春の章 華道ガールとミックス展覧会 PART14



  14.



「…………きれい」



 愛染さんは目を大きく開けて俺の書を見ている。何度もまばたきを繰り返した後に再び声を漏らすように呟いた。



「これが菊池君の書なのね、凄いわ。本当に……」


「そんな大したことはないけど、表したいことが書けたと思ってる」



 そこにはたった一文字で『花』と書かれた書がある。ただそれだけなのに彼女は大きく賞賛してくれる。


 

「こんな花……、今までに見たことがなかったわ。立派な花が咲いているわね」

 

 愛染さんは何度も文字を確かめるように観察していく。


「愛染さんが見せてくれた生け花をそのまま表したんだ。あれがあったからこの字が書けたと思ってる」


 花の『イ』の部分を茎に見立てて伸ばし、『ヒ』の部分を葉に見立てて書いた。頂点の草冠はそのままで、花を一文字に集約したつもりだ。


「根を張って、葉を広げて、花を咲かせて……・花が生きている美しさをあの時、俺は初めて知った気がするんだ」


 この言葉は嘘じゃない。今まで当たり前に思っていた世界が俺の中で根付いたのだ。この世には見えていないだけで美しいものは無数に存在する。


 植物は花だけが美しいわけじゃない。体を安定させる根、凛と立つための茎、栄養を得るために広げた葉、全てが花の一部分だ。これら全てがあって初めて花が咲くことができ、その全てが集約して一つの『花』となる。


 それを知ることができたのは愛染さんのおかげだ。


「だから愛染さんにもう一度見せて欲しい。君の生け花を、俺はここで拝見したい」


「……ありがとう、菊池君」


 愛染さんは緩めていた口元を固く結んだ。背筋を伸ばし、真剣に俺の方に体を向ける。


「心配掛けてごめんなさい。きちんと仕上げてみせるわ。私のためだけじゃなく……あなたのためにも」


「ああ、期待してる」


 手を取り交わすと、彼女の手は熱くなっていた。さきほどまで冷えていたものとは違い、エネルギーに満ちている。


「大丈夫、愛染さんなら。必ずできるよ」


「ええ、うん……そうね、私ならできると思う……」


 そういいながら愛染さんは急に顔を火照らせながら腕を組んで見せる。一体、どうしたのだろう。


「あ……」


 愛染さんの姿を捉えて慌てて目を反らす。Tシャツが濡れており、白い下着がうっすらと見えているからだ。


「ご、ごめん。気づかなかった……その……」


「え、ええ。わかってるわ……だから、その……」


 体を立たせようとしても、足がもつれる。彼女の艶めかしい素肌が見えてしまい、心がひどく動かされる。


「あ、うん。じゃ、じゃあ、俺は一旦、ここを離れるよ。が、頑張って」


「え、ああ、そうね。ありがとう、菊池君。が、頑張ってみるわ」


 慌てて立ち上がるが、ビニールシートで足が滑り体がぐらつく。だが後ろを振り返ることはできない。


「そ、それじゃ……」


「き、菊池君」


 振り返ると、愛染さんが土下座をするように頭を下げていた。


「ありがとうございます。この御恩は必ず……」


「い、いや、そんな大したことしてないからっ! ご、ごめん!」



 ……恰好悪いけど、早く出ないとまずい。



 愛染さんを励ましに来たのに、何やってんだよ、俺。心の中で自分自身に術祖を吐いていると、部屋の中心から鉄鋏の音が勢いよく聞こえた。



 ……今の彼女ならきっと、いいものができる。



 耳を澄ませながらドアを閉める。この迷いない太刀筋なら、必ずいいものがきっと――。


 

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