬間があって、手のひらに柔らかい感覚が宿る。


「い、いてててて……あ、ご、ごめん美波! ケガはな――」


 い、と言おうとして、彼女の潤んだ瞳が、まっすぐに僕を貫いた。

 すぐ至近距離に、美波の顔がある。

 彼女は頬を朱色に染め、恥ずかしそうに、けれども視線をそらすことなく、真正面の僕を凝視している。

 そこに、どんな魔力があったのか。

 僕は何も言えなくなってしまった。


「…………アキ……」

「…………」


 今の姿勢がやばいということだけは肌で感じ取れる。

 客観的に見れば、完全に僕が美波を押し倒してる体勢だ。

 例えば、ここで突然姉さんが帰ってこようものなら、僕の寿命がキスでマッハなくらい危険だ。

 けど、それでも、美波から目を逸らせない。

 体はぴくりとも動いてくれなかった。


「……あ、あのね、アキ。その……」

「…………」

「……あ、あたってる、……んだけど。その……手が」


 言われ、ようやく視線を下げてみる。

 ワイシャツからのぞく美波のくびれや、少しだけ肩がはだけたワイシャツ。

 その更に下に、僕の手がある。

 人間で言えば胸部に当たる箇所だ。

 指を動かしてみる。


「ぁん……アキ、だめぇ……」


 おお、なるほど。

 どうやら僕の手は、美波の胸にジャストフィットしているらしい。

 美波は現在ブラをつけていないから、その柔らかさがシャツごしに直に伝わってくる。

 ……でも、そのわりには手首が垂直に傾いているなぁ。

 僕は頷いた。

 確信をもって、今まで推測かつ目測および自称であったものを、きっぱりと断定する。


「やっぱり美波って胸ないよね」


 視界が180度回転した。






「ばかばかばかばかばかばかばかばかばか! もうアキの大バカ!! なんでこの状況でそんなこと言えんのよっ! ほんっと、信じられないくらい前代未聞のバカねっ!」

「……ず、ずいばぜんでじた」


 巴投げされた後足を固められおまけにその体勢のまま説教を30分も食らった僕は、今まさに心身ともにズタボロだった。

 というか軽く失神しかけた。もうお馴染みとなった三途の川で、じいちゃんと軽く談笑した後帰ってくる余裕があったくらいだ。


「アキ、聞いてるのっ!? アンタのその性根は前々から叩き潰してすり減らして粉微塵にしてやりたいと思ってのよ!」

「それって僕もう改心の余地なく完全に死んでるよね!?」

「バカは死ななきゃ直らないんだからむしろ一回くらい死になさいっ!」

「横暴だぁーっ!!」


 なんて、いつものやりとりをしているうちに、外を見ればすっかり雨はあがっていた。






「じゃあ、けっこう遅くなっちゃったし。ウチもう帰るから」

「はい……。き、気をつけてお帰りください……」


 美波を見送るため、玄関まで一緒に行く。

 その間も、ずっと美波は腰に手をあててお怒りモードを崩してはくれなかった。

 ドアを開ければ真っ先に広がる晴れ上がった空を見上げ、思わずため息をつく。

 ああ、なんか色々なことがあった日だった……。


「アキ」

「な、なに? もうこれ以上僕の関節で折れる箇所は残ってないよ?」

「そうじゃないわよ」


 はぁー、と全力で脱力された。けれどその表情は、すっかりいつもの島田美波だ。

 髪型もポニーテールに戻っており、服は僕の私服を貸してあげた。今の美波はワイシャツの上にパーカーを着てスラックスを履いている。

 すらっとした体型の美波なら、多少ぶかぶかでもある程度着こなせるようだ。……男として、なんというかすごく複雑だけど。


「アキ、目をつぶりなさい」

「え」

「最後に、ウチにあんな仕打ちをした罰を受けてもらうわ」

「ま、まだやりたりないの!?」


 あれだけボコボコにしたのに!?

