流れ星にサヨナラ

金環 玖

流れ星にサヨナラ

「準備できたぞ、りゅう兄!」

 リュックサックに荷物を詰め込んだオレは、いそいそと支度する背中に声をかけた。

「なあ、りゅう兄は?はやく、はやく!」

「ちょっと、揺らすなって。ったく、銀河ははしゃぎすぎ」

 振り向いて呆れたようにたしなめるのは、オレの二つ上のきょうだい、りゅう兄だ。

 そんなこと言われたってしかたがない。なんていったって、今日は一年に一度のりゅう兄と流星群を見に行く日なんだから。

「へへん。だって、ずうっと楽しみにしてたんだもん!」

 ぎゅうと後ろから体重をかけると、りゅう兄はぐえ、としめられた鶏みたいな声を出した。

「わかった!わかったから少し落ち着けって。もうちょっとで終わるから」

「はーい」

 無理やり引きはがされたけれど、身体がうずうずしてたまらない。そわそわとりゅう兄の周りをうろちょろしていたら、ぺしと頭をはたかれた。いたい。

「……なあ、銀河」

「ん、なに?」

「そんなに俺と行くの楽しみだったわけ?」

 こちらを見ずに投げかけられた問いに、オレはぱしぱし瞬きをした。そして、

「もちろん!だって、流れ星だよ?ワクワクするに決まってるじゃん!」

 と、元気よく答えた。りゅう兄も今さらなことを聞くもんだ。毎年、オレがこの日を心待ちにしているのは、りゅう兄だってよく分かっているはずだけれど。

 それに、と心の中だけでつけ足す。最近、りゅう兄の様子がヘンなのだ。ヘンというか、付き合いが悪くなったというか。オレが中学に上がってから、りゅう兄は急に大人っぽくなって、前ほどオレと一緒に遊んでくれなくなった。りゅう兄が今年受験生というのも分かっていたけれど、正直に言うと、オレは少し寂しかった。だから、今夜は久しぶりの二人きりのお出かけで、いつもよりもテンションが上がりすぎてしまっているのだ。

「……そう、か。うん、そうだよな」

 その何かを決意したようなりゅう兄の表情は、弾むオレの心にすこし引っかかりを残した。


~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ツタに囲まれた外壁。少しのかび臭さの残る階段。放置されたままのガラクタたち。

 久しぶりにやってきたオレたちの秘密基地は、前に訪れた時と変わらない姿でオレたちを出迎えてくれた。

「あいかわらずボロボロだなあ、『ボロ天』」

 埃の積もった壁を触ってしまい、思わずうへえ、と声を上げる。

 『ボロ天』。ボロボロの天文台だから、『ボロ天』。安易なネーミングのその実態は、町外れにある石でできた崩れかけの謎の塔だ。我が家から自転車で30分くらいかかる小高い丘の上に建てられたそれは、たぶん昔は展望台か何かだったんだと思う。本来の目的はともかくとして、大人たちに放置されて久しい今は、この近辺の小中学生の格好のたまり場となっている。なんせ、元は展望台だったのだから、見晴らしがとても良い。ひらけた屋上からはオレたちの住む街を一望できて、買ってきたアイスや肉まんなんかを気持ちよく頬張るのにはもってこいの場所なのだ。それに、めったに大人が立ち入らないものだから、いわゆる”よくない”遊びをするのにもぴったりだ。そう、まるで今のオレたちみたいに。

 懐中電灯で照らしながら、りゅう兄の後に続いて螺旋階段を上りきると、頭の上には透き通るような満天の冬の星空が広がっていた。

「うわー、キレー!」

「おっ、よく晴れてるじゃん。これならいっぱい流れ星見られそうだな」

「よっしゃあ!」

 現れた景色に、オレとりゅう兄の顔が自然とほころぶ。

 そう、『ボロ天』は、昼だけじゃなくて、夜の眺めも最高なのだ。オレたちが天文台、とこの塔を呼ぶのも屋上から見えるこの綺麗な星空からきている。そもそも、オレたちの住んでいる街は田舎だから、どこからでも星を見ることはできるのだけど、やっぱり『ボロ天』から見える星空は格別だ。どこまでも見通せる広くて高い夜空は、なんだか自分だけが星空を独り占めしているような気分になれるのだ。

