拾う神ありマス

卯堂 成隆

それは、死ぬにはちょうど良い晴れた日の事

 木の枝よし、ロープよし、踏み台よし。

 そして遺書……はちょっと推敲が足りないかもしれないが、まぁ誰かを感動させるような文章なんてかけるわけないし、今更書き直す気も無いのでこれで我慢しておこう。


 それにしても、ほんとこの世は世知辛いな。

 死ぬ時までこんな面倒な作業がつきまとうとは。


 さて、死ぬか。

 俺は踏み台の上に足を乗せ、輪になったロープを首に掛ける。

 踏み台にした木箱は軋んだ音を立て、その重みで千切れた草から咽せるほどに漂う濃い緑の匂い。

 見上げれば空は青く、遠くから季節遅れの鶯の鳴き声が未練がましく響き渡る。

 とても美しい、死ぬには良い日だ。

 思ったより死への恐怖も感じはしないし、このまま無に還るのも悪くない。


 そんな感傷に浸っていた時だった。


「おやまぁ、こりゃまたえらい貧の気をまとってらっしゃいますなぁ」

 男とも女ともわからない、ひゅぅひゅぅと風が枝を鳴らすような掠れた声が背後に響く。

 なぜ、人が?

 ここは山登りが趣味の人間も近寄らないような、獣道もない山の中である。

 思わず驚いて振り向くと、そこに佇んでいたのは……


「うわぁぁっ! 骸骨!!」

「失礼な。 あたしゃ骸骨なんかじゃありませんよ」

 なるほど、確かによく見ればちゃんと服も着ているし、ミイラのようにカサカサではあるが一応は皮膚も張り付いている。

 だが、肋の浮いていそうなほど痩せた体つきといい、ギョロリと見開いた目といい、その人を見れば100人が100人、真っ先に骸骨を思い浮かべるであろう。

 ついでに、体が貧相すぎて性別がわからない。

 なんとも奇妙な……いや、むしろ異様な人物である。


「あぁ、一応は人のようだな。 こんなところで何をしているかは知らないが、用がないなら他所に行ってくれないか?」

 まったく、とんだ闖入者だ。

 見た目だけなら死神がお迎えに来たように見えるあたりがまた縁起でも無い。

 いや、死ぬつもりだったのだから、この場にはふさわしいといえばふさわしいのだが。


「はぁ、そう言われてもねぇ。 お前さん、あたしがよそに行ったら、死ぬつもりでしょう?」

 まぁ、そんな事は見ればわかるわな。


「バカなことを考えるのはよせとか、生きていればいいことがあるとでもいいたいのか? 言うだけなら簡単だよなぁ!!」

 どうせ何も出来ないくせに、その場の気分で余計なおせっかいを焼かれるのはいい迷惑だ。

 だが、俺の精一杯の威嚇を向けても、この怪しい人物はヘラヘラと骸骨のような顔に不気味な笑みを浮かべるばかり。


「まぁまぁ、そう言わずに。 どうしても死ぬってんなら止めやしませんから、その前にちょいとあたしとお話をしませんか? 何故死のうだなんて思ったのか、その理由ぐらい話を聞いてもよござんしょ」

