第百十五話 悪夢の戦場
「逃げられたか……」
勝吏は、あたりを見回すが、九十九の姿はない。
あの九尾の炎を使って一瞬にして、逃げ去ったようだ。
その九尾の炎の威力もさることながら、その素早さはまさしく、凶悪な妖と見て、間違いないだろう。
だが、勝吏には気がかりなことがあった。
「大丈夫ですか?大将様」
「う、うむ……」
勝吏は、自分の衣服や体を見ている。
焼け焦げた形跡はどこにも見当たらない。
確かに、勝吏達は、九尾の炎に覆い尽くされた。しかし、実際には、燃やされたような痛覚を感じたわけではない。
なぜなのかは、勝吏には理解できなかった。
――今のは、九尾の炎。だが、どこも焼かれていない……。焼かれたのは……。
燃やされて灰になったのは、九十九だけを襲った妖達のみ。
一瞬にして燃やされたということになる。
あれほどの威力があるというのに、なぜ、自分達には被害がなかったのか。あの九尾の炎は、妖だけに有効なのだろうか。それとも、自分達は、助けられたのだろうか……。
――あの妖狐、いったい何者なのだ?
思考を巡らせたか釣りであったが、ふと椿の言葉がよみがえる。九十九はいい妖だと。
そんなはずはないと、椿の言葉を否定したい勝吏であったが、どうしても、否定することができない。
何が正しいのか、何が真実なのか。今の勝吏には、答えが見いだせなかった。
「大将様?」
考え込む勝吏を見て、心配したのか、隊士達が声をかける。
勝吏は、我に返り、すぐさま、冷静さを取り戻した。
「……私は、妖狐を追う。ここは頼んだぞ」
「はっ!」
勝吏は、九十九を探すために、動きだす。
勝吏から指示を与えられた隊士達は、聖印京を守るために、再び動き始めた。
勝吏が向かっていたのは、鳳城家の屋敷だ。
もしかしたら、九十九はそこへ向かった可能性がある。なぜなら、鳳城家の地下牢に椿がいるからだ。
本来、重罪を犯した者は、本堂の地下牢へ送り込まれることとなっているが、罪を犯したのは、鳳城家の娘だ。それも、四天王の一人と密会している。
このようなことはあってはならない。知られてしまっては、鳳城家の名に傷がつくと月読に指摘され、鳳城家の地下牢へと送りこんだ。
それに、赤い月の日が迫っている状況の中で椿の事を知らせるのは、さらなる混乱を招き入れてしまう可能性がある。
そう考えると、今は、椿の事を伏せておく方が得策だろうと勝吏は、考えていた。
今も椿は地下牢にいるはずだ。
そして、九十九は椿の元へ行くはずだ。
勝吏は、そう予測し、鳳城家へと向かった。
――あの妖狐の正体を突き止めねば!
勝吏は、知りたかった。真実を。なぜ、椿が九十九を愛したのか。なぜ、九十九は自分達を殺そうとしなかったのか。
それを知れば、何か、答えが見えてくるはずだと。
勝吏は、真実を求めたのであった。
九尾の炎を使って逃げ切った九十九は鳳城家の屋敷へ向かっていた。
だが、九十九を隊士達が九十九に斬りかかる。妖までもが九十九を殺そうとしている。まるで、裏切り者を殺せと命じられているかのようだ。
九十九は、どうにか九尾の炎を使って、隊士達をひるませ、妖を焼き殺し、ようやく、宿舎の裏に隠れることに成功したが、鳳城家の屋敷は遠ざかってしまった。
聖印京は戦場と化している。
ここにもいずれ、隊士や妖達が、来るであろう。
だが、少しでも、姿を隠しておきたかった。
「何とか……逃げ切れたか……」
九十九は息が絶え絶えになっている。
当然だ。何度も九尾の炎を使ったのだ。どれほどの命を削ったのだろうか。
だが、九十九は、そんなことは気にも留めていない。自分の命よりも大事なものがあったからだ。
「早く、いかねぇと……」
少し休んだ九十九は、椿の元へと向かう。
天鬼が見つける前に、椿を救出するために。
三美達も、妖と戦闘を繰り広げている。椿を除いて。
志麻達は、椿の事は知らされていない。椿は、鳳城家を守る任務を与えられたと三美が嘘をついたのであった。
「皆、行くわよ!」
「はい!」
――椿がいなくても、守ってみせる!絶対に!
