第七十九話 黒い血の意味

 朧は、目の前で起きている事態が飲みこめていなかった。

 彼らに何が起こったというのか……。

 

「は、春風さん?」


――こいつ、乗っ取られてるのか?乗っ取ってる妖は……まさか……。


 春風は、ふと笑みをこぼす。

 九十九は気付いてしまった。春風が妖に乗っ取られていることを、そして、乗っ取っている妖が誰なのかを。

 春風は、朧を追い詰めるように、残酷な現実をつきつけた。


「まだ、気付いてないようだね。僕を覚えてる?朧」


 春風は、妖気を放つ。まがまがしく、冷たい妖気を……。

 朧は、春風が奈鬼と重なって見えた。

 ようやく気付いた。春風は乗っ取られているのだ。それも、奈鬼に。


「まさか、奈鬼?奈鬼が、春風さんの体を乗っ取ってるの?」


「そうだよ。でも、彼は僕を受け入れてくれたんだ」


 春風……いや、春風と奈鬼は、体を震わせる。

 怒りではない、喜びに満ちているようだ。

 彼らを見た朧は、背筋に悪寒が走る。

 九十九は二人を警戒した。

 二人は、天を仰ぐように、空を見上げる。

 その顔は、狂気で満たされていた。


「知らなかったよ。人を殺すのって、こんなにもきれいで残酷なんだね。今までにないくらい、心地がいいよ!」


「じゃ、じゃあ、討伐隊の人を殺したのは……」


「僕だよ。僕が殺したんだ。そして、真純も宗康も綾女も。みーんな僕がね!」


 二人は、笑みを浮かべる。狂気の笑みだ。

 まるで、天鬼のようだ。

 真実を知った朧は、愕然とさせられた。

 奈鬼を信じていた。奈鬼は、人を殺すはずがないと。

 だが、討伐隊も真純達も奈鬼が、殺してしまった。

 なぜなのか、見当もつかない。理解できなかった。


「なんで、なんでそんなこと!」


「人間は、醜いからだよ、朧」


 二人は、朧をにらむ。憎しみをぶつけるかのように。

 今まで抑えてきた感情をさらけ出すかのように。

 その目は、とても冷たく、残酷な色をしているように見えた。


「欲望のためなら、人は妖を殺すんだ。そして、朧、君も欲望にまみれてる」


「違う……」


 朧は、首を横に振って否定するが、二人は容赦なく話を続けた。


「君は、自分の欲望の為に、九十九を、柚月様を、騙したんだ」


「違う!」


 朧は、首を横に振って全身で彼らの言葉を否定する。

 朧は、柚月と九十九を騙したつもりなどない。

 それを二人に伝えたかったが、二人には届かなかった。


「僕は、誰かを騙そうだなんて思ってない!」


「でも、二人は君の側にいる。君は、僕たちから二人を奪って、手に入れた」


「え?」


「……」


 反論していた朧は、驚く。

 柚月と九十九を春風と奈鬼から奪ったつもりなどない。

 だが、春風と奈鬼にとっては、柚月と九十九は、憧れの人物であり、慕ってきた。

 ずっと、側にいてくれたのに、今は、いない。

 柚月と九十九は、朧のそばに行ってしまったのだ。

 彼らは、朧が二人を奪ったと思っているのだろう。

 彼らの本心を知った朧は、何も言えず、黙っていた。

 衝撃を受けているようだ。自分は、そう思われていたのだと。

 九十九は、反論したかったが、譲鴛がいるため、何も言えない状態であった。

 

