春の章 華道ガールとミックス展覧会 PART8
8.
「よし、今日はここまでな。じゃ、皆、掃除を始めて帰る準備をしてくれ。菊池、ちょっとだけいいか?」
授業を終えると、現国の後藤先生が声を上げた。後ろをついていくと、いつもの彼のお気に入りの休憩室へと入っていく。
……何も悪いことはしてないはずだけどな。
思い当たる節がなく、後藤先生の言葉を待っていると、徐にプリントを取り出してきた。
「お前が提出した書、あれな、実は金賞を獲ったらしい」
「ま、マジっすかっ!?」
後藤先生に渡されたプリントを眺めると、そこには日本書道研究会からの選評と俺が書いた『翔』という字が描かれていた。
「ああ、秋に開催される予定の書心学生展に展示されるようだ。よかったな」
「あ、ありがとうございますっ!」
嬉しさが足元の方から込み上げていく。烏をイメージした最後の『翔』が大きく印字されている。この字は間違いなく自分が書いたものだ。
……羽の部分を強調せずに、羊を強調したこの字は紛れもなく俺の字だ。
改めて字を眺める。今までの字は縦横無尽に動く鷹を意識しており、白紙一杯に書いたのだが、提出した字は家族の元へ向かう、羽を収める烏をイメージした。
想いが詰まった字が受賞できたのは本当に嬉しい。
「それでこの結果を皆の前で発表したいと思うんだが、いいか?」
「ええ、もちろんです! それくらいなら……大丈夫です!」
笑顔で答えるが、後藤先生の表情は冴えない。あれだけ応援してくれていたのに、どうしたのだろうか。
「……そうか。それとこれは提案なんだが、お前に伝えないといけないことがある」
後藤先生の顔に陰りが見える。不意に胸がざわつく。
「はい、何でしょう?」
「毎年、生け花の展覧会が5月と10月にあるらしいんだがな、5月は学生の部が中心らしい。そこで書道連盟からお前にその字を書いて欲しいという依頼がきた」
「え? 俺ですか? って5月ですか?」
カレンダーを確認すると、もう4月も終わろうとしている。ほぼ時間はない。
「ああ、その生け花の流派が愛染の所らしい。あいつが生け花の家元だという話は聞いてるな?」
「生け花をやってるのは知ってましたが……家元なんですか?」
不思議に思い尋ねると、後藤先生は頷いた。
「ああ、
「ええ、なんとなくですが……」
要領を経ず曖昧に頷くと、後藤先生は歯切れの悪い声を出した。
「つまり、そういうことだ。家元様がわざわざ転入して来た高校だ、この場所がどういう目で見られるかわかるだろう?」
「あの、もしかしてですけど……今回俺が受賞したのは……愛染さんがいたからってことですか?」
……俺の書が愛染さんのダシにされている?
不意に心がざわつく。滝坊家元の愛染さんがいるというだけで、俺の字の選評が選ばれた可能性もある。そうなれば、字の推薦は俺を認めたからではなく、愛染さんがいる高校がいい所ですよ、ということを推すためのものでしかない。
「もちろん、そんなことは俺にはわからない。だが俺はお前が書いた『翔』、いい字だと思っている」
後藤先生が俺の両肩を掴みながらいう。
「だから敢えていう。書のプロを目指しているのなら、必ず受けた方がいい。プロになるためには実力だけでなく運が必要になる」
「運、ですか?」
俺が曖昧に促すと、後藤先生は熱く頷いた。
「ああ。実力は皆、平等につく。練習しない人間なんていないからな。だが運ばかりはいつ引くかはわからない。運を掴み続けられる人間こそがプロになる。お前の親父のようにな」
……俺ではなくて、昔の自分にいっているのか?
後藤先生の熱い視線の先に自分を通り越しているように見える。親父と仲がよかった彼なら、きっと様々な葛藤があったのだろう。
後藤先生も実力は凄い。だがそれでもうちの親父と比べ続けられ、結局親父は書の道へ、後藤先生は教員へと足を向けた。
「これはチャンスだ、菊池。お前の実力だけではないかもしれんが、やった方がいいと俺は思う」
――書に2人の天才は必要ない。同じ年に推薦される人物は一人しかいないのだから。
不意に親父の言葉が蘇る。
「すいません、その前に一つだけ、訊いてもいいですか? その……この一連の流れは愛染さんは知ってるんですか?」
「俺の推測だが、知らないだろうと思う」
後藤先生は眉を寄せながらいう。
「きっと愛染の知らない所で話が進んでいる可能性がある、日本書道連盟のお偉いさんから直筆で頂いているからな、だからきっと上同士の話の可能性が高い」
今回の件を全て聞いたら、愛染さんはどう思うだろうか。きっと俺の結果を手放しで喜べないだろう。
生け花の出展、きっと彼女も応募するに違いない。だからこそ花屋を探しているのだ。
彼女の純粋な笑みが浮かぶ。歯を覗かせて無邪気に笑う姿が蘇っていく。
「……わかりました、引き受けさせて頂きます。そのお話も皆の前で話して下さい」
「……いいのか、菊池?」
「ええ。覚悟の上です。だってそうしなければ、いけないんでしょう?」
大々的に発表しなければ、推薦の意味がない。きっと彼は自分のことを考えてくれて、最後まで話してくれたのだ。
真剣に目を向けると、後藤先生は肩を落として頷いた。
「……わかった。じゃあ、次のホームルームで話すからな」
後藤先生に頭を下げ部屋を出ると、不意に隣のクラスにいる花鈴の姿が見えた。
……今はまだ、話せないな。
いい結果が出たらいいねと激励してくれた彼女の顔が思い浮かび歯を食いしばる。
足を止められずに俺は、花鈴の教室を追い越して駆け抜けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます