10.



「……ああ、思い出したぞ」


 そこに至り、しばらく難しい顔をしていた布津ふつが言葉を漏らした。


「何をだい、布津」

「最近、どこかでかかわりがあった気はしていたんだ」

「だから何がだい」

「覚えてないか、或人あると須奧すおうっていやあ、あの怪談騒動の日に或人が廊下で助けた奴じゃないか。確か……こっくりさんに失敗して気を失っていたとかいう」


 え、そうなの?

 ついと彼女に尋ねると、


「うん。なんかそうらしくて」


 さらりとした答えが返ってきた。

 それはまるで他人事ひとごとのような淡白な反応であった。



                  *



「実はあのときのことは私も記憶があいまいなんだよね……」


 彼女は声をくぐもらせる。

 僕もあの騒動の際に何が起こっていたのかはよく分かっていない。


「気を失っていたところを助けてくれたのが暮樫くれがし君だったというのも後になってから知って……恥ずかしい話なんだけどね」

「……じゃあ、須奧は怪異のことで助けられた前例があったから或人を訪ねてきたってのでもないわけだ」


 布津が問う。


「そうだね、それと今回の件とはまた別のお話、かな」


 須奧さんはまた少し困ったふうに眉を寄せて笑った。

 その顔は心なしか寂しそうにも見えた。



                  *



「あとこれだけは訂正させて」


 須奧さんが僕に――というよりも布津に向けて異議を申し立てた。


「あのとき私がやろうとしていたのは、正確には


 こっくりさん――。

 言わずと知れた、占いあるいは降霊術の一種である。


 文字や数字を書いた紙に硬貨を置いてそれを数人で指先で押さえ、「こっくりさんこっくりさんお越しください」などと唱えて質問し、ひとりでに動く硬貨を見て答えを占う……と、おおよそそのようなものだが――、


「まわりの子が私のやっていることを見て、こっくりさんだって言っていたみたいだけどそうじゃないの。そもそもあのとき私、一人だったし……」


 一般にこっくりさんは複数人で行われる。

 であれば、こっくりさんに失敗した結果、倒れていたのが彼女一人というのは確かにおかしな話だ。


 しかし、『ただのこっくりさんではない』とは……どういう意味か。



                  *



「私があの日のは、こっくりさんでやるような小さなものじゃくて、もっと強大で強力な――


 ……宇宙の意志?


「うん。こっくりさんはほらその……霊的存在の中でもどちらかと言えば下位の部類でしょう? あ、こんなこと言ったら雑霊ざつれいが怒って寄って来ちゃうかな」

「ああうん……、どうだろうかな」

「でも、チャンネルが合致すれば普通の人でも天使エンジェルと会話することもあるみたいだし、こっくりさんと云われてるもののなかにはそういったケースもあるもかもしれないよね。だけど、だけどね……私はを求めているの」


 なんだか話の雲行きが怪しくなってきた。

 これは素朴な恋の相談ではなかったのだろうか。



                  *



「宇宙の意志を介して霊界れいかいと交信する、より高次の存在とコンタクトを取る……そうすることで私の精神そのものを高めていって……私の力が強くなれば、あの子の想いを伝えることもできるのじゃないかって、あのときの私はそう思っていたの。結局、上手くはいかなかったけど……。あらゆる怪異が発現しているあのときのあの場所なら、今度こそ成功するんじゃないかと、そう思ってたんだけどね……。だから私の潜在意識、潜在能力に賭けてみようって。いちど力を引き出せればあとは相乗的に念波ねんはが活性化することを期待してね。あの子も同意してくれた。私は必死に呼びかけた。でも、私が必死になればなるほど必要以上に念の壁が発生して宇宙意志からの波動を受け取ることが難しくなってしまう。そのことを私は理解していなかった。私は自分の中の想念を平静に保つべきだった……だけど、ダメだった。私じゃ力不足だった。私だけじゃ、あの子一人の願いさえ叶えることができない……」


 須奧さんは今にも泣き出しそうな声で訴えた。

 瞬間、肩を落とし項垂うなだれかけた彼女だったが、それでも何とかこらえた様子で首を起こす。その両手はスカートの膝の上で固く握りしめられていた。


「暮樫君」


 僕を見つめて言う。


「ねえ、私はどうすればよかったのかな。これから、どうすればいいのかな」

「う、ううーん……」


 僕は返答に窮してしまった。

 どれだけ考えても、次の言葉が出てこない。

 沈黙が遥かに長く、永く感じられた。



                  *



「――そろそろ閉館時間なんだけど」


 静寂を破ったのは五筒井いづついさんの通告だった。

 彼女は相変わらずの眠たそうな目で僕たちを睥睨へいげいしていた。


「あ、ああ。そうだよね。いつまでも使っててごめん」

「別に謝らなくてもいいけど……。私、閉室の準備してくるから、そのテーブル片づけておいてね」


 そう言って五筒井さんは図書委員の仕事に戻っていった。

 彼女はいつもクールだ。



                  *



「えっと。須奧さん、そういうわけで悪いんだけど……」


 僕は須奧さんに向き直る。

 猶以て問題は少しも解決していない。


「ううん。私こそ、突然押しかけてきちゃって……」


 須奧さんは申し訳なさそうに微笑む。


「でも……、ありがとう」

「……お礼を言われるようなこと、僕は何もしていないよ」


 肝心の相談内容の要点のひとつもつかんでいない。

 状況は漠然としている。


「ううん。私の話を聞いて何も言わずに受け入れてくれたのは暮樫君がはじめてだったから……」


 そう言ってもらえると僕としても気負いがなくなる。

 だけれども、相談に乗ると言った以上、何の助言もできないままというのはどうなのだろうか。



                  *



「ねえ、須奧さん。……よければ明日もまた話を聞かせてくれないかな」

「え、いいの……?」

「うん。それで僕に何ができるかは分からないけど」


 それに聞いたところでは、彼女の怪異観はかなり独特という印象を受けた。

 言っている意味はよく分からなかったが、彼女が見ている世界の地平はまだまだ語られ尽してはいないのだろうと思う。彼女の話を聞くことは、僕の怪異探求の糧となり得るのではないか。



                  *



「怪異関係のことなら僕にも言えることが出てくるかもしれないし」

「暮樫君……」


 須奧さんの瞳にわずかに涙が混じる。

 彼女に名前を呼ばれるのはこれで何度目になるだろう。


「じゃあお言葉に甘えて、明日また相談するね!」

「うん。待ってるよ」

「うぅっ、ありがとう……っ!」


 そうして別れの挨拶を告げ、ぱたぱたと須奧さんは図書室から去っていった。

 あとには僕と布津だけが残された。

 さて――――。



                  *



「どうするんだよ、或人。あんなこと言ってよ」

「どうするって、何がだい」

「何か解決策があるのかって訊いている」

「……さあ」

「さあってお前なあ……」


 布津はとてもつき合いきれないと言わんばかりに深くため息をついた。

 まあ、何とかなるだろう。



                  *



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