 なんともやりにくい相手だ。

 優しいのでも責めるのでもなく、かと言って茶化すような不真面目さも感じられず、ただ、会話をするだけで体から力が抜けてゆくような奇妙な感覚を覚える。


 少なくとも確実なことは、こいつが横にいるかぎり、死ぬのは無理だと言うことだ。

 自殺をするには何気に雰囲気とテンションが必要なのであるが、こいつはその重要な二つの要素をその場にいるだけでダメにしてしまいやがる。


「ふん。 そこまで言うなら教えてやるよ! 俺が死のうと思ったのは……」

 さっさと話をして、こいつにどっか他所に行ってもらおう。

 そう思った俺は、嫌々ながらも、この恥に満ちた半生を語り始めた。


 ……とはいうものの、実際にはたいした話ではない。

 興味がないだろうから簡略化して説明すると、俺が自殺を考えたのは、返済するなど思いもよらない額に膨れ上がった借金のせいである。


 そもそもの原因は、俺が賭け事に目が無いギャンブル依存症だったことだ。

 競馬に競艇、パチンコから宝くじまで、ギャンブルらしきものがあればなんでも手を出した。

 たまに勝利したときの、あの高揚感がたまらないのである。


 そして気づいたときには給料の前借り分ですら使い果たし、明日の食事にも困るような状態。

 そんな訳で、やむを得ず金に困って手を出したのがパチンコ仲間の知り合いに紹介してもらった金融会社だが、実はその会社がとんだヤミ金だったという……思い返せば、まるで手抜きの人生ドラマに出てきそうな失敗談じゃないか。

 我ながら、情けなさすぎて涙が出てきそうである。


「……とまあ、そんなかんじだ」

「なるほどねぇ。 まぁ、ありていに言えばあんたが悪い話ではありますなぁ」

 ほっとけ。

 言われんでもわかっとるわい。


「これでわかっただろ、俺には生きてゆく価値なんかないんだ……もうほっといてくれ」

「いやいやいや、お待ちなさい。 実はあたしゃこういうものでしてね」

 そういってその人物が差し出したものを見て、俺はギョッと目を見開いた。


「貧乏神!?」

 差し出された名刺に名刺にを通すと、そこには大きな文字でシンプルに"貧乏神"とだけ記されていた。


 こいつは悪い冗談か?

 死神よりも性質が悪いわ!!

 むしろ、これは何かの嫌味にしか思えんぞ。


「はい、貧乏神です。 あたしゃこれでも神様なんですよ」

 そういって微笑む顔は、あいかわらず見ているだけで背筋が寒くなるほど不気味だ。


「じゃぁ、俺が借金で首が回らなくなったのも……」

「いやいや、それはお前さんの自己責任」

「そらそうだよな……」

 別に原因がこの自称貧乏神だったからといって、いまさら俺の人生が持ち直とも思えないのだが、自分以外に責任があればそこに漬け込んで助かろうとするのが俺と言う人間である。

 思うに……我ながらずいぶんと薄汚い人間に育ったものだ。


「まぁ、そう気落ちせずに。 貧乏神でも、神は神。 目の前で死にたくなるほど苦しんでいる人を死に追いやるようなことはいたしませんよ」

 ほんとかよ?

 貧乏神ってのは、血も涙も無い奴なんじゃないのか?

 大して信憑性もなさそうな台詞を吐きながら、この自称貧乏神は干からびた顔にぎこちない苦笑いを浮かべる。


 そもそも、本物の神じゃあるまいし、ただの怪しい人間でしかないアンタに俺を助けられるわけないだろ。

 だが、まるで俺のそんな心の中の台詞を見透かしたように、ヤツはこう言い放ったのである。


「それに、あたしが見る限り、あんたはまだ助かる道があるかもしれませんからね」

 何……だと?

 俺はその言葉に思わず食いついた。


「助かるのか!? 本当に!? あとでやっぱりダメでしたなんてことは……」

「確約はできませんよ。 ただ、どうせ死ぬぐらいなら、一度だけあたしを信じてみちゃいかがです?」

 俺は、穴が開きそうなほど真剣な視線をこの自称貧乏神に向ける。

 そしてそこにあったのは、この上もなく穏やかで、そして真剣な表情だった。


 こいつははたしてただの狂人なのか? それとも俺にとっての拾う神なのか?


 思えば、俺も相当追い詰められていたらしい。

 少なくとも、こんな怪しい人物の、荒唐無稽な台詞にすがってみようと思うぐらいには。


「たしかに、どうせ後は死ぬだけだ。 わかった、あんたを信じてみよう」


 ************************


「なぁ、本当にここに入るのか?」

「いまさらオタオタしなさんな。 お前さんも一度は死を覚悟したんでしょ? それに比べれば、こんなのクシャミした時に鼻水が出たみたいなもんです」

 そう言うと、自称貧乏神は、その冴えない体で堂々と胸を張り、俺の謝金を管理しているヤミ金融の事務所へと入って行った。


 おいおい、何をする気だ?

