episodeー4

 翌日安吾あんごに連れて行かれたのは安吾の行きつけのメンズアパレルショップで、態々担当まで呼びつけてスーツを選ばされる。

 大神おおかみと名乗ったその販売員はヴィジュアル系バンドのヴォーカルが務まりそうな雰囲気のある男だ。

 いつもその店にいるわけじゃないらしいが、安吾とは長い付き合いらしく、安吾は彼がいる時を狙って店に足を運んでいるらしい。

 安吾は久々に買い物来たから、と自分は好き勝手に見て回っている。


「昨日先生から電話貰って、本当は今日別の店に入る予定だったんですけどこっち来ちゃいました。橋本先生、忙しくて予定なかなか合わないので」

「それは……ごめん。何かそこまでして貰わなくても俺、凄いやっすいスーツでも別に良いんだけど……」

「そんな事言わずに、着てみて下さい。せっかく来て下さったんですから」


 何着か袖を通してみたが、安吾の指示なのか、通常そうするものなのか、逐一値札が外されていて値段が分からない。

 これではこれが良いなんて安易に言える筈がなく、上智は大神に「一番安いヤツどれ?」と耳打ちした。


「価格はほぼどれも一緒ですから、どれを選んでも一緒ですよ。橋本先生から好きな物選んでもらう様に言いつかってます」

「いやでも……」

「明さん、決まりそうですか?」

「っ! えっと、もうちょい待って……」


 試着した五着のスーツをつらっと見た安吾は、これかこれが僕は好きだな、とぼやく。大神に「どう?」と打診して「こっちの方が雰囲気良かったですね」と言う大神の一言で青味の強いアイスグレーのスーツをごり押しされる。


「授賞式なんだし、少し明るい方が良いでしょう? 明さん、色白だし中に濃紺のシャツ入れて、あ、ボタンダウンの方が嫌味が無くて良さそうだね。ネクタイはこの辺でも良いな。どうです?」

「……いや、うん……もう任せるわ」

「授賞式なんて凄いですね。そんな所でうちのスーツ着て貰えるなんてめっちゃ嬉しいです」

「ははっ……はは……」


 一週間前、断崖絶壁の岬の上にある教会の黒い鉄柵を必死でよじ登って飛び降りようとしていた自分が、こんな所で高そうなスーツを知り合って一週間しか経ってない男に見繕われてる。

 この状況、誰がどう見てもオカシイだろう。

 しかも安吾が年頃もそう変わらない男にスーツを買ってやると言うこの変な状況に大神と言う販売員が微動だにしないのが上智は不思議でならない。


「お包みしますので、少々お待ち下さいませ」

「あ、うん……」


 最後まで値段が分からないままで、上智はもう一度大神に「ねぇ、支払いは?」とコソコソ聞いてみる。


「実はご来店されてすぐに橋本先生のカードをお預かりしていて、もう済んでます。金額は口が裂けても言わないでくれと言われてますので、申し訳ありませんが……」

「そう……」


 彼を困らせるわけにも行かずに、上智は黙って包装が終わるのを待ったが、ふと思い立って大神に「ねぇ」と声を掛け、安吾が店の入口付近にいるのをチラリと確認した。


「はい?」

「あいつがさ、好きそうなもんってあんたなら分かるよね? あんま高いのは買えないけど……シャツ一枚くらいの相場で何か、無いかな?」

「先生に、ですか?」


 空気を読んだ大神が、チラリと安吾のいる位置を確認してバレない様にすぐ目を伏せる。手を動かしながら、ほんの僅か考えた大神は近くにいた長身のスタッフを呼びつけて「橋本先生の相手を頼む」と手短に耳打ちした。


「橋本先生は結構衣装持ちなので、カフスとかどうですか?」

「カフス?」

「最近人気のデザイナーで、遊びのあるデザインとビジネス用のシンプルなデザインをセットにしてあります。こう言うのは自分じゃなかなか買われませんから、贈り物には良いんじゃないかと思います」

「じゃあ、どれが好きそうか選んで貰って良い? 俺、良く分からないから」


 大神のチョイスで一つは青い薔薇のデザインと、もう一つはエメラルドカットのシンプルな青いカフスのセットを包んで貰う。

 コッソリ自分のカードを差し出すと、カードの裏にある本名に首を傾げる大神が「トシアキ?」と首を傾げた。


「あ、俺の本名。あかりってのはペンネームなんだ。星野明ほしのあかり

「俺も下の名前トシアキって言うんです。何だかご縁がありますね」

「あ、あいつには黙ってて……本名、教えてないから」

「かしこまりました。カフスは箱に入れておリボン掛けてますけど、先生にバレないように上からもう一度包装しておきます。お好きなタイミングでお渡し出来る様に」

「お、お気遣いどうも……」


 そんな大したものでもないのに、細やかに気を遣われて上智はバツが悪くて顔を逸らした。

 当の本人は大神が差し向けたスタッフにしっかり捕まって接客されている。

 困った様に笑いながらまんざらでもなさそうな安吾の顔をカウンター横の椅子に座って眺めた上智は、ふと湧いてくる罪悪感に息苦しさを感じて眉根を寄せた。


 沖野は今頃、居なくなった自分を案じているかも知れない。

 心配するとイラついて無口になる沖野のせいで、店のスタッフがビビり上げてるかもしれない。

 こんな所で他の男に囲われて笑っている自分が酷く醜く汚れている様に感じられて買って貰ったスーツを今すぐに返品してこの場から逃げ出したい様な気になる。

 

「明さん? どうしました?」

「あ、いや……何でもない」

「帰りましょう」


 医者の性分なのか、元々そう言う機微に長けているのか、安吾はほんの僅か不安や弱みを漂わせると、すぐに気付いて捕まえに来る。

 その度何の曇りもない好青年の笑顔に絆されて、また流される自分に上智は溜息を漏らした。

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