春の章 華道ガールとミックス展覧会 PART3



  3.



「で、結局、その子をナンパできなくて一人で来たって訳か」


「いやいや、初対面の同級生を誘う訳ないでしょ。花鈴がいるのに」


 手を振りながら飯田さんにいうと、彼は目を細めながら口元を緩ませた。激しい海風が頬をかすめ、また沖へと流れていく。


 朝の風とは違い、夕方のものは波乱を含んでいる。



「かー、男の癖に情けねえな! 男なら、浮気の一つや二つ、軽くやって見せろよ!」



「こんな田舎でそんなことやって、住める場所あります?」


「……ある訳ないだろう」


 飯田いいださんはきっぱりといいながら、にやりと笑う。


「まあ、お前にはそんなこと、期待していねーけどな! しかし、もったいねーなぁ。そんな美人だったら、連絡先くらい訊くけどなぁ」


「まあ飯田さんなら、そうするでしょうね。でも俺は浮気なんて興味ないですから」


「花鈴だからか?」


「いえ、親父みたいになりたくないだけです」


「……そうだったな」


 沖の風が段々と強くなり、岸の風がそれに合わせるように押し返していく。荒波が蠢いているが、大波に乗れる可能性が出てきている。


「よし、いい感じだ。そろそろ行ってくるか」


「この風で乗れますか?」


「ああ、当たり前よ。男なら――」


「黙ってキメる、でしょ」


「ああ、その通りだ」


 飯田さんはまだ肌寒い海の中に半袖のウェットスーツで入っていく。豪快なパドリングで海を渡りながらも、波を捉えピークを見定めながら沖の方へ向かっていく。



 ……この波は上級者でも難しい。今の俺でも、ポイントを見つけること自体できないだろう。



 朝の波は穏やかで綺麗に割れるのだが、昼を過ぎると風の流れが変わり流れがよみにくい。それでも飯田さんはボードの上に跨り、沖の海を睨んでいる。海上では揺れが激しいはずなのに、びくともせずバランスを取っている。



 ……あれに乗るのか、いくら何でも無茶だろう。



 突如、突風が吹き荒れ海の流れが変わっていく。些細な変化に目を尖らせながら彼を見ると、すでに背を向けて逆方向に泳ぎ始めた。


 飯田さんの動きに合わせて沖の波が徐々に大きくなっていく。風が強いため、勢いも激しい。最悪、波に飲み込まれる危険性だってある。


 

 ……本当に大丈夫なのか? 飯田さん。



 俺の心配を余所に荒れ狂う波のピークが飯田さんと交わり、ボードを押し上げる。その瞬間、波が崩れる前に素早くボードの上に立ち、波の道を激しく横切っていく。



 ……凄い、俺には絶対に真似できない。



飯田さんのボード捌きに唖然としながらも拳を固める。あんなでたらめな道を進もうと思えること自体、想定外だ。できないと思った自分が歯がゆい。挑戦することさえ、諦めていた自分が恥ずかしい。


 そのまま飯田さんは岸まで乗り切ると、豪快に笑いながらボードを横たえた。



「見たか? 涼介! どうだ、なかなかよかっただろう?」



「凄かったです! あんな風に俺も乗りたいです!」


 誰だってタイミングがわかれば波に乗ることはできる。だが予測が経たない風の流れを見切って、波に乗ることは誰にでもできることじゃない。


「そうだろう、やっぱ感覚だな! 風の流れを知らんと今のは無理よ」


 飯田さんは誇らしそうに湿った煙草に火を点けていう。


「ですね! ほんと凄いです。飯田さんの腕があってもプロのサーファーになれないなんて、考えられないです」


「プロの道は甘くはないぞ、涼介。どんな道でも極めるのは一筋じゃいかん。花屋の道も奥が深い、俺はまだ半人前よ」


「未だに飯田さんが花屋なんて信じられないですけどね」


 彼のポパイのように太い腕を見て思う。誰が見ても、漁師にしか見えない鍛え抜かれた体に繊細な花は似合わない。


「こればっかりは家業だから、なんともいえんがな。お前もなるんだろう? 書道家しょどうかのプロに」


「ええ、なりますよ。俺はみたいな書家しょかにはなりませんから」


 荒れ狂う波の奥を眺めながら思う。


「遠回りになっても、必ず母親の道を進んでいきます。だから、この波に乗る感覚で自分の字を書き続けていくつもりです」


「真面目過ぎるのもよくないがな。若いうちからそんな硬い考えを持ったら、波には乗れんぞ」


「硬派といって下さいよ」


飯田さんに突っ込みながらいう。


「オレは適当にその場の空気で、ふらついている親父みたいにはなりたくないんですよ」


「あーりょう、またこんな所で油売ってっ! もうとっくに教室時間、過ぎてるよ!」


 大声に驚き後ろを振り返ると、花鈴が怒りの形相で砂浜の方へ降りてくる姿が見えた。


「ふらふら遊んどる時間なんてないけんね! さ、帰って練習せないけんよ!」


「ま、花鈴が相手なら浮気なんて無理ですね」


「そうだな」


「なになに、何ていいよると?」


 2人で笑い合っていると、花鈴が眉間に皺を寄せながらこちらに近づいてくる。早い所、彼女の元へ向かった方がよさそうだ。


「それじゃすいません! また来ます」


「おう。頑張れよ! 全ては一歩からだぞ」



 ……いつかはこの波に乗りたい、そうすれば何でもできるような気がする。



 体の力を抜き荒波を見て未来の自分をイメージする。



 ……この地元で、俺は絶対に親父を超えてみせる。自分のやり方で。



荒波に向かう飯田さんを見て新たに誓いを立てる。



  親父を超える書道家に、必ず――。


 




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