 レジャーシートを適当に敷いて、家から持ってきた毛布やらお菓子やらを並べれば、いつもの天体観測セットの完成だ。

 その上にごろりと寝転がって、思い切り息を吸い込めば、夜の味をした冷気がオレの鼻と喉を勢いよく通り抜けていった。

「うっひゃあ、さむっ!寒いけどキレイ!でもやっぱ寒い!」

「風邪ひくなよー。ほら、これ持っとけ」

「ありがと!」

 オレのポケットにカイロを突っ込みながら、りゅう兄もオレの隣に寝っ転がった。それだけでオレはなんだかはしゃぎたくなってしまったけど、すんででここに来た目的を思い出す。

「ええっと、今日見るのは『ふたご座流星群』だっけ?」

「そうそう。よく覚えてるじゃん」

「まあね。毎年見に来てたらさすがに分かるって」

 オレはふふんと鼻を鳴らしながら、はじめてりゅう兄と一緒に星を見たのも、『ふたご座流星群』の時だったなあ、と思い返す。

 昔からりゅう兄は、星好きな両親の影響で、宇宙とか、星座とか、そういうことにめっぽう詳しかった。そのうちにりゅう兄は、自分で天体行事を調べてそれに合わせて観測に行きたいと思うようになった。そんなとき白羽の矢が立ったのが、この『ボロ天』だ。ちゃんと時間ごとに連絡はするから、と心配する両親を説き伏せて、りゅう兄は小学生の時からよくこの『ボロ天』に天体観測に来ている。ちなみに、『ボロ天』のボロボロの惨状のことは、観測を止められそうだから黙っているのだそうだ。”よくない”遊びっぽくてかっこいい。

 オレはというと、同行を許された瞬間から、隙あらばりゅう兄にひっついていくようにしている。だって、夜の探検とか、超ワクワクするじゃん?特に、りゅう兄にはじめて観測に連れて行ってもらった時から、『ふたご座』も『流れ星』も大好きになったオレは、毎年の『ふたご座流星群』は一緒に見に行こうと約束していた。

 ……実は、今年は誘われないんじゃないかって不安だったから、一緒に来られてちょっぴりほっとしてたり。

「じゃあ、そんな銀河に問題。その『ふたご座』はどこにあるでしょうか」

「……わかりませーん」

「……お前、やっぱり覚えてないじゃないか。毎年俺が説明してるのに、いっつも忘れてるし」

「いいじゃんいいじゃん!なあ、はやくー」

 ねだるオレに、りゅう兄はため息をついた後、つい、と夜空を指差した。

「銀河でも、さすがにオリオン座は分かるよな?」

「あの、砂時計みたいな形したやつでしょ?知ってる知ってる」

「砂時計っていうか、ほんとは人の形なんだけどな。……まあ、今はいいや。そのオリオン座の中の明るい一等星、左足と右肩に当たるリゲルとベテルギウスをつないでそれを2倍と少し伸ばしたところにあるのが……」

 りゅう兄の言う通り、オリオン座の二つの星をつないで伸ばした先に目をやると、並んで輝く二つの明るい星があった。

「ふたごの頭の星、カストルとポルックスだ」

「あ、あった。金色と、銀色の星?」

「そうそれ。銀色の方が兄のカストルで、金色の方が弟のポルックス。その頭の星から、オリオン座の方へ平行に二人の胴体と足が伸びて、兄弟は肩を組んでいるんだ。これで、ふたご座」

 星々の間に浮かび上がる、きょうだいのすがたにオレはにわかに楽しくなってきた。

「星座になってまで肩組んでるなんて、よっぽどなかよしだったんだな」

「……そう、だな。正確には、この二人は双子じゃなくて、異父兄弟なんだけど」

「いふきょーだい?」

「父親が違うってこと。兄のカストルは人間の父を持っていたけれど、弟のポルックスはかみさまのこどもだったんだ。それでも、二人はとても仲のいい兄弟だったんだけど」

 くるくると星をなぞる指を眺めながらオレは、やっぱりりゅう兄の指先は魔法みたいだなあ、と思っていた。

 ただばらばらに空の中に散らばっていた星々が、りゅう兄の心地よい語りに形を紡がれて、輝きを増して瞳の中に飛び込んでくる。まるで、りゅう兄の指先に命を吹き込まれたみたいに。

 オレは、空の星たちがいっせいに息を吹き返すこの瞬間が、いっとう好きだ。

「ある日戦いの中で、カストルは矢に打たれて死んでしまう。神様の血を引き継いだ、不死身の弟とは違って。兄の死に嘆き悲しんだポルックスは、父親の神様に頼んで、不死身の自分の命の半分をカストルに与えてもらったんだ」

