春の章 華道ガールとミックス展覧会 PART7



  7.


 

 「あー美味しかったね、まんぷくまんぷく」


  花鈴の満足そうな顔をみながら日が沈むのを眺めていく。俺の財布の中身も夕日を浴びたように沈んでいる。


 「……そうだな。このままじゃ夕飯食えないし、ちょっと寄り道していくか」


 「うんっ!」


 腹を満たした俺達は薄暗くなってきた海の堤防に自転車を倒し、海岸を眺めた。海が太陽を飲み込む毎に夜が近づいていく。


「荷物、多いだろう。持つよ」


「あ、ありがと……」


 花鈴から荷物を受け取り防波堤に腰掛ける。風は凪いでおり、ひんやりとした空気が心地いい。


「いーきもちだねぇー」


「そうだなー」


「海、きれいだねぇー」


「だなー」


 そういうと、花鈴は俺の頬を両手でつまんで動かしていく。


「もー、そういう時は女の子も褒めなきゃ駄目だよっ!」 


「ごめんなはい」


「ほんと、りょうは乙女心がわからないんだからっ! せっかくいいムードなのに、何かこう、ないの?」


 花鈴は怒りながらもこちらに近づいてくる。彼女が求めていることは何となくわかるが、返って俺の嗜虐心しぎゃくしんが沸いていく。


「何かって、何? 何が欲しいの?」


「あれよ、あれ! あの……その……ここっ!」


 花鈴は口元に人差し指を当てながらいう。


「口にまだ何か欲しいわけ? あれだけ食べたのに?」


「……。……うん」


 目の端で花鈴を捉えると、目を瞑って待っている。


「わかったよ、食いしん坊。目、絶対に開けるなよ」


「……ん」


 彼女の唇にお土産で買った苺大福を近づけると、彼女は白い粉をつけたまま笑顔を見せた。


「そうそう、正解っ! やっと、りょうもわかるようになってきたね!」


「くくくっ」


「何がおかしいの?」


「唇、手で触ってみ?」


「ん、何これっ!? 何でこんなに白いの!?」


「俺の唇、柔らかかっただろう」


「なんか冷たいと思ったら、もう!」


 花鈴は慌てて手で口周りを拭くが、返ってそれが髭のように広がっていく。


「ごめんって、悪かった。半分ずつ食うか、苺の方、上げるから」


「んーもう、子供扱いして! 苺いらないから、目閉じて」


「え?」


「ほら、早く閉じる。閉じないと何するかわからないよ、あたし?」


 ジト目でいう花鈴に抵抗せず頷き目を閉じる。


「わかったわかった。でもその辺にある石とかは止めてくれよ。ほんと、頼むから」


 

 ……何が来るんだろうか。



 花鈴が持っているのは上菓子だから、ぶつけられたら痛いだろうなと考えていると、唇に生暖かいかまぼこのような感触が伝わった。




「……もう、開けていいよ」




 一時の沈黙が訪れ目を開けると、少し離れた場所で顔を真っ赤にしている花鈴が海を眺めていた。


「何だよ、普通にチューしやがって! びびったじゃねーか!」


「あたしは普通がいいのっ! 大福も好きだけど、りょうの唇の方がいいの!」


「……清純かよ」


「清純だよっ!」


 花鈴の真剣な瞳が夕焼けと交わり、俺の心もほだされていく。



「俺も好きだよ、花鈴。これからもよろしくな」



「え? どうしたの、りょう。いきなり……。まさか本当に……」


 花鈴が青ざめた顔で俺を見る。


「たまにはいいだろう、ちゃんと気持ちを伝えるのも」


「嬉しいけど……りょう、もしかして、本当に浮気してるの?」


「え、何で?」


 意味がわからずに花鈴を見ていると、彼女はあやふやな表情で言葉を述べていく。


「愛の言葉をささやく時はたいてい浮気なんだよっ! って小泉先輩がいってたよ! りょう、浮気してるの!?」


「する訳がない! 花鈴みたいな素敵な彼女がいるんだから!」


 そういうと、花鈴は顔をくしゃくしゃにして抱き着いてきた。


「もう、もう! 満点っ!! 花丸あげちゃう!」


「わかった、わかったから。抱きつくな。大福の粉がつく」


 犬のように体全体で愛を表現する彼女に戸惑いながらも受け入れる。毎回真剣に感情を表してくれるのは本当に俺のことを想ってくれているのだろう。


「いいじゃん、いいじゃん。最初につけたのはりょうなんだし。文句ないでしょ?」


「……はい」


「じゃあ、もう一回、ちゃんとして?」


 体を擦り合わせながら唇を交わすと、恥ずかしさから口が動いていく。


「浮気なんてするはずがない。俺は書一本でいくつもりだから。前回の書で、自分が書きたいものがやっと見えてきた気がするんだ」


「『翔』でしょ? 鷹よりも烏になりたいっていったね。りょうらしい……いい結果が出たらいいねっ!」


「……ありがとう」


 大空を羽ばたくよりも、地元で確かなものを守る翼が欲しい。


 世界には凄い書がたくさん存在するのだろう。そこには無数の出会いがあり、様々な物語が含まれている。だけど、俺はたった一人のために書いていきたいのだ。


 大切な人を守ることもできずにプロの書道家になれるはずがない、そう確固たる自信が俺の心にはある。



 お袋の涙を見て育った俺は、必ずやりきらなければならないのだ。



「よし、帰るか! なんか無性に書きたくなってきたわ!」


「うんっ! 帰ろ? 帰ろ! その代わり、もう一回だけ、ね?」 


「本当に食い意地凄えな……」


「……いいじゃん。お腹も心も満たしてよ……りょう」


 海が太陽と重なる瞬間に、俺達は再び唇を交わして、もう一度確かめ合うように近づいた。


 

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