第十二話 弟の親友、姉の仇
九十九は自分が殺した。衝撃の言葉を耳にした朧は、戸惑いを隠せない。
朧は、目を見開いて柚月に視線を向けた。
柚月は銀月を九十九に向けたまま、少しずつ九十九に近づいた。柚月の眼は、殺意を宿していた。
「に、兄さん、何を……」
「五年前、あの赤い月の日、俺はこの妖狐を殺した。この銀月で刺したはずなんだ。なのになぜ生きている!」
柚月は、思いだす。五年前、妖を銀月で刺した幼い自分を。激しい憎しみを宿した瞳に映ったのは、確かに九十九の姿であった。
だが、目の前に殺したはずの九十九がいる。今の現状をにわかには信じがたい。幻ではないかとも疑ったが、先の戦いで柚月は確信した。目の前にいるのは本物の九十九だと。それと同時に姉の仇を討てなかったのかと柚月は絶望に襲われそうになるが、九十九に殺意を向けることで絶望を抑え込んだ。
柚月は待った。自分の疑問に九十九がどう答えるのか。
「……ああ、確かに刺されたな。あれは痛かった」
「貴様!」
「兄さん、やめて!」
九十九はふっと笑みを込めて柚月に語りかける。だが、柚月が求めていた答えではない。ただ、挑発されただけであった。
九十九に挑発された柚月は怒りを抑えきれず、九十九に斬りかかろうするが、朧は、柚月の前に出て、両手を広げる。
朧を目にした柚月は、銀月を下し、九十九をかばう朧を問い詰めた。
「なぜ、止める!お前はこいつに騙されてるんだ!」
「兄さん、落ち着いてよ!」
なぜ、朧が九十九の肩を持つのか柚月にはわからない。
だが、朧は、ただ、必死で兄を止めようとしていた。
朧が止めようとも、柚月は怒りを抑えることができないほど九十九を憎んでいる。柚月はその理由を明らかにした。
「落着けるはずがないだろう!この男は、姉上を殺したんだ!」
柚月はさらに衝撃の言葉を口にする。彼の言葉を聞いても朧は、信じられずにいた。自分を守ってくれた九十九が姉を殺すはずがない。
柚月の勘違いだと信じたい朧は、九十九に助けを求めるように問いかける。
どうか、嘘であってほしい。何かの間違いであってほしいと。
「嘘だよね?九十九。九十九が姉さんを殺したなんて……」
朧は願う。違うと言ってほしいと。自分ではないと。
柚月を挑発した九十九は、顔色を変える。九十九はいつになく真剣な表情をしている。
柚月と朧はただただ九十九の答えを待つばかりであった。
「嘘ではない。五年前、俺はお前たちの姉、
九十九の言葉を聞いた途端、朧は愕然とし、柚月は憎悪を燃やして、九十九に迫ろうとした。
九十九が姉を殺したと聞かされても朧は依然として柚月の前に立ち、九十九をかばう。
「待って、兄さん!」
「どけぇ!」
守ろうとした朧を柚月は、怒り狂ったように叫び、押しのける。もはや彼は怒りにとらわれて鬼と化した様だった。
柚月は九十九を許せなかった。姉を殺したこと、朧を騙し続け、傷つけたことを。そして、九十九を殺しきれなかった自分自身も許せなかった。
柚月は、九十九に迫り、銀月を振り上げる。
九十九は、柚月の眼を真っ直ぐとらえ、構える。
朧は、二人の戦いを止めることができないのかと絶望した。
しかし……
「そこまでだ」
「!」
術が発動され、柚月は、光の縄に捕らえられてしまう。何が起こったのかもわからない柚月は、もがきながら術を発動したものを鬼のごとくにらみつける。
発動したのはなんと月読であった。
月読が、とらえたのは九十九ではなく柚月であった。
「母さん……?」
母親との約五年ぶりの再会に、朧は目を見開く。うれしいと言った様子ではない。会いに来なかった月読がなぜここにいるのかと。
