暮樫或人の怪異非存在 不可視妖魅篇

カクレナ

1.あの世からの呼び声は聞こえない

1.



鬼や天狗や幽霊のようなものも、けっして生きている実在の人間や動物のような存在として「ある」のではなくして――物理的な実在ではなしに――、それは存在したり、存在するかのような「耳のまよい」としての、その音や声であり、「目のまぼろし」としての姿や行動であり、皮膚の感覚であることは、これまた説明を要しないはずである。


                 (今野圓輔『怪談 民俗学の立場から』より)



                  *



 幼少の時分からあの世のものたちの声が


 あの世のものたち――つまりは世間で云うところの、幽霊、亡霊、死霊、怨霊、亡魂、霊魂、地縛霊、浮遊霊、背後霊、ゴースト、ファントム、人魂、タマシイ、エクトプラズム、エーテル体、残留思念ざんりゅうしねんetc...


 時と場合、国や地方によっても呼び方は多種多様で、またメディアや発言者の立場により用語を使い分けることもあるらしいが、とにかくそういった幽冥の存在、この世にいるものとは別次元の〝何か〟のことである。



                  *



 それら霊的な何かの声を、聞くことができなかった。

 不可思議なものたちが発する音のさまざまを感じ取ることが叶わなかった。



                  *



 聡明なる読者諸兄諸姉においては「なんだ、聞こえないのなら何もおかしくはないじゃないか」と、そのように指摘されることと思う。


 それが通常の感覚ではないか。

 そう易々と死者の声が聞こえるものか。

 故人をいったいなんだと思っているのか――。


 その反応はまったく正しい。

 あなたの常識は至って正常に働いていると言っていいだろう。



                  *



 しかし、僕、暮樫くれがし或人あるとに関して言えば、それは少しばかり道理を異にする。


 一歩踏み込んで言い換えると、僕の家の事情に鑑みて言えば、だろうか。

 いや、断じて馬鹿にしているのではない。

 もったいぶった言い回しになってしまうことを承知のうえで、どうかもう少々おつき合い願いたい。



                  *



 僕の生家、暮樫家のひとびとには、幽霊や妖怪――そういうたぐいの声や物音が聞こえていたのである。


 一般家庭なら幻聴や騒音として処理されるであろうそれらが、雑多な生活音とともに何の変哲もなくそこに溶け込んでいたのだ。またそれは音としてだけでなく、かたちや意志を持ったものとして〈った〉のだという。


 他の家族や親戚が感覚的にどの程度を看取していたのか――。見ることも聞くこともまた触れることもできない僕には詳しく思い及ぶところではなかった。


 が、その一族にあってとりわけ僕の妹は明瞭に〈聴こえる〉し〈視える〉者であるということであった。



                  *



 とまれ親類縁者といえども帰するところ他者なのであり、自分以外の人間が日常的に声や音をどのように聞いているかなどそうそう知れるようなことでもない――水の流れる音や信号機の電子音を、他人が普段どう聞いているかいちいち確認したりしないのと同じだ。


 しかしそれでもさすがに家族や親戚のみんなと聞こえているものが僕だけ違うっぽいねどうもこれは、ということに気づかされたのは、子供時代においても相当あとになってからのことだった。



                  *



 なんでも、暮樫の血筋の者は古来より〈人ならざるもの〉と渡り合うことで生計を立ててきたのだという。


 人ならざるもの――誤解のないように再度言い加えておくと、それは猫や犬や馬や牛のことではなければ、もちろんハムスターやアルパカ等のことでもなく――要するに、妖怪や幽霊、お化け……、そういう〝人外〟の存在を指すものと了承されたい。



                  *



 暮樫家と怪異とのつながりは近現代以前から連綿と受け継がれてきたいわば〝ごう〟のようなものであり、またそれはただ聴覚――この場合、「霊聴れいちょう」などともある分野では言ったりもするらしいが――にのみ依存したものでもなかった。


 むしろ視覚や触覚、嗅覚、味覚に冷温覚等々、ありとあらゆる感覚を以て積極的に異界とかかわりあう、それこそが我ら一族のありようなのである云々……と、だいたいそういう感じの講釈をいつか長々受けたように思うが、正直に告白するとその内容はあまりよく覚えていない。


 さあ御覧ぜよこれが幽霊の実物にござい、と提示されたのならともかく――いや、どうやら親戚のひとたちはそれと似たことを僕に試みたようではあったのだが――、やはりそれら霊的なものは僕には見えも聞こえもしなかったのである。



                  *



 これがもしオカルト伝奇活劇の第一話導入パートともあれば、では我が一族の秘密をいまこそお前に開示しよう――などという文言をものものしく告げられつつ、一族の長老の付き添いのもと厳粛な雰囲気の中で神代かみよの悪鬼悪霊魔魅まみ荒魂あらみたまが封じられた岩間いわまに通され途端ぴしりと岩壁が裂け天に雷鳴とどろきすわ開幕からクライマックスかといったことがあるのかもしれないが――そして現に、暮樫の実家の裏山には苔むした山林に囲まれて注連縄しめなわと紙札だらけの巨岩が鎮座しそのうえなんだかほこらや古い洞窟まであり、幼時の僕はその近辺で妹と毎日遊んでいたりもしたのだが――、記憶の限りそこで特に何か起こったりはしなかった。


 そういえば、あの山、僕と妹以外に遊んでいる子供を見たことがなかったな……。

 というか、子供どころか他に人影のひとつすら見なかったような……。


 まあいい。


 それで僕が先祖の霊に導かれたり、邪心のささやきを夢心地に感じたり、またそんな特殊なシチュエーションにならずとも、たとえば、夜ごと怪音に遭ったり、どこからか不気味なうめき声を聞いたりと、何かしらそういった展開があればあるいはよかったのかもしれないけれども(よかったのか?)、あいにく高校二年のこんにちに至るまでそんな機会はいちどとして訪れはしなかった。そしてそのようなオカルトめいた境遇にあるのは僕ではなく、もっぱらひとつ下の妹のほうであった。



                  *



 暮樫家。怪異と交わり、加えて代々まじないごとを扱ってきた一族。その家の名前と看板は地元ではどこに行ってもついて回ったが、それでも僕は――だからこそと言うべきか――、自分が「見えない」それら怪異にまつわる話を蒐集することに砕身してきた。身の回りに溢れていると伝聞される怪談奇談を聞き集めることに格別の情熱を抱いた。


 自分が知らない世界はほんのすぐ近くに広がっている――その実態を究明するためになら、多少相手から面倒がられることがあろうとも、粘り強く話し合うことが大切だと信じてきた。



                  *



 自分が感じ取れないからと言って、それがそこにないとは言い切れない。


 ないものがあるのか。

 あるものがないのか。


 考え始めると堂々巡りだが、それでもあるかもしれないと言われるものを、自分だけの見識で「ない」と突っぱねることは僕にはできなかったのである。



                  *



 そんな僕の信念を、思い出話も織り込みながらある後輩に語ったところ、


「うーん、ちょっとよく分かりませんかね」


 と、さらりと一蹴された。

 怪異探求の道のりは遠い。



                  *



 怪異をつかさどる家にあって怪異のすべてが見えないし聞こえない――。


 それで僕の人生において何か困るような事態は取り立ててありはしなかったのだが、父や母や叔父、それに妹ら暮樫家の他のひとびとと比べて、ずいぶんと僕は静かな世界に暮らしているらしいなということは、ときを経るにつれてじわじわと実感として浮かび上がってきた。


 だけれども、その世界にどのくらいの差があるのかまでは、依然分からないままであった。



                  *


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