夏の章 茶道ガールと華道ガールのサイレント茶会 PART3

  3.



「で、また居残り掃除させられているの?」


「まあ、そういうことだな!」


 放課後、後藤先生に課題提出を求められながらも、秀樹のノートを写したことまでばれた俺は書道教室の掃除をさせられていた。


「ほんと、いつになったら進化するんだろうねぇ。ポケモ〇だって進化できるのに、うちのりょうときたら……」


「まあ、お前と一緒で大器晩成型ってことだな」


 花鈴の体を見ながらいうと、彼女はむっとしながらも小さくため息をついた。


「またそういうこという。ほんと、頭の中までポケモ〇なんだから」


「まだボケてねぇよ!」


「はいはい。で、あたしは先に帰るけど、大丈夫?」



 ……夏祭りの件、伝えた方がいいよなぁ。



 花鈴の顔を見て先ほどのやりとりを思い出す。そうなると、秀樹の件も伝えないといけなくなり、愛染さんと飯田さんの店に行ったことまで白状しなければならなくなる。


 一度、嘘をつくと多くの嘘をつかなければならないというが、あれは本当なのだろう。



「ああ、うん。大丈夫。家で教室の準備もあるんだろう? いいよ、先に帰って」


「うん。じゃあそうするね。何かあったら……ちゃんというんだよ?」


「ああ。もちろん」


 花鈴のじっとりとした視線を受けながら、頷く。何か気づいているのだろうか?



「……じゃあね。りょう」



 名残惜しそうに帰る彼女を見つめながら、小さくため息をつく。やっぱりきちんというべきだったろうか。



 ……結局伝えられなかったなぁ。



 後ろめたいことではないが、心の中に靄が掛かっていく。重い足取りで家に辿り着き、玄関に入ると、そこには見慣れない大きな下駄があった。



「よ、涼介! おかえり!」


「ああ、ただいま」


 荷物を置きながら居間に座ると、そこにはいつもの相撲のテレビ中継が流れていた。


「しかし今年の白鳳凰は強いな、このまま三連覇しそうだな」


「ああ。この間、夜青龍を破ったのが大きいな!」


「だな! それよりどうした、ため息なんかついて。らしくないぞ?」


「ああ、親父、実はさ……って何で親父がここにいるんだよっ!?」


「ここが俺の家だからだっ!」


 親父は寝っ転がったまま、ぼさぼさの頭を掻きながらそのまま胸の辺りへと続けた。


「そんなことわかってるよっ!! おかえりは俺のセリフだろっ!? 前にいつ帰ってきたのか覚えてんのかよっ!?」


「まあ……ざっと半年くらい……?」


「捜索願出してたら、打ち切られているレベルだよ……どざえもんレベルだよ……」


「そうだよな……すまん……」



 ……それに何、ちゃっかり風呂に入ってんだよ……。


 

 親父のすっきりした顔を見て苛立ちが募っていく。畳みの上に寝っ転がって寛いでいる姿を見て憤りを覚える。


 次の文句をいおうとすると、後ろから声が聞こえた。


「おお、大介君。帰ったかい」


「ああ、お父様っ!! ご無沙汰しておりますっ! 菊池大介、ただいま戻りました!」


 そういって親父は一瞬にして起き上がりジャンピング土下座をじいちゃんに披露する。


「そうかいそうかい。まあ、ゆっくりしていきんさい」


「はい、ありがとうございます」



 ……あんたの家じゃなかったのかよ。



 自分で建てた家でありながらも、主導権は完全に手放している。それもこれも親父の放浪癖のせいだろう。

 

 狭い居間に男が三人、沈黙を破らずただ、相撲のテレビ中継を見守っている。



 ……何で、オレの家にいながら気まずいんだよ。


 

 冷房を入れたいが、そんな雰囲気ではない。体中から汗を垂らしながら固まっていると、じいちゃんがぼそりと呟いた。


「……時に大介君、君は誰を贔屓にしているんかね?」


「私ですか? 私は断然、夜青龍ですね! 気性は荒いですが、豪快でシンプルな所が好きですね!」


「儂は断然、白鳳凰じゃな」


 じいちゃんは細い目を大きく開けて親父を見る。


「最初の頃は頼りない感じやったが、今じゃ貫禄が備わっておる。横綱は一日にしてならず、この子を見ると、毎回そんな気分にさせられるわな」


「そうですな! いいライバルに巡り合えたおかげで、彼も成長できたのでしょう。相撲は二人でするもんですから」


「違いない」


 そういって二人は声を上げて笑い合う。どことなく部屋の空気が緩くなっていく。



 ……じいちゃん、楽しそうだな。



 いつもなら白鳳凰が勝った所で何もいわないが、親父といるせいか関取の試合でも盛り上がっている。


 けど、オレにだっていいたいことは、たくさんある!



