第七十七話 憧れていた彼は程遠く
討伐隊が、鬼に襲撃され、殺された。
柚月達が月読からそう聞かされたのは次の日の朝の事だった。
衝撃の事実に柚月達は、困惑を隠せなかった。
「え?」
「それは、本当なのですか?母上」
「そうだ。靜美山で、殺されたらしい。逃げてきた隊士がそう報告している」
「……」
その鬼と言うのは奈鬼なのだろうか。
だが、奈鬼が人を殺すはずがない。
彼の事を信じたい朧は、何も言えず、ただ黙っていた。
九十九も、朧を気遣い、心配していた。奈鬼の事で、動揺しているのではないかと。
「靜美山に逃げていたのね。でも、どうやって結界を……」
「わからぬ。相当、手ごわい妖と見て間違いなさそうだ」
「……その鬼はまだ靜美山にいるのでしょうか?」
綾姫の問いに月読はうなずく。
冷静に、静かに。
「おそらくな。陰陽隊が、三重に結界を張った。だが、逃げる可能性もある。討伐隊・第一部隊・第一班が、出動しているはずだ」
「譲鴛達がですか?」
柚月は、譲鴛達が出動していると聞いて驚く。
彼らは、昨日任務を終えたばかりだ。朝早くから出動したというのだろうか。
月読に命じられたからなのであろうか、それとも、懇願したからなのであろうか。
どちらにしても、譲鴛達なら行くというはずだ。なぜなら、この件に関して、責任を感じているに違いない。
自分を追い詰めてなければいいがと彼らの身を案じた。
「鬼を討伐したいと懇願してきた。取り逃がしたことを悔やんでいるのだろう」
「……」
柚月は黙ってしまう。
やはり、彼らは責任を感じているようだ。
だが、柚月達も同じだ。自分達も見逃していなければ、このようなことにはならなかったであろう。
そう思うと悔しさを抑えきれなかった。
「お前達もすぐ出立し、譲鴛達と合流しなさい」
「母上、一つだけ頼みたいことがあります」
「なんだ?」
「……朧を休ませてあげたいのです」
「え?」
柚月の懇願に朧は驚く。
自分も行くつもりであったからだ。
確かめなければならないことがあったから。
だが、柚月は朧の体調を優先した。
「最近、朧は調子がよくないみたいです。なので、今回は」
「いえ、僕も行きます!行かせてください!」
「朧!」
朧は、懇願する。
自分の体調の事はよくわかっている。柚月達に心配をさせたくないし、迷惑をかけたくない。
足手まといになるくらいなら残っていたであろう。
だが、今は、休んでいる場合ではなかった。
「朧君、今回は僕も賛同できないよ。万が一の事もある。僕もここに残るから、君は……」
「いえ、行かせてください!お願いします!」
景時も朧を制する。
医者として朧を行かせるわけにはいかなかった。
それは、柚月や景時だけではない。綾姫達も同じ気持ちだ。
そして、九十九も。朧には休んでてほしいと願うばかりであった。
だが、朧は頭を下げて懇願する。
なぜ、これほどまでに、行こうとしているのか、柚月達は理解できなかった。真実を知っている九十九を除いて。
月読も朧の病状は知っているため、柚月の懇願を受け入れるつもりであったが、これほどまでに、朧が懇願してきては、止めることは不可能と感じたのであろう。
月読は、観念したようにため息をついた。
「朧を連れていきなさい」
「母上!」
「朧は、止めても行くつもりだろう。だが、今回だけだ。今後の任務の同行は控えるように」
「はい」
月読に許可をもらえた朧は頭を上げたが、どこか浮かない顔だ。
朧は、奈鬼の事が心配でたまらなかった。
月読の話が終わった後、朧は、すぐに準備をしていた。早く、靜美山へ向かい真実を確かめるために。
念のため、景時が処方した薬を持っていくこととなった。