 だから今は、お互いが半分神、半分人間となって、夜空に輝いている、というわけ。

 りゅう兄はそう言って、ふたご座にまつわるきょうだいの物語をしめくくった。オレはふむふむ、と感心したそぶりをする。

 ほんとうは、りゅう兄のしてくれた星の話は、ぜんぶちゃんと覚えていた。でも、オレはりゅう兄の語る星座の物語が聞きたくて、いつも忘れたふりをしてしまう。実は流れ星よりも、いつもよりも声を上ずらせたりゅう兄の解説の方が、ひそかに楽しみなくらいだ。

 オレがふたご座を好きになったのも、りゅう兄のおかげだ。夜空に肩を並べて輝くなかよしのふたご星は、あの日からオレの目標だから。あと、ちょっとだけ、ポルックスに共感して。もしりゅう兄が死んだら、オレも神様に「なんでもします!」って泣きついちゃうだろう。

 オレは頭上に光るふたご座を見上げながら、素直に思ったままを口に出した。

「オレ、ポルックスの気持ちも分かる気がするな」

「………」

「……りゅう兄?」

 星空に向けたままだった顔を、黙ったままのりゅう兄の方に向けると、りゅう兄はびくりと体を震わせた。

「どしたの?」

「……いや、なんでもない。ごめん、ちょっとぼーっとしてた」

 ふうん、とオレは上に向き直る。あんま、ぼーっとしてたようには見えなかったけど。

 へらりと笑った唇の奥に、大事な何かが隠されているような気がして、オレはすぐ隣にいるりゅう兄の考えていることがちっとも分からなくなってしまった。


~~~~~~~~~~~~~~~~~


 そのあとも、りゅう兄は持っている知識を最大限使ってオレに空の見方を教えてくれた。

 ふたご座流星群といっても、ふたご座のそばにだけ流れ星が流れるわけではないらしい。カストルの横にある放射点から空全体に流れ星が飛び出していくから、できるだけ視野を広くして、流れ星を見逃さないようにするのがコツだそうだ。

 それからしばらくは、二人でひたすら空を見上げて駄弁りながら、流れ星を待っていた。

「オレ、こないだ部活の新人戦のメンバーに選ばれたんだ!」

「へえ、すごいじゃん」

「だろー?でもなあ、やっぱりバスケやるならもうちょっと背が……ちょうど、今のりゅう兄くらいまでは欲しい!」

「……兄弟なんだから、のびるだろ」

「うーん、だといいんだけど……そうしたら、女子にもモテると思うし。ひどいんだぜ?銀河はガキっぽいから無理ー、だって。ふん、オレだって年上がいいから、お前らなんかまっぴらだっての」

「でも、落ち着きが足りないのは事実だと思う」

「うぐ、りゅう兄に言われるとヘコむ……」

 眠くならないようにりゅう兄がタンブラーに入れてきてくれた紅茶を飲みながら、オレははたと気づいた。

 久しぶりにりゅう兄とゆっくり話せて、ここぞとばかりにしゃべり倒してしまったけれど、オレばっかりしゃべりすぎじゃない?これはこれで楽しいけど、なんか違う気がする。りゅう兄は聞き上手だけれど、けして寡黙ってわけでもないのだ。

「よっし、次はりゅう兄の番!」

「へ、何が?」

「なんかおもしろい話してー」

「うわ、出たよ無茶ぶり」

「じゃあ、せっかくだから星の話がいいなあ」

「……そうだな。じゃあシリウスも上がってきたところだし、冬の大三角の話でもするか」

 困ったように笑いながら、それでもオレのリクエストに優しいりゅう兄はちゃんと応えてくれる。

「さっきふたご座を見つける時に使ったオリオン座、あっただろ」

 りゅう兄の言葉に、なじみ深い形に目を向けると、さっきよりもずいぶん高い位置まで昇ってきていた。

「そのオリオン座の……ええっと、左上の星、って言ったらいいのか?少し赤みがかった一等星ベテルギウス、冬の大三角の一つ目の星」

 そして、とりゅう兄は西の空の地平線近くに指を動かした。

「次に分かりやすいのは、今昇ってきたばかりのこの星かな。名前はシリウスっていって、地球から見える星で一番明るい星なんだ。これが二つ目」

 確かに分かりやすい。りゅう兄と前に一緒に見た惑星並みに、ぴかぴかの主張が激しい。

