第3話 出会い
第2章
海岸線、夜。晶たちは約束の時間よりも三十分早く着いた。もちろん暇だからではない。充分下見をして万が一の時の逃げ場を考えておくためだ。それから、何か相手に細工されないように、場所を指定した爆闘側よりも先に着くことが賢明なのである。
世の中は夏休み。晶が不良女に恨みを抱き始めてから三ヶ月が過ぎた。晶は男言葉が板につき、笑い方も髪をかき上げる仕草も、仲間のミス・ダンディたちのように男の子っぽくなった。相変わらず無口である。
約束の時間を十分過ぎると遠くでバイクの爆音が聞こえてきた。
「来たな」
「うるさい奴らだ。相変わらず人に迷惑をかけてやがる」
「なんか、随分人数が多くありませんか」
「ビビるなよ、女々しいぞ、ユウ」
「すみません。だからだめなんですね、オレ」そう言ってユウは晶の方を見た。晶は真中でドラム缶の上に座っている。海岸線を走るヘッドライトの群れを、比較的穏やかな目つきで眺めている。風のために前髪が揺れているが、その他は動きがない。ユウが溜息をつくと、タカやトシはハハハと笑った。
ヴォン、ヴォン、ヴォヴォヴォヴォ。
時を待たずしてバイクの群れは晶たちの目の前にやってきた。耳をつんざくような音にみんな顔をしかめた。バイクに乗っているのは金髪のソバージュ、青いアイシャドウでほぼ統一された約五十人の女ども「爆闘」の奴らだ。彼女たちは十五メートルほど前でバイクを止め、エンジンを切った。辺りはたちまち暗くなる。明かりと言えば近くにある一本の電灯と、遠くに輝く街の灯だけになった。
「海野晶ってのはどいつだ」
真中の一番年上らしい女がそう叫んだ。それが爆闘のリーダーだ。晶はそれを聞くと、ドラム缶から腰を上げ、仲間の前に出た。ちょうど電灯が晶の顔を照らした。
爆闘のメンバーは息を呑んだ。
―あれが…。
“あれが海野晶か。”“噂通りだ。”“いや、噂以上だ、はっきり言って…”
―かっこいい。―
晶は鋭い目で敵を見渡した。怒りなのか嫌悪感なのか自分でも分からない熱い感情がわき上がり、晶はこぶしを握りしめて身を震わせた。
「みんな、こんな奴らに負けるんじゃないよ。相手は女なんだ。人数はこっちの方が多い、負けたら爆闘の看板しょってられなくなるよ」リーダーはそう言ってバイクを降り、鉄の棒を手にした。爆闘の他のメンバーもそれぞれ棒やチェーンを手にし、バイクを降りた。
「ヤーッ」
爆闘のリーダーは晶めがけて突進し、棒をぶんと振り下ろした。それと同時にグループ同士の乱闘が始まった。
晶は振り下ろされた棒をスッと横へよけると、相手の右手を高く蹴り上げた。棒は飛んで行ったがすぐまた後ろから別の棒が振り下ろされる。一人につき五人。晶の仲間の中には頭を殴られて気絶してしまう者も出る。すると他のメンバーの相手が増える。何だかんだとやっているうちに晶とタカとトシが最後まで残り、まだ健在する三十人ほどの敵を三人で倒した。
「おい、大丈夫か、帰るぞ」
タカとトシは倒れた仲間を起こしに回る。
「しかしこれだけいるとちょっと辛いな。なあ、晶」
「…」
晶が黙っているのでタカとトシは顔を見合わせてフフと笑った。
「相手が棒を持っている時はヘルメットでもかぶるか」
帰り道、晶が呟いた。
「えー、やだー、かっこわりいじゃん」
とトシは言ったが、気絶させられた七人は何も言えなかった。本当にかぶらされるかもしれないと思って下を向いた。
「冗談だよ。これから頭だけは殴られないように気を付けろよ」
と晶が言うと、七人はキョトンとした。トシとタカは大笑いした。
そのままみんな家に帰ると言ったが、晶はまだ帰りたくなかったので、WINDOW MOONに寄ることにした。
「今日はお疲れ。傷、手当てしとけよ。俺は店、寄るから。また明日」
晶は目を反らしながらそんなことを言って一人でみんなと別れた。
「あ、ちょっと待った。俺もつき合うよ。じゃあな」
タカは慌ててそう言うと、晶を追いかけた。
