第七十六話 そして、血に染まる

 再び奈鬼と再会した朧。

 五年ぶりに奈鬼と再会した九十九であったが奈鬼は、九十九の存在に気付いていないようであった。

 奈鬼は、おびえながらも朧をにらんでいる。

 警戒しているようだ。


「お前の仕業なのか?」


「え?」


「お前が、僕の居場所を……」


「違うよ!違う、僕は……」


「聞きたくない!」


 奈鬼は、しゃがみ込み、目をキュッと閉じて、手で耳を押さえる。朧の事を拒絶するかのように。

 信じかけていた心が、再び遠ざかってしまったようだ。

 朧と出会ったその次の日に陰陽隊と遭遇してしまった。奈鬼は、朧が話したのではないかと疑ってしまったのだろう。

 そんな奈鬼の手に朧は優しく触れる。

 奈鬼はこわばって力が入るが、朧は強引に引き離そうとしない。

 ただ、優しく触れているだけだ。

 優しさが伝わったのか、奈鬼は手を放し、朧の顔を見る。

 朧は、穏やかな顔で奈鬼を見守るように見ていた。


「僕を信じて。奈鬼」


「……わかった」


 奈鬼は、朧の優しさを受け入れ、立ち上がる。

 九十九も安堵したのか、息を吐いたのであった。彼らには気付かれないように。


「行こう」


「え?」


 奈鬼は驚く。

 朧は行こうと言うが、どこへ行こうというのだろうか。この逃げ場のない森の中に出口などあるはずがないのに。


「どこに?」


「君は、ここから逃げるんだ」


 朧の言葉を聞いた奈鬼は目を見開く。

 逃げられるはずがない。結界が張ってあるのにどうやって逃げるというんだ。

 そんな疑問ばかりが浮かぶ。

 彼はどうやって自分を逃がそうというのか、奈鬼には理解できなかった。


「ここ、結界が張ってあるところじゃないか。僕は抜けられないぞ」


「大丈夫。待ってて」


 朧は、陰陽術を発動する。

 すると、結界の一部が解かれ、外に出られるようになった。

 小さな小さな穴が開いたように。


「結界が……」


「一時的だし、気付かれるとまずいからこれくらいの大きさしか開けられないけど。奈鬼なら逃げられるでしょ?」


「……なんで?」


 なぜ、何度も自分を助けてくれるのであろう。

 これは、朧にとって良くないはずだ。この事が知れ渡れば、朧だってどうなるか、目に見えている。無事で済むはずがない。

 奈鬼は疑問が生まれるばかりだ。答えは一向に浮かびあがらない。

 奈鬼の問いに対して、朧は答えた。


「言ったでしょ?いい妖もいるって知ってるって」


「けど、そんなことをしたら、お前が……」


「いいよ」


「え?」


「何とかするから」


 朧は、満面の笑みで答える。

 そんなことできるはずがない。何とかなるはずがない。だが、朧の精一杯の答えなのだろう。

 奈鬼は、受け入れることを決意した。


「……ごめん。朧」


 奈鬼は、穴をくぐって逃げる。

 ただ、ひたすら遠くへ。

 奈鬼は、涙を流した。これは朧にとって良くないが、それでも、奈鬼を助けようとしてくれた朧の優しさが、彼に伝わった瞬間であった。



 奈鬼を見送った朧はすぐに結界を閉じた。誰にも気付かれないように。

 朧と奈鬼のやり取りを見守っていた九十九は申し訳なさそうな顔で朧を見ていた。


「わりぃな、朧」


「ううん。大丈夫」


「でも、なんで、あいつを助けてくれたんだ?」


「……怯えてたから」


「え?」


「怯えてたんだ。殺気も感じられなかった。だから、助けたくなったんだ」


「お前って変な奴」


 九十九は改めてそう思った。

 朧は昔からそうだ。自分のこともすんなり受け入れて、友のように語りかけてくる。

 九十九はそれが不思議でならなかった。なぜ、なのかと聞いたこともある。その理由は、殺気を感じないから。自分を助けてくれるからという答えだった。

 いくらなんでも、それだけで受け入れられるはずがない。柚月達のように恨まれることの方が多い。

 朧はまるで自分達を同じ人間のように扱ってくれる。正直、一緒にするなと言いたいところではあるが、朧の優しさは、心地がいい。

 不思議ではあったが、九十九もすんなり受け入れられたのであった。

 朧と九十九は柚月達の元へ戻ろうとした。

 だが、足音が聞こえてくる。もう見つかってしまったのだろうか。

 いったい誰か来るのかと朧達は、待ち受けたのだが、それは二人も予想しなかった人物が現れた。


「朧様!」


「春風さん!」


 なんと、朧たちの元へ現れたのは春風だ。

 なぜ、彼がと聞きたいところではあったが、先に春風に質問されてしまった。


「なぜ、ここに?」