「大切な人を僕たちから奪い取ったくせに、まだ、違うというのか!」


 朧は、何も言えなかった。

 彼らを変えてしまったのは、自分だ。自分のせいで二人は、変わってしまったんだとそう思い込んでいる。

 自分を責めてしまったのだ。

 朧を追い込んだ春風と奈鬼は、構えた。


「もう、終わりにしよう。君を殺せば、僕たちの大切な人は、戻ってくる。全てが元に戻るんだ」


 二人は、朧の元へ向かっていった。

 形相の顔で。朧を殺すために。


「朧様!」


 譲鴛は、朧を助けようと起き上がるが、激痛で動けない。

 朧は、ただ、黙って立ち尽くしていた。

 二人の攻撃を受け入れるように。二人を変えてしまった罰を受け入れるかのように。

 鋭利な爪は、朧の首をとらえようとしていた。


――……ち。


 突然、立ち尽くしていた朧が二人の攻撃をギリギリのところで、よけて腕をつかんだ。


「!」


「黙って聞いてりゃ、好き放題嫌がって。いい加減にしろよ、てめぇら」


 九十九が朧の体を借りていた。

 そのおかげで、朧は助かったのだ。

 突然、入れ替わったため、朧は驚いていた。


――九十九!


――朧、ここは、俺に任せろ。自分のけりは、自分でつける。


 朧は、二人の手を払いのける。

 二人は、後退するが、再び、狂気の笑みを浮かべている。

 九十九に会えたことを待ちわびていたかのように。


「ははっ!やっとだ!やっと会えたね、九十九!会いたかったんだよ!」


 奈鬼にとってようやくなのだろう。

 九十九と五年ぶりの再会を果たした。

 だが、奈鬼の望んでいた再会とは程遠いだろう。

 奈鬼は、壊れてしまったからだ。人間の醜さに絶望し、追い詰められて。

 笑っている二人を九十九は、朧の目を通して、にらんだ。


――九十九?朧様が飼っていた狐のことか?どういうことだ?


 譲鴛は事態が飲みこめていない。

 朧の事を九十九と呼んでいたからだ。しかも、九十九は朧が飼っていた狐。

 彼らが言う九十九は、狐と同一なのであろうか。それとも、別なのか……。

 どちらにしても、なぜ、彼らは九十九と呼ぶのか。譲鴛には理解できなかった。

 譲鴛は、真実を知るために、朧をじっと見るのだが、あることに気付いた。

 それは、今までいたはずの九十九の姿が見当たらなかったことだった。


――いない?なぜ……?


 譲鴛は、周辺を見回すが、九十九の姿はない。

 柚月達を呼びに行ったのだろうか。それとも……。

 別の答えが浮かんだ譲鴛であったが、強引に否定した。

 そんなことがあるはずがない。あの九十九が、妖であるなど。

 もし、そうだとしたら、柚月達は、自分達を騙していたことになる。

 あんなに妖を憎んでいた柚月が妖を受け入れるはずがない。それだけは絶対にあるはずがない。

 譲鴛は、柚月を信じた。


「奈鬼、何してやがる」


「僕たちは、僕たちの願いを叶えるために、やってるだけだよ?」


「そのために人を殺したって言うのか!」


「それが、妖なんだよ!」


 朧は、奈鬼に対して、怒りをぶつけるが、奈鬼は反論する。

 朧に怒りをぶつけるかのように。


「僕達妖は、人を殺して生きることで意味を成す。やっとわかったんだ。どうして、今まで人を殺さなかったんだろう」


 奈鬼は、後悔していた。

 今まで怯えて、逃げてきたことに。人間を殺さなかったことに。

 奈鬼は、人間を殺せなかった。命を奪うのが怖かったのだ。

 だが、人間を殺したことで、快楽を覚えてしまった。悲鳴の声は、全てを忘れさせてくれる。肉を切り裂いた感触は、命を奪っていると実感させられる。飛び散る血しぶきは、空っぽだった心を欲望で満たしてくれる。