「何か怪しくないか、あの二人」
トシが冗談ぽく言った。
「かっこいいなあ、晶さん…」
ユウは独りでは立っていられないのでトシに
肩を貸してもらい、腰をさすりながら相変わらず感嘆の溜息を洩らした。
「別につき合ってくれなくてもいいのに」晶は追い掛けてきたタカを見てまずそう言った。
「ん?だって、心配だからさ」
晶は意味が分からないといった顔でじっとタカの顔を見た。タカは晶と目が合うと急いで視線を外した。
「何が?」
「いや、その、つまり、女の独り歩きは危ないだろ」
「…変な奴」
タカはそう言われてしまうと、まあいいかという風に、一息ついてから笑った。本当は、「晶が淋しい思いをするかと思うと胸が痛む」と言いたかったが、多分そんなことを言うと怒るだろうし、強がって突っぱねられるだろう。だから言わなかった。タカは晶が一人でいる姿を想像すると、どうにもいたたまれないと思った。
「お前、どうして家に帰りたくないんだ?」
タカは横目で晶の顔を窺いながらそう聞いた。「帰りたくないなんて言ったか?」
「だって、そうなんだろ。いつも何となく帰りたくなさそうだよ」
「別に帰りたくないわけじゃないよ。ただ、帰ったってどうせ一人だし」
晶はそう言うと急に淋しくなった。一人ぼっちであることを思い出してしまったようだ。晶は本当に家に帰りたくなかった。一人で家にいると親を思い出してしまう。
「一人?お前一人暮らしなのか?あのでっかい家で?」
「この間家に上がっただろ」
「あの日はたまたまみんな出かけてるのかと思ったんだよ。…お前、親いないのか?」
「いるよ。ただ家にいないだけ。両親とも元気に働いてるよ。外国で」
「晶…今いくつだっけ?」
「十五」
タカは立ち止まった。晶も思わず立ち止まる。タカの顔は暗くてよく見えない。突然、タカは晶を抱きしめた。
あんまり驚いてしばらく声が出なかった。普通なら「何すんだよ」と言って突き放すのだが、今は何となく冗談として済まされないような感じだった。それでも少しすると、タカは自分を憐れんでるんだ、ということを思い出して、やっと冷静さを取り戻した。
「放せよ」
「…ゴメン」
「気にすんなよ」
そしてまた二人は歩き出した。
晶たちの傷が癒えた頃、また一通の挑戦状が店に届いた。晶たちは開店前、一つのテーブルを囲んでその挑戦状の封を切り、だいたいの段取りを決めた。闘いは明日の夜。場所は横浜の公園。
そして翌日の夜、またいつものように闘いが始まった。
その日、レディースではない、男の暴走族「横浜STRAIGHT THROUGH(ストレート・スルー)」の集会が予定されていた。そのヘッド、中条和弘は集会へ向かう途中、車の後部座席に座って外を眺めていた。すると、何となく公園の中が妙だ。
「けんかか?まさかうちのメンバーじゃないだろうな」
「え?あ、ホントだ。どうします?一応見てみます?」
「ああ。停めて」
和弘たち三人は車から降りて近づいていったが、すぐに女だということが分かった。
「なんだ、レディースかよ。ん?何か変じゃないか。男対女?」
「ちがうよ、オナベさんたちだよ」
「あ、ということは、あれですか、海野晶って子」
「え?誰、それ」
「和弘知らないの?有名なんだぜ、オナベ率いる海野晶っていう女の子。レディース荒し回っててさ、なんか強いらしいんだ。初めは一人で荒してたとかで怪物並なんだってさ」
「すげーかっこいいんだって女たちが噂してましたよ。でも彼女だけはノーマルなんだって」
「ノーマルって?」
「だから、レズなわけじゃなくて、普通だってことだよ」
「へーえ」
「どの子だろう。見てみたいなあ。ラッキーだよな、偶然通りかかるなんて」
和弘は他の二人がはしゃいでるのを見て、まったく…という顔をしたが、考えてみればその有名なほど強くてかっこいい女とやらが見てみたくなった。そこで三人は、もう少し近くへ行き、樹の陰に隠れて様子を窺った。しかし、暗いのと動いているのとで、一人一人の顔などほとんど見えず、まして海野晶がどれかということを判断するのは難しかった。和弘は一足先に車へと足を向けた。