「最後に、その二つの星とちょうど正三角形になるように上に視線を向けると……もう一つ、目立つ明るい星があるだろ。プロキオンっていって、そばに小さい星が一個だけあるのが目印。これで、冬の大三角だ。

 俺的には、夏の大三角と同じくらい知名度あってもいいと思うんだけどな……ベテルギウスが赤で、シリウスが白、プロキオンが黄色の星だから、見ごたえあるし」

 生き生きと目を輝かせながら夢中で星を追う姿に、オレは、こういう時のりゅう兄にはやっぱり敵わないな、って思う。

 オレがうんうんうなずいていると、りゅう兄は楽しそうに続けた。

「シリウスもプロキオンも、それぞれ別の星座の星だけど、両方とも犬の星座なんだ。シリウスはおおいぬの鼻先の星。三角形の頭に胴体と足、尻尾がちょこんと伸びて、これでおおいぬ座。

 で、形がしっかりしているおおいぬ座に比べて、こいぬ座はプロキオンとそばの小さな星二つでできている星座だ。逆にシンプルすぎて見つけやすいのかもな。プロキオンが胴体で、もう一個が頭の星」

 りゅう兄によって次々と命を吹き込まれていく星たち。おおいぬとこいぬ。二匹の犬は、まるでオレたちを見てるみたいだと思った。どっしりとしたおおいぬがりゅう兄で、キャンキャンうるさいこいぬがオレ。そういえば、前にこの星座を教えてもらった時にも同じことを思ったんだった、と不意に思い出した。

 ひととおり解説を終えたりゅう兄はしばらく満足そうに星空を眺めていたが、

「あ……」

 と声を漏らすと、いきなり色を失って慌て始めた。

「ご、ごめん!俺ばっかしゃべってた」

「?そんなことないよ?だいたいお願いしたののオレだし……」

「……気持ち悪いよな、いきなりこんなべらべらと」

「えええ!?どゆこと!?りゅう兄が星大好きなのはいつものことじゃん?それにオレ、りゅう兄の話聞くの好きだし!」

 落ち込んだように眉を下げるりゅう兄に、オレまでつられて慌ててしまう。すると、暗闇の中でりゅう兄がぎゅうと唇をかんだのが分かった。

「……まじで、銀河っていいやつだよな」

「え?そ、それほどでも?」

 りゅう兄の突然のほめ言葉に、慣れていないオレは思わず照れた。

「っていや、嘘じゃなくてほんとに……!」

「いいよ、無理しなくて。わかってる、お前は優しいやつだって」

 自分に言い聞かせるようにつぶやくりゅう兄は、どこか見覚えのある顔をしていた。

「……俺さ、ずっと前から思ってたんだ。この二匹の犬たちは、オレと銀河にそっくりだなって」

 その、何かを思い詰めたような視線の先には、先ほどたどった二つの星座があった。オレも同じこと考えてた!すげー!と返そうとしたところで、

「おおいぬが銀河で、こいぬが俺」

 オレは開きかけていた口を閉じることになった。

 あれ、おおいぬがオレで、こいぬがりゅう兄……?

 予想とは真逆の答えに目を白黒させるオレに、りゅう兄がふっ、と息だけで笑う。

「銀河、シリウスとプロキオン、それぞれの一等星の名前の由来、知ってる?」

 オレはその声色の意味も分からずに、とりあえず首を横に振る。

「こいぬ座のプロキオンは『犬に先立つもの』って意味がある。夜空には、おおいぬよりもこいぬが先に昇ってくるからだ。そして、おおいぬ座のシリウスは『焼き焦がすもの』」

 ……りゅう兄の話の先が見えない。そろそろ空に集中しないと、せっかくの流れ星、見逃しちゃうぞ、って言った方がいいのかなあ。

 のんきなオレはその時になってもまだ、りゅう兄のまとう空気の色が変わっていたことに、ぜんぜん気が付いていなかった。

「銀河。俺と流れ星を見に行くのは、これで最後にしよう」

 だからオレは、完全にふいうちで、りゅう兄のその言葉を食らってしまったのだ。


~~~~~~~~~~~~~~~~~


「え……?」

 なんで。

 まっさきにオレの頭に浮かんだのは、その3文字だった。

「ずっと、言わなきゃなって思ってたんだ。銀河もそろそろ、部活も勉強も忙しくなってきただろ?俺も来年から高校生だし。いつまでもこんな風に兄弟で天体観測とか……子供っぽいだろ」