 下手なことをするとマジで殺されるぞ。


 だが、俺の心配を他所に、この貧乏神を名乗るキチガイはどんどんと通路を進み、一見して闇金の受付には見えない綺麗な受付嬢の前で立ち止まった。


「あ、あの、こ、こんにちは。 ご、御用件は?」

 さすがにこんな不気味な顔が目の前にあると落ち着かないのだろう。

 受付嬢の顔は思いっきり引きつっていた。


「さて、単刀直入にお尋ねいたしますが、この方の借金の利息、随分と数字がおかしくありゃしませんか?」

 そう告げると、俺の家から回収してきた借金返済の資料をバンと音を立てる勢いでテーブルの上に叩きつける。


「な、なんのことでしょう?」

 まぁ、受付の人にいきなりそんな事を言っても対応に困るわな。

 ……じゃなくて、何してるんだよ、おい!!

 闇金融にイチャモンつけるとか、ヤクザと喧嘩でもするつもりか!?

 やめてくれ、こちとら普通のか弱い一般人なんだぞ!?


「しらばっくれちゃあ困ります。 お前さんじゃわからないってんだったら、上の人呼んで貰えますかい?」

 まずい。

 こいつは本格的にヤバいヤツとかかわってしまったようだ。

 い、今すぐ逃げないと……


 だが、俺が逃げ出すよりも早く、背後からドスの聞いた声が響く。

 お、遅かったか……


「おい、あんた、うちの商売にケチつけにきたんかい!」

 現れたのは、パリっとしたスーツ姿を身につけていても全く堅気に見えない、その筋のステレオタイプといった感じの人相の悪い男だった。

 その後ろからは、さらに柄の悪い男達がワラワラと、まるで巣から出てくるアリのように現れる。

 ひぃぃぃ、俺はこの骸骨にそそのかされただけなんですぅっ!!


「とんでもない。 ただ、貧乏人に鞭打って悪どく儲けるような輩には我慢ができないってことだけですよ。 どうです? これを機会に悔い改める気はありませんかねぇ」

 な、何を言ってるんだこいつは!!


「ちょ、ちょっと、ヤクザを刺激してどうすんの! こ、殺されるぞ!」

「はん、こいつらはヤクザじゃなくてチンピラって言うんですよ。 極道にもなれない、いわば正真正銘のクズというやつです。 この場で堂々と人を殺すほどの度胸なんざありゃしませんよ」

 これで、面白い冗談だと笑いながら、とりあえず話でも……と茶を出して話を聞いてくれるような輩のほうが、実は業が深くて怖いんですよ?


 この場に及んで、未だにそんな事をほざきながらノホホンとしている自称貧乏神。

 お前の大物ぶりはわかったから、早く何とかしてくれ!

 ヤクザの皆さんの機嫌が明らかにヤバイ状態なんですけど!?

 俺はまだ殺されたくはないっ!!


「なんだと、この骸骨野郎!!」

「おい、お前等。 こいつらを、お望みどおり半殺しにしてやんな!!」

「借金のカタに内臓売り飛ばしてやる!!」

 うわぁ、まずい!!


「おや、これは困りましたね。 まったく、最近の若いのは……救いの無いヤツラばかりであたしゃ本当に情けないですよ」

 いや、ぜんぜん困ったようには見えないんだが。


「おい、困ったじゃなくて。 本気でどうするんだよ、これ。 状況的にかなりまずいんだけど」

「逃げます」

「は?」

 俺の理解を待たず、自称貧乏神は自らの懐に手をやり……

 ま、まさか銃を持っているのか?


 同じことを考えたのだろう。

 相手のヤクザ達もビクっと体を強張らせる。


「ほれっ!」

 だが、その懐から飛び出したのは、悪魔の申し子、地獄の赤い粉末……その名も一味唐辛子だった。


「ぷわぁっ!? ぺっ、うぐっ、ぐええぇぇぇぇぇ!!」

「い、痛い! め、目に入った」

 たちまち広がる地獄絵図。

 お、おまえ、なんて恐ろしいことを!!


