第1話「戦士アイーシャ」第1章 金髪の剣士

イースファリア王国は、大きく三つに分けられる。

東のオルバルト領・中央のイース領・西のフラウ領である。

西に位置するヴァン帝国とは領土争いが長年続いている。ヴァン帝国は、ダイン大帝の治世における…

 …オルバルトは東の隣国暁(あけ)の国と国境を接しており、街道が発達していることから活発な交易が行われている。そのため多様な人材・物品が国内に流入してくることとなり…

                  

                 「イースファリア年代記」より


 第一章「金髪の剣士」

  

  〈オルバルト領・ゴーラの街〉

  

 春の陽気がぼんやりとただよっている。夜はいまだに冷え込む事もあるが、木々には新芽が芽吹き、街道の草花も花をつけ彩を添えており春の訪れを告げているようだ。

「すっかり春ですね。」

宿屋兼飯屋〈麦と樽亭〉の窓辺の机でメアは春の日差しの柔らかさに頬をゆるめながらひとりごちた。小柄な少女で、年の頃は十四歳ほどだろうか。銀色の髪は後ろでまとめれ、その上に金縁の黒い帽子を被っている。灰色の瞳は春の陽気に今にもまぶたに覆われそうである。

「ああ、また無事に収穫を迎えられるのもひとえに女神様のおかげさね。」

おかみは大鍋をかき混ぜながらそう答えた。

「嬢ちゃんもいい時期に旅に出たもんだよ。」

「それで、どこまで行くつもりなんだい?長旅かい?」

おかみが少女の旅に興味を持つのはもっともで、先年戦争が終わり治安が回復しつつあるこの時世においても、少女が一人で旅をするのは珍しいことであった。

「そうですね、王都まで行く予定です。」

「そいつはずいぶんと長旅だよ。歩いて行ったら七日はかかるんじゃないのかい。」

「はい、時間はかかってしまうのですが、それも勉強の内と父から言われまして…」

「勉強ってことは、お嬢ちゃんは学士様なのかい?」

「はい、そのようなもので…」

 少女の言葉は扉を荒々しく開ける音にかき消された。

 驚いたメアが戸口に目を見やると、男が三人宿に入ってくるのが見えた。

 そのうちの一人がメアと目が合うなり、

「デムの兄貴、この娘ですかい?」

 少女を指さして声をあげた。

 デムと呼ばれた男は薄手の甲冑を上半身にまとっていたが、その下には真新しい包帯が巻かれている。

「馬鹿野郎!」

 男の怒鳴り声が響いた。

「そんなちんちくりんなわけがねぇだろうが!」

 メアは面と向かってちんちくりん呼ばわりされてむっとしたものの、男のあまりの剣幕に黙っているしかなかった。

「おいおかみ、ちょいと人を探してるんだがよ。」

「どんな人かね。」

 おかみは慣れているのか動じることなく聞き返した。

「女を探してる。金髪に東国風の装いで、腰に剣を下げている。そこのちびよりも一回りは大きい。」

「剣士様かい。そんなお客はうちには来てないねぇ。」

「それでその剣士様がどうしたっていうんだい?」

「…っ、どうだっていいだろ!

とにかくそいつを見かけたら俺らに教えりゃあいいんだよ。」

 そう言うと男たちは足早に立ち去って行った。

 

「…あの人たちは?」

 男たちが去ってややあった後メアはおかみに尋ねた。

「まぁろくでもない連中さ。」

うんざりしたような声でおかみは答えた。

「この街のあたり一帯を縄張りにして、やれショバ代だなんだとこのあたりの店から金を巻きあげていくのさ。」

「領主様に納めるお金とは別にまたお金を払うのですか?」

「あいつらの言い分じゃあ自分たちがにらみを利かせてるから街と街道の治安が守られて商売が成り立ってる。だからお前らはその報酬として金を払えって言う訳さ。

 金を払わなかったりたて突いたりすると腕づくで仕返しをしてくるような連中だよ。

 おおかた探してる剣士様もそういうごたごたに巻き込まれたんだろうね。」



 〈ゴーラの街・中央市場〉

 

「(市場じゃあ勝手に商売するやつがいないか連中は特に目を光らせてるからね。くれぐれも気を付けなよ。)」

 市場に行くにあたりおかみさんから受けた忠告をメアは頭の中で反芻していた。

 先ほど宿に来た三人組の姿が頭に浮かび、三人から締め上げられている自分を想像するとぞっとした。

 (それにしても…)

 あんな人たちに追われている剣士様はいった何者なのだろうか。どんなことをすればあんな血眼で探される事になるのかしら、とメアは想像を巡らせた。


  中央市場は多くの客と商人でごった返していた。店の軒先には反物・糖蜜・妖しい壺・宝石等様々な品が並べられている。

  道中、野宿する場合も考えて保存食を買いに来たのだが、これは目当ての店を探すだけでも一苦労である。

  

「保存食かい?それならうちのクルミが持って来いだよ。今だけの大安売りだよ!」

 やっとの思いで店にたどり着いたものの、メアはこういった市場での買い物のっ経験がなく、値段の相場もわからないためそのまま買ってよいものか迷った。

 (妥当な値段なのかしら、ほかの店の値段は?子供だと思って吹っ掛けられていないかしら?さっきもちんちくりんって言われたし…)