 りゅう兄が、用意していた言葉をなぞるようにぺらぺらとしゃべっているのを、オレはどこか遠くで聞いていた。

 頭の中を、たくさんのなんで?がぐるぐると回っている。オレはそれでもなんとか、笑顔を作って言葉を絞り出した。

「でも、りゅう兄は星見るの好きじゃんか。それもやめちゃうの?」

「『ボロ天』での観測は続けるつもりだよ。でも、銀河に俺の自己満足に付き合わせるのはよくないだろ。まあ、もし流れ星が見たくなったら……銀河は、もっと仲いい友達とか彼女とかを『ボロ天』に連れてくればいいんじゃない」

 がん、と今度こそオレは鈍器で頭を殴られた心地がした。

 なんで?なんでりゅう兄はそんなこと言うんだ。毎年一緒に来ようって、あの日約束したじゃないか。なんで、オレは楽しかったよ。りゅう兄はオレの何が気に入らなかった?オレの何がだめだったんだろう。

 はちきれそうだった気分が、しおしおとしぼんでいくのを感じた。今日の楽しかった思い出が、急速に真っ黒に塗りつぶされていく。

 オレはふらふらと起き上がって、寝転がったままのりゅう兄を見下ろした。

「……なんで」

「え……?」

「なんで、そんなこと言うの?」

「っ、だから、理由はさっき言った通りで」

「最後ってなんだよ!わけわかんない!……オレ、何が悪かったのか、全然わかんないよ。なあ、教えてよ……そしたらオレ、もっかいがんばるから」

 やっぱりまだ、オレじゃ、足りなかったのかな。

 あふれ出した言葉とともに、ずっと心の奥底に隠していた不安が、どろどろと吹き出していく。オレはもう、自分がなんて言っているのか、よくわからなくなっていた。

「だから、オレのこと、置いてかないでよ……」

 きらいに、ならないで。

 震える唇から、ぽとりと弱音が零れ落ちる。

 オレの言葉にじっと耳を傾けていたりゅう兄は、急に目を見開いてがばりと起き上がった。

「き、嫌いに!」

「うわっ!」

「……嫌いに、なれたらどんなによかったか」

 りゅう兄は、はあ、とため息をつきながら、ふいと視線を横にそらした。その発言の意味をオレがはかりかねていると、りゅう兄はもういちど深くため息をついた。

「銀河はなんか勘違いしてるけど、これは俺の問題だから。俺の問題というか、なんというか、ああもう、とにかく銀河は悪くないよ。……悪いのは俺だから」

「……ほんと?オレのこといやになったわけじゃない……?」

「うん」

「……よ、よかったあ」

 りゅう兄の返事に、オレは心の底から胸をなでおろした。ほっと一息つくオレに、りゅう兄も安心したように笑った。

「じゃあ、来年から観測はナシってことで……」

「やだ」

「は、はあ?」

「いーやーだ。オレは全然納得なんかしてない。オレは、来年もりゅう兄と『ふたご座流星群』を見に行きたい。だから、さっきみたいな建て前の理由じゃなくて、ちゃんとした理由を聞かないと、やだ」

「こいつ、いきなり強気になりやがって……」

 オレの態度に顔をしかめたりゅう兄はしばらく頬をかいて誤魔化そうとしていたが、じっと見つめるオレの瞳に根負けしたのか、ごろん、と両腕を下にして体を倒した。

「……さっきふたご座を見たとき、銀河は『ポルックスの気持ちも分かる』って言っただろ。兄貴だけが死んじゃって、弟の命を分けてもらって、ってやつ」

「うん?言ったけど」

「あれ俺、大きなお世話だ、って思うんだよね」

「へ?」

 りゅう兄は、ふたたびふたご座の方へつい、と指先を向けた。

「ふたご座のカストルとポルックス、よく見ると明るさが違うだろ?神の子の弟のポルックスは一等星だけど、人の子の兄のカストルは二等星。空にあげられて星になってまで、二人の間には目に見えて違いがある」