「早く逃げますよ。ほら、あたしって喧嘩の神でも交渉ごとの神でもありゃしませんから」

「わけがわからんわぁぁぁぁぁ!!」

 いったい、こいつはここに何をしに来たんだよっ!!

 理由はどうあれ、ここは奴の指示に従って逃げるしかない。


「さ、さいならぁぁぁっ!!」

「逃がすか、このゴミムシ共!!」

 逃げ出した俺達の後ろを、紅い惨劇を免れたヤクザたちが追いかけてくる。


「心配いりませんよ。 彼等は追いかけてこれやしませんから」

 何とか建物の外に這い出ると、不意に貧乏神がボソリとそんな言葉を呟いた。


「いや、いったい何を根拠に……」

 そしてその言葉と同時に、目の前に現れたのは、巡回中のパトカー。

 ぐ、偶然にしては出来すぎだろう!?


 そして、さすがに警察の見ている前で暴力沙汰は不味いと思ったのだろう。

 ヤクザ達は悔しそうに顔をゆがめながら事務所の玄関から俺達を睨みつけるだけ。


「こ、これはチャンスだ!」

 まさに神の助け。

 俺たちはこの幸運を逃がすことなく、ヤクザ達の鬼の形相を尻目にその場を駆け足で走り去るのだった。


「し、死ぬかとおもった」

「いやぁ、あなたちょっと前まで死ぬつもりだったでしょ。 それを"死ぬかと思った"とか、何を面白いこといってるんですか」

 ハハハと風穴の開いたような掠れた声で笑いながら、自称貧乏神は乱れた服を慣れた手つきで調えている。


「お、おまえなぁっ」

「それにしても酷い目に会いましたね。 これだから、道理のわからない輩は始末が悪い。 正論で責められると、すぐ暴力で解決しようとするんだから」

 そう告げると、自称貧乏神は手にしていたバッグからお茶を二本取り出し、一本を俺には寄越した。

 なんだ烏龍茶か。 どちらかというと日本茶の方がよかったのだが。


「どうぞ。 走ったから喉が渇いたでしょう」

 腹立たしさのあまり一瞬つっかえそうとも思ったが、喉が渇いていたのも確かだし、ここで怒鳴り散らすのもみっともないので俺は素直にそのお茶を受け取ることにした。


 くそっ、こんな事で今の恐怖を埋め合わせできると思うなよ!?

 一口飲むと、保冷剤でも入れていたのか、お茶は気持ちよいほどによく冷えていた。

 ……とりあえず美味い。

 まぁ、お茶に罪はないしな。


「そもそも、俺を助けてくれるんじゃなかったのか? これじゃ、遊んでいるようにしか見えないんだが」

「おや、遊んでいるように見えましたか、これは失敬」

 その真面目とも不真面目とも付かない態度に、俺の中で何かがブチッと切れた音がした。


 あぁ、そうだな。

 ようするに俺はこいつに遊ばれたんだよ。

 こんなやつを信じたい俺がバカだったってことか!


 俺は、残りのお茶を一気に煽ると、頭んなかのゴチャゴチャした感情を全部ぶちまけるべく、この自称貧乏神へと詰め寄った。


「あんた、結局何がしたかったんだよ! 今もあやうく捕まって、内臓売られるところだったじゃないか!!」

「まあまあ、そう言わずに。 私ら神にも通すべき筋ってものがありましてね。 あれは必要なことだったんですよ。 相手にもちゃんと正道に立ち戻る機会を与える事が必要なんです。 気を悪くしないでください」

 ったく、まるで本当に神様みたいな事を言いやがって。

 ふざけるのもいい加減にしてくれ。

 あんたの芝居はもうたくさんだ!