「分かったんですか、中条さん、海野晶がどの子だか」
「いや。でもいいんだ。今度呼び出せば分かるだろ」
「うそ!マジ?やりぃ、さすがはヘッド」
「晶、また挑戦状が来たぜ」
タカが手紙を持ってやってきた。
「誰から?」
静かに晶は聞き返す。
「えーと、横浜ストレート・スルー…あれ?これって確か…」
「なに?ストレート・スルー?って、有名な暴走族じゃんか。ありゃレディースじゃないよ」
トシが横から顔を出した。
「男?何考えてんだか」
晶はほとんど表情を変えずに言った。
「どうする、晶」
「やっちゃおうぜ、大丈夫だよ」
「バーカ、かなうわけないだろう。すっぽかしちゃえばいいよ」
晶は自分が男ではないということをきちんと自覚しているし、自分の力を過信してもいなかった。
―男と闘う?何ておぞましいことだろう。冗談じゃない。
ミス・ダンディたちには不服かもしれないが、やはりどう考えてもかなうわけはなかった。ましてや有名なチームとなれば何人集まるか分からない。それに男に捕まったら何をされるか分からない。だから挑戦にはのるべきではなかった。ストレート・スルーからの挑戦状はその場で破り捨てられたのだった。
横浜ストレート・スルーの方では、何時間も待たされ、とうとうすっぽかされたのだからただごとではない。あろうことか横浜で一、二を争う暴走族がただいたずらに待ちぼうけをくらったのである。しかし、だからこそ余計に、どうしても和弘は晶に会いたくなった。人間の心理としては極めて正常なことである。ちょっと会ってみようかと思ったところ簡単には会えないことが分かる。そうするとますます会いたくなる。意地でも会って、そして捕まえておきたい。和弘は久しぶりに燃えていた。
そこで彼は次なる作戦を思いついた。多分彼女たちは男とは闘いたくないのだろう。そりゃそうだ。自分たちはあまりにも有名で、名前を聞けばすぐに男だということが分かってしまう。彼女たちはレディースを潰したいらしいから、レディースの名前を借りて手紙を出せばいい。そして和弘はその作戦を実行した。
「晶、爆闘から手紙が来たぜ。まだ懲りずにやりたいかねえ」
またタカが手紙を持ってきた。
「…爆闘?…おかしくないかな」
「おかしいって?」
「いや、考え過ぎかもしれないけど、この間の横浜ストレート・スルーが偽名を使って来たってことはないかなあ。何となく、爆闘はもう来ないと思うんだ」
「とにかく心配なら調べた方がいいよな。この手紙を出したかどうか、爆闘の奴らに聞けばいいんだろう?」
「怖くないですか?一人で」
ユウが顔を出す。
「一人?ばか言うなよ。あ、そうか、晶がいれば百人力だな。何せ、人気者だからな」
晶とタカとトシは爆闘のたまり場へ出かけた。そこは割合と明るい店の一角だった。この間の年増のリーダーが奥に座っている。晶たちが入って来ると、そこにいた女たちは全員身構えた。晶たちも一瞬動きを止めて目だけを動かす。晶は、周りの様子を見て大丈夫だと確信するとツカツカと躊躇なくリーダーの方へ歩み寄り、リーダーの前の座席に座った。タカとトシはそれからその後ろに立った。晶は片手で頬杖をつき、リーダーの側近たちをジロリと一回眺め回してから正面のリーダーを見た。彼女たちは恐怖の顔から恥じらいの顔に変わった。晶はいつの間にか自分の役割と力を把握しているらしい。
「何の用だい?もう、ケリはついたはずだよ。そりゃ、看板はしょってるけど、でももう私もそろそろ引退するし」
晶は少しうろたえているリーダーを見てニヤッとした。
「もう聞かなくても分かってるんだけどさ、これに見覚えは?」
晶は例の手紙をテーブルの上に置いた。リーダーだけでなく、その手紙が見えたメンバーたちは皆一斉に目を見開いた。そして次の瞬間、恐れおののいたような顔で晶たちの方を見た。