「買うの?買わないの?冷やかしだけなら早くどいとくれ。」

 店主の剣幕に押されて思わず、

「か、買い…」

と言いかけたところで、

「払えねえったぁどういう事だ!」

背後から聞こえた大声に彼女の声はかき消された。

振り返ると商売人の一人が男たちに囲まれて口々に罵詈雑言を浴びせられている。

周りの人々は遠巻きに見るか、見て見ぬふりである。

「あーあ、また始まっちまったか。」

店主のぼやくが聞こえた。

「また、とはどういう事ですか?」

「お嬢ちゃんは見るの初めてかい…。ここで商売してる連中はみんなあのごろつきどもにショバ代を払ってるんだが、中には金が払えずに滞納しているやつもいる訳さ。そうすると連中が取り立てに来るわけだけど、ああやって一人を徹底的につるし上げて他にいる滞納してる連中に言い聞かせてるのさ。『次はお前だぞ』ってな。」

それはつるし上げなどという生半可なものではなく殴る蹴ると好き放題に暴力までふるっている。

その中の男の一人には見覚えがあった。先ほど宿屋で剣士の行方を尋ねてきた『兄貴』と呼ばれていた男だ。

「…な?ああなりたくはねえからきちんと稼いで払うと、そういうわけだ。」

「非道い。あの人は生け贄みたいなものじゃないですか。」

「しようがねえさ。それがここの掟ってもんだしなぁ。

 …で、買うんだったな。」

 店主が何事もなかったかのように話を続ける。

 ここでは彼らによる暴力が掟として厳然と存在しているということだった。

 他の商人や通行客も暴力をわき目に知らぬふりを決め込んでいる。

 でも――

 確かに非道が、暴力はそこで振るわれている。

 無垢な少女にとって、非道を見なかった事にはできなかった。

 だから――

「…おい、やめろ嬢ちゃん!」

不穏な気配を察した店主がとっさに声をかけるももう遅かった。


「や、やめなさい!」

 

うわずり気味な、それでも無視しないではいられない声が市場に響いた。


 暴力をふるっていた男たちの手が止まり視線が一斉にメアの方へ向けられる。

「おい嬢ちゃん、今俺たちに何か言ったか?」

 男に睨まれて恐怖の余りめまいがしそうになる、今ならまだ間違いでしたで済むかもしれない。でも、だからといって――

「い、言いました。大の大人が寄ってたかって暴力なんて情けないと思わないんですか?」

 公然と行われる非道を見過ごすことは彼女には出来なかった。

 どっと男たちの笑い声が響いた。

「こいつは傑作だこんな小娘に説教されるとはな。」

「…誰かと思ったらさっきの娘じゃねえか」

「なんだデム、知ってるのか。」

「ああさっき例の女を探してる時にな。」

 デムはメアの前にやって来て言い聞かせるように言った。

「なあ嬢ちゃん、こいつはケジメなんだよ。俺たちは商売の場所を提供する。こいつらは場所代を払う。その場所代がいつまでたっても払えませんじゃあ話にならねえんだよ。」

「…だ、だからと言って暴力で解決するなんて許せません。」

「へえ、言ってくれるじゃねえか。許さなかったらどうなるんだ?」

「い、いまに女神様の神罰が下ります」

「じゃあよ…」

 デムの手がメアの首元に伸びる。彼女は襟首を捕まれあっという間に片手でつるし上げられた。

「今すぐ神罰でもなんでも下してみやがれ!」

 

 その瞬間、


 男の眉間に石がぶつけられた。

 男は咄嗟の事に面喰らい、メアを掴んでいた手を離す。

 手を離されたメアは地面にぶつかる事を覚悟したが、思っていたような衝撃はなかった。

気づくとメアは咄嗟に出てきた人影に抱きかかえられていた。

「怪我はない?」

「え、えーと、はい…」

状況が呑み込めず当惑するメア。彼女を抱きかかえていた主は顔を外套で覆い何者かもうかがい知れなかった。メアをおろすとそのまま彼女の前に歩み出た。

「今のはてめえか、何者だ!」

 態勢を立て直したデムが問い詰める。

「…誰彼かまわずとせわしないな、

 あたしを探してたんじゃないのか?」

 そう言いながら外套を外すと、その顔があらわになった。

 肩まで伸びた金色の髪に青い瞳、外套の下は東国風の服をまとい腰に剣を差している。

「っ!てめえは‼」

 デムは思わず声を上げた。

 彼女こそ彼らが捜していた剣士その人に違いなかった。

「探したぜ、金髪の小娘!」

「小娘ではない、アイーシャという名前がある。」

「じゃあアイーシャさんよ、ゆうべの借りを返してもらうぜ。」

「ゆうべ…ああ、お前らをのした時の事か。…懲りないな。」

 メアはアイーシャの話を信じられない思いで聞いていた。

 この屈強そうな男たちを彼女が倒したというのか。

 それは周りで騒ぎを見ていた群衆も同じだったようだ。

「…おいあの娘何者だ…」

「…連中をまとめて相手したってよ…」

 にわかに昨夜の話が広まりばつが悪そうな顔をするデム。

「ゆうべは油断しただけだ。今回はそう簡単に…」

 デムがそう言い終わるのが早いか、アイーシャは瞬時にデムの懐に飛び込み、

掌底であごをかちあげた。

「がっ…!」

 一瞬の出来事であった。

 デムは何事か言う暇もなくに大の字に倒れ込んだ。

 アイーシャは腰の剣に手をかけ、

「さあ、次はどいつだ?」

とデムのとりまきの男たちに目を向けた。

彼らは互いに顔を見やるだけで手を出そうとしてこない。

うかつに手を出せばデムの二の舞になると感じているのだ。

アイーシャ相手の戦意が喪失しているのを感じ取り、

「…終わりか。」

と呟いた。彼女はデムの体を起こし足蹴にするように取り巻き連中返してやり、

「帰れ」

 と冷ややかに告げた。

 男たちは気を失ったままのデムの体を抱えてそそくさと市場を後にした。

  

「金髪の剣士――アイーシャ様…」

 メアは一部始終を瞬きも忘れたように見入っていた。

 この市場での騒動がこの後旅路を共にする二人の出会いであった。

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