景時には気分が悪くなったらすぐに知らせるようにと言われている。
朧は、承諾し、必要なものを袋に入れた。
九十九は、朧を心配そうに見ていた。
「本当に、行くつもりか?」
「うん」
「……俺も、柚月達と同意見だ。お前、無理しすぎなんだよ」
「でも、奈鬼の事……ごほっ!ごほっ!」
朧は、言葉を詰まらせてしまい、咳をする。
本当に奈鬼が人を殺したのか。もし、殺してしまったのであれば、話を聞きたい。奈鬼は、自分の欲の為に人を殺す妖ではないと信じているから。
九十九は朧の背中をさすり、朧は息を整えた。
「僕は、奈鬼を信じたい。だから、僕も行かないと」
「わかった。けど、無理するなよ」
「うん」
朧は、強くうなずいた。
準備が整った柚月達は譲鴛達がいる靜美山へ向かった。
靜美山へ入ると、先に任務を開始していた譲鴛達の姿を発見することができた。
「譲鴛!」
「柚月!」
柚月達は、譲鴛達と無事に合流した。
譲鴛達の顔は神妙な面持ちのようだ。
やはり、昨日のことに関して責任を感じているのであろう。
「どうだ?」
「……見つからない。逃げた可能性もあるな」
「結界をすり抜けられるのか。厄介だな」
「今回は、二手に分かれて行動しようと思う。俺達討伐隊と特殊部隊に分かれてな」
「それは、危険じゃないか?」
二手に分かれて行動するということは、早く見つけられる可能性もあるが、同時に危険性も高まる。
柚月は、彼らの身に危険が迫ることを不安視していたのだが、譲鴛達の決意は固いようだった。
「早く見つけるにはそうした方がいい。野放しにしておくわけにはいかないだろ?」
「……わかった」
柚月は、承諾した。
本当は、反対したいところなのだが、譲鴛達のことを思うと彼らの意志を尊重すべきなのだろうと。
それに、譲鴛達は優秀だ。彼らの実力なら鬼を討伐してくれるかもしれない。
彼らならきっと。
柚月はそう自分に言い聞かせた。
柚月達は、二手に分かれて行動しようとした時、春風は意を決して柚月に話しかけた。
「……柚月様」
「春風、どうした?」
「少し、お話したいことがあります。二人だけで」
「皆がいたら、駄目なのか?」
「……その、言いにくくて」
「……わかった。皆、すまない。先に行っててくれ」
「ああ。春風、話が終わったら、戻ってこいよ」
「はい」
譲鴛達と綾姫達は、二手に分かれて行動し始める。
この場に残ったのは、柚月と春風だけとなった。
だが、異様な空気に包まれていた。事件が起こったからなのだろうか。それとも、春風がいつもと違った雰囲気だからだろうか。
彼は一体何を話すというのだろうか。柚月は、不安に駆られた。
「どうした?春風。話って何だ?」
「あの、実は……朧様の事で」
「朧の事か?」
「はい」
春風は、一度ためらったが、心を落ち着かせるように息をはき、静かに話し始めた。
「あの人食い妖の合同討伐の時、朧様は……鬼の妖を逃がしていました」
「え?」
柚月は、動揺する。
朧が、そのような事をするとは思えない。
確かに、朧は、妖であり、椿を殺した九十九を受け入れている。
だからと言って、鬼を逃がすとは到底思えない。
いや、たとえ逃がしたとしても、何か事情があるはずだ。
柚月は、そう思えてならなかった。
「それは、何かの間違いじゃ……」
「間違いじゃありません。この目で見たんです。それに、この前の任務も朧様が逃がしたと思います」
「まさか、朧がそんなことを……」
「でも、朧様は結界近くにいました。それに、一部分、結界を解いた形跡もありました」
昨日、春風は結界を見ていたのだが、あの時気付いていたのだ。
結界の一部が解かれていたことに。
そして、疑っていたのだ。朧が結界を解いて、鬼を逃がしたのではないかと。