「し、知らない。これはうちが出したんじゃない。誰かの陰謀だ」
「分かってるよ。だから聞きに来たんだ。爆闘さんが知らないって言ってるんだから、俺たちは行かなくていいんだな」
リーダーは頷いた。晶はゆっくりと立ち上がった。そして出入口の方に体を向け、店の中を一回り見渡すと、タカとトシを従えて歩き出した。爆闘のメンバーは誰一人として動かなかった。晶とタカとトシの強さは半端ではない。彼女たちはよく分かっていた。ただ、この間は暗くてよく見えなかった晶の顔を、ジーッと見ていた。
晶たちは出口から出ると一散にかけだした。念には念を押してのことだ。ひょっとしたら誰かが連絡しに行って逆襲のために人数を集めているかもしれない。
「なんで走るんだよ、晶」
「サインねだられるのが嫌なのか?」
「バーカ、危ねえからだよ」
晶たちが店を出た後、一瞬の間を置いて爆闘のメンバーたちは一斉に外を覗いたが、その時にはもう三人の姿はなかった。
「おい、火」
リーダーは奥に座ったままタバコをくわえた。「…ねえさん、タバコが逆です」
「え?ああ。まったく、ビビらせやがって。…それにしてもいい顔してるね、あの海野晶って子は。おっかなくなければ可愛がってやるのに」
ピンポーン……ピンポン ピンポン ピンポーン……
―誰だ、こんな時間に。
晶はムックリと起き上がり、玄関へ向かった。まだ午前十時。晶はまだ眠ったばかりだった。と思ったが、そろそろ起きてもいい頃だった。「はい」
「おや、誰だ、お前!」
ドアを開けると二人の警官が立っていた。晶は一瞬やばいと思ったが、誰だと聞かれて何だか拍子抜けした。
「あの、この家の住人ですけど」
「あ、ああ、じゃあ、晶ちゃん?」
「はあ」
警官は晶を男の子と見間違えたのだろう。まあ無理もない。
「寝ていたのかな?病気なんだ」
「…」
「君のお母さんから連絡があってね。いくら電話しても出ないから、ぜひ見てきて欲しいって」
「お…母さん…が…」
「一人で留守番なんて大変だね。早く病気を治して、たまにはお母さんに手紙でも書いてあげなさい。とても心配してるから」
警官はにこやかに帰っていった。
―何が手紙だ、絶対に書いてやらない。いくら電話してもだと?一度や二度ぐらいなんじゃないのか。警察なんかに頼んで…自分で帰って来ればいいじゃないか。いくら忙しいからって…。
晶は涙が溢れて来るのを慌てて止め、首を強く横に振った。そしてふと電話を見た。ずっと使われていない留守番電話。もちろん赤いランプはついていない。一言ぐらい入れたっていいじゃないか。ただ無事でいるかどうか確かめるだけか…それだけなのか…。
待てよ。晶はふと思いついた。自分はもうしばらく学校に行っていない。学校からも電話は来ていない。恐らく親の方にも連絡などは行っていないだろう。友達も誰一人として…。フッと晶は笑った。何だかおかしい。なんて自由な中学生なのだろう。今までの行いがそうとう良かったと見える。
「海野に限って登校拒否なんてありえない、ありえないんだ。きっと病気なのだろう」
先生はそんなことを言ってなるべく厄介な事を避けようとしているに違いない。
「そりゃそうだね。今、みんなの受験のことで忙しいもんね。三年生の担任っていうのは大変だから」
晶はそう呟いてゆっくりと階段を上った。また寝よう。そしてまた夕方出かけよう。
その頃、晶の母は、もちろん晶のことが心配でならなかった。
「ああ忙しい。こっちへ来てまだ一日も完全に休みの日がないなんて。私ほど忙しい人間は世界中どこを探したっている筈がないわ」
確かに彼女ほど忙しい人間はいないだろう。なぜなら、彼女は容量が悪いからである。もっと上手く人を使わなければならない。しかし、彼女はみんな一人でやろうとしている。どこか焦っているのだろう。どうしても夫には負けたくないのだ。もちろん晶のことは心配。けれども手紙を書く暇さえない。何度か電話をしてみたが何せ時差がある。かける時間は限られる。彼女は晶が学校に行っていると思っているので、夕方に捕まえるために彼女の仕事の前にかける。朝起きて仕事が始まるまでの時間は日本では夕方で、晶はちょうど店へ出る頃だった。
