第百三十五話 避けられない務め
綾姫と夏乃が千城家の屋敷に戻ってから、次の日。
柚月達は、いつものように目覚め、朝食をとる。
だが、どこか寂しさを感じる。九十九が姿を消した時もそうであったが、誰か一人でもこの離れにいないというのは、やはり、心に穴が開いたように寂しいのであろう。柚月、九十九、朧、綾姫、夏乃、景時、透馬、七人全員がそろって特殊部隊なのだから。
その寂しさを感じつつも、柚月達は朝食を終えて、訓練を始める。任務はいつ言い渡されるかわからない。
もしかしたら、この五人で任務をやり遂げなければならないかもしれない。
そうなった時のために、連携をとれるようにしなければならなかった。
訓練を終えた柚月達は、一休みしていた。
「なーんか、男臭いな」
「そりゃそうだよ。男しかいないし」
「綾姫君や夏乃君は、戻ってこれなかったみたいだしね」
未だに戻ってこない綾姫と夏乃。
なぜ、呼ばれたのか。何があったのか。何も知らない九十九は、柚月達に問いかけた。
「なぁ、二人はどうしたんだ?何かあったのか?」
「そうだよね。いきなりでびっくりしたけど、どうしたんだろうね」
朧も何も知らない。
だが、柚月達は、気付いていた。綾姫と夏乃が突然、呼ばれた理由を。
「そうか、もうそろそろか」
「ん?」
「もうそろそろって、何がだ?」
九十九は、柚月に尋ねる。
だが、柚月は返事も答えもしなかった。それは、透馬も景時も同様だ。誰も何も答えてくれない。
沈黙が続いていた。
「柚月?」
胸騒ぎを覚えた九十九は、柚月に呼びかける。
その時であった。
「ただいま戻りました」
「おっ、噂をすれば」
夏乃の声が聞こえてくる。二人が戻ってきたのだ。
柚月達は、綾姫達を出迎えるため、門まで向かう。
九十九と朧は、話を遮られたように感じていたが、今は、綾姫達を出迎えなければならない。
それに、綾姫達が説明してくれるであろう。
柚月達が、答えを出さない理由も、胸騒ぎがした理由もその時にわかるはずだ。
九十九は、朧と共に、綾姫達を出迎えた。
門の前に立ち止まった柚月達。目の前には、綾姫と夏乃が立っていた。いつものように。何も変わりなく。
「ただいま」
「お帰り」
綾姫が微笑むと柚月も微笑む。
やはり、二人は、なくてはならない存在だ。
そう、改めて感じた九十九であったが、なぜ、呼ばれたのかがやはり気になる。
九十九は、前に出て、問いかけた。
「やっと、戻ってきたか。で、何があったんだ?」
「そうね。その事なんだけど……大事な話があるの」
綾姫は、言葉を詰まらせながらも、話し始める。まるで、深刻な状況にでも陥ってるかのようだ。何かあったとしか考えられない。
柚月達は、その事を知っているから答えられなかったのだろうか。不安がよぎる九十九と朧。
柚月達は、綾姫と夏乃と共にいつもの部屋へと戻った。
部屋に戻った柚月達は、綾姫と夏乃を座らせる。
景時がお茶を差し出すが、誰も飲もうとしない。
そして、誰も、何も話そうとしない。
それだけでも、空気が重たく感じる。
だが、沈黙を破って綾姫は語り始めた。
「……私と夏乃は、一度千城家に戻ります」
「え?」
突然の事で朧は、驚く。九十九も同様だ。
だが、柚月達は、冷静であった。
そして、重たい口を開けて尋ねた。
「そうか、やはり、あの時期が来たんだな」
「ええ」
綾姫も静かにうなずく。
二人は未だわかっていない。
だが、分かった事は一つだけあった。それは、深刻であるという事。
だからこそ、余計に不安に駆られる。
九十九は、柚月にもう一度詳しく尋ねた。
「あの時期って、なんだ?」
「……赤い月の日の事だ」
「あ……」
九十九と朧は、思い出した。
五年に一度訪れる聖印京にとっておぞましい日。九十九にとっては、忘れられない地獄の日。恐怖で気が狂いそうになるあの日。
その日が、再びやってくる。
そう、必ず、近いうちに。
「赤い月の日、必ず、ここは戦場と化す。死人も出るだろう。だが、被害を最小限に抑えるために、千城家が、強力な結界を張るんだ」
「ええ、今回は、私がその役目を務めることになりました」
これは、避けられない運命。必ず、けが人も死者も出る。
あの赤の世界が再び、やってくるというのだ。
しかし、被害を最小限に抑える唯一の方法がある。
それは、千城家にしかできない事。
千城家の聖印能力がなければ、発動できない結界であった。
その結界を綾姫が張ることになったのだ。
「必ず、務めを果たしてみせます。そして、ここへ戻ってきます」
「……待ってる」
「ありがとう。絶対に、守るから」
柚月と綾姫は微笑む。
まるで、契りを交わすように。
こんな状況でさえも、お互いを思いやり、誓いあう。強き心を持っているからこそ、できることであった。
