3.



「それで――、私のところへ来たと」


 針見はりみりよん生徒会長は僕を迎え入れて、ひと言そう確認した。

 彼女は生徒会室のいちばん奥の椅子に背を預け、静かに柔和な笑みを浮かべていた。伸ばし放しのだらっとした黒髪も相乗し、全身から緩くぽわぽわした粒子か何かを発しているふうでもあった。


「すみません先輩、お忙しいのに」

「いえいえ。むしろ私がこちらから、ええ、私のほうから暮樫くれがしさんのところへ伺ってもよかったのですけど」

「え。いや、それはさすがに悪いですよ」

「そろそろ、ええ、そろそろ来ていただける頃かと思っていましたので」


 ううん?

 それは……どういう意味だろうか。


「ああええと、このたびは僕のために時間を割いてくださいまして……」

「いえ。ですから、いいんですよ」


 僕の言辞を、針見先輩はやんわりとさえぎった。



                  *



 何せよ。

 現職の生徒会長が直々に話を聞いてくれるというのだからありがたいことである。


 交友関係に広く、交渉に長け、相談事にも慣れている――そして、できれば女子の知り合いというと、僕が思いつく範囲では針見先輩くらいしか頼れる当てがなかったのだ。昨日の放課後の段階でメールで先輩に連絡を取り、なら翌日の昼休みが空いているので生徒会室まで来てほしいと、そういう段取りとなっていたのであった。


「どうぞ、そのあたりにお掛けになってください」


 と、先輩が自らの机と棚の間の丸椅子を指し示す。僕はずりずりとどうにか身を擦ってその狭い空間までたどり着き、まわりの書類を崩さないように気をつけながら椅子に腰を下ろした。



                  *



 生徒会室はつねのごとく雑然としていた。


 一般教室の三分の二ほどあるスペースの大部分は混沌に占められている。中央の大机と、その上に山と積まれた書類や文房具その他物品の数々、及び周囲のスチール棚に詰め込まれたファイルや紙束の類が所狭しと空間を席巻していた。


 僕は恐る恐る部屋を見渡す。


「あの先輩、こんなこと訊くのはあれかもしれないのですけど……」

「はい、なんでしょう?」

「ここはその……片づけとかしないのですか」

「ああええ……、いちおうですね、月一回は生徒会執行部総出で大掃除をしているのですよ……これでも」


 それで――この惨状なのか。

 現生徒会はその他の仕事は有能と評判なだけに、生徒会室の取り散らかったさまには落差を感じずにはいられなかった。



                  *



 昼休みの生徒会室には僕と針見先輩以外に人はなかった。

 廊下の騒がしさがとても遠くのことにように感じられ、ひととき俗世から隔絶されたような錯覚を受ける。


「今日はその、他の生徒会役員の方々はいらっしゃらないんですか? 書記とか副会長の方とか……」


 すぐさま本題に入るのに臆して、僕は取るに足らない話題を口にしてしまう。

 しかし針見先輩は厭わずに応じてくれ、


「他の方は……ええ、彼らは多くが戦闘要い――もとい体育会系でして。現場回りはお任せしているんです」


 ……今、何か言いかけなかったろうか。


「ですので、私はここでゆっくり書面の仕事に専念できるということで……ええ、いわばこの部屋の電話番みたいなものです」

「それは謙遜が過ぎますよ」

「ふふっ、ありがとうございます。でも実際、生徒会長の業務など雑用がほとんどなのですよ」


 そう言って針見先輩は穏やかに微笑んだ。



                  *



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