「って何和んでんだよ、このクソ親父! もっと他にこう、何かあるだろう!?」


「ああ!? いいだろう、ここは俺んちなんだから」


「そりゃそうだけど、帰って来る時は連絡しろっていってんだろ。今回はしたのかよ?」


「当たり前だろう!? 今朝の新幹線に乗る時にちゃんとしたさ!」


「だから遅いってのっ!! お袋の気持ち、もう少し考えろよ!」


 俺の気持ちに便乗したのか、若の富士が大関相手に回しを取りながら払い腰を決めた。


「お、やった! 調子いいじゃん、若の関」


「ん、お前も相撲見るのか? 年寄りくせえな」


「別にいいだろう!? 学校に相撲好きな女の子だっているんだ。見て悪くないだろ!」


「ふうん、その子も変わってるな」


 じいちゃんが横からひそひそと親父に囁く。


「あ、そうなの。お前もやっと彼女ができたの。へぇー」


「じいちゃん、何いってるのさ! その子じゃないっつーの!」


「いや、じいちゃんは何もいっとらんぞ。全部、早苗から聞いとるわ」


 そういって親父とじいちゃんは二人して声を殺して笑い始める。ここに木刀でもあれば暴れ回ってやりたい所だが、ぐっと堪える。


「くくく、お前は本当に変わらんな」


「親父が変わりすぎなんだよ! じいちゃんも相手にしなくていいよ」


「いやー、やっぱり我が家は最高だな! りょう、ちょっと煎餅取ってきてくれ」


「何でオレが……」


「ん? りょうちゃんにはまだわかってないのかなぁ。この家は誰のもの? ん? いってごらん?」



「……わたしんちだけど。文句ある?」



 後ろを振り返ると、怒りの形相の母さんが買い物袋を掴んだまま、仁王立ちしていた。




  ◆◆◆◆◆◆



「……よく手入れが行き届いている。母さんとりょうのおかげだな、うん。いつもありがとう」


 

 ……その顔でいわれても説得力ないんですけど……。



 親父の腫れあがった顔を見ながら思う。母さんが帰ってきた途端、親父はじいちゃんに披露したジャンピング土下座+平謝りのダブルコンボを決めたが、結局母さんのかわいがり(笑)を食らっていた。



「何でオレも手入れしてるってわかるんだよ」


早苗さなえじゃ届かないだろう、こんな所」


 そういって親父は道場の淵を人差し指でなぞっていく。


「大きくなったな、りょう。これでもう俺の留守を任せられるな」


「親父が小さくなったんじゃないの? それに今頃いっても遅いよ」


「はは、すまんすまん」


 親父は笑いながら俺を見る。小さくなったと思ったが、俺が成長しているだけなのかと思うと、なんとなく攻めることができなくなっていた。


「お帰りなさい、あなた。お疲れでしょう? 今日はゆっくり休んでね」


「ああ、長い間、留守にしてすまなかった。早苗」


 母さんと親父はそういってお互いに手を取り合う。結局、母さんはなんだかんだいいながら親父のことを許してしまうので、俺達家族は崩れることはない。


「どうした? 早苗。痛い痛い。手、放して。痛い」


「それで、何? 急に帰ってきてどうしたの?」


 母さんは薄く笑いながらも親父の手を離さない。


「え、いや、その……」


「どうせ博多の方で仕事ができたとかそんなんやろ?」


「……はい、そうです……」


 親父は小さくなりながらも頷く。だが母さんの手は緩まるどころか強くなっていく。


「……いつまでおるんね?」


「ざっと一週間くらいです……」


「……ふうん。あ、そう」


 母さんは手を引き寄せながら、親父を抱きしめる。だが足が大外刈りを掛けるような配置になっており、そのまま首元にアームロックを掛け始めた。


「ちゃんと連絡しなさいっていってるでしょ! このハゲ! 今度同じようなことがあったら、その薄くなった髪、全部、私が抜くけんねっ!!」


「ひ、ひぃ! ご、ごめんなさい! 許してちょんまげ、早苗殿」


「うるさい、くそじじい! あんたがここを使うのは深夜だけやけんね! ここは私の道場やと! わかった?」


「は、はいぃ。わかっておりますぅ。ありがとうございますぅ」


  

 ……な、情けねぇ。



 これが書で天下を取った男だと思うと、残念な気持ちになっていく。


 俺の父親・菊池大介は書家で、書の道で全国を渡り歩いている。顔もよく人当たりもいいため、講演会にもひっぱりだこだそうだ。だが今ここにいる親父は新人のサラリーマンよりも脆い、ピラミッドの最下層に住むホームレス以下の存在だ。


「ほんと、いっつもいっつも行き当たりばったりなんやけ……。涼介! あんたもぼさっとせんで手伝いなさい!」


「はい! わかりました、母上!」


 母さんの視線に射抜かれ、思わず右手で敬礼のポーズを取ってしまう。


 親父の後をついていくと、そこには見慣れた道場に何も書かれていない大きな屏風があった。

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