報告を終えた綾姫と夏乃は、お茶を飲みながら、ひと時の時間を過ごし、再び、離れを出て屋敷へと戻った。その背中を柚月は、見えなくなるまで見送っていた。
しかし、九十九はまだ、疑問を抱えていたため、柚月に尋ねた。
「なぁ、綾姫はどうやって、結界を張るつもりなんだ?今の結界だと、妖は入っちまうぜ。天鬼だって来るはずだ」
赤い月の影響により、凶暴化する妖達は、結界を破壊し、聖印京へ侵入する。
九十九は、それを知っているため、柚月達に尋ねたのだ。
どのようにして防ぐのか。
「ああ、だから、強力な結界が必要なんだ。そのために、儀式をするんだ」
「儀式?」
「聖水の泉の力を借りるんだよ」
聖水の泉、以前、綾姫が泉の前で舞を踊ったのを見たことがあるあの泉だ。
聖水の泉には、水の神が宿っていると言われている。
いわば、神の力を借りて、結界を張るということなのだ。
「あ!あの、泉ですね!」
「そうそう」
「それで、どのような儀式を?」
「確か、聖水の泉で祈るんだったよな?」
「うん、そうだよ」
景時は、穏やかな表情でうなずく。
しかし、それだけで、結界を張れるとは思えない。
祈った後、どのようになるのか、九十九は気になっていた。
「祈ってどうすんだよ」
「聖水の泉を操って雨のように降らせるんだ。それで、妖を浄化するんだよ」
「そう言えば……あの時も降ってたな」
九十九は、思い返す。
柚月に刺され、気を失いかけた時、大量の雨音が聞こえた事を。
確かに、聖水の泉の雨なら、妖達を一気に浄化することは可能であろう。
天鬼達にも影響が出るはずだ。
と言っても、やはり、気になることがあった。
それは、自分の事であった。
「けど、あそこにいた俺は平気だったぜ?」
「半妖だからだろ?」
「あ、そっか」
五年前、九十九は聖印京にいた。十年前も、十五年前もだ。
その時も確かに雨は降っていた。
天鬼達は、苦悶の表情を浮かべ、撤退したことを思いだす。
だが、自分はどうだっただろうか。
どう考えても、影響はなかったように思える。浄化された記憶はない。
なぜなのかわからなかったため、九十九は尋ねたが、九十九は、半妖であったからだ。
少し考えれば気付くことも、九十九は気付かない。
やはり、九十九は馬鹿だった。
「前回は、琴姫様がその大任を任されたけど、今回は綾姫君が務めることになったみたいだね」
「前から決まっていたそうだ。たぶん、昨日も赤い月の日がいつ来るか、予知するために、呼ばれたんだろ」
「そうなのか?」
「ああ」
その大役は連続で任されることはない。
そのため、生きているうちは、必ず任される。
綾姫がこの大任を任されることも、五年前から決まっていた事だ。
今回は、綾姫が選ばれ、赤い月がいつ来るかと予知するためにも、昨日、呼ばれたのであった。
「でも、心配だよね」
「何がだ?」
「その儀式ってね、体に負担がかかるんだ」
「最悪の場合、死ぬかもしれないって言われてるらしいぜ。前回も、琴姫様が危なかったって聞いたことあるんだ」
大任を連続で任されない理由は、命の危険性があるからだ。
一度、任されたものは二度任されることはない。命の危機にさらされるからだ。
前回の時は、特にひどかったという。
予知した日よりも、早く赤い月が出現したため、準備不足であった事もあり、琴姫は、危篤状態となったと聞かされたことがある。
それほど、危険な儀式というわけだ。
「そういうことだったのか……」
九十九はあることを思いだす。それは、皆で、ここに住む事になった理由だ。綾姫は、死んでしまうかもしれないと考えていたため、思い出を作りたくて、月読に強引に頼んで決めたのだ。
なぜ、死んでしまうと思っているのか、理由がわからなかった九十九は、無理やり綾姫に聞いたことがある。
聞かれたくなかった綾姫は、九十九を傷つけてしまい、お互い気まずい雰囲気になってしまった。
あれ以来、理由を聞いていない。
だが、今なら、わかる。綾姫は不安でたまらなかったのだ。死ぬかもしれないと怯えた自分を見せたくなかったのであろう。
そう思うと九十九は、心が痛んだ。
そして、柚月の顔をじっと見ていた。
九十九の視線が気になった柚月も九十九と目を合わせた。
「なんだ?」
「お前は、良かったのかよ。行かせて」
「仕方がないだろ。これは、千城家で決められたことなんだ。俺にはどうすることもできない」
この大任については、決めるのは軍師ではなく千城家だ。
つまり、千城家の事情である為、柚月には止められない。
しかし、そう言いつつも、柚月はどこか、不安に駆られたような表情を見せていた。
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