第2話手袋

 教室に入ると部屋の中はガスストーブが焚かれていて、暖かく少しだけホコリぽかった。それは俺の思い出の中に積もったホコリのようでこの物語は俺自身の高校生のとある日々の回想であるが、その思い出の中と教室の中と共通し、暖かく、ホコリくさかった。あるいはそこはホコリっぽくなかったかもしれないが、それは遠い昔の記憶なので何卒、容赦されたい。

 俺は自分の席に着き、カバンの中の教科書やノートを机の中に入れる。大きなスクリーンのように磨かれた黒板の上の丸い時計を見ると、もうそろそろ朝のホームルームが始まる時間だった。

 ホームルームが始まる時間まで俺は寺山修司の詩集を読むことにした。

『寺山修司少女詩集』と書かれた本を手に取りページを開き読み進める。それは古本屋で買った本で俺は時々、その古本屋へ行き小説やCD(そこにはCDも置かれていた)を買っていた。

 しばらく読み進めると担任の教師が入ってきてホームルームを始めた。俺はそこで本を閉じ机の中に入れる。

 担任の教師は今日の事項を簡潔に述べると教室の外へと出ていった。

 次の授業まで時間がある。俺はまた本を開き読み進めた。

 辺りは同じクラスの生徒達の会話で華やいでいたが、俺はその外にいた。友達がいないという訳ではない。何人か友達もいるし何より俺には幼馴染の林原薫風という少女がいた。

 彼女の席の方を向くとやはり彼女も本を読んでいた。ページを読み進める瞳の動きが上から下に辿る。

 俺は顔に熱さを感じ、また自分が読んでいる本へと戻った。


 やがて授業が終わり、放課後になると俺は帰りの支度をし、薫風の方を向いた。

 彼女はカバンを背負って教室の後ろのほうに立っていて俺の方を見ていた。

 俺達は見つめ合うと薫風がほのかに笑った。その笑顔は何かしら、陰のある笑顔だった。

 俺は席を立ち、薫風の方へ向かう。彼女の前に立つと俺より先に薫風が「じゃあ、帰ろっか」と言った。

 俺はそれに頷き、教室の外に出た。

「やっぱり教室の外は寒いね。今日の夜、また雪が降るかもしれないって友達が言ってた」

「そうだな、やっぱり冬は防寒具がないと寒い。俺も手袋をしてくれば良かった」

「今度、作ってあげようか?」

「薫風がか?」俺はそう聞いた。心はドキドキしていた。

「うん」薫風は頷き「こういうので良ければ」と自分の付けている手袋を俺の両頬に当てた。

 キュっと挟み俺の両頬を柔らかく挟んだ。

「作ってくれると、とても嬉しい」俺はそう言うのが精一杯だった。

 薫風は手を離し「分かった、頑張って作るね。何色が良い?」と聞いてくる。

「色は・・・。薫風と同じのが・・・」と後先考えずに言ってしまい、

 薫風が「私の手袋のと同じ色ね。お揃いだね!」と言った。

 しかし俺は薫風に手袋を作ってもらうことはなかった。なぜならこの後に俺の人生において恐らく、最悪なことが起こったからだ。

 それ以来は俺は冬の初雪が降る日になるとその時のことを思い出した。それは一生忘れられない傷口であり、傷口から流れる血液は涙と同じ無色透明で、雪解けを待たずにカチコチに流れる傍から固まり、その氷晶が俺と生前の薫風の最後の思い出だった。


 薫風は俺が付き合ってくれと告白した直後、交通事故に合い、亡き人となった。

 薫風の両親によれば元々薫風は持病があり、それはは肺の病気で長く生きられなかったらしい。二十歳まで生きられれば長く生きたほうであると医者は語っていたようだ。

 それでも高校一年生の十六歳で亡くなるのは早すぎた。


 薫風は歩道に突如、突っ込んできたトラックに正面から当たり、俺にはかすり傷一つ付けずにトラックはそのまま壁に激突した。

 俺は呆然とその様子を黙して見ていたが、やがて透き通った姿態の薫風が俺の前に現れこう言った。

「私、死んじゃったみたい」薫風は幽霊になり、儚げに微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冬源郷の果糖のジュース 眠る乃符時個 @grandsilversky

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る