美波と下着と雨宿りの行方
まぐ
美波と下着と雨宿りの行方 前編
突然だけど、僕らは今、全力疾走を強いられていた。
「うひゃあ!」
もうそろそろ体力の限界を感じていたところに、丁度いい感じの屋根があったので、これ幸いとばかりに急いでそちらに駆け込む。
「美波もはやく!」
それから息つく暇もなく、すぐ後ろを走っていた女の子も僕の隣へと滑り込んだ。
「ふー。もう、なんなのよー! 急に降り出したりして!」
忌々しそうに、勝ち気な釣り目が空を睨む。彼女の特徴でもある自慢のポニーテールも、今は雨で濡れてすっかり本来の美しさを損なってしまっていた。
「夕立かな。すぐやむといいんだけど」
「そんな気配全然ないわよ……はぁ。制服までぐしょぐしょじゃない」
自分の姿を改めて見下ろし、深くため息をつく美波。僕だって制服が肌に張り付いて、気持ち悪いことこの上ない。
それもこれも、この突然降り出した雨のせいだ。
僕は朝テレビを確認する余裕なんてないけど、美波が傘を持ってきていないということは、予報では異常なかったんだろう。本当に運がない。
「アキ……ごめんね。ウチの買い物に付き合ったおかげで、こんなことになっちゃって」
「美波のせいじゃないよ。それに、僕も新しいノートが欲しかったところだったんだ」
姉さんが帰ってきたおかげで急に勉強なんてしたものだから、いざ切れてしまったときに家に勉強道具の予備がなくて困っていたのだ。まあ、使う気はまったくないんだけど、姉さんの抜き打ちチェックのために道具だけは揃えておかなくては。
何も書いてない白紙のノートでも「あ、ちょうど使い切って新しいのにしたんだ」とでも言えば、僕が普段勉強していることをアピールできる。
「はぁ~。まったく、やってらんないわ……。せっかくアキと二人っきりだったのに……」
「ん? 何か言った?」
「な、なんでもない!」
「……?」
そういうわけで、たまたま買いに行った先の商店街で美波と遭遇し、せっかくだからと色々見て回って、さあ帰ろうかとした矢先の出来事だった。
突然の大雨に降られ、僕らは慌ててここで雨宿り――というわけである。
どんよりとした鉛色の空は、美波の言うとおりすぐには機嫌を直してくれそうにもない。
まったく、乙女心と秋の空とは言うけど、そんなに心変わりしなくてもいいじゃないか。
これだから女の子ってのは分からないんだ。
「うーん、けどどうしよう?」
「困ったわね……。ウチの家、こっからけっこう距離あるし……。近くのお店で傘でも買う?」
「ここからだと、コンビニには逆方向になっちゃうよ。それに結構遠いし」
それなら、僕の家のほうが断然近い。……って、そうか。とりあえず僕の家に避難しちゃえばいいんだ。それから雨がやむのを待てばいい。
ちらりと隣の美波に視線をむける。美波もこの雨で濡れた制服の着心地が悪いのか、あるいは急に冷えた体を持て余しているのか、ぎゅっと自分の体を抱くようにして両腕を絡めている。
肌に張り付いた前髪や、スカートに滴る水の効果か、それはとても絵になる光景だった。
はぁ……これで上がブレザーじゃなきゃ、シャツが透けてその下が露に――って、何を考えているんだ僕は!? この非常時に、クラスメート(しかも美波の上半身)を見て欲情するなんて!
よく考えるんだ! 美波の胸だぞ! 姫路さんとかならまだしも美波の!
そうだ、このシチュエーションこそ異質ではあるが、相手は役不足そのものじゃないか!
あんな地平線のように広がる胸扁平(偏平足ととく。そのココロはペッタン)を見たところで僕の鋼の精神が揺さぶられるはずがない!
「……アキ? な、なによ、さっきからジロジロ見て……」
いけない! 美波が疑いの眼差しを向けている!
これは華麗に誤魔化さなくては!(僕の性癖という名誉のためにも)
ここは男の懐の広さを見せ付ける意味もこめて、素直に「寒くない? 僕のブレザー貸してあげるよ」と言おう!
「美波、その」
「うん」
「雨で濡れて気持ち悪いだろうし、ブレザーは脱いだほうがいいんじゃないかな」
僕のバカー!
何言ってんの!? 心に素直になれって言ったんじゃないんだよ!
「……は? まあ、そりゃちょっと気分悪いけど。なんで急にそんなこと」
「だって今なら制服が透けてブラぁあぁっ!? 目がぁー!」
「こんの、バカ!」
憎い! 心に素直な自分が憎い!