「あ、うん。鬼を探してて、でも見つからなかったんだ」


「……そうですか。あまり、一人で動かないほうがいいですよ。柚月様が心配なされます」


「そうだね……。ごめん」


 朧は謝罪する。

 とりあえずは春風に気付かれていないようだ。

 春風は、ちらりと結界を見るが、結界は張られたままであった。


「参りましょう」


「うん」


 朧と春風は歩き始める。

 しかし……。


「……」


 春風は、朧を見ている。その目は彼を疑っているようであった。



 朧達は柚月達と合流した。

 柚月には怒られてしまった。心配していたようだ。額に汗をかいている。

 奈鬼を助けるためとは言え、悪いことをしてしまったと気付いた朧は春風の代わりに謝罪する。

 自分が悪いのだと春風は自分を探してくれたのだと。

 柚月は、絶対に離れないようにと注意を促し、朧達は、うなずく。

 柚月達は、再び、鬼の探索を再開した。



 結局、柚月達は鬼を見つけることができなかった。

 時間だけが過ぎ、日が暮れてしまった。

 彼らは、散らばって探したりもしたが、それでも鬼の姿を発見することはできず、とうとう捜索をいったん、やめ、聖印京に戻ることになった。



 夕食を共にした柚月達であったが、やはり、納得してないようだ。

 結界が張ってあるということは捕まえたも同然。逃げられるはずがない。見逃すはずもない。それなのに、今回は見つけられなかった。

 これは、一体どういうことなのだろうか。


「鬼を見つけられなかったな」


「変ね。結界は張ってあったはずなのに」


「そうですね。すり抜けたのでしょうか?」


 鬼を見つけられなかった原因は、すり抜けてもう森にはいないのかもしれないという結論が出てきた。

 それを聞いた朧はどきっとするが、彼らに気付かれないように、平然を装う。

 この話が早く終わってほしいと願うばかりであった。


「九十九君、そういう妖っているの?」


「さあな。けど、俺みたいな妖もいるかもしれねぇな」


「そうなんだな。となると討伐するのに時間がかかりそうだな」


 透馬が背伸びをして、話す。

 鬼を討伐するには、簡単ではないからであろう。本当は今日、討伐したかったのだが、それもできなかった。

 見つからない理由もわからない。捜索は行き詰まりであると言えるだろう。

 真実を知っている朧は、何も言えずただ黙っているだけであった。


「……」


「朧君、大丈夫?」


 景時は、朧の様子を見ていたため、尋ねる。

 顔色の調子がよくないみたいだ。

 何も知らない景時は、咳のせいだろうと考えていた。

 景時に尋ねられた朧は、はっと我に返った。


「あ、いえ、いただきます」


「無理しちゃ駄目だよ~。あまり、調子よくないみたいだし」


「はい」


 朧は笑って答えるが、無理しているように見える。

 柚月達は、朧が日に日に調子が悪くなっていることには気付いており、心配していた。

 朧は、奈鬼の事が頭から離れない。

 奈鬼が聖印京から遠く離れた場所へ逃げてくれることを願っていた。



 夕空から夜空へと変わった頃、奈鬼は、ある場所に来ていた。


「何とか逃げ切れた」


 その場所は、靜美塔が見える場所、靜美山だ。

 ここは、九十九との思い出がある場所でもある。

 奈鬼は、この靜美山で、人間に襲われ、殺されかけそうになったが、九十九が、助けてくれたのだ。

 それ以来、奈鬼は九十九を慕ってきたが、何度も冷たくされた。それでも、あの九十九の背中は忘れられない。強くて優しい九十九の背中を……。


――靜美山なら、大丈夫かな。隠れられそうなところは知ってるし……。


 天鬼が地獄へ行く日まで奈鬼もこの靜美塔にいた。

 そのため、靜美山の事はだいたい把握している。隠れる場所も逃げ道も。

 ここなら、やり過ごすことができるであろうと


「いい人間もいるんだな」


 奈鬼は、昼間の事を思いだす。

 自分を逃がしてくれた朧の事を……。

 だが、ふと思いだしたのは九十九の事だ。

 九十九は今どうしているのだろうと……。


――九十九、どこにいるんだろう。早く会いたいよ……。


 奈鬼が何度も危険な目にあっても天鬼の元へ帰らないのは九十九に会いたいからであった。

 最初は、自分が説得して九十九を連れ戻そうと考えていた。

 だが、今は、朧と出会い、優しさにふれ、九十九を連れ戻すのはやめた。

 彼のような人間がいるのなら、九十九も大丈夫であろうと。

 だから、せめて一度だけ、会いたい。会って、九十九の無事を確かめたいと考えていた。

 だが、その想いは見事に壊されることとなってしまった。


「見つけたぞ!」


「!」


 人間に見つかってしまった奈鬼は、驚愕していた。

 それも、討伐隊だ。

 奈鬼を見るなり、彼らは宝器を取り出した。


「まさか、こんなところで鬼に出くわすとはな」


「こいつを討伐したら、俺ら昇格だよな?」


「あったりまえだろ?こんな機会めったにない」


 彼らは奈鬼に迫ってくる。

 なぜ、いつもこんな目に合うのか。

 理由がわからない奈鬼は、疑問を投げかけた。


「どうして、何もしてないのに……」


「どうしてだって?決まってるじゃないか。妖はこの世に不必要なんだよ!」


「!」


「人を襲うだけの化け物が、生きてたって意味はないだろ?」


「そんな……」


 奈鬼は、愕然とする。

 自分達妖は、不必要であり、生きたって意味はない。そんな言葉をつきつけられ、衝撃を受けていた。

 確かに、妖は人間を襲ったかもしれない。

 だが、自分は、襲う気など一切ない。それでも、自分はこんな目に合わなければならないのであろうか。ただ、妖と言うだけで……。


「大丈夫だ。お前は殺されることに意味があるんだからな」


「え?」


「お前みたいな鬼を殺せたら、俺達は出世できるんだ。」


「悪く思うなよ。これも、俺達のためだ」


 奈鬼は、気付いてしまった。

 自分が殺される本当の理由は、不必要とか言うわけではない。人間の出世に利用されるからであった。

 そんなくだらないことの為に、命を奪われなければならないのか。

 人間とは、愚かで醜い生き物だ。

 奈鬼は、そう思いたかったが、否定する。朧の笑顔が浮かんだからであった。

 奈鬼は、何としてでも逃げることを決意する。生きるために。

 それでも、彼らは奈鬼を殺そうとしていた。

 その時であった。


――人間を殺せ。奈鬼。


――父さん!?


 頭の中で天鬼の声が響いてくる。

 奈鬼は、驚いていた。

 だが、天鬼は、奈鬼に残酷な言葉をつきつけた。


――これでわかったであろう。人間は醜い生き物だ。欲望の為に、我が同胞は殺された。さあ、殺せ。


――……できないよ。だって、悪い人間ばかりじゃない!いい人間だっているんだ!


 奈鬼は、天鬼の命令に背いた。

 こんなにも強く反発したのは初めてであろう。自分でも驚くほどだ。

 だが、奈鬼は人間を殺したくない。自分を助けてくれた朧の為に。

 天鬼は、奈鬼にさらに残酷な言葉をつきつけてきた。


――九十九が裏切ったのは小僧に騙されたからだ。


――え?そんなこと……。


――間違いではない。お前も、あの小僧に騙されている。


――違う、朧は……。


――なら、なぜ、お前はすぐ見つかる?あの森にいたことも、逃げたことも知っているのはあの小僧だけであろう。小僧はお前を騙している。自分の欲望の為に……。


――欲望……朧も……。


 奈鬼は、何も言い返せなかった。

 確かに、自分のことを知っているのは、朧だけだ。

 だが、朧は違うと否定したかったが、天鬼は、それをかき消すように惑わす。

 まるで催眠術にかけられたように。

 奈鬼は、朧が自分や九十九を騙しているのではないかと疑い始めてしまった。


――九十九は小僧に騙された。欲望のためにな。全てはあの小僧のせいだ。


「……」


――さあ、取り戻せ。そのために人間を殺せ。奈鬼。


「……そうだね」


 否定することに疲れ果ててしまったのであろう。

 奈鬼は、それほど、精神が擦り減らされていたのだ。天鬼の言葉に惑わされてしまうほど……。

 奈鬼は、こぶしを握りしめた。


「死ね!」


 とうとう、人間たちは、奈鬼を殺しにかかってくる。

 だが、奈鬼は、爪を伸ばし、一瞬にして人間の胴体を貫いた。


「がっ!」


 奈鬼は冷酷なまでに、人間から手を引く。

 人間はゆっくりと倒れ、目を開いたまま動かなくなった。

 初めて奈鬼が人間を殺してしまった瞬間であった。


「この化け物が!」


 彼らは次々に奈鬼に襲い掛かるが、奈鬼は次々と彼らを殺した。

 無残にも、まるで天鬼のように……。

 最後に男が一人生き残った状態となってしまった。

 奈鬼は、冷たい目をして、男をにらんでいた。


「ひ、ひぃ!」


 男が逃げ始めた。

 だが、奈鬼は、男を殺すことはせず立ち止まっていた。

 奈鬼の手は血に染まっていた。


 

 奈鬼の様子を天鬼は、奈鬼の目を通してうかがっていた。


「さて、どうする。九十九。奈鬼を殺せるか?」


 天鬼は不敵な笑みを浮かべていた。

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