朧に問いかけられても、月読は平然としたまま朧の眼を合わすことはしない。
月読が、自分に優しくするはずがないとわかっていながらも、心が痛んだ。やっと会えたのに……と。
月読が登場したのに対して、九十九はため息を吐いて、再び不敵な笑みを浮かべた。
「遅かったな、月読。こっちは、大変だったんだぜ?危うくお前の息子に殺されるところだったじゃねぇか」
「お前が挑発したんだろ。自業自得だ」
「母上……なぜ……」
柚月は、月読がしたことを今でも信じられない様子だ。真実を知らないのか、それとも何か知っているのか、柚月は問いかけようとするが、急に眠気が襲ってきた。
柚月は気付く。この術は自分をとらえ、眠らせるための術。陰陽術を習得する月読なら造作もないことだった。
「今は眠れ、時期に全てわかる。この妖狐が生きている理由も、ここにいることもな」
月読は冷酷なまま柚月を諭すように語りかける。柚月は、抵抗を試みるが、月読の術には逆らえない。柚月の瞼は閉じられ、完全に意識を失った。
幼い少年が、部屋の隅で泣いている。そんな少年に気付いた女性は、少年の隣に腰を下ろし、少年の頭を優しくなでた。
「どうしたの?柚月。また、お母様に叱られたの?」
「うん、銀月が使えなくて……」
柚月は幼いころから最高傑作と言われた銀月を託された。だが、その分扱いは難しい。柚月は、銀月を発動できるよう修行したが、一向に発動できる兆しは見えない。
弱音を吐いた柚月は月読に叱られ、落ち込んで泣いていたのであった。
「姉上……僕、聖印隊士になれないよ……。戦いたくない……。当主にだってなりたくない……」
「……そうね。戦わなくていい世であってほしいと思うわ。そうすれば、柚月だって自由になれる。でも、戦わずに逃げても、逃げられないこともあるの」
「じゃあ、僕は戦わないといけないの?」
柚月は、椿に問いかける。椿は戦わない世であってほしいという言葉は本心だ。柚月にも戦ってほしくない。大事な弟が怪我を負うところなど想像したくなかった。
だが、椿も柚月も戦わなくてはならない。聖印を持つ者ならば戦わなければならない。たとえ子供でも女であっても。聖印は、まさに自分たちに課せられた宿命なのだ。
椿もそれをわかっている。だからこそ、優しく厳しく柚月に語りかけた。冷酷な母親の代わりに。
「ええ、そうよ。私たちは戦う運命にある。でもね、柚月、これは神様に与えられた試練なの」
「試練?」
「そう。神様が与える試練は必ず乗り越えられる試練なのよ。だから、柚月は銀月を使えるようになるわ、必ずね」
「本当?」
柚月は半信半疑で椿に問いかける。柚月は椿の言葉を信じたい。だが、自身がない。こんな弱い自分が、強い銀月を扱えるなど想像できなかった。
不安に駆られた柚月を椿は背中を押すように励ました。
「本当よ。柚月なら大丈夫、ね?」
「……うん!」
椿は柚月に対して微笑みかけた。
柚月は椿に対して笑顔を見せる。この時、柚月は泣き止んでいた。
「……」
柚月は目を開ける。柚月の眼から涙がこぼれていた。どうやら夢を見ていたようだ。懐かしい夢。だが、もう二度と戻れない夢。会いたくてももう会えない姉・椿の夢を……。
「兄さん、目覚めたんだね!」
朧が顔を覗き込むようにして、柚月を見下ろす。柚月は涙をぬぐい起き上がったが、天鬼に刺された傷の痛みがうずく。
柚月は傷口を抑えた。
「っ……」
「駄目だよ、まだ、寝てないと!」
朧は、柚月を支える。柚月は、大丈夫だと朧の腕に優しく触れ、朧は柚月から距離を置く。