両目を貫くあまりの激痛にのたうちまわる。下は雨で濡れているし上からは容赦なく降ってくるしで僕の制服はたちまち泥だらけになってしまった。
「うう……すみません、このシチュエーションに動揺してしまいました……」
「このシチュエーションって……」
あ、と何かに気づいたように美波が呟き、何故か頬を赤らめてうつむいてしまう。
「……アキ。その……み、見たいの? ウチの…………下着」
ごにょごにょ、とふさぎがちに、何やらとんでもないことを言ってくる。
ふん、騙されるもんか。そんな見え見えの誘導尋問に引っかかるほど僕はバカじゃないさ。
ちらちらと恥ずかしそうな演技でこちらを見ている美波に、僕は紳士の顔できっぱりと言う。
「安心して、美波。この雰囲気にちょっと流されちゃっただけで、僕は美波の下着なんてまったく見たいとはおもんべ!?」
ひどくない!? 右ストレートで顔面ぱんちはひどくない!?
下着を見られるという羞恥を犯されることを危惧した美波を心配しての一言だったのに!
「どーせウチの胸なんて見たってたいしたことないわよ! バカ! バカバカ大バカ!」
「お、落ち着いてよ美波。あと倒れた人間を蹴り続けるのは人としてどうかと思うな!」
それに、それじゃあまるで美波が僕に見て欲しいみたいに聞こえるじゃないか。
いくら気が動転してるからって男にそういうことを言っちゃ誤解されちゃうよ?
僕だって本当は……み、見たくないって言ったら嘘になるんだから。
「と、とにかく、ここにいてもやむ気配もないしさ。いったん、僕の家に行かない?」
「え? アキの家に?」
「うん。知ってるだろ? こっからなら僕の家のほうが近いし……雨がやむまで、美波も休んで行ったらいいよ。服も乾かさないと風邪引いちゃうし」
ようやく僕を蹴る足を止めてくれる美波。ていうか今まで蹴られ続けてたのか、僕。あんまりだ。
「そ、そうね。でも、ウチが行っていいの?」
「何言ってるのさ。当たり前だろ」
「でも、アキのお姉さんがいるんじゃない?」
「それじゃあ僕こっちだから。また明日だね、美波!」
爽やかに去ろうとしたところで、襟首を掴まれた。
「待ちなさいよアキ! あんた本気でウチを見捨てるつもり!?」
「忘れてたー! 姉さんがいるんだった! こんな格好の女の子連れて行ったらまたなんて言われるか! ごめん美波、なんとかその辺のコンビニで傘でも買って走って帰ってくれ! 大丈夫、美波なら丈夫だからきっと風邪なんてあがががが!? ちょ、ちょっと、首絞まってる! 致命的に酸素が足りない状況に!?」
「せめて傘を買うところまで一緒に来なさいよ!」
「な、なんで逆方向の道にわざわぐへぇー! し、死んじゃう! これ以上締められたら本気で死んじゃうから! 分かったよ一緒に家に行こう姉さんは僕がなんとか説得するからだから離してーっ!」
……結局、美波を連れて行くことになってしまった。
うう、僕、死ななきゃいいなぁ。
なんて戦々恐々としていたが、その考えは杞憂に終わった。
「あれ? 姉さんの靴がない」
恐る恐る玄関を開いてみれば、姉さんは外出中のようだった。
傘立てを見ればちゃんと数が減っている。よかった、姉さんが濡れる心配はないみたいだ。
「よかったぁ……美波、とりあえず危険は去ったからあがっていいよ」
「なんか釈然としない気もするけど……まぁいいわ。おじゃましまーす」
「あ、タオル持ってくるからちょっと待ってて」
「うん。ごめんね、アキ」
先に急いで脱衣所に行き、二人分のタオルを持って玄関に走る。廊下が濡れちゃうけど、これは仕方ないよね。後で痕跡も残さないようくまなく拭き取らなきゃ。
「はい、タオル。それから先にシャワー浴びてきなよ」
グシグシと自分の髪を乱暴に拭きながら、美波にタオルを渡す。
「え? そんなの悪いわよ、アキの家なのに私が先に浴びるなんて」
「何言ってるのさ。こういう場合は女の子が先に決まってるだろ。僕は男なんだから適当に拭けばいいけど、美波はそういうわけにもいかないだろ?」
そのポニーテールも、はやく手入れされたくてウズウズしているに違いない。美波のトレードマークともいうべきその元気の証があの調子では、僕も忍びない。
「……女の子……。うん、それじゃあ……お言葉に甘えるわね」
「そうしてよ」
美波は何故か照れたように指をもじもじと通わせると、恥ずかしそうに「ありがとう、アキ」と言ってお風呂場のほうに駆けて行った。
さて、その間に僕も服を脱いでかわかさないと。
姉さんが帰ってくるまでまったく稼動する機会のなかったリビングのエアコンをつけて、お風呂場のほうを気にしながら手早く服を脱ぎ、念入りにタオルで拭く。
「うわー、パンツまでぐっしょりだよ」
この様子なら美波のほうも僕と同じ――って、だから何考えてるんだよ僕!