「……で、結局俺はどうなるんだよ」

「とりあえず、借金が全部なくなったりはしませんが、何とか生きてゆける程度にはなるでしょう。 あとは貴方しだいですな」

 ……は?

 なんだよ、それ。

 意味がわからないんだが!?


「俺次第って、どういうことだよ! それに、あんた何もしてないじゃないか!!」

 どうせなら、大金をもらってウハウハとかに出来ないのかよ!

 やることが半端すぎるだろ!!


 怒りのあまり、奴の襟首に指をかけると、ヤツは不気味な微笑みを浮かべながら俺の手にそっと指を這わせた。

 その触れた手の冷たさにギョッとして、俺は反射的にヤツの襟元から手を離す。


「今からやるんですよ。 ご存知ないですか? 神様をないがしろにすると、神罰ってやつが下るんです」

 なにせ、あたしは貧乏神ですから恐ろしいですよ?


 そう言って笑う姿は、今までのどの笑みよりもさらに不気味で、まさにこの世のものとも思えないほどおぞましかった。

 こ、怖い……今まで見てきた何よりも、この笑顔が恐ろしい。


「あの方たち、折角あたしが罪を償う機会を上げたというのに、私らをゴミだの、内臓を売り飛ばすだの、好き放題言ってくれましたよねぇ。 神は仏みたいに三度も許しゃしないってことをしらないんですかね」

「く、下らない。 神罰なんて、この世にあるはずないだろ」

 言葉では否定したものの、唇は乾いてひび割れ、声はザラザラにかすれていた。

 あぁ、認めるよ。

 俺はほんの少し、こいつが本物の貧乏神じゃないかと思い始めている。

 でなきゃ、こんな不気味なモノがこの世にいるはずもないじゃないか!


 なんともいえない心の寒さを覚え、不安に震える子供のような俺に向かい、ヤツは一変して慈悲に満ちた笑みを浮かべる。

 そして、こう告げたのだ。


「3日お待ちなさい。 お前さんが信じて待てば、少しは希望が見えるでしょ」

 なぜだろう。

 こんな胡散臭い言葉なのに、どうにも信じてしまいたくなるこの説得力は。


「信じて良いのか?」

 たっぷり一分ほど悩んだ末に呟いた言葉は、なにか悪い魔法にかかったのかと思うぐらい、ありえない台詞だった。

 何を言っているんだ、こんなやつ信じられるわけないだろ!!


「信じるも信じないも、それは貴方しだいってやつで。 でも、信じてるんでしょ? あたしにはわかるんですよ」

 なにせ、神様ですから。


 その瞬間、俺は急に強烈な眠気を覚え、その場に膝を付いた。

 な、なんだこれ。

 どうし……て……


「さっきの烏龍茶、睡眠薬入りでしてね。 ようやく効いて来たようですな」

 睡眠薬だと!?

 な、何しやがる、この骸骨!!

 やっぱり俺を騙す気だったのか?


 薄れ逝く意識の中で、穏やかな声が朗々と響く。


「あたしは貧乏神。 清く貧しき者の味方です」

 カツカツとアスファルトを叩く靴音が近づき、俺の頭にその骨ばった手が優しく添えられる。


「青年、たとえ裕福でなく苦しくても、賭け事なんかで楽をして貧しさをぬぐい去ろうとしてはいけない。 貧しさにもちゃんと意味はあるんですよ」

 その諭すような言葉は、生まれてこの方聴いてきた、どんな言葉よりも深く鋭く俺の頭と心の中に入り込んできた。


「楽をしてはいけないとはいいませんが、簡単に手に入った富は、簡単にあなたの元から立ち去ってゆくと知りなさい」

 蟹がその甲羅に合わせて穴を掘るように、人にはその人に合った富が従うのです。


 その声は、まるで優しい子守唄のように、川風に揺れる柳の枝のざわめきのように、白いまどろみの中に沈もうとしている俺に滔々とうとうと語りかける。


「さて、それではあなたから今回の仕事の代金をいただいてゆきますよ。 願わくば、二度とお会いすることがありませんように」

 その声が、俺の聞いた貧乏神の最後の台詞だった。

 薬の力が、ゆっくりと俺の意識を閉じる。


「こ……ここは!?」

 俺は気がつくと、自分の小汚いアパートの中で、寝巻きに着替えることも無く布団にもぐりこんでいた。

 夢……だったのか?

