4.



「ああいたいた。園田そのたさん、探しましたよ」


 アパートの玄関を出たところで不動産屋が声を上げた。

 それは少しの不穏さもない、明るく朗らかな声音であった。


「ご紹介いたします、こちら園田さん。ここのアパートで住み込みの管理人をされておいでです」

「ああ、どうも。暮樫くれがし或人あるとです……」


 促されて僕も会釈する。

 このアパートに来てからというもの、何がいるのかいないのか、どうもはっきりしないことばかりだった。

 それでも今回は〝いる〟という話でいいのだろう。……いいのだろうか?


 もうどこまでがそういうノリの話で、どこまでが実在非実在の話なのか、それすらも曖昧になりつつある。



                  *



「園田さんはねえ、たいへん気配りのできる方でして。ちょっとしたお部屋のトラブルから毎日の食事のことまで細かく対応してくださいます。ときに住人の個人的な相談にも乗ることもあって……、学生の皆さんとのコミュニケーションにも労を惜しまない、そういう方です」


 不動産屋は饒舌に紹介をしてくれる。

 その口振りからは彼が園田さんに全幅の信頼を寄せているさまが見て取れた。

 僕はやはりどう答えてよいか分からず、傍らの大きな松の木を眺める。


「園田さんと私とはこの仕事で長いつき合いになりまして……。このアパートみたいなですね、幽霊も妖怪も出入りするような物件で、人間側からそれを取り持ち、調整することをやってきているのです。ですから〈視えない〉坊っちゃんもどうか安心して――」



                  *



「ああ……、ええと、そこにいらっしゃるのですよね……?」


 堪らず僕は尋ねる。


「……え?」

「ああいえ、いらっしゃるということになっているなら、いいんです」

「それはどういう…………あっ」


 言葉を紡ぎながら、不動産屋は何かに気づいた様子であった。


「もしかしてその……、坊っちゃん、……?」


 不動産屋の声は震えていた。

 額にはにわかに汗が滲んでいる。

 それは先程までのわざとらしい慌て方とは違う、心の底からの反応であるように見えた。


「いえ、どうか僕の言うことは気になさらないでください」


 上手く答えられない。

 僕は人と話をするのは苦手だ。

 今回、そのことを重ねて実感した。


「そ、そ、そうですか……はい。そうでございますな……」


 不動産屋は口角を引きつらせて笑う。



                  *



 ――そう、僕には見えなかった。


 園田さんというひとがどこにいるのか、てんで分からなかった。

 不動産屋がにこやかに紹介するその横に、誰の姿も認められなかった。


 でも、彼がそこにいるように振る舞っているのだから、それはいるということでよいのだろう――そう思うことにした。

 しかし、ひとつ気になってしまい、


「えっと。それで園田さんはいちおう、?」


 僕の念を押すような質問を聞いて、不動産屋は笑顔のまま青ざめ、硬直した。

 頭上の黒猫がくはあぁぁと、いっとう大きく欠伸を漏らした。



                  *


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