落ち着け! 神経を集中させて思考を閉じ、あらゆる邪念を追い払うんだ!
「うおぉぉぉぉ、高まれ僕のコスモォォォォォッ!!」
シャァァァァァ ←精神を高めたので、微かに風呂場から漏れる音をも逃さず聞き取った。
「うおぉぉぉぉ、静まれ僕のコスモォォォォォッ!!」
無駄に集中力が上がってるから音だけで容易に想像が膨らんでしまう!
あらわになった美波のスレンダーな肢体にシャワーが降り注ぎ、そのあるかどうかも分からない谷間を流れて一筋の川が――ノォォォォォッ!!
いかん! この姿でこのままでは確実に僕が何らかの病に倒れてしまう!
もう何も考えるな! 下着を着替えて適当にズボンでも履き、あとはただ無心でシャワーの順番を待つんだ!
僕ならできる! 最近エスカレートしてきた姫路さんの無意識なダイレクトアタックを我慢し続けている僕なら!
そう、明鏡止水の心……! 落ち着けば、僕にだってこれくらい――!
「……アキ。その、あがったわよ」
ほうら目を瞑ればすぐじゃないか。いつのまにかシャワーを浴び終えた美波の声が聞こえる。
「うん、それじゃあ次は僕が――」
ほがらかに笑い、愛想よく手を振りながらゆっくりと目を開く。
そこには顔を赤らめて俯く、ワイシャツ姿だけになった島田美波がいた。
「されどその心は烈火のごとくー!?」
「あ、アキ!? どうしたの!?」
赤く燃えるような鼻血を噴出して悶絶する僕に、慌てたように美波が近づいてくる。
だ、だめだ! この倒れた位置じゃ美波のすらりとした脚も、その奥に見え隠れする何かも丸見えに……!
「うおおおお!」
「きゃっ」
僕は血の涙を流しながら立ち上がる。
見てはいけない……! 見たら戻れなくなる!
僕は、いま、――生まれて初めて、自分の欲望を制御したぞ!
その偉業に、思わず一筋の涙が流れた。
「あ、アキ? ど、どうしちゃったのよ?」
「いいんだ……。そ、それより美波、その格好は色々とクライマックスすぎるよ」
正真正銘の裸ワイシャツ。下には彼女の白くて眩しい脚だけがのぞいている。そのワイシャツも若干ぶかぶかなのか、手が袖に半分くらい隠れてしまっていた。
「だ、だってしょうがないじゃない。脱衣所にあった代わりに着るもの、これしかなかったんだもん……」
あ、そうか。色々あって美波の着替えを用意することをすっかり失念していた。
そのワイシャツもよく見れば僕のものだ。そういえばハンガーにかけたまんまだっけ……。
「……あの、じゃあ下着は?」
「あ、玲さんのがあったから」
「へぇー。下はともかく、よく上のサイズがあった嘘ですごめんなさい!!」
自らの失言に気付き、即頭を下げる。
しかしくるべきはずの攻撃が、いつまでたっても頭上に下りてこない。
「……?」
おそるおそる顔をあげると、あろうことか美波は耳まで顔を真っ赤にしながら両手で胸を庇うようにガードし、
「……だから、その……今は、…………つけてないの」
「ごふぅっ!!」
「あ、アキ!」
師匠……すいません……僕の心は……もう、限界です……。
そのまま倒れた僕の視界、意識が刈り取られるその寸前に――少しだけ、胸元のボタンが開いた美波のワイシャツから、その奥の小さな桜色の何かが見えたような気がした。
けれど意識を取り戻したとき、僕はその光景を覚えていなかった。
続
あとがき:
初投稿です。
すみませんまだシステムの使い方に慣れていなくて、間違っていたらご指摘くださると幸いです。
後編も書き終わっているので今週中には上げさせていただきます!
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