もし、そうだとしたのなら、春風は朧に対して、怒りを覚えていた。朧のせいで、被害者が出たのだから。あの時、討伐していれば、このような事態には絶対にならなかったはずだ。
そう思うと怒りがこみあげてくる。だからこそ、柚月に話すべきだと春風は判断したのであった。
「今回の件は、朧様の軽はずみな行動が……」
「春風!」
怒りを抑えきれない春風は話を続けるが、柚月が声を荒げて制する。
春風は、驚き、身を硬直させてしまう。
彼の様子を見ていた柚月は、はっと我に返り、冷静さを取り戻した。
「……憶測で言わないほうがいい。それに、仮に朧が鬼を逃がしたとしても、もしかしたら、悪い妖じゃなかったかもしれない」
「どういう意味ですか?」
「知ってるんだ。いい妖もいるって」
「そんな妖がいるわけないじゃないですか!」
今度は、春風が声を荒げる。
いい妖がいるはずがない。
妖は、常に人間たちを襲い、殺してきた。
だから、自分達は戦ってきたのだ。
それなのに、柚月はなぜ、いい妖もいると言いだすのか、理解に苦しんだ。柚月の口からそんな言葉、聞きたくなかった。
「柚月様は、お忘れになられたのですか!椿様を妖に殺されたことを!」
春風は、柚月に詰め寄る。
言ってはいけないことを口にしてしまったのだ。
柚月の過去の傷をえぐるようなことを……。
だが、春風は止められなかった。
「僕は忘れたことはありません。家族を妖に殺されたことを……。だから、僕は討伐隊に入ったんです」
春風は、こぶしを握り、体を震わせる。
幼い頃、春風は妖に両親を殺され、天涯孤独の身となってしまった。
それ以来、春風は妖を憎み、両親の仇を取るために、陰陽術を習得し、聖印寮の一般隊士となったのだ。
より多くの妖を討伐するため、討伐隊に入り、同じ志を持つ柚月に憧れ、慕ってきた。
だが、今、目の前にいるのは、以前のような柚月ではない。
彼は、変わってしまったのだ。
そう思うと、春風は、落胆した。絶望するほどに。
「……柚月様には失望しました。僕よりも朧様を信じるんですね」
「そういうわけじゃ……」
「失礼します!」
もう、これ以上、柚月の言葉を聞きたくなかったのであろう。
柚月の話を遮り、春風は、逃げるように走っていった。
柚月は、呆然と立ち尽くしたままであった。
春風の気持ちもわかっている。だが、本当にいい妖がいることも事実だ。
その言葉は、春風には届かなかった。
春風は、柚月から遠ざかっていってしまった。
春風は、息を切らして立ち止まる。
いつの間にか、涙がこぼれた。
あれほど憧れ、慕っていた柚月が、変わってしまったからだ。
自分よりも弟の朧を信じた柚月に失望し、悔しさをにじませた。
「どうして、柚月様は……。あんな言葉、聞きたくなかった」
あれほど、憎んでいたのになぜと問いかけると疑問だけが残る。
春風は、答えを出せない。思い浮かぶのは、楽しそうに話している柚月と朧の光景だ。自分を差し置いて……。
「朧……彼のせいなのかな。あの人が柚月様を……。だから、かばったの?」
柚月が変わったのは朧のせいだと考えた。
朧と行動する前は、柚月は妖を憎んでいたからだ。
あんなふうに変わったのは、朧のせいだ。
そう思うと、抑えてきた醜い感情があふれ出てしまっていた。
「あいつさえ、いなければ、柚月様は……」
春風は、こぶしを握りしめる。
朧に対して殺意が芽生えた瞬間だった。
「人間って醜いね」
「!」
声がして、春風は、驚愕する。
彼の目の前に現れたのは、なんと、奈鬼であった。
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