供物

憂鬱な面会者というのも居る。


カウンセラー失格の誹りを免れるものでは無いが、必要以上に緊張と心理的な鎧をまとわなければならない者達もいる。


看守の言葉を借りるなら

「あいつらが嘘をついている時は、口を開いて喋ってる時だ」

実際に出会うまでは私も様々な患者と接してきており、彼らは病気であり、

予想以上にその妄想のバリエーションは少ない。

それは、疾患であり、薬と適切な治療で治るものなのだ。

勿論、外科的手術が必要とするようなものはあるが、それは別の外的要因であり、

医療行為だ。


しかし、そういったものでは無く根本的に「空白」「虚無」としかいいようのない、

がらんどうの人間。

人間の形をした「空白」というものも居る。


そして今日がその彼との面談日なのだ。


「やあ、ドクター。今日もお互いに有意義な時間を過ごそう!!」

「K・T、今日もよろしく頼むよ」

私はあまりにも自然に差し出された彼の手を取って握手をしていた。

その笑顔は右目の不自然な動きさえなければ、

スターとまではいかないが、俳優にもなれるレベルだ。


「それで、今日はドクターからの依頼は無いのかな?」

「私から君に依頼をしたことは無いと思うがね……」

彼は優雅に肩をすくめ、

「また、私の貴重な肉体が必要な患者がいるんじゃないのかい?」

「それは、私ではなく、もっと上の人たちが考える事だ」

「ドクターから聞きたいんだよ。ミスター」

「気にしないでくれ。それと私の事は『ドク』で構わない。

そう皆の言う通り『ヤブ』や『ネズミ野郎』でもね」

「オーケー、ドク」


彼は私の名前を呼ぶことを重視する。

それは「私」をこの仕事から外し、個人として彼に接することを望んでいるからだ。

簡単な心理操作だが、こういう場所では予想以上に効果的なのだ。

それは看守も例外ではない。

彼は看守のファーストネームを必ず使う。

「お前」「このクソ」「あいつら」ではない。

それが彼の立場をより一層強くする。


そして、彼が最初に言った通り、彼の肉体はいかなる事か重度の生体肝移植でさえも成功し、彼自身こうやって生存している。

しかも2度だ。

学会でも発表され、一度は彼をこの施設から移動させるべき、との議論まで

起きたそうだ。

彼の右目は義眼だが、その目は事故で盲目となった富豪の少年の角膜として今も健在らしい。


その奇妙なドナーとしての優れた遺伝子と細胞を各国研究機関が

検査、調査中だが未だ確たる結論は出ていない。


そう、ただ一人で5000人以上のカルト集団を作り上げ、

そのメンバーを自爆テロと集団自殺へ導いた主導者。

そのシンパは水面下でまだ彼の社会復帰を待ち望んでいる。

今も彼への供物はこの施設へ毎日の様に届いている。


そんな男と私が「仕事」と言う鎧をまとわずに接することは不可能に近い。


さらに言えば、この男は自分の才能をフルに使い、

死刑から無期懲役へ、移植手術で懲役1200年をすでに80年にまで縮めているのだ。

この施設にくるまでに10年、そしてこの施設で5年で……。


「ドク、ドク?」

「失礼した。君の貴重な時間を」

「いやいや、黙想は重要だ。自らの心と話す。何が聞こえていた?」

「……私は、君が恐ろしい」


彼は爆笑した。


「失礼、ドクター。いやいや、そうか。君には私が怪物に見えている」

「そんな事は……」

「勘違いしないでほしい。私は大したことは出来ない。

君を一分以内で殺すことも、そんな度胸も無ければ技術も無い。

そう、レクター博士のように君を食べてここから脱出する。

そんなことは不可能だ」

彼は微笑みながら私に語り掛ける。

「君のしたことは」

「彼らのしたことだ。私ではない」

断言。いや、断定だ。

「君はこれからどうするつもりだ?」

「私はここから、正式な手続きで、国家に保証された人権を取り戻す」

「そして、またアレを繰り返すのか?」

「まさか! それこそまさかだよ。いいかいドクター。私は何も望まない。

望んだことなんて何一つないんだ。だから……」

彼はいつ近づいたのか分からないほど私の耳元で囁いた

「……こうやって誰にでも私を与える事が出来るんだよ」


扉が開いた


「時間だね。ドク。今日は有意義な時間だったよ。

また次回もこういう時間を楽しみたい」


彼は自ら席を立ち、扉に向かう。私に差し伸べてくる手は無い。

「握手は今の君とは出来そうにないからね」

彼はひらひらと手を振りながら部屋を後にした。


私はと言えば、フラフラと椅子から立ち上がると、車に安定剤は残っていたかどうか、それだけを考えていた。

とても素面で家に帰れそうにはないが、自殺行為のような飲酒の誘惑に勝てそうもなかったからだ。

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