7:39「お知らせの時間」

 屋上前の踊り場はさまざまな物資が置かれている。運動会用の玉入れの籠や学祭のパネルなど、学校生活で普段使われない道具の保管場所らしく、手入れされている形跡はない。ただ薄暗く、埃が湿っぽかった。


 ……カツン、カツン……


 そんな物資の隙間に挟まれるように裸の男女……私たちはいる。


 ……カツン、カツン、カツ、カツ……


 足音は二階で上るのをやめる。

 緊張が止まった息とともに解れる。

 これで五人目。けれど、まだ慣れそうにない。


 ただ、ここに避難して初めて知れたことがある。この場所は滅多に気付かれないだろう、ということだ。屋上のドアは常に施錠されているのでだれかが上がってくることはほぼないし、だれかが上がってきたところで、置かれている物資の影に隠れればそうそう見つからないだろう。

 いわば、ここは学園生活における心理的死角だ。足音が聞こえる間隔が短くなっている現状として、無暗に今動くよりここにいるほうがまだ勝算がある。

 そこで、まずはここでやり過ごし、始業して人通りが落ちついてから移動する、という方法を取ることに決めた。我ながらなかなかの妙案だと思う。


「なるほど……」


 ぽつり……と、すぐとなりのマッパーマンが呟いた。

 さっきから妙に大人しくて不気味に感じていた反面、ありがたいと思っていたが……すでに嫌な予感がする。どうか静かにしていてほしい。だれかに気付かれかねないのもあるが、男性に裸を晒しているという事実を意識してしまって気恥ずかしくてたまらない。


「キミはそっち系の露出狂か」


 ……はぁ?

 マッパーマンの言葉に思わずため息のような声が漏れてしまった。


「露出性癖にも種類がある。己がリビドーを包み隠さず見られたい者。見られたら終わるというスリルに酔いたい者。俺は前者でキミは後者だ! こだわりは大切! あって然るべき! 同じ露出仲間として、私は最大限ソレを尊重し……!」


 両手を使ってマッパーマンを物理的に黙らせる。彼の話をこれ以上聞きたくなかったのもある。が、それよりも……。


 ……ッ…カツ…カツン……


 足音だ。

 上ってくる。まだ一階……、いや、今二階に上った。


 ……カツン、カツン……


 三階に上ってくる。

 大丈夫、大丈夫……ここには来ない。静かにしていれば絶対……。そう、自分に言い聞かせる。


 ……カツン、カツ…ピピピピピッ!


 心臓が止まった。

 突然、甲高い無機質な電子音が鳴り始めたのだ。それは、私の腕から、腕時計から鳴っていた。


 ピピピピピッ!


 『7:40』。それはいつも私が家を出かける時間の合図であり、寝坊してもこの時間に起きればぎりぎり遅刻はないという保険のタイマーでもあった。自分の生活習慣がこんな形で牙を剥くとは微塵も思ってみなかった。


 ピピ、ピッ!


 アラームを止めて、すかさず耳を傾ける。足音は……聞こえない。けど、階段下にすぐそこにいる。なんとなくだが、いるのが分かる。あらぬ方向から聞こえたアラーム音を不思議がって、立ち止まっているのだ。


 ……カツン……


 じわぁ……、と全身に汗がにじむ。


 まずい。

 上がってくる。踊り場に。行き止まりに。逃げ場がない。ここに隠れたことが裏目に出た。どうする? どうするどうしたら……!


「すこし、失礼するぞ」

 マッパーマンに体を抱き寄せられた。


「ななな、なにを……?!」

「危ないから暴れるな、よっと!」

 そのまま、軽々しく抱きあげて、そして。


「マッパージャンプ、とうっ!」


 跳んだ。屋上の踊り場から。

 そして、二階と三階のあいだにある踊り場に、落ちた。


「―――よし! 着地成功!」

「……………………え、ええええっ??!」

 なんて、なんて無茶苦茶だ。それ以外の感想が出てこない。


「驚いている余裕などないぞ」


 驚くなというほうが無理な注文だったが、マッパーマンが言った言葉は事実だった。とにもかくにも急いで次の場所に行かなくてはいけない。


 私を抱きかかえたまま、マッパーマンはすかさず階段を下りて二階廊下へ出た。


 しかし。


「そうそう、それでッスねー」


 行く手の向こう側、西棟に続く渡り廊下から女性らしき喋り声が聞こえてきた。

 

 ああ、もう! 次から次へと……!


 こうなってしまったらイチかバチかだ。すぐとなりにある教室を指さす。


「教室に入って、マッパーマン!」


 マッパーマンは頷いて、そこへ逃げこむ。


 ……よし!


 運良く、中にはまだだれもいなかった。

 この場はここでやりすごす。しかし、屋上踊り場に来た足音は、きっとこちらへ探しにやってくる。この教室のどこかに姿を隠れなければ。


「あ、あそこ!」


 私はさらに指さす。

 マッパーマンはすかさずソコへと向かった。


 ……カツ、カツ、カツ……


(大丈夫。ここなら、ここならきっと凌げる……はず)


 ……。


「……?」


 いる。すぐ近くに、いる。たぶん、廊下から教室の中を確認しているのだ。


「ん、おはようございまぁッス!」


 突然、大きな声がした。女性の声だ。さきほどの渡り廊下から聞こえた声質と同じものだった。

 心臓が先ほどから胸を打ちつけていることが分かる。


「うーんと、上級生? どうしたんッスか? 私たちのクラスになにか用事ッスか?」

「あ、やー……その」

「なんッスか? なんかあったんッスか?」

「……いや、なんでもないから気にしないで」


 そう言うと、足音はどこかへ去っていった。

 一息吐きそうになって、今の会話がもう一度脳裏によぎる。


 ちょっと待って、今『』って言わなかった?


 気づいた時にはもう遅い。

 ガララララ! と、勢いよく教室のドアが開いた。


「おはようございまぁッス!……って、私たちが一番乗りかー!」

「お、おはようございまぁ……す?」


 入ってきた。

 これは、マズイ。非常にマズイ。だって、私たちが隠れた場所は……。


 私はマッパーマンの顔を見上げる。しかし、真っ暗でよく見えなかった。けど、そこにいる。互いの息がかかるほど近くにいるのだ。


 そう、肌が触れあうほどの狭い空間―――掃除ロッカーに閉じこめられてしまった。


「それで、さっきの話なんッスけどー」

 女子生徒と思われる二人は、席に着いて談笑を始める。


 ど、どうしよう……。


 私はすでに涙目だった。

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