episodeー3

 翌日「賭けに勝ったら」の秘密に食い下がって来る安吾あんごに、上智じょうちはしぶしぶ十二年一緒に暮らした恋人と下らない賭けをして遊んでいた事を暴露した。

 勿論相手が男である事は伏せたままだったが、安吾はそんな事微塵も疑ってはおらず、寧ろ「それはなかなか楽しそうです」と一日一つ賭けをしようと言い出した。


「賭けって、何を賭けんだよ? 俺、金とか持ってないぞ」

「家が無い人からお金取る程困ってませんよ」


 安吾は本気で呆れた様な顔をしている。

 そりゃそうだ。


「そうですね、今日僕がお昼ご飯を食べれるかどうか。これどうです?」

「え、いつも昼飯食えねぇの?」

「患者さんの病状いかんによっては、そんな日もありますね」

「じゃあ、食えた方が良いから俺は食える方に賭ける」

「分かりました。じゃあ今日もお昼食べれなかったら、晩御飯手作りでお願いします」

「え……マジか。俺あんま得意じゃないけど……」

「家だけ燃やさないで頂ければ助かります」

「そこまで酷くねぇよ! って言うかIHだろ、ここ!」

「後、お腹壊すと仕事に支障が出るので、生とか止めて下さいね。お昼食べれたら、明さんの勝ちなので僕の驕りで外食にしましょう」


 そう言って安吾はテーブルに千円札を三枚置いて「夕飯代一応置いておきます」と含み笑いで出勤して行った。

 それからも今日急患が出ずに定時で上がれるか? とか、ヒステリックな看護婦長の機嫌が良いか? とか、どうでも良い事ばかり賭けては上智は惨敗していた。

 負けたペナルティは大概夕飯を作ると言うもので、夜中遅くに帰って来る安吾はそれを綺麗に平らげて洗い物をした後寝ている様だった。

 夜勤の日には「帰ったら美味しいお茶漬けが食べたいです」等と言うリクエストがラインに入って来たりするのだが、果たしてお茶漬けが料理に値するのかどうかは謎だ。

 一週間が過ぎる頃になって上智はふと、あいつの都合の良い条件ばかりじゃないかと気付いて、嵌められた様な気になって反撃に出る。


「何か安吾に都合のいい条件ばっかだから、今日は俺が条件を出す」

「あら、バレてしまったんですか。意外とバレないもんだなと思っていたのに」

「確信犯かよ! 今日はアレだ。近所のスーパーのレジのおばちゃんが大きい方か小さい方か」

「えー、それは僕凄く不利じゃないですか……」

「今まで散々俺の方が不利だったんだから、今日くらい良いだろ」

「んー、じゃあ大きい方で。僕が勝ったら、今日は多分帰りが遅いんで朝ご飯に鯛茶漬けが食べたいです」

「分かった。俺が勝ったら……その、スーツを一日貸して欲しい」

「スーツ? どこか行くんですか?」

「じゅ……授賞式があるらしくて、俺スーツとか全部捨てちまって持ってねぇから……」

「分かりました。なら、僕が勝った時の褒章は別のモノにして貰います」

「何?」

「内緒です。あ、時間がヤバい! 行ってきます!」


 勿論スーパーのおばちゃんが大きい方だろうと小さい方だろうと安吾が賭けなかった方のおばちゃんがいた事にするつもりだったのだが、夕方安吾から「僕の勝ちですね」と言うラインが送られて来て、夜中に帰って来た安吾を問い詰めたら、常勤で帰る看護婦に情報を教えて貰ったと言う。


「チッ……そんなんアリかよ」

「イカサマは良くありません」

「じゃあ、授賞式断る。流石にジーパン履いては行けねぇだろ」

「僕が勝ったんです。僕の褒章を貰わなくては」

「何? 鯛茶漬けなら明日の朝食えるようにちゃんと漬けてあるよ」

「そもそも僕のスーツじゃ明さんには少し大きいと思うんですよね。身長は変わらないですけど、明さんの方が華奢ですし。なので、買いに行きましょう」

「は? 金がないから貸してくれって言ってんだけど!?」

「出世払いで構いませんよ。僕、明日休みですし丁度良いです」

「いやいやいやいや……」

「眠いです」


 ソファに座ったまま、謀った様に寝息を立てだした安吾に上智は呆気に取られてしまう。

 夜中まで働いても帰ってこない日は今の所一日も無い。

 夜勤明けは昼頃起き出して来て、まるでいるかどうかを確認する様に上智が借りているゲストルームを覗きに来たりして、寝に帰るだけの無用の長物だと言っていたこのマンションに無理に帰って来ているのではないかと疑いたくなる。

 生来、お人好しなのか、素性の知れない自分の事をここまで気に掛ける安吾に上智は有難い反面、申し訳なさもあった。

 余計な気を遣わせる様な事を言うんじゃ無かったと後悔しても、多分この男は一度言い出したら聞かない。

 まだ一週間しか経っていないのだが、変人なだけに特徴は分かりやすい。

 子供の様に少し強引な所があるが、決して人を不快にさせない不思議な男だ。

 困る、と思ってもこっちが拒否し続けてこの男を困らせる方がダメな事の様に思えてしまう。


「お疲れ様……」


 寝室から毛布を持って来てソファで舟を漕ぐ安吾に掛けてやった。

 沖野にでさえそんな事してやった事無い。

 沖野との十二年は悪友の延長線上にあって、弱みも見せれなければそんなむず痒い優しさを見せ合える関係では無かった。

 ソファで転寝している沖野を蹴り起こした事はあっても、お疲れ様なんて質朴しつぼくに言えた試しも無い。

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