夏の章 茶道ガールと華道ガールのサイレント茶会 PART7
7.
「……そう、なんだ」
なんとなくそのイメージはあった。愛染さんの転校理由に明確なものは聞いていなかったからだ。
「この場所はお母さんの故郷なの、お父さんが博多で展覧会をした時にお母さんと出会ったみたい……。ねぇ、菊池君、ちょっと涼しい所に行かない?」
「……うん、いいよ」
愛染さんは淡々と思いを述べていく。喧騒から離れ、次第に彼女の声が鮮明に聴こえていく。
「正直にいえば、こっちに来ることは不安しかなかったわ。花の扱いが減ることはわかっていたし、地元を離れたことがなかったから、単純に怖かった。それでもクラスメイトは皆、いい人だし、裏表がなくてすぐに打ち解けられてよかったわ」
「そうだね、うちのクラスはいいやつばかりだよ。皆、真面目だし陰口を叩く奴もいないし、よくいえば素直な奴が多いよ」
「そうね。何より……あなたに……会えてよかった……」
愛染さんは視線をそらさずにオレの方を見続ける。
「……あなたの心構え、好きだわ。地元を愛して地元でやり続ける気持ちを持っている人がいて、私も頑張ろうと思えたの。菊池くんのおかげよ」
「そんな大したことはしてないよ」
慌てて手を振り距離を取るが、彼女はその空いた距離を縮めていく。
「あなたが……私の心を繋いでくれたと思ってる……」
愛染さんはぎゅっとオレの袖を持ちながら上目遣いで覗き込んでくる。彼女の瞳が月灯りで輝き思わず肩に手を掛けたくなってしまう。
……この展開は、まずい。
目のやり場に困り綿菓子で無意識に顔を隠してしまう。こんな状況を2人に見られたら、勘違いされて当前だろう。
これ以上近づいたら、勘違いではすまなくなってしまう。
「お願い、菊池君。こっちを見て? ちゃんと話を聞いて欲しいの」
綿菓子を外しながら、そっと彼女の顔を見ると体までこちらに向いていた。心臓が焼けるように熱い。祭りの喧騒から離れたのに、体が蒸発してしまいそうだ。
……やっぱりこの間のキスは――。
心臓の鼓動を確かめながら諫めていく。ここで流されたら、俺が今まで培ってきたものが全て消えてしまう。
「俺は何もしてないよ、全部愛染さんの力だ」
手に力を込めて彼女に伝えていく。
「展覧会の芍薬、本当に綺麗だった。あれは君が今まで積み重ねた努力があったからこそ、できたものだと思ってる。だから……」
「私一人の力なんて無力だわ。あなたの『花』という字があったからこそ、私は再び挿すことができたの」
「どうしてあそこまで落ち込んでいたの?」
「あそこに……私の……先生がいたから」
生け花展示に直属の先生はいなかったようにみえる。先生とは誰のことをいっているのだろうか。
「先生? もしかして書道家のおじいさん?」
展覧会の時に愛染さんのお母さんと話していた人物が脳裏を過ぎる。
「ええ。色々なことを教えてくれたけど、色々なものを奪っていった人……」
愛染さんの表情に陰りが見える。明るい浴衣まで色を失うように彼女の心の闇が漏れていく。
「……大人になるってことを教えてくれた人よ。あの人がいたから、今の私がいるの……」
展覧会の時に、俺の字を一瞬で見抜き、興味をなくされてしまったあの表情が蘇る。達観しているからこそ、色々な視点が見えるのかもしれない。
だが彼からはそれ以上に、黒く染まった何か不吉なものを感じてしまった。
「菊池君は元斎先生の作品を見たことがある?」
「それがまだ実際に見たことはないんだよなぁ。凄いの?」
「凄いわ……あなたが気にいるかどうかはわからないけど」
冷たい風が舞い込み、体が冷えていく。冷静さを取り戻せた今、ここでいわなければ、きっとまた迷わせてしまう。
はっきり自分の意思だけは表示しておかなければ!
「愛染さん、ごめん! 君の気持ちは嬉しいけど……」
肩を掴み、思いが届くように告げていく。
「オレには花鈴がいるんだ、だから、その……友人としてなら……」
「いきなりどうしたの? 菊池君?」
愛染さんはきょとんとした顔をして首を傾げている。
「あなたが遠藤さんと付き合っていることはわかっているわ。ただ、私の思いを伝えたかっただけ。ごめんね、勘違いさせるようなことをいってしまって……」
「あ、そうなんだ……」
……何これ、なにこれぇ! 嫌、超恥ずかしいんですけど!
体が急速に熱を持ち始めていく。勝手に勘違いして、断りを入れるなんて最低最悪だ。だけどなぜか心が軽くなっていく。
勘違いでも先に一言いってしまえば、愛染さんとの関係は清廉潔白なものになるからだ。これでお互い、和の道を迷わず進み、共存できる関係になれる気がする。
「ほんとごめん! オレは頭悪いからさ、勝手に勘違いしちまった! 許してちょんまげ」
苦笑いを浮かべながら両手で拝み倒すと、愛染さんは笑みを浮かべながら俺の肩に手を掛けた。
「許すも何も怒ってないわ。大丈夫よ。だから顔を上げて? ね?」
「そ、そう? 怒ってない? よかったぁ」
「私の方こそ勘違いさせてごめんなさい。でも仮の話だけど、あなたがよければ……私は構わないけれど……」
愛染さんは林檎飴をちろりと舐めながら答える。その視線には妖艶な光がまとってある。
「え? 何が?」
オレが思考停止していると、彼女はさらに笑顔を見せていった。
「菊池君がよければ、愛人としてでも私は構わないわよ?」
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