第百十四話 赤い月

 闇夜に突如浮かんだ赤い月。

 その日は、満月ではなかったが、今は、満月のように満ち欠けではない。

 色は、真っ赤な血。星一つ見えない闇夜までも真っ赤に染め上げていく。

 赤い月を目にした誰もが、驚愕し、怯えていた。

 もうすぐ、妖達が来る。結界を食い破り、自分達を殺しにくるはずだ。

 そう思うと、街にいた人々は、混乱に陥る。

 逃げ惑う人々でごった返しとなり、我先にと言わんばかりの表情で走りだす。

 家の中にいた人々は戸を閉めようとするが、避難しようと次々に人が押し寄せてくる。

 あの賑やかな街の面影はどこにもない。

 まさに、地獄の光景と言ったところであろう。

 混乱しているのは、聖印寮の隊士達も同じであった。

 勝吏は、赤い月が浮かび上がったと報告を受け、真谷と共に本堂から飛びだすように外に出ていた。


「あ、赤い月が……」


「馬鹿な!赤い月の日まで、まだ、一週間あったはずだ!」


「予知が外れていたというのか……」


 勝吏は、あっけにとられたように呟き、空を見上げる。

 赤い月は、勝吏達を覆い尽くそうとしていた。

 赤い月が現れるのは、一週間後だと勝吏は報告を受けている。

 なぜなら、とある人物がそれを予知していたからだ。

 そのため、勝吏達は、赤い月の日に備えて、作戦会を開いていたところであった。

 それなのに、今、自分達の眼の前に赤い月が浮かび上がっている。

 予知が外れたのは、今までにない。初めての事だ。

 突然の事により、勝吏達は、呆然と立ち尽くしていた。


「あ、兄者!指示を!」


 真谷が我に返ったように勝吏に指示を求める。

 赤い月が浮かび上がった今、最善の策をとるしかない。

 この聖印京を守れるのは、自分達だけしかいないのだから。

 真谷に呼ばれた勝吏も我に返り、冷静さを取り戻した。


「……警護隊は、北聖地区を!討伐隊は、南聖地区へ向かえ!陰陽隊、密偵隊も全員、出動だ!必ず、聖印京を守るぞ!」


 勝吏は、指示を出し、真谷や他の隊士達も動き始めた。

 勝吏も、妖を迎え撃つために、宝刀を鞘から抜き、構えた。



 そんな状況の中、柚月と虎徹は、聖印門の前に出る。

 訓練の為に、見回りに出たのであった。

 これも、月読の指示だ。赤い月に備えての事なのであったが、運が悪い。

 まさか、予定よりもこんなにも早く、その日が訪れるとは虎徹さえも思ってもみなかったからだ。

 さすがの虎徹も予想外の出来事のようであり、舌を巻いた。

 

