夏の章 茶道ガールと華道ガールのサイレント茶会 PART9
8.
「まさか! する訳ないだろう! さっきだって……」
慌てて口を閉じて花鈴の様子を観察する。今の話をした所で、彼女の機嫌がよくなる訳がない。ここは彼女の尋問にきちんと誠実に答えるだけだ。
「本当に? 怪しいなぁ」
花鈴は訝りながら俺の顔を眺めていく。上目遣いの瞳がゆっくりと濡れていくのがみえる。
「本当に私の気のせい?」
「ああ。今だって、愛染さんと書について語ってただけだ。ストイックなだけだよ、彼女は」
「……そう」
涼しい風が身を竦ませていく。花火が終わり、神社に朧げな明かりがついていく。花鈴と一緒の道を選んだはずなのに、少しだけ後ろめたいのはなぜだろう。
「そう、だよね。ちょっといってみただけ、ごめんね」
下駄を鳴らしながら花鈴はオレの腕に絡みついてくる。
「愛染さんは書道を習いたいの?」
「元々習っていたみたいだ。だけど、オレの字を見て教えて欲しいっていわれた」
「それでりょうはどうするの?」
「断る理由がなかったから、教えるつもりだよ。オレも勉強になるし」
「信じて……いいんだよね?」
花鈴の目に灯篭の光が映っていく。朧げでありながらも芯を持った瞳に抗えず、素直な思いを口にする。
「当たり前だろ。オレが好きなのは花鈴だけだ」
「……うん。ありがと」
小さい彼女を抱きしめて大きくを息を吸い込む。花鈴は涙を我慢しているのか、上空へと顔を上げていく。
「花鈴、一つ訊いていい?」
「うん」
「花鈴にとってさ、茶道は何なの?」
「あたしにとっての茶道は……生活の一部だったから、それが何を決めるとかはないかなぁ」
花鈴は俺の胸に顔を埋めながらいう。
「お茶を飲むって日本人なら当たり前のことでしょ。その延長線上にあるものだから、所作を覚えるってことよりも、空気の流れを読むことが大事かなって思ってるよ」
「空気の流れ?」
「この人は今、何を考えているのだろう。正座した足は痛くないかなとか、そんなことばっかり考えちゃう」
「そっかぁ。そうだよなぁ。うん、そっちの方が花鈴らしい」
「どうしたの? いきなり」
真面目に語る花鈴に凛々しさを覚える。今まで真面目な話はごくわずかで、こんなことを訊いたことさえなかった。
これもきっと愛染さんと出会ったからだ。
「いやぁ、考えてみればこんな話、したことなかったなと思って。やっぱり優しいな、花鈴は」
「そうかなぁ、いつも怒られてばっかりだから、わかんないよ。所作も大事だけど、楽しい気持ちを共有することが一番大事だと思うの」
花鈴は眉を寄せながら腕を組み直す。あまり考えたことがなかったためか、体を上下に揺らしながら、自分の答えを探していく。
「茶道はね、一言でいってしまえば、『静寂』なの。争いがない世界、沈黙ではなくて、澄み切った世界らしいのよ」
「静寂……」
親父の言葉が再び蘇る。静寂、一人だけで達観した世界、目標にすべきものがない世界。
「茶室は狭いけど、そこに宇宙を見る人もいれば、湖を想像する人もいる。誰もが持っている心のよりどころ、それが茶道の根源みたい。あたしにはまだわからないけど」
「なるほど……」
「難しい話はこれで終わり! これ以上難しい話、してたら頭痛くなっちゃう」
花火を終えて、真っ暗になると、観客はぞろぞろと帰っていく。これから電車とバスがぎゅうぎゅうに詰まれ、人混みで溢れるだろう。
秀樹と愛染さんは再び会ったのだろうか。これ以上、花鈴にその話をすることも憚られてしまう。
「じゃあ、今からデートの続きをしますか!」
「ほんとだよ! 全然デートした気にならないんですけど……」
「ごめんな。じゃあこれからどこか行きますか。海? 山?」
「もっと文明の香りがするところがいい……」
花鈴は口をすぼめながら頭を下げる。
「あたし、実は行きたい所があるんだけど……」
「わかったわかった! じゃあそこに行こう!」
花鈴の後を自転車でついていくと、地元で有名なホテルがぽつりと立っていた。
『勉強部屋』と光の電線で書かれた怪しい暖簾がオレ達の前に掲げられている。
「え!? 花鈴? ここ!? 行きたい場所って!?」
尋ねると、花鈴は体を震わせながら暖簾に手を掛ける。
「当たり前でしょ! あたしはここに行きたいの!」
「ま、マジか!? ここはお前の思っている勉強部屋じゃ……」
「そ、そんなことわかってるもん! で! 行くの? 行かないの? どっちなの!?」
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