 かぶりを振る俺の手から、買った覚えの無い烏龍茶のペットボトルが零れ落ちた。


 さて、その後のことを話そう。

 俺がアパートの中で目覚めてから三日後。

 俺が借金をしていた悪徳金融は税務署の査察が入り、それこそ神罰的面と言わんばかりの勢いで、あっという間に潰れてしまった。


 そして、その際に俺が支払っていた過剰返済額が確認されたのである。

 その結果、俺の借金は貧乏神の言うとおり"なんとかがんばって働けば返せそうな額"に落ち着いていた。


 人は言う。

 捨てる神あらば、拾う神あり。

 たぶん、俺は拾う神に救われたのだ。

 貧乏神だったけどな。


 今ではあの時の貧乏神にただ感謝するばかりである。

 そしてあの時の俺の失礼な言動の数々をただ恥じるばかりだ。


 まぁ、ヤツが本当に神様だったのかについては、確証は無い。

 だが、俺は神だったと信じたいのだ。


 だって、"拾う神は実在する"――そう信じていたほうが、心安らかに人生を過ごせるだろう?


 そして、貧乏神が去り際に俺から持って行ったと言う報酬についてだが、特に何か物がなくなったという事はなかった。


 ただ、あの時から俺には一つの変化がある。

 それは、ギャンブルに勝った時の、あのなんとも言えない高揚感が、綺麗さっぱりと無くなってしまったのだ、

 俺は、きっとあの貧乏神が、俺から"ギャンブルの楽しみ"を報酬として持って行ってしまったのだと思っている。


 それにしても、あの貧乏神は今頃何をしているのだろうか。

 また、俺のようにどうしようもなくなった誰かに、手を差し伸べて、あの不気味な笑顔を浮かべているのだろうか?


 残念なことに確かめる術は無い。

 そして本人もそれを望まないだろう。

 それが、とてもとても残念だ。


 ************************


「ちょいと、そこのあなた」

 とある自殺の名所の真夜中の崖の上に、男とも女ともつかない掠れた声が響き渡る。


「わ、わたしですか? ……ひぃぃ、が、骸骨が喋ってる!?」

「骸骨じゃありませんよ。 失礼な」

 振り向いた中年男性が、月明かりに照らされたその人物の顔を見て怯えた声を上げると、その奇怪な人物は不満げな声を漏らした。


 だが、一つ溜息をついてから気分を入れ替えると、その骸骨のような人物は不気味な笑みを浮かべて一歩前に進み出る。


「な、何の御用でしょうか!?」

「なぁに、貴方が自殺しようとしているようにみえたので、ちょいとお話をしたいなとおもいましてね」

 そう告げながら、その人物は中年男性の足元に落ちていた遺書らしき手紙を摘み上げ、なんでもないような仕草で海に投げ捨てた。


「あっ、あんた、何すんですか!!」

 思わず悲鳴を上げた中年男性に、その人物はマァマァと宥めるように声をかけると、ごく自然な動きで中年男性の腕を引いて崖の縁から引き離す。


「心配しなさんな。 あたしゃあんたを救って上げようと思っているんですよ。 これでも、実績豊富な、ありがたーい神様なんです」

 神という自称を訝しげに思いながらも、救ってくれるという言葉に希望を見出し、同時に中年男性はいつの間にかその言葉を聞き入れ始めている自分に酷く困惑を感じていた。


 あぁ、もしかしたらこれが拾う神というヤツか。

 この際、ダメもとで縋ってみるのも悪くない。


 だが、次の瞬間、その人物はニヤリと笑ってこう付け加えた。


「ただし、貧乏神ですけどね」

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拾う神ありマス 卯堂 成隆 @S_Udou

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