 ふたご座を見上げるりゅう兄の目は、どことなくその様を憐れんでいるようにも見えた。

「俺がカストルだったらこう思うね。『同情されて隣に置いてもらうなんて、情けないな』って」

「りゅう兄……」

「それに、さっきも言ったろ。こいぬが俺で、おおいぬが銀河だって。……銀河が中学校に上がってから、お前の噂をよく聞くようになったよ。ちょっと馬鹿だけど、いっつも明るくて、クラスでも部活でもみんなを盛り上げるムードメーカー。友達だって多い。……周りもみんな思ってるんだろうな。こんな星見ることしかできない根暗の俺とは大ちがいだ、って」

 りゅう兄はそこまで言って、自虐的な笑みを浮かべた。

「それでも少しでも大人ぶって、理想の兄になれるよう努力してみたけど……結局、ダメダメだった。こいぬはいつか、シリウスのその輝きに追いつかれて飲み込まれて、焼き焦がされる運命なんだ」

 もう、りゅう兄の瞳はまぶたの奥に隠されて、星空のことも、オレのことも見てはいなかった。ただ、ため息のように零れるささやきだけが、言葉を紡いでいる。

「隣にいたって、不釣り合い。先を歩こうとしたところで、身に余る役目。……なんてな。俺は、銀河にふさわしくない兄だった。それが、ようやく分かったから」

 ふう、と息を一つ吐くと、りゅう兄は目を開けて起き上がったままのオレに笑いかけた。

「ほら、これで満足か?俺は銀河のためを思って言ってるんだ。俺だって、気を遣われるのはごめんだし。お前も流れ星が好きなんだったら、俺じゃなくてもっと他のやつと見た方が楽しいだろ?」

「………」

 オレは、黙ってりゅう兄の胸ぐらをつかみ上げた。

「……なんだよ」

「……つまり、りゅう兄は、オレが無理してりゅう兄に付き合ってる、って言いたいの?」

 押し殺した声でした問いかけに、りゅう兄が無言で肯定した。

 オレはかっと、頭に血が上るのが分かった。

 これっぽっちも、なんにもオレの思いは伝わってなかったんだ。

「っ、りゅう兄、オレの話聞いてた!?オレ、りゅう兄と星見に行くの楽しみにしてる、って毎回言ってるでしょ!?それが全部嘘だって、りゅう兄を気づかったおせじだって言うの!?」

 食ってかかるオレに、りゅう兄も負けじと言い返す。

「見に行くのは、俺じゃなくてもいいはずだ!それにお前、ほんとは星見るのぜんぜん好きじゃないだろっ!?毎回星の話しても、次のときには全部忘れてるし!それって、興味ないってことじゃん!」

「……!そ、それはっ」

「そもそもお前、じっとしてるの得意じゃないし、すぐ眠くなるし!昔の約束にいつまでも縛りつけて、そんなん毎回してたら、無理して付き合わせてごめんって気持ちにもなるだろっ!」

 オレはぐっと奥歯をかんだ。

 オレがむき出しにしたりゅう兄の本心は、どれも初めて聞くものばかりだった。けれどりゅう兄は、オレと観測に来るたびにいつも片隅で思っていたのだろう。弟を自分の自己満足に巻き込んでしまって申し訳ない、と。

 そんな思いをさせてしまった自分が歯がゆい。

 それでもオレは、俺じゃないやつと行けば、なんてセリフを吐くりゅう兄が許せなかった。

「―――昔のこと覚えてないのは、りゅう兄もおなじじゃんか!」

 叫んだ言葉と共に、はじめてりゅう兄に連れてきてもらった夜の記憶が、オレの脳裏に思い浮かんでいた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~


 オレがはじめて『ボロ天』にりゅう兄と一緒に天体観測に来たのも、ふたご座流星群の極大の日だった。

 あの頃のオレは、まだできないことも多くて、来年には中学に上がってしまうしっかり者の兄に置いて行かれるのが怖くて、いつも必死だった。

 このままじゃオレは、りゅう兄に見捨てられる。きらわれる。オレはりゅう兄と一緒にいられなくなる。なのに、ぜんぜん届かない。敵わない。オレは、りゅう兄には、なれない。オレはどうすればいいんだろう。オレは、何を目指したらいいんだろう。

 そんな風に途方にくれるオレを見かねたりゅう兄は、両親を説得して、流れ星を見に連れ出してくれたのだ。

 それでもオレは、『ボロ天』に着いても、肝心の張本人に悩みを打ち明けることができなかった。

 黙り込んだままのオレに、りゅう兄はちょっと困った顔をしたあと、やわらかく笑って、星空を指差した。

『銀河、星座のはなしをしてあげよっか』

 そこからはもう、夢中だった。りゅう兄の指先のことを魔法みたいだと初めて思ったのも、この時だ。りゅう兄の指と声によって紡がれる、むかしむかしの物語は、オレの中の星空を、魔法の宝箱に変えてしまった。

