夏の章 茶道ガールと華道ガールのサイレント茶会 PART8
8.
「愛染さん、冗談きついよ。何いってんの! うける!」
無理やり笑おうとするが、顔は固まったままで真顔になる。
「冗談じゃない、っていったらどうする? 菊池君?」
突然鳴った花火の轟音が鮮明に聴こえる。今まで見てきたどの花火よりも大きく、全てを掻き消すような音を放ちながらも、頭の中では愛染さんの声だけが残っていく。
「あなたからは学ぶことが多いもの。私はあなたと一緒にいたいわ、駄目?」
「だ、駄目だよ。何いってるの。俺には花鈴が……」
花火の光が消え、彼女の姿は影に埋もれていく。
「花鈴さんがいても構わないわ。貴方が私に望むものがあるのなら、私はそれに応える。この体でできることなら、すべて。そのかわり私に書を教えて? 菊池君」
愛染さんの異常な覚悟に身をすくませる。どうしてそこまでストイックでいられるのかが全くわからない。
「字を教えることは付き合わなくてもできるよ。だから……」
「だから……適当に教えるということ?」
愛染さんの表情が険しくなる。灯りがない中でも、彼女の真剣さが俺の心を貫いていく。
「誰にでも教えることができるってことは、つまりそれだけのレベルのものになるわ。和の道は等価交換でなければ得られないのよ」
「等価交換? たとえ、俺に何のメリットがなくても全力を尽くすよ」
「ただより高いものはないのよ? 菊池君」
愛染さんはそういって体を寄せて来る。
「支払わなければ何も得られない。私はそういう風にして今の道を得てきたわ」
「そうだとしても……今の俺に愛染さんが認めて貰うような価値なんてないよ」
「あら? 価値を決めるのはいつだって、他人よ」
愛染さんは姿勢を正して胸に手をあてていう。
「創作したものは全て、自分の手を離れてから価値が生まれるわ。あなたが書いた書も、すでにあなたから離れているから価値がある」
何となくいいたいことはわかるが、腑に落ちない。愛染さんがオレのことを認めてくれていることは嬉しいが、バランスのとり方が曖昧だ。
「だからといって君の全てが欲しいとは思わない。俺は……君とそんな関係でいたくない。それに俺にだって君に教えることでメリットがある」
「何?」
きちんと思いが伝わるように愛染さんを見る。花火の光が灯り、彼女の表情が憂いを帯びながら見えていく。
「人に書を教えるという、書道家になれることだよ」
空咳をしてゆっくり言葉を述べていく。
「君がいるから、俺は字を教えることができる。教えることでわかることもたくさんあるんだ、曖昧にしていた所が鮮明に形になっていく感覚、これはやっぱり教えていかなきゃわからない。この感覚、愛染さんならわかってくれると思うけど……」
「……なるほど。そうね……。その感覚はわかるわ。でも……」
愛染さんの言葉を遮り言葉を続ける。
「オレの年で人にものを教えるのは未熟だとか、制約もあるんだよ。愛染さんにも生け花には資格があるんだろう?」
「ええ。昇段試験をクリアしないと人に教えることはできないわね」
「そうだろう? だから、オレは資格なしに人に教える経験が手に入る。だからこれは公平だ」
……この道に生きてきたからこそ、この感覚がある。
書の道は誰にでも平等に与えられるもので上下関係はない。才能を誇示するよりも迷い抜いた一字が明日を作っていく。抜け道なんてない、16年やってきてそれだけはわかっているつもりだ。
「じゃないと、俺は俺の字を書けないし、教えることができない。それじゃ駄目かな?」
「……そう。そこまでいうなら、仕方ないわね」
愛染さんは肩を落として頷いた。
「……あなたは本当に純粋で真面目なのね、わかったわ」
愛染さんの表情を見て前のめりになっていた体を戻す。どうやらやっと理解してくれたようだ。
……しかし、危なかったなぁ。
未だ心臓は大きく高鳴り、体は震えている。こんな美人に言い寄られ、袖を振るなんてこの先ないだろう。
……本当、惜しいことしたな。
再び花火が上がり愛染さんの顔を見て少しだけ悔やむ。彼女の顔には柔らかな笑みがあり、それは今まで見たどんなものよりも綺麗だった。
「……あーあ、勿体ないことしたわね。菊池君。でも恰好よかった」
「格好よくはないよ、ださいよ。全部勢いでいっちゃったからなぁ、正直恥ずかしいよ。今、目の前に地獄があったら即、入りたいよ」
「……そう。これ以上、近くにいたら危ないからそろそろ、離れるわね」
「何が危ないの?」
「私の心、よ」
再び花火が消えると、愛染さんは座っていた体を起こしお辞儀をし影の中を進んでいった。
「……ちょうど時間切れみたい。それじゃあまたお願いします、菊池先生」
愛染さんを見送っていると、花凛が下駄を鳴らしながら神社の階段を上がってくる姿が見えた。
「りょうー、ここにいるんでしょ?」
「ああ、こっちだ。愛染さんに会わなかった?」
「いないけど……あれ、一緒にいたんじゃないの?」
「ああ、さっきまでいたんだけどな」
「そっか、やっぱりいたんだ……」
打ち上げ花火もいよいよクライマックスに入ったらしい。勢いよく小さいものから大きいものへと色を変え、形を変え、夜空のキャンバスを使って豪快な絵が描かれていく。
「……ねえ、りょう。ここでキスして?」
花鈴の求める姿に無意識に唇を近づける。薄く交わすと、花鈴は小さく笑った。
「最近のりょうは優しいね……。もしかしてさ、浮気してる?」
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