「晶さん、大変です」
まだWINDOW MOONの開店時間前、日もまだ落ちていない。仲間の一人が大慌てで走ってきた。
「どうした?」
「すみません、ユキが捕まりました。例の、横浜ストレート・スルーの奴らです。それで、九時に横浜の第四倉庫に一人で来いって晶さんに伝えろと言われて、すみません。本当に、俺」
晶は愕然とした。避けてばかりはいられないのか。それにしても一人で来いとは…。
「横浜に九時か…」
「待て」
タカは慌てて晶の前へ出た。
「相手は晶のことが目当てなんだ。晶は行かない方がいい。俺たちでユキを救い出しに行く」
晶は考え込んだ。どうしたらいいものか。もし仲間に行かせて救出に失敗したら。自分が現われるまでは何度でも、いや、どんどんひどいことをして自分を誘き寄せようとするだろう。しかし、一体なぜ…。自分は女だ。ミス・ダンディとはやはり違う。自分が女だから奴らは…。そう考えるとひどく恐ろしい。捕まったら大変だ。しかし、仲間を犠牲にしてはいけない。元々自分一人で始めたことだ。とにかく、とにかくユキを助けなければ。
「行こう。今すぐ」
「え?でも九時なら…」
「時間通りに行く奴があるかよ。多分ユキはもうその倉庫に閉じ込められているだろう。今なら見張りも少ないと思うし」
「でも、晶は行くなよ」
「大丈夫だよ。向こうは俺の顔を知らないんだし」
「なんで分かるんだよ。知ってるかもしれないだろ」
「知らないよ。知っていれば直接俺を捕まえにくるだろ。とにかくお前らにまかせといちゃ危っかしくて。勝てっこない相手とでもすぐけんか始めちゃうだろ」
仲間たちは苦笑いをした。確かにそうだ。
「とにかく、ユキが無事でいてくれるといいんだけど」
晶がそう言うと、仲間たちは無言で顔を見合わせた。そして店をとび出していった。
だいぶ薄暗くなってきた。横浜の第四倉庫に着くと、まずこっそりと裏へ回った。晶たちは六人。とりあえず店にいて、私服だったのがこの六人だったのだ。タカとトシもその中に入っている。倉庫の裏には少し高い所に窓があった。比較的狭い倉庫で、その窓もとても小さい。人間がやっと通り抜けられるくらいの大きさだ。その窓からそっと中を覗くと、後ろ手に縛られたユキがドラム缶の傍らに座らされていた。そしてユキよりも正面の入口に近い方に椅子が二つ置いてあり、見張りが二人座っていた。
「みんな、正面へ回ってあの見張りの気を引いていてくれ。その間にユキを助ける」
「一人でか?」
「正面へは多く行った方がいい。なるべく時間を稼いで欲しい」
「よし、分かった」
小声で話し合うと、晶以外の五人は正面へ回った。
正面の入口の外にも見張りが二人いた。五人が姿を見せるとその見張りは驚き、大声を出したので、中にいた見張りもそっちに気を取られた。晶は窓を少しずつ開けていたが、この時にひらりと中へ降り立った。ユキが縛られているドラム缶の後ろに身を隠し、ユキが振り返ると静かに、という風に指を口に当てた。見張りの一人が入口の扉を開けると、外に例の五人がいてはったりをかましているので驚き、自分も外に出て、急いで扉を閉めた。晶はこの時までにユキを縛っている縄を解いていた。そしてユキと一緒にそうっと窓から逃げようとした。そこに残っていた見張りの一人も外の様子に気を取られていたが、ユキが窓によじのぼるのに音をたててしまったので気づいてしまった。
「あっ、てめえ」
その男が騒ぐと困るので、晶はすぐに走っていってその男の腹に一撃をくらわした。その男は小さくうめき声をあげてその場に倒れた。気を失ったらしい。晶とユキはそれで難無く外へ出た。
外の方では問答が繰り返されていた。
「てめえら、まだ時間じゃねえだろが」
「ばかやろう。九時までなんて待ってられっかよ。早く仲間を返しやがれ」