『このふたごはね、航海の守り神でもあったんだ』

 今よりも少し高めの声で、りゅう兄はオレの耳にささやきかけた。

 もうオレはその頃には、りゅう兄のことはうらやましいとかを通りこして、ひたすらすげー、と感心するばかりだった。

『こーかい?』

『うーん、船の旅ってこと。ある夜、ふたごが乗り込んだ船を大嵐が襲った時、ふたりの頭の上に光が灯り、たちまち嵐が静まった、って話があるんだ。だから、昔の船乗りたちは、このふたつの光のことをセントエルモの火って呼んで、とっても大切にしたんだって』

『……うーん?』

 首をひねるオレの頭を、りゅう兄は軽くぽん、とたたいた。

『つまり、ふたごは最強の旅の道しるべってわけ。どんなに悩んでる時でも、空に灯ったセントエルモの火を見るとなんだか安心しない?だから……来年もまた、一緒にふたご座を見に来よう。銀河と見る星空、なんかいつもより綺麗だった気がするし』

 今思うとそれは、星好きなりゅう兄が精一杯考えた、励ましの言葉だったのだろう。

『どんな嵐も吹き飛ばしちゃうふたごと、父さんと、母さんと……あと、俺も見守っててやるから。銀河は、銀河のペースで自分の道をすすめばいい。それに、』

 くしゃり、と一回オレの頭をかき回して、りゅう兄はいたずらっぽく笑う。

『セントエルモの火はふたつでひとつだ。つまりそれって、俺たちふたりがそろったら最強ってことだろ?……ひとりで先を行くのはさびしいからさ。俺はいつまでも、銀河のこと、待ってるから』

 その瞳の奥にゆれるひどくやさしい光は、まるで星の瞬きのようにオレをあたたかく包み込んだ。そのときからオレは、いつかりゅう兄の隣に並んで胸を張れるような、そんなすげー自分になることを決めた。