 唖然とする僕に、美波は腰に手をあてたまま、片目を閉じてさも当然とばかりに頷く。


「当たり前よ。乙女の純情を傷つけられた罪は重いんだから。さ、罪状がさらに酷くなる前に、さっさと目をつぶったほうがいいわよ」

「は、はひ!」


 もうこうなりゃどうにでもなれだ。前歯の1~2本は覚悟する面持ちで、僕はおもいっきり瞼を閉じて歯を食いしばる。


「……アキ。目閉じてる?」

「う、うん」

「じゃあ、いくわよ……」


 美波の声が、気配が、ゆっくりと近づいてくる。

 ううっ、やるなら一思いにやってくれぇー!




「…………バ~カ」




 痛みはなかった。

 ただ、唇に小さな感触が伝わった。


「えっ!?」

「じゃ、じゃあね! また明日!」


 慌てて目を開くと、既に走り出している美波の背中と、元気に揺れる彼女の証、ポニーテールが遠ざかっていくところで、僕はただ、その後姿を見送ることしかできなかった。

 茫然自失のまま、とりあえず動く屍のようにリビングに戻る。


「……な、なんだったんだろう?」


 考えても、色々なものがごっちゃになって、わけがわからない。

 とにかく、今日は色々なことがありすぎたんだ。

 僕の脳ではとてもじゃないけど処理しきれない。

 考え事をしすぎて、なんだか顔が熱いよ……。


「……はぁ」


 結局、やっぱりモヤモヤしたものしか残らなくて、僕は再びため息をついた。

 と。


「…………おや? どうやら行き違いになってしまったみたいですね。アキくん、お姉さんが帰りましたよ」

「……あ、姉さんだ」


 声がしたので玄関にもう一度逆戻りすると、何故だかそこにはずぶ濡れになった姉さんが。


「えっ!? 姉さん、傘持ってったよね!? なんでそんなに濡れてるのさ!?」

「はい。アキくんが突然の雨に困ってるだろうと察して、姉さんはアキくんを迎えに行きました」

「うん」

「ところが探せども探せどもアキくんは見つからず。いつのまにかこんな姿に」

「……姉さん、もしかしてその歳にもなって傘が上手くさせないとか、そんなこと言わないよね?」


 子供じゃないんだからさ。

 でも肩が重点的に濡れているところを見ても、その可能性はかなり高い。

 しかし姉さんは意外とばかりに眉を吊り上げ、俄然抗議の姿勢をとる。


「なんてことを言うんですか。姉さんはまだ若くてぴちぴちです」

「その言語センスから矛盾してることに気付こうよ」


 ていうかそこに反対なのかよ。


「歳でいえば、若干17歳くらいです」

「おいおい」


 若干て。


「と、とにかくシャワー浴びてきなよ。僕もさっき浴びたばかりだからさ」

「そうですね」


 姉さんは素直に頷くと、脱衣所のほうに歩いていった。

 やれやれ、姉さんにも困ったもんだよ。

 でもまあさっき使ったばっかりだから、タオルも新しいのに代えてたし丁度いいかな。

 美波の制服や下着も、きっともうすぐ乾くだろうし。

 明日にでも学校で渡してやろう。


「…………ん?」


 今僕は、人生を左右する、何か重大なことを見落としているような、そんな錯覚に陥った。

 それが何かを考えようと思考をめぐらそうとしたとき、


「――アキくん。大事なお話があります。至急こっちに来てください今すぐ」


 そんな、姉さんの声が聞こえてきた。








――幕間



「……ふん。アキのバカ……ほんとうに、バカなんだから」


 大きなキツネのぬいぐるみを抱きかかえながら、少女は一人、ベッドの上を転げまわる。

 その心中は色々なモノが渦巻いていたが――それでもその大部分を占めるのは、例えようもないくらいの喜びであった。

 ぬいぐるみごと、ぎゅ、と自分の体を抱きしめる。そうするとなんとなく、彼に抱きしめられているような気がするのだ。

 今日の自分は、全身彼の匂いに包まれているのだから。


「……アキの、匂い……えへへ」


 なんとなく、今夜はいい夢が見れそうだった。




 END




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美波と下着と雨宿りの行方 まぐ @mug27

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