柚月は、あたりを見回すが、部屋の様子がいつもと違う。別の場所にいるようだ。柚月の目に映り込んだのは、白砂利が敷き詰められ、透き通った小さな池が見渡せる庭であった。
柚月がいる屋敷は幼いころよく椿と朧、三人で訪れた離れであった。
「そうか、ここは鳳城家の離れか……」
「うん、九十九が運んでくれたんだよ」
「あの妖狐が?なぜ?」
柚月を眉をひそめ、朧に問いただす。あの九十九に運ばれたと思うと自分が腹立たしい。朧は蛇に睨まれた蛙のように凍り付いてしまうが、恐る恐る柚月の問いに答えた。
「運べる人がいなかったんだ……。人を呼ぶわけにもいかないから……。ごめん、聞きたくなかったよね……」
朧は、うつむいてしまう。朧にとっては九十九は親友だが、柚月にとっては椿の仇だ。そんな九十九に助けられたなんて聞いたら怒るのも当然だ。自分は、なんと無神経なことをしてしまったのだろうと反省した。
そんな朧を見た柚月ははっとした。確かに、九十九に助けられたと知った時は怒りを覚えたが、朧を問い詰めるような真似をしていいわけがない。これは単なる八つ当たりだと。
柚月は、朧の頭を優しくなでた。
「すまないな。少し、混乱してしまったようだ。それより、朧、痛むところはないか?」
「うん、大丈夫!みんなが……助けてくれたおかげで……」
朧は言葉を濁すように話す。助けてくれたのは柚月と九十九だが、九十九という言葉を柚月の前で話してはいけないような気がした。
朧の心情を察した柚月は、朧を責めることはしなかった。
「朧、気にしなくていい。あの妖狐に命を救われたのは事実だ」
「うん……」
「……それで、あの妖狐は?」
「別の部屋にいる。母さんと一緒みたい。でも、安心して!九十九は何もしないよ。本当だから」
朧は、九十九をかばうように話すが、柚月は信じられずにいた。本当に危害を加えないとは言い切れない。
柚月は、朧を諭すように朧の肩に手を置いた。
「朧、あの妖狐に騙されてるんじゃないのか?本当に大丈夫なのか?朧は何もされてないのか?」
「大丈夫だよ!九十九は騙してないし、何もしてない!絶対に!」
朧は、真剣なまなざしで柚月に反論する。朧は怒っているようにも見えた。それほどまでに、九十九を信頼しているのだろう。だが、九十九は椿を殺したことは事実だ。本人も認めている。やはり、朧は九十九に騙されているようにしか思えなかった。
「朧、よく聞きなさい。あの妖狐は姉上を殺した妖だ。お前はあいつに騙されてるんだ」
「違うよ、僕は騙されてない!九十九は……」
「朧!」
「何をしている」
柚月と朧が言い争っている中、突如、凍り付いたような低い女性の声が部屋に響いた。部屋の前にいたのは氷の女帝・月読だ。
冷たい瞳が柚月と朧をとらえている。
二人は、我に返り、ただ黙るしかなかった。
「朧、柚月が目覚めたらすぐに報告するようにと言っただろう。なぜ、言いつけを守れない」
「ごめんなさい……」
月読に責められた朧は、うつむいて謝罪する。自分のせいで母親に責められてしまった朧を柚月はかばうように月読に訴えた。
「母上、朧が報告できなかったのは、私が朧にあの妖狐について質問をしていたからです。朧は何も……」
「言い訳など聞きたくない」
「……」
たちまち月読の冷酷な瞳が柚月をとらえる。これ以上何を言っても無駄なようだ。悔しいが、朧さえ守ることもできない。柚月は歯がゆさを感じていた。
部屋は静まり返り沈黙が続く。その沈黙を破ったのは月読だった。
「柚月、朧、ついて来なさい。九十九のことについて、話をする」
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