「なにー、俺たちをなめんなよ。よし、分かった。海野晶と交換だ」
「そうだそうだ。海野晶に一人で来いと言ったはずだろ。他の奴には用はねえ、海野晶はどいつだ」
「…」
五人はちょっと困った。トシはそこで思い切って、
「俺が海野晶だ」
と言ったが、タカもすかさず、
「いや、俺だ。俺が海野晶だ」
と言い、そこにいた、パシリをやらされたリキ以外の四人がみんな自分だと言い出した。「コラ、怒らせんなよ、女ども。どれだー?」男どもがジロジロ下から眺める。みんな女の子みたいに怖じけずいたりしない。するとそこに一台の車が停まった。ヘッドとその他四人が乗っている。
「何やってるんだ」
「あ、ヘッド。奴らが来たんすけど、みんなで自分が海野晶だって言い張ってるんですよ」するとそこへ晶とユキが五人の十メートル後ろ、男どもの正面から現われた。ちょっと地面が堆くなっている所に立っている。見張りをしていた男はユキを見て驚いた。
「あっ、てめえ。いつの間に」
「晶さん!」
リキは思わず喜びの声をあげた。
「晶?あいつが?」
夕日を背に浴びている晶は、どんな表情をしているのか、みんな分からなかった。中条和弘は、その夕日を背にした晶を、美しい彫像を眺めるような気分で見た。
―あれが海野晶か―
「逃げろ」
突然晶はそう言った。タカとトシはすぐに走り出したが、他の三人は一瞬何を言われたのか分からなかったので、出だしが遅れた。三人が男どもに捕まってしまったので、走り出したタカとトシも仲間を助けるために男に殴りかかり、突如乱闘騒ぎになった。
「あいつら…」
晶は呆れたようにそう言ったが自分もその乱闘の中に入っていった。
唯一人何もしていなかった和弘は、晶がけんかの中に入り、男を一撃ではねのけているのを見ると、ツカツカと輪の中に入り、晶の手を掴んで上に持ち上げた。和弘は身長が一八0cmほどあり、かなり腕も太い。晶は腕を持ち上げられた途端、かなわないと悟った。そしておとなしくなった。
「捕まえた。おい、お前ら、そいつらのことは放っておけ」
和弘はそう言うと、晶を車の中に連れていった。
「晶!」
「晶さん!」
仲間たちは乱闘をやめて晶の方へ走って来ようとしたが、男どもに阻止された。
「大丈夫、心配するな」
晶はそう言っておとなしく車に乗った。
「ヘッド、これからどうするんですか、その子」
「まずは集会でおひろめだ」
「なるほど、みんな喜びますよ」
「ストレート・スルーの株も上がるな」
晶と和弘とその他二人を乗せた車はある喫茶店に着いた。晶はずっと黙っていた。内心ものすごく怖かった。これから何が起こるのか、自分がどうなるのか。喫茶店にはストレート・スルーの仲間が何人かいて、晶たちが入ってくると、みな和弘に挨拶した。場所が整えられ、上座に和弘が座り、その横に晶が座らされた。
「いいか、あんまりこの子に気軽に近づくなよ」
和弘が仲間に言った。
「なんで?」
「危ねえから」
「つえーの?」
「男でも一撃で倒すぜ」
「ほぇー」
逃げるチャンスはいくらかあった。しかし和弘には隙がないような気がする。男どもがウジャウジャいる中で暴れるのは却って恐ろしかった。もしかしたら、晶は恐怖で身が竦んでいたのかもしれない。晶が座るとみんな物珍しそうに晶を見ていた。
しばらくそうして座っていると、どうやら集会が始まる時間になったらしく、公園に連れ出された。大勢の不良たちが見ている前で、和弘は晶の腕を掴んで真中に連れていった。
「喜べ。あの海野晶を捕まえたぞ。大いに自慢しろ」
和弘がそう言うとワーッと歓声が上がった。晶はうつむいたまま上目遣いに不良たちを見た。女もちらほらいる。斜に構えてこっちを睨んでいる。ばかみたいだ。かっこ悪いのにかっこいいと思っていやがる。
「一足先に帰るぞ」
「えっ、もうですか」
「こいつ連れて家に帰る」
「ああ。じゃ、車回します」
和弘は晶を連れて自分の家に向かった。三人の仲間を連れている。晶はまだ一言もしゃべっていなかった。
