春の章 華道ガールとミックス展覧会 PART13
13.
展覧会当日。
書を書き上げた俺は早朝から会場に向かい、受付へと進んだ。
いつも書の展覧会でお世話になる地元のホールなのに、静寂さよりも躍動感を覚える。そこには色とりどりの器に生け込まれた花があり、春の息吹があるからだ。
……まるで生きている絵画のようだ。
作品一つ一つが、静かに、けれども熱を放ちながら輝いている。学生の部だからなのか、イメージさえ浮かばない斬新な生け方が多く、同じ花を扱っても同じものはない。春の花であるスイートピーが短く花だけを見せてみたり、先を残して茎のラインを見せたりと、個性を生かしてポーズを作っているのだ。
「あ、菊池君。ほらほら、こっちよー」
受付に辿り着くと愛染さんのお母さん・咲枝さんが声を掛けてくれた。先日会った時よりも豪華な着物を着ているためか、さらに華やかに見える。小泉先輩の先輩といわれても、本当に遜色ないくらいに若く見えてしまう。
「この間はお世話になりました。これはどちらに持っていけばいいでしょうか?」
「こちらこそ急にお願いをして、本当にごめんなさいね。まあ、とってもいい字……」
咲枝さんは字を眺めながら絶賛してくれる。お世辞に見えない姿が俺の心を軽くしてくれる。
「本当に、凄くいいわよ。これなら彩華も気にいると思うわ。どうですか、先生?」
咲枝さんは隣に座っているおじいさんに見せながらいう。彼は一目見ただけで、咲枝さんの方に顔を戻した。
「ああ、そうじゃな。急遽作ったものにしちゃ及第点じゃろう」
「……咲枝さん、こちらの方は?」
「ただの年寄りじゃ。気にせんでよか」
おじいさんはそういって手を振って俺の話を遮った。きっと咲枝さんとの話がまだ終わってなかったのだろう。
「愛染さんは……まだ来てないのですか?」
「彩華はね、まだ裏にいるの……」
咲枝さんは困ったように眉を寄せていう。
「中々形が決まらないみたいでね。よかったら、菊池君、様子を見に行ってくれれる?」
「あ、はい」
「ついでに君の書を見せて上げたら喜ぶと思うわ。あの子も楽しみにしていたの。あなたの字。だから、ね?」
咲枝さんの視線の行方には家元が飾る立派な台があった。そこにはまだ彼女の作品はなく、小奇麗な布が敷かれていただけだった。
◆◆◆◆◆◆
ホールの裏側に入ると、高校生だけでなくそれよりも若い子がたくさんいた。女性だけでなく男性も少数ながらいるようだ。皆、生け花に心得があるためか、品がよく見え引き締まった顔つきをしている。
……どうやら飾り終えたら、着物に着替えるんだな。
母親に着付けを手伝って貰いながら子供たちが談笑している。なんだか入学式を見ているようで微笑ましい。
……どうしたんだろう? 愛染さん。
彼女の様子を知りたいため、足が前に伸びていく。この間見せて貰った生け花は誰が見ても一流で、文句のつけようがない出来だった。それなのに、未だ完成してないのはおかしい。
進んでいくと、愛染さんの姿が見えた。彼女はまだ着替えておらず、青いビニールシートの上でラフなジーンズにTシャツ一枚で汗を流していた。
「……愛染さん? 大丈夫?」
声を掛けても愛染さんは気づかずに手を震わせている。右手には大輪の花を掴んでいるだけで、鋏は手元にない。
「愛染さん?」
「…………」
愛染さんとの距離を縮めても、彼女は息を荒げるだけでこちらを見ようとはしない。
……黙って待った方がいいだろうか。
息を潜め愛染さんの動きを待つ。いつもの彼女らしさは微塵もなく、焦りが見える。前回の時は作業しながらも片付いていたが、今日は至る所に道具が散乱している。
使わなければならない鋏は無残にもビニールシートの上に転がっている。
……何があったのだろう。
理由はわからない。だが彼女の心はここにはないようで、器を目にしては息が漏れているだけだ。俺が入ってはいけない領域に彼女はいるように感じてしまう。
時計を見ると、開場までに1時間を切っていた。今からで本当に仕上げることはできるのだろうか。
……この状態で、できる訳がない。
荷物を降ろし、愛染さんを見つめる。抜け殻の体がそこに座っているだけで、以前見た根を張った凛々しい正座姿ではない。
「愛染さん」
彼女の正面に回り込み、彼女の両手を合わせる。
「……深呼吸して」
彼女の両手には大輪の花がある。その両手を自分の両手で合わせて続ける。
「思いっきり息を吸って。そのまま大きく吐き続けて。これ以上、吐けないくらいにずっと……」
「……はぁ、はぁ」
愛染さんは俺にいわれた通り、息を吐き続ける。俺よりも小さい手が冷たく小刻みに震えている。
「愛染さん、そのまま目を閉じて」
彼女に熱を伝えるように、手に力を込める。俺のエネルギーを彼女に託すように、ぎゅっと思いを込めて。
「……ん。うん、あ、菊池君?」
愛染さんは目を開けて俺を見ると、やっと気づいたようで目を大きく開けた。
「うん。愛染さん、やっと気づいてくれたね」
「あ、いけないっ!」
彼女は俺の両手を振り払い、花の茎の先を少しだけ切って水につけ直した。
「水下がりする所だったわ。ありがとう、菊池君」
「あ、こっちこそごめん。いきなり……」
慌てて両手を引っ込める。花は熱に弱いということを聞いていたのに、俺はそのまま花にまで熱を込めてしまった。
「ごめん、おせっかいなことをして。大丈夫かなって思ってさ、体が勝手に動いちまった」
「いえ……私の方こそ……」
愛染さんのしおらしい態度に戸惑いながらも、言葉を述べていく。
「あ、愛染さんが少しでも元気になったらと思って。今の、うちのおまじないなんだ。母さんがいつもよくやってくれてたから、つい……」
「いいえ、私の方こそ。こんな醜態を晒してしまって……ごめんなさい」
2人同時に謝ると、愛染さんの口元がうっすらと緩んできた。いつもの彼女の姿だ。
だが彼女の手は震えたままで、花を挿せる状態にはなさそうだ。
「……よかったらさ、俺の書を先に見てくれないか?」
書を取り出し、彼女の前に差し出す。
「君に見せて貰った生け花、あれがあったから俺はこれが書けた。是非、愛染さんに先に見て欲しいんだ」
「……まだ誰にも見せてないの?」
「……ああ」
小さく頷き、彼女の手に寄せる。咲枝さんには見せてしまったが、今はそんなことをいってられない。ともかく彼女に展示できるよう激励したい。
「……ありがとう。拝見させて頂きます」
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