 そして、その日の夜、いちばん大きい流れ星にむかってオレは、

 来年も、これから先もずっと、またりゅう兄と星を見に来られますように。

 そう、願い事をしたのだ。


 ~~~~~~~~~~~~~~~〜


「あの日から、オレはずっと、りゅう兄の隣で輝くために、がんばってきたんだ。最近はやっと、同じ中学生になれてあともうちょっとだ、そう思ってた。なのに、りゅう兄はどんどんオレから離れてくし、遊んでくれなくなるし、最後には『他のやつと行けば』なんて……」

 オレが毎年どんな思いでふたご座を、オレにとってのセントエルモの火を見上げに来てると思ってるのだ。流れ星にどうして、来年もりゅう兄の隣にいられますように、なんて小さな願いをかけていると思ってるのだ。

「オレは、りゅう兄が、いいの!気遣ってたとか、無理してるとかじゃなく!オレ自身が、りゅう兄の横で、りゅう兄の話聞いて、りゅう兄と星見たいの!」

 たしかに、星の話を忘れたふりをしていたのは、オレが悪い。

 それでも、これだけは譲れないところだった。

 兄のカストルが死んだ時、ポルックスが命を分け与えたのは、同情なんかじゃない。ただ、魂の片割れに、ずっと隣にいて欲しかっただけなのだ。

「オレは、他の誰でもなくりゅう兄と星を見たいんだ!伝わってなかったんならなんべんだって言う!オレは、りゅう兄の隣で見る星空が、世界一綺麗だし楽しいし面白い!ぜったい、一生、そうだ!」

 なんだか勢いに任せてこっ恥ずかしいことを言っている気がしたが、もうとまらない。ええい、なるようになれ。すると、掴んだ襟元から、くっくっ、と押し殺したような笑い声が聞こえた。

「……おま、銀河、俺の星の話、全部覚えてたのかよ」

 オレの決死の告白に対するりゅう兄の第一声はそれだった。

「はあっ!?オレ、今超怒ってんだけど!?」

「あー、はいはい。……そっか、そんな前のことまで、覚えててくれて……そっか……」

 りゅう兄の声がだんだんと小さくなっていき、その片手は、ゆっくりと顔を覆っていった。手からはみ出した口元が、ひどく幸せそうにゆるんでいるのが見えた。

「ちょっと、なに顔隠してんの。見せろよ!」

「や、やめろって、はがそうとすんな!」

「うるさい!さんざん弟煽っといて、いざ追いつかれたら、テキゼントーボーしようとするヒキョーモノめ!」

「は、なんのことかな!まだまだ、お前なんかに、追いつかれるわけ、ないだろっ」

「ん、背と、頭だけは、まだまだだけど、力はオレの方が強いっ……!」

「ぐっ……!ほ、ほら、そんなことしてたら流れ星流れちゃうって!空見ろ空!」

 ちょうど、力比べに負けそうになったりゅう兄が適当に指差した空を見上げたその時だった。

 それは、ひどく長いようでいて、短い時間だった。

 闇に慣れた視界が、一瞬、閃光に染まる。りゅう兄が空で一番明るいと言ったシリウス。その何倍もの輝きを持った火の玉が、星空の端っこから端っこまでを悠々と駆け抜けて行った。ごう、という音がオレの耳に届いたような気がして。まぶしい光の尾が、夜空と、網膜に焼き付いて、ちかちかといつまでも瞬いていた。

 オレとりゅう兄は声も出ないまま、しばらくぽかんと上を見上げていた。が、鮮烈な流れ星の残像が消えると同時に、止まっていた時間が動き出した。

「……な、なに今の!?や、やばくね???10秒くらい流れてなかった!?」

「見た、見た!!!確実にマイナス等級……しかも痕すげえ残ってたし!!!」

「あ、あんなすごいの初めて見たあ……!!!ぜってえあんなのニュースになるじゃん!!!」

「なるなる、だってあれ、いわゆる火球だよ火球!くっ、ほら、俺の言う通りだっただろ!」

「は、適当に、指差しただけなのに、あはっ、偉そうにすんなって……」

「くっ……カメラ持ってくればよかった……ふはっ」

 さっきまでのシリアスな雰囲気はどこへやら。初めて見る特大スペシャル流れ星に、すっかりはしゃぎだした自分たちの様子がまたツボに入って、オレとりゅう兄はげらげらと笑い出してしばらく止まらなかった。

 笑いすぎて呼吸困難になりかけたところで、オレは毛布の上へ大の字に倒れこんだ。

「あー……楽しかったー!もーなんなんだよ一体!」

「く、くくっ……こういうのが天体観測の醍醐味ってやつだよ」

 なんだか知ったような顔をしてどや顔をしているりゅう兄に、オレは声をかける。

「……なあ、りゅう兄」

「ん?」

「オレさ、不釣り合いとか、焼き焦がすとか、正直ぜんぜんわかんないよ」

「……ん」

「でもさ、こうやって、いっしょの空見上げて、どうでもいいこともたいせつなこともいっぱいしゃべって、おんなじことに笑ったり泣いたりする。りゅう兄は、それだけじゃ、だめ?」

 覗きこむりゅう兄の瞳は、きらきらと楽しげに瞬いている。オレの言葉をまっすぐ受け止めた瞳は、あの時と同じやさしい光をたたえていた。

「いいや。俺も、お前の隣で見る空が一番楽しいわ」


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「だああ、くそっ!あんなすごい流れ星だったのに、願い事するの忘れてた!」

「まあ、びっくりしすぎて声出なかったしな」

「りゅう兄は、次に流れ星流れたらなんてお願いすんの?」

「……あー……ええと……」

「なにもったいぶってんの」

「あー、うう……まあ、いいや。今日、すげえ楽しかったし、また来年も銀河と見に来られますように、なーんて……」

「……りゅう兄のばーか」

「はあ!?俺今すごいいいこと言ったよな!?」

「はーああ、りゅう兄はぜんぜんわかってないな。オレも馬鹿だけど、りゅう兄の方がもっと馬鹿だよ」

「お前ふざけんなよ」

「思ってても、伝わらなきゃ意味がないって、オレは今日ちゃんと気づいたの。だから、それを言う相手は流れ星じゃないだろ」

「……俺、そういうキャラじゃないんだけど」

「はい、もういっかーい」

「ちょ、心の準備がっ」

「ほら、オレも一緒に言ってあげるから。はい、せーの、」




 来年も、これから先もずっと、またキミと、星を見に来られますように!





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流れ星にサヨナラ 金環 玖 @kodmodmo

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