「まさか、こんなにも早く来るとはねぇ……。参ったなぁ……」


「し、師匠……」


 柚月は、血の染まったような月を見上げ、恐怖におびえ、体が震えている。

 柚月が、赤い月の日を体験するのは、三度目だ。だが、そのうちの二回は、屋敷にある安全な地下で隠れていた。

 それゆえに、今まで赤い月を見たことがなかった。

 こんなにも恐怖に感じたことはないだろう。

 自分は死ぬのではないかと不安に駆られていた。

 だが、虎徹は、優しく頭を撫でる。柚月から恐怖を拭い去るように。

 柚月は、虎徹の顔を見上げた。


「柚月、俺は、ここで妖共を食い止める。お前さんは、屋敷に戻れ」


「で、でも……」


「朧と椿を守れるのは、お前さんしかいないんだよ」


 実のところ、柚月も虎徹も知らない。

 椿が、妖と密会していたことで罪人としてとらえられているとは。

 だからこそ、虎徹は、柚月に託したのだ。朧と椿を守るようにと。

 柚月も二人を守れるのは自分しかいないと自覚した。

 椿は、今、妖と戦っているかもしれない。体が動かせない朧は、恐怖に怯えているかもしれない。

 そう思うと、柚月は、手に力を込める。恐怖を押しのけるように。


「……わかりました。師匠、必ず生きてください!」


「わかってるよ。お前さんの成長を見たいしな」


「はい!」


 柚月は、虎徹に背を向けて、走り始める。

 虎徹なら、生き延びてくれると信じて。

 恐怖で、今にも体が硬直しそうだ。だが、立ち止まっているわけにはいかない。

 朧と椿を守りに行くために、ひたすら走り続けた。

 だが、この時の柚月は、まだ、気付いていない。

 この後、残酷な現実が待っていようとは……。


「さて、どうやって、切り抜けようか」


 虎徹は、生里を鞘から抜いて、構える。

 妖達は地上と上空から一斉に進み始めている。

 目指す場所はただ一つ。聖印京だ。

 地上にいる妖達は、聖印門へと到達しそうだ。

 突然の事により、門を閉めようにも間に合わない。

 もう、迎え撃つしかなかった。

 妖達は一斉に突入し、虎徹も妖に向かっていった。



 何も知らない椿は、牢の中にいた。たった一人で……。


「……誰もいない。赤い月が出たのかしら……」


 つい先ほどまで椿を監視していた密偵隊の姿は見えない。誰一人。

 その状況を見た椿は察してしまった。赤い月が浮かんだのだと。

 もうすぐ、天鬼が、ここを訪れる。きっと、自分を探すであろう。

 天鬼のことだ。自分がここにいる事を見抜くであろう。

 そうなれば、自分は終わりだ。憑依されて、死んでいく。

 そう予想していた椿であったが、恐怖に怯えていなかった。むしろ、呆然と前を見ていた。


――もう、どうでもいい。誰にも分ってもらえないんだから……。


 椿は、あきらめ、絶望していた。

 自分と九十九の事をわかってもらえなかった。

 たとえ、生き延びたとしても、裁判が開かれる。どちらにしろ、椿が無事でいられるはずがない。

 そう思うと、力が入らなかった。


――九十九に会えないのなら……こんな世界、全部。


 やがて、黒い感情が椿を覆い尽くす。

 全てに対して、憤りを感じている。自分でも消せないほどの真っ黒な感情は、椿をさらなる絶望へと陥れた。


「消えちゃえばいいのよ」


 椿は、呟いてしまう。

 もはや、自分のこの感情を抑えることのできない。いっそ滅んでしまえばいい。自分と共に。

 椿は、涙を流す余力すら残っていなかった。

 そんな時であった。


「絶望したか。哀れな人間だ」


「!」


 声が聞こえ、椿は顔を上げる。

 目の前に現れたのは、金色の髪と瞳と長細い鋭利な角が特徴的な男。妖だ。それも、最強と言われた鬼族の。

 足音もしていないはずなのに、どうやって来たというのだろうか。だが、問題なのは、そこではない。

 彼を目にした時、椿は、悟ってしまった。

 目の前にいる妖が何者なのかを……。


「お前は……天鬼?」


「いかにも」


 椿の問いに天鬼は、答え、手刀で格子を斬り落とした。

 あれほど、頑丈であった格子の一部が、無残にも床に落ちる。それも、鋭利な刃物となって。

 手刀だけで、あの格子を斬り落としたというのか。まさか、天鬼が、これほどまでに、強かったとは、思ってもみなかったであろう。

 椿は、あっけにとられているが、天鬼は、容赦なく椿に迫った。


「貴様を求めていた。全てを手に入れるために!」


 天鬼は、椿に触れようとする。

 だが、椿は、聖印能力を発動し、椿の花が、椿を守るように、天鬼の行く手を阻む。

 その隙に、椿は、床に落ちていた切り取られた格子を喉にさそうとする。

 自害しようとしたのだ。

 だが、天鬼が、椿の花を手刀で、斬り落とし、その鋭利な刃物となった格子を握りしめる。椿は、止められてしまった。

 天鬼の手から血が流れた。


