春の章 華道ガールとミックス展覧会 PART15(完結)


  15.



「菊池君、最後まで手伝ってくれてありがとうね」


 咲枝さんが俺の顔を見ていう。すでに着物は脱いでおり、ポロシャツで会場の荷物を片付けている。


「いえ、とんでもないです! 俺なんてこれ以外、何も手伝えないですから」


「いいえ。こういうのが一番助かるの。ただでさえ男手が少ないのよ、うちの業界」


「それはなんとなくわかります……」


 辺りを見回すと、ホール全体に静けさが戻っていた。展示物がないので当たり前なのだが、先ほどまでの喧騒も相まって、一層寂しく思ってしまう。


「これで最後ですね。後は大丈夫ですか?」


「ええ。本当にありがとう。またうちに来た時にはうんとサービスさせて貰うわね」


 咲枝さんはそういって軽くウインクする。冗談でいってるのだろうけど、本気で実行しそうな所がやや不安だ。


「いえ、お気遣いなく……。そういえば最初にいた方は誰だったんです……?」


「最初にいた方?」


「あのおじいさんですよ」


「ああ、元斎げんさい先生ね」


 咲枝さんは誰もいないのに声を潜めていう。


「書道会の重鎮よ。彩華も先生に書を習っていたの。あの人が人の書を褒めることなんてないのだから、菊池君、才能あるわよ」


「そうなんですね。ってことは……もしかして……」


「そう、今回の出展は元斎先生が推薦して下さったのよ」



 ――この書は愛染がいる学校の宣伝に使われているのかもしれないな。



 後藤先生にいわれた言葉が蘇る。愛染さんと繋がりがあるのなら、あの時の妄想話も想像ではすまなくなってしまう。


「すいません、一つ尋ねても?」


「ええ、何かしら?」


「…………あの。……その。……」


 尋ねたいのに言葉が出ない。俺がやってきた書はいいように扱われていただけなのかと訊きたいが、それを聞けば咲枝さんはきっと答えを知っていても否定するだろう。


 咲枝さんは俺の気持ちを読んだのか、俺の頭を軽く撫でながらいった。



「……頑張りなさい。あなたはまだ若いのだから、自分の思うようにやればいいのよ」



「……はい、ありがとうございます。頑張り……ます」


 

 ……悔しくて涙が出そうだ。



 ぐっと奥歯を噛み締めて堪える。言葉が出ないのは俺が臆病なせいだ。結果を知らなければならないのに、それを伝えることすらできないのは俺が弱いせいだ。


「……ねえ、菊池君。彩華の生け花は、どうだった?」


「どう表現していいのかわからないですけど……素晴らしかったです」


 愛染さんの器は見事だった。周りからも心配されていたが、彼女が器を展示した時には大勢の学生が拍手を挙げて彼女を祝福していた。


 見る人が見ればわかるのだ。そこにどれだけの思いがあるのかは言葉にしなくても――。



「……そう。それはよかった」



 咲枝さんは笑顔のまま、俺の顔を見つめていう。



「菊池君、私から一つアドバイスをしてもいい? 男はね、を追いかけることで成長できるけど、女はできないの。女はね、でしか成長できないのよ」


「……そ、そうなんですね?」


 意味がわからずにそのまま頷くと、咲枝さんはそのまま踵を返した。


「ごめんなさい、お節介だったわね。私は用事があるから先に帰るわね。これからも彩華をよろしく頼むわね」


「え、ちょ、ちょっと、待って下さい。俺にはちゃんと相手がいるんですよ。さ、咲枝さん?」


 話も聞かずに咲枝さんは会場から姿を消していく。


「あ、行っちゃった……」


 咲枝さんを見送ると、後ろには着物姿のままの愛染さんが立っていた。


 その顔にはいつもの柔らかい笑みが浮かんでいた。



 ◆◆◆◆◆◆



「お疲れ。着物のまま帰るの?」


「ええ、いけないかしら?」


 愛染さんは不敵な笑みを見せる。いつもの口元だけの笑顔だ。だがそれが自然体のようで少しだけ安心する。


「菊池君……今日は本当にありがとうございました」


 愛染さんは土下座する勢いで頭を大きく下げてくる。


「あなたのおかげで本当に助かったわ。本当に何といっても、伝わらないと思うのだけど……」


「いや、大したことはしてないよ。それにしても愛染さんでも緊張することがあるんだね」


「うん、今日はね、ちょっと……予想外のことがあって……」


 言葉を濁しながらも彼女は嬉しそうに言葉を述べていく。


「でも……その……嬉しかった……菊池君が助けてくれていなかったら……私、駄目だったから……」


 弱気な愛染さんを見て心が揺さぶられていく。


 