 今まで、味わえなかった感情だ。これが妖の本能だ。

 もっと早くこうすればよかったと奈鬼は、残念に思っている。

 九十九は、それが悲しかった。朧の事を思うと。


「朧は、お前の事をいい妖だって、思って……」


「うん、言ってくれたね。でも、それも、全部うそなんだよ」


「嘘じゃねぇ、こいつは……」


「まだ、わからないのか!」


 朧をかばう九十九に対して、苛立ちを覚えた二人は、朧に向かって爪を振り下ろす。


「ちっ」


 朧は、ギリギリのところを交わして後退する。

 二人は、冷たい目で朧をにらんでいた。

 まるで軽蔑するかのように。


「失望したよ、九十九。昔の君ならわかってくれたのに。やっぱり、そいつのせいだ。そいつは、殺さなきゃ」


 二人は、朧に襲い掛かる。

 朧は、よけるが、それでも二人の攻撃は、止まらない。

 ただ、朧は、よけるしかなかった。

 譲鴛は、目を見開いて驚いていた。

 朧の動きは、彼の動きとは違う。まるで、別人のようだ。

 誰かが、朧の体を動かしているように見える。

 そう感じた譲鴛は、否定していた考えが浮かび始めてしまった。

 九十九の正体は、妖なのでは、と。

 朧は、かわし続けていたが、次第に追い詰められていった。


――早く、しねぇと融合が始まっちまう!そうなったら取り返しがつかねぇ!


 九十九は、焦っていた。

 早く、奈鬼を引きはがさないと融合が始まる。そうなると、引きはがすことはできない。春風は完全な妖となってしまう。奈鬼だって元に戻ることができない。

 引きはがすには今しかないのだが、予想以上の速さのため、隙を作ることができなかった。

 だが、今の朧の調子はよくない。これ以上体を使い続けたら、彼の命も危険にさらしてしまうであろう。

 朧を守るためとは言え、体を借りることは、最善の策ではないと九十九もわかっている。

 仕方がないと感じた九十九は、朧の体を借りて、蹴りを入れる。

 二人は、吹き飛ばされた。本当は傷つけたくはなかった。朧のためにも。

 だが、時間はなかった。

 二人を吹き飛ばしたことで隙が生まれた。


――今だ!


 朧は、二人の頭をつかむ。

 九十九が妖気を注ぐことによって、無理やり拒否反応を起こさせ、春風から奈鬼を引きはがそうと試みたのだ。

 だが、その時だ。


「!」


 朧は、体を硬直させ、後退させた。

 突然の事で、二人は、何が起こったのか、わからなかった。

 朧は、苦悶の表情を浮かばせ、額に汗をかいた。


「ごほっ!ごほっ!がはっ!」


 朧は、咳をする。

 今まで以上にひどく苦しそうだ。

 何度も咳をした時、朧は自分の手を見て、驚愕していた。

 それは、九十九も同様であった。


――黒い……血?


 朧の手には、黒い血が吐かれていた。

 真っ黒な闇のような血。それは、単なる病気ではないことを意味していた。


――まさか、そんなはず……ねぇ……呪いは、俺が……。


――九十九……。


 九十九は、気付いてしまう。

 呪いは、再び発動されてしまっていたのだと。

 朧も、同様に気付いてしまった。

 九十九によって消されたはずの呪いが、なぜ、再び発動されてしまったのかと。呪いを完全に消していなかったのかと。

 九十九は、動揺し、呪いが朧の体を蝕んだため、動けなかった。

 そんな朧の前に、二人は、容赦なく立ちはだかった。


「それで、僕たちを倒せると思った?やっぱり、もう昔の九十九じゃないんだね」


「奈鬼……」


 朧は、二人を見上げるが、それが精一杯だ。

 抵抗する気力も、よける気力も残っていない。

 とうに限界を超えていたのだ。

 二人は、構える。

 今度こそ、朧の命を奪うために。


「今、解放してあげるよ」


 二人は、容赦なく鋭利な爪で朧の体を引き裂こうと振り下ろす。

 爪は、真っ直ぐに朧をとらえようとしていた。

 だが、その時だった。


「!」


 その場にいた全員が、驚愕し、体を硬直させた。

 なんと、柚月が朧の前に立っている。

 それも、腕で防いだのだ。

 腕から血が滴り落ちた。


「柚月……」


 柚月は、にらむように二人を見ていた。

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