三美は、心に誓っていた。
椿の手は借りない。裏切り者がいなくとも生き残ってみせると。そして、椿の最後を見届けてやると。
三美は、それほどまでに椿に対して、激しい憎悪を燃やしていたのだ。
三美達は、順調に迫りくる妖達を討伐したかのように見えていた。
だが……。
「ぎゃあっ!」
「志麻!」
志麻の悲鳴が聞こえ、三美達は後ろを振り返る。
三美達の目に映ったのは、志麻が頭を妖に食われた光景だ。
その妖は、鵺だ。四天王ほどの力はないが、遭遇したら警戒せよと言われていたことがある。
その鵺が目の前にいるのだ。それも、志麻の頭を食いちぎって。
その地獄の光景を目の当たりにした三美は、体を震わせていた。
「よくも!」
「待って!五十鈴!」
五十鈴が、怒りに任せて鵺に立ち向かっていく。
仲間を殺されたのだ。しかも、仲の良かった志麻を。
五十鈴にとって志麻は、大事な仲間であった。
三美は、五十鈴を止めようとするが、五十鈴は遠ざかってしまう。
そして、彼女に続いて遼と椎奈も耳の元から遠ざかる。
仲間を仇を討たんと果敢に鵺の元へ立ち向かっていった。
「遼!椎奈!」
三美は、手を伸ばすが、時すでに遅し。
三人は、鵺に斬りかかるが、鵺は、いとも簡単によけて、三人に襲い掛かった。
「きゃああっ!」
三人は、無残にも体を引き裂かれ、食い殺されてしまう。
それも三美の前で……。
彼らの体から血と肉が飛び散り、跡形もないほど鵺に食われてしまった。
「そ、そんな……」
三美は愕然としていた。
だが、鵺は、容赦なく三美に迫ってきている。
仲間を殺されてしまった三美は、呆然とし、動こうとしない。
鵺は、口を開け、三美を食い殺そうとした。
その時だ。他の隊士の弓矢が鵺の首元に突き刺さったのは。
鵺は、もがくように暴れまわり、他の隊士達が駆け付け、鵺を何度も切り裂いた。
切り裂かれた鵺は、ようやく地面に倒れ、痙攣を起こした後、目を開けたまま、動かなくなり、消滅した。
間一髪のところで、助けられた三美だが、それでも、力が入らない。
今の現状を受け入れられなかった。
他の隊士達は、三美の元へ駆け寄った。
「大丈夫か?」
「え、ええ……でも……」
三美は、あたりを見回す。
三美の眼に映ったのは、食い殺された志麻達だ。
「志麻……五十鈴……遼……椎奈……」
三美は、膝をつき、涙を流した。
こんなことをしている場合ではない。
妖は、次々と聖印京に侵入してくる。
三美の心情を察した他の隊士達であったが、彼女を守るために、妖と戦いを繰り広げた。
それでも、三美は立ち上がり、宝器を手に取ることができないほど、うなだれていた。
――どうして、こんなことになったの?私では守れなかったって言うの?
三美は、椿がいなくても、彼らと共に生き残ると誓っていた。
それなのに、彼らはもういない。
自分の力では彼らを守れなかったのだと、思い知らされてしまった。
――椿のせいよ。妖なんかと愛し合うから……。椿が裏切らなかったら、皆、死ななかったのに……。
もし、椿がいてくれたらと思うと、やるせない気持ちになる。
椿なら、志麻達も殺されずに済んだかもしれない。
そう思うと、椿に対しての憎悪が止められない。たとえ、矛盾しているとわかっていても。
――許さない。絶対に!
三美は、椿への憎悪が止められず、ついに宝器を手にし、立ち上がった。
――椿を殺してやるわ!
三美は、椿の殺害を決意してしまった。
もう、仲がよかったあの頃に戻れない瞬間であった。
三美は、椿を殺すために、鳳城家の屋敷へと入った。
「椿は、鳳城家の牢屋にいるはず」
三美も椿がどこの牢屋に入っているのか知らされていた。
三美は、地下牢を目指して、進んでいく。
だが、その時だ。
「きゃああああっ!」
「!」
近くで女性の叫び声が聞こえる。
女房の声だ。何が起こったというのであろうか。
三美は、女房の元へと急いだ。
「どうしたんですか!?」
「つ、椿様が……ご乱心を……」
「え?」
女房は手で顔を覆い、泣きながらそう呟く。
三美は、驚愕してあたりを見回すが、信じられない光景が映っていた。
周りにいた奉公人や女房は、首をはねられ、体を貫かれて床に横たわっている。
倒れている全員だ。ここの人達を椿が殺したというのであろうか。
この光景は、まるで、悪夢のようだ。
さすがの三美も信じられなかった。椿がここの人達を殺したなど。
「ま、まさか、椿が?」
「そ、そうなんです……どうして……あんなにお優しかった椿様が……」
「……」
三美は、黙ってしまった。
椿は、絶望し、このような事をしてしまったというのであろうか。
だが、思い浮かぶのは、椿と共に戦った日々の事だ。辛く、厳しい戦いではあったが、椿が支えてくれたおかげで、ここまで生きることができた。
彼女は、美しく、強く、優しい。それは、三美も十分知っている。
あの椿がそんなことをするはずがない。たとえ、裏切ったとしても。
三美は、現実を受け入れられずにいた。
そのため、三美はある行動に出た。
「い、いけません!」
三美は、走り始める。
女房が止めようとも、それを振りきって。
三美は、真実を知りたい。
彼らを殺したのは、椿でないと信じたい。
椿に対する憎悪は消えていた。
だが、現実は、残酷だ。
否定したくなるほどの。
椿に憑依した天鬼は、奉公人や女房を首をはね、刺殺した。
隊士達が、椿の行動を見てを止めようとしたが、止められなかった。
天鬼は、とある場所にたどり着いた。
そこは、なんと椿の部屋であった。
「これが、あの娘のか」
天鬼は、ある物を手に取る。
それは、椿の宝刀・紅椿だ。椿を憑依した状態では妖刀を握ることは不可能だ。彼女の体は天鬼よりももろいのだから。
そのため、天鬼は、この紅椿を探していた。はじめは、牢のどこかにあると予想していたようだが、どこにも見当たらず、彼女の部屋にあるのではないかと考え、探していたのであった。
紅椿が、椿の部屋に置かれてあった理由は、椿が罪人であることを悟られないようにするためだ。
そして、椿が脱走したとしても、紅椿がなければ、抵抗することはできないと考えていたのであろう。
その結果、ここの人々は天鬼によって殺されてしまった。
「どこまでも、愚かな人間共よ」
天鬼は、紅椿を鞘から引き抜く。
これで、聖印一族を殺せると思うと天鬼は、狂気の笑みを浮かべていた。
その時だ。
「椿!」
女性の声が聞こえる。
その場にいたのは、なんと三美だ。
天鬼は、ゆっくりと振り向く。
三美の目に映ったのは、椿であったが、椿の眼は冷たい。
まるで、彼女ではないようだ。
「ち、違う……椿じゃない……誰なの?」
三美は、気付いた。
目の前にいる椿は、椿ではないことに。
妖が憑依したのだということに。
「貴様に名を名乗るつもりなどない」
天鬼は、冷たい目をしたまま、言い放った。
その目を見た三美は、体が震える。
殺気を感じたからだ。
それでも、三美は、天鬼に尋ねた。
「あ、あなたが、殺したの?あの人達を……」
「だとしたら、どうした?」
「どうして、こんなことを?」
「……人間など、愚かな生き物だ。だから、生きる価値もない。我々に殺されることで初めて、価値が与えられる」
「ひどい……」
「それが、妖だ」
「……許さない」
三美は、怒りを露わにし、宝器を構えた。
そんなことの為に、椿の体を使って殺したのかと思うと許せるわけがない。
「あなただけは!」
三美は、天鬼に向かっていく。
仇を取るために、椿を取り戻すために。
だが、天鬼は余裕の笑みを浮かべていた。
ようやく、鳳城家の屋敷へと潜入した九十九は、屋根の上に飛び移って移動する。
少しでも早く、椿を見つけるためだ。
――必ず、この屋敷のどこかにいるはずだ!
九十九は、駆け抜けていく。
だが、九十九は、気付いてしまった。
異様な殺気と妖気を。その主が誰なのか、九十九は、悟った。
「まさか……天鬼!?」
天鬼がこの屋敷に来ている。椿に憑依するために。
そう思うと、居てもたってもいられなくなった九十九は、焦燥にかられ、急いだ。
その時だ、椿の姿が目に映ったのは。
彼女を見た瞬間、九十九は屋根から飛び降りて、椿の元へ向かった。
「椿!」
やっと、椿に会えた。
これで、椿を救える。
そう思っていた九十九であったが、現実は残酷であった。
「!」
九十九はある光景を目にして、驚愕している。
なんと椿が、紅椿で三美の体を貫いていた。
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