 ……この流れは何かまずい気がする。



 時計の針の位置を見て思う。この後は花鈴と花鈴の父親が迎えに来てくれる手筈になっている。こんな姿を見せればきっと、また文句をいわれるに違いない。



「まあ、よかったじゃん! 一件落着ってことでさ!」



 俺は素っ頓狂な声を出して無理やり笑った。


「本当にいいものが見れたし、来てよかったよ! あの大きな花、芍薬の花っていうんだね! 俺も花のこと、勉強しないといけないなぁ! はは!」


「……ねぇ。もっと、知りたい?」


 愛染さんは小首をかしげながらいう。その姿に釘付けになり冷や汗が止まらない。


「うん、そうだね! 漢字の読み方だって、いっつも愛染さんに教えて貰ってばっかりだしさ! 俺も頑張るよ!」


「ねえ、だったら菊池君。お願いがあるんだけど……」


 愛染さんはそういって不用意に体を近づけてくる。顔が近すぎて最早、息が掛かりそうだ。


「あ、愛染さん、ち、近いよ」


 愛染さんは何でもないかのように唇が触れそうな距離にまで寄ってくる。その距離は15センチくらいで、花鈴との距離感と同じだ。


 愛染さんの草履を踏みそうになり、後ろに仰け反ると彼女は耳元に囁いてきた。



「ねぇ? 菊池君? いいでしょう?」




「ええ? え、な、なな、何が?」



 彼女の潤んだ瞳に吸い込まれそうになる。やばい、この流れはまじでっ!!




「……携帯番号、教えてくれませんか?」




「へ?」


 愛染さんの言葉を聞き肩の力が抜けていく。咲枝さんと話したせいか、変な流れを想像してしまった。穴があったら入りたい気分だ。


「ああ、そういうこと!? それくらい全然いいよ! てか、そうだよね。交換してなかったよね!」


 お互いのスマホを近づけて登録を完了する。無料チャット『アイン』も登録しておく。


「……ありがとう」


 愛染さんは口元を緩めていう。そのすました横顔が凛々しく、彼女が俺と同じ高校生だということを思い出させてくれる。



 ……危なかったわ、まじで。



 妄想していた自分が恥ずかしく言葉が出ない。だが肩の力を抜いた瞬間、彼女の唇が俺のものに一瞬だけ触れた。



「これは今日のお礼、また学校でね」



 愛染さんはそういいながら、ゆっくりと冷たい廊下を草履で音を立てていく。後ろ姿には哀愁はなく、ただ堂々とまっすぐに迷いなく進む姿勢が見える。



「え? ちょっと愛染さん……。ど、どういうこと!?」



 彼女は俺の言葉を聞かずに去っていく。


 

 ……愛染さん、俺に彼女いること知ってるのに、なんでだよ?



 意味がわからずに頭が混乱していく。頭を掻きむしっていると、花鈴が俺の姿を見つけたようで、こちらに走ってきた。


「あー、りょう! もー、こんな所にいたらわかんないよ。探したんだからね!」


「ああ、すまん……」


「どうしたの? 何でこんな所で立ってるの?」


「いや、別に何でもないよ……」


「お父さんが待ってるからさ、早く早く」


「……おう」


 花鈴に腕を掴まれて足を引きずられていく。心と体が分離しているようで、思うように動かない。



 ……なんだったんだ、一体。



 愛染さんの意図がわからずに頭が重くなっていく。都会の女は挨拶替わりにキスをするのか! 欧米か!? 着物美人は本当はチャラいのか!?


 

 ……まあ、今日くらいはいいか。



 暗い廊下を歩きながら心を定めていく。俺にはまだ先のことはわからないけど、進むべき道があることはわかった。この地元でもきちんとやれることはあるのだ。


 荊の道でもいい、地元が鎖になっても、俺はそれ以上に成果出してみせる。


 ここで書を書き続けていこう、必ず――。



 ……そして進もう。とにかく先へ!



「わあーもう暖かい風だねー」


「そうだなー」


 外に出ると、一足早い夏を訪れる薫風くんぷうが流れていた。柔らかい若草の匂いが鼻孔をくすぐり、生ぬるい風が肌を優しく撫でていく。


「ねえ、りょう。ちょっとだけ寄り道していきませんか?」


「お、いいねー」


 狐につままれたような気分を味わいながらも、俺は花鈴と一緒に車に乗り込む。


 

 ……これは花鈴には秘密にしなきゃいけないな。



 愛染さんのことを思い出すと体がゆっくりと冷えていくが、これだけは絶対に隠さないといけない。


 

 ……今、考えても仕方ない。先のことだけを考えよう。


 夏が来れば、やりたいことも増えていく。花鈴と過ごす夏が来れば、俺の気持ちも揺らがないだろう。



 早く来い、夏。



 窓からの隙間風を浴びながらまだ色素の薄い紫陽花あじさいを眺める。始まってもいない梅雨の終わりを、願いながら――。 






第二章へ➡ 茶道ガールと

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