証明
私から看守へことづけを頼む事は少ない。
しかし、これも仕事の内であれば、必要な事になる。
「今日の面会者の持ち物は先に用意しておいてくれないか」
私はジップロックに入った写真を看守に手渡す。
一枚の写真。
面会者の「作品」だ。
こういった作品を囚人たちが作ることは推奨されている。
なにしろ彼らの時間と言う概念はこちらとは違う。
ここでの時間は私たちよりももっとゆっくりなのだ。
この矯正所ではすべてが考えられて動いているように見える時がある。
そんな時に彼らは奇妙な作品を作る。
一番は絵だ。
特に危険な物でもなく、そこからナイフを作り出すような材料も少ない。
不可能という訳ではないが、そういうものを創る囚人はもっと別な物から、
例えばトイレットペーパーやフェンスの針金、食堂のスプーンから作り上げる。
絵は鉛筆や絵の具、これらは矯正所の売店で頼めば取り寄せる事も可能だ。
また親族がいれば差入品として手に入れる事も出来る。
勿論この場合には中に麻薬が入っていない事を確認するために、
すべてのキャップが開けられ、筆類に染みこまれていないかチェックも行う。
囚人の中にはこれらの絵をオークションに出すものさえいる。
一時は有名なミュージシャンの自宅に飾られた事さえあるのだ。
そういう、文化的活動を政府は推奨している。
もちろん私たちとしても、彼らの片鱗を垣間見れる物として、これらの作品は
非常に重要だ。
精神状態を絵から判断するというのは私の手法ではないが、囚人との会話では
役に立つ。
彼らの精神を安定させることが私の義務という訳ではないが、少なくとも上位の業務ではある。
特にこの矯正所では安定剤を処方するよりも安全で安価なのだ。
今日の面会者にとっては私自身も興味があった。
それほどにこの作品は「ユニーク」だった。
私は面会室への扉をくぐる。
「こんにちは、H・T」
「お久しぶりです、ドク」
代り映えしない面会室。
だが、今日は違う。
一枚の写真が机の上に置いてある。
「見てくれたんですね」
H・T ははにかむように笑う。
「ああ、君の作品はとてもユニークだからね」
「気に入った?」
「とてもね」
「良かった」
彼は安堵するように、何かの理解者を得た様な表情で微笑む。
「実際これを看守からもらった時は驚いたよ。
こういう作品を見るのは私も初めてだし、君に刺繍の趣味があるとは思わなかった」
その写真はただ、何人かの団体がバーでくつろいでいるだけ。
ありきたりの集合写真だ。
ただ、その全員の顔を幾重にも赤、緑、灰色、オレンジの糸が縫いこまれ、
幾何学的な模様を描いている。
稚拙と言えば稚拙、だが、何とも言えない不安を掻きたてる。
その刺繍でつぶされた顔からまた糸が伸び線となって別の人間の顔や手へと
伸びている。
人物達の関係性なのか、女性と男性、白人と白人、黒人と黒人、幾重もの糸には何らかの法則性があり、また別の刺繍で「手」が何本も描かれている。
「僕には人々が見えないんです。なぜ、彼らは関係性を持てるのか?」
「見えない関係性?」
私はおうむ返しに聞き出す。
「そう、見えないんです。どうやって彼らは関係性を持ち続けられるんでしょう?」
「まずはおしゃべりかな。ハロー、元気かい?」
「そんなものは関係性とは呼べませんよ。
もっときちんとした関係性があるはずなんです。
『ド・モアブルの定理』のような確固たるものです」
「失礼、ド、なんだって?」
「『ド・モアブルの定理』です。
単なる「複素数の恒等式」にすぎないなんて言われていますが、コレはもっと美しいものです。
僕はそれをここに縫い込めたんです」
彼は力強く主張を始めた。
「いいですか、ここの単位円上の点が回転することで彼らの関係性と距離が
正三角形を作り出すんですよ」
「すまない。私は数学は苦手だったんだ。いつもC+かB-だった」
H・Tは私を看守をみる目で見つめていた。
「ドクにも見えないんですね。関係性は……オメガの踊りが……」
「すまない、君の言っていることは分からない……。
ただ、この絵の良さは分かるつもりなんだが」
「それでは全く意味がないんです。
良いかどうかを僕は縫い込んでるんではないんです。
証明がしたかったんですよ」
「証明?」
「そうです。定理は証明しないと意味がない。
まちがいかも知れないじゃないですか。
一意性でしかないものではない、証明された明確な定理こそが必要なんです」
彼がその証明をするために殺された人間達。
それがこの写真に写っていた人間だ。
彼は銃で全員を射殺した。14名。ここでは多い数ではないが、
その後も、他の写真に写っている人間たちを射殺し、
最終的には32人の人間が死んだ。
彼がSWATに射殺されなかったのは、家族に付き添われて自首してきたからだ。
「君は人間との関係性を証明したかった」
「ええ、そうです。まだ、全然それは見つからない。
オメガの踊りにも、解析学にも遠い、遠すぎます」
私は彼から写真の刺繍に眼を戻す、彼も写真を見つめる。
その線が何を意味しているのかは彼にしか分からない。
私にはその関係性は全く分からない。
「……残念です」
「すまないね。もっと違う分野の人間を連れてくるべきかな。特に数学に強い」
「いいえ、証明が必要な以上は僕は何度でも繰り返さなければいけません。
そう、何度でもしなきゃいけないんだ」
「残念だが、時間だ。次の面会まで私も数学の勉強をし直すとするよ」
H・Tは無言で写真を手に取ると、もう一度机に戻し、扉へと戻っていく
私はその時の彼の呟きを聞き逃さなかった。
「……そうだ。ここでだって証明は出来る……」
私も扉をくぐる。
こういう時ほどやめたタバコが吸いたくなる時は無い。
看守が私に声をかけてくる。
「あの気持ち悪い写真捨てていいですよね。
どうせあいつの執行は来週なんですから。ドクも見にくるんでしょう?」
「ああ、私は立ち会いだ。すまないがタバコあるかね?」
「あ、外でお願いしますね。赤いベンチですよ」
私は彼からタバコを一本もらうと外へと向かった。
「ドク、結局タバコやめられませんでしたね!!」
看守の陽気な声が私にかけられた。
この関係性を彼はどうやって証明するのだろうと私は考えようとしたが、
タバコを吸う方が今の私には重要だった。
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