「自ら命を絶とうとしたか。だが、させぬぞ。私は、この時を待っていたのからな」


 天鬼は、強引にその格子を椿の手から放し、床にたたきつける。

 からんと音を立てた格子は、椿から遠ざかっていた。

 天鬼は、椿の首を絞め始めた。


「い、嫌……」


 椿は、首を横に振る。

 恐怖に怯えているようだ。体中が震えあがっているのがわかる。

 天鬼は椿に憑依しようとしている。もはや、逃げる術はない。


「抵抗しても無駄だ。我らの礎となるがいい!」


 天鬼は、妖気を椿に送り込んだ。


「あああああああああっ!!!」


 椿の絶叫が、牢屋に響き渡った。



 九十九は、聖印京へと侵入し、足早に駆け抜けていく。

 隊士達が、九十九の姿を目撃しても、気にも留めない。

 九十九が、目指している場所は、ただ一つなのだから。


「椿……」


 九十九は、椿を救出しに、聖印京へ侵入したのだ。

 たとえ、自分の身がどうなろうと、それすらもどうでもいい。

 ただ、椿に会いたい。会って、無事を確かめたい。

 天鬼が、椿をとらえる前に。椿が、誰かに殺される前に。

 焦燥をかられた九十九は、周りに目もくれず、走り続ける。

 だが、その時だった。


「!」


 九十九の眼の前で、何かが爆発した。

 九十九は、かろうじてよけたため、無傷であった。何が起こったのか、九十九は、予測した。おそらく、陰陽術だ。それも、殺気の塊の。

 九十九は、ここでようやく、誰かに気付かれたと察したのであった。

 そして、彼の前に現れたのは、意外な人物であった。

 

「妖め。ここは、通さぬぞ」


 なんと、九十九の行く手を阻んだのは、勝吏と警護隊の隊士達だ。

 勝吏は、形相の顔で、九十九をにらみ、宝刀を鞘から抜いた。

 彼は、九十九を殺そうとしている。

 もはや、逃げ切ることは不可能のようだ。


「ちっ!」


 九十九は、明枇を抜こうとするが、突然勝吏が、九十九に斬りかかる。

 瞬時に反応した九十九は、素早く明枇を抜き、攻撃を防いだ。

 このまま強引に前に進もうとするが、勝吏はそうはさせまいと、九十九の襟をつかもうとする。

 九十九は、とっさに後退したが、隊士達が放った陰陽術が九十九を追尾していく。九十九はよけることができず、陰陽術が九十九に迫った。

 その瞬間、九十九の周りで何度も爆発が起こり、九十九は、片膝をつく。

 体中が焼け焦げている。

 それでも、立ち止まってなどいられない。

 椿を助けたいという衝動に駆られた九十九は、勝吏達をにらんで構えた。


「貴様のせいで、椿は!」


 勝吏は、吼えるように九十九に斬りかかる。

 彼は知っていたのだ。目の前にいる妖狐が、四天王の一人であり、椿の運命を狂わせた妖だということに。

 この妖狐さえいなければ、椿は、あんなことにならなかった。

 こんな悲劇に見舞われることなどなかったであろうと。

 そう思うと、妖狐への憎悪は止まらない。刺し違えてでも、九十九を殺すつもりであった。

 だが、突然の事だった。勝吏と九十九の前に、妖達が現れたのは。

 二人は、とっさに、後退し、妖達と距離を置いた。


「あ、妖!」


「呼ばれてしまったか」


 九十九が、援軍を呼んだと勝吏達は、思っているようだ。

 だが、予想外の出来事が起こった。

 妖達は、自分達に背を向けて、九十九に襲い掛かったのだ。


「なんだ?」

 

 異様な光景を目の当たりにした勝吏達は、目を見開いて驚く。

 妖達は、人間である自分達に見向きもせず、九十九に襲い掛かっている。

 狙いは、自分達ではないようだ。


――妖狐を殺そうとしているのか?


 勝吏は、この状況を悟った。

 この妖達は、九十九を殺そうとしていると。

 九十九は、妖達を斬り殺していくが、斬っても斬っても、妖達は現れ、キリがなかった。


「くそっ!」


 九十九は、思いのほか苦戦しているようだ。

 妖達は、一斉に取り囲むように、九十九に向かって突進し始めた。


「どけぇえええええっ!」


 九十九は、感情任せに叫んで、九尾の炎を発動する。

 白銀の炎は、九十九の周りにいた妖達を燃やし尽くし、さらには、勝吏にまで迫ってきていた。


「っ!」


「大将様!」


 白銀の炎は、勝吏達を燃やし、視界を遮る。

 白銀の炎に包まれた勝吏達は、その身を防ごうと腕を前に出して構えた。

 だが、勝吏はあることに気付いた。熱さを感じないのだ。

 白銀の炎は、確かに、勝吏達を覆い尽くしてはいるようだが、実際には燃やしていない。

 なぜ、なのか。勝吏には、理解ができなかった。

 白銀の炎が、一瞬にして消え去るり、視界を取り戻した勝吏達。

 だが、目の前にいたのは、灰となった妖達だけであり、九十九の姿はなかった。

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