2.
……何だったのだろう。
何かが不自然な青年だった。
しかし何がおかしいのかは、僕にはよく分からなかった。
「あの方はねえ――
「お寺の?」
「はい。ちょうど半年前にここへ入居されたのですけど……、どうもいけなかったようで。あの様子ではもう駄目かもしれませんが……やり切れんです」
彼が去ったあとの廊下を見送ったまま、不動産屋は呟く。
その目には幾許かの哀切が感じ取れた。
「しかしアヤコさんも一緒に出て行ってしまうとはねえ……いえ、仲睦まじいことはよろしいのですが。また代わりのカタシロを探さなくてはならんと――ああ失敬、こちらの話です」
口を滑らせたふうに言い直すが、重要な部分で誤魔化しきれていないような気がする。漂う不穏さは、とうに取り消すことができない段階に及んでいる。
*
「まあそうですな、これでこの部屋もしばらくは――」
そう言って、不動産屋は借主のいなくなった部屋を見やる。
ドアは開け放たれていた。
破矢青年の言っていた通り中に家具等は残っていないらしく、その前に立つだけでがらんどうの部屋の寂寞が肌に伝わってくるようであった。
視線の流れるままにその奥が気になってしまうが――、
*
そのときちょうどまた、懐のスマートフォンが振動した。
半ば強制的に意識がそちらに向けられる。
「ん、誰かな……」
取り出して確認する。
果たしてそれは妹からのメールであった。
>> 見入っちゃダメ
……何だろう。
間を置かず、数秒してまた着信。
>> 見入っちゃダメ
>> ダメ
また連続して着信。
>> 見入っちゃダメ
>> ダメ
>> ダメ
分かったよ。
しかし、「見ちゃダメ」ならばともかく、「見入っちゃダメ」とは。
妹の言い回しはたまに上手く解釈できないことがある。
僕が首を傾げると、その動きに応じて黒猫が居ずまいを正した。
器用なものである。
*
不吉な家、凶事の起こる邸宅を「凶宅」と言い表す。
唐代の詩人白居易は「人凶非宅凶」と詠んだ。
人の凶は宅の凶に非ず――。
不吉な家のうわさというのは家それ自体が不吉なのではなく、住む人にその原因があるのだと、白居易はいう。理知的で現実的な思想だ。
では、このアパートは。
宅地そのものから立ち昇るような、この得体のしれなさはどこに起因するのか。
暗がりの廊下は、何も答えてはくれない。
*
「おや、もうこんな時間ですか。ではそろそろ二階のお部屋のほうへ参りましょう」
不動産屋がにこやかに言う。
気づけばすでに昼近い。
結局ここまで例の管理人さんには会えていないし、猫も頭に乗ったままだ。
せめて、物件の下見だけでも達成させておかなければ。
*
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