「随分おとなしいんだねえ。本当に女の子なの?」
晶はそう言った男をちょっと睨んだが、何も言わなかった。そんな晶を見て和弘はくくっと笑った。
あるアパートに着いた。和弘は晶の腕をしっかり掴んでいる。アパートは案外広かったが、こいつの体の割には狭すぎるな、と晶は思った。
「世話かけたな。もう帰っていいぞ」
「えっ、こいつどうするんですか。…まさか一人でお楽しみなんて…」
「バカ。何考えてんだ」
「だって…なあ」
「そうっすよ。興味あるじゃないですか。俺はてっきり回すのかと」
「変態か、お前らは。回すならもっと色っぽい女で勝手にやってろ」
「はあ」
「早く帰れ。俺を怒らせんなよ」
「す、すみません、失礼します」
男どもは帰っていった。晶はこのでっかくて強そうな暴走族のヘッドが、一体自分をどうしようとしているのか分からなかった。ただ、少し怖くなくなった。
「ええと、どっかにあったよなあ…」
和弘は何かをゴトゴト探している。晶はただ茫然と立っていた。逃げようと思えば逃げられる。だけど、こいつがこれから何をしようとしているのか何だか知りたくなった。元々どうでもいい体だ。
「あった」
和弘が出したものは…手錠だった。和弘はそれを右手に持つとパッと晶の方を振り返り、振り返ったと思ったらもう晶の右手首にそれをはめていた。
「なっ」
晶は思わず声をあげた。和弘はその手錠を自分の左手首にもはめ、鍵をポケットに入れた。「さ、メシでも食いに行くか」
和弘はニコッと笑った。晶はまだぽかんとしていた。
二人は外に出て歩き出した。
「手錠してちゃ、バイクにも乗れねえな」
そう言って和弘は笑った。
「おとなしいね。俺、中条和弘。カズヒロと呼んでくれ。機嫌悪いか?」
「当たり前だろ」
「フフッ。お前、なんで逃げようとしないんだ?ま、逃がさねえけど」
「…」
「つえーよな、お前。俺も負けるかな。女に負けたんじゃかっこわりーよな。頭はってられねえよな」
「冗談だろ。負けるなんて思ってないくせに」
「ふーん、俺の強さを見抜いてるわけだ。流石だ」
「なんでこんなもん、つけんだよ」
「ん?手錠のこと?そりゃあ、お前が逃げないようにだよ。俺一人だと逃げられちゃうかもしれないからな」
「…ったく、かっこわりーのに」
晶は後悔した。こいつは変態かもしれない。早く逃げていればよかった、と。
手錠をしたまま二人は繁華街に出た。時々和弘に挨拶する人がいる。本当に有名なんだな、と晶は感心した。しかも、女がキャピキャピしている。晶に恨みのありそうな連中も、晶のことなど無視して和弘に愛想を振りまいている。和弘を見ると、意外にも女どものことを無視していた。ニコリともしていなかった。晶のことをキャーキャー言ってる奴もいた。しかし晶の場合、下手すると殴られてしまうので、陰ながら…である。和弘はそういう女の子たちを見て改めて感心し、そういうすごい子を連れていることを嬉しく思った。誰も二人が手錠でつながっているとは思わなかったし、二人が一緒にいることを不自然だと思う人が多かった。
二人はある店に入った。そこのマスターと和弘は顔なじみのようだった。二人はカウンターに座った。
「何食べる?晶ちゃん」
和弘は楽しそうに言う。
「何食べるじゃないだろう。右手がこれじゃ食えねえよ」
「スパゲティーがうまいよ」
「―!」
一瞬怒ってみたが、和弘の笑顔は何か憎めない。
「それでいい」
「O.K。マスター、いつもの二つ」
「おい、トイレ行くからこれ外せ」
「トイレ?ついてったろか」
「バカかお前は」
「ああ、そっか。お前女だっけ」
このやろう。晶は思わず左手で殴りかかった。しかし和弘はその拳を右手で受けとめた。「おっと。分かった、分かったよ。でもなあ…逃げるんじゃないのか?逃げないなら外してもいいけど」
「どうでもいいけどトイレ行きたいんだよ。早くしろ。逃げないよ、逃げない」
和弘は渋々鍵を出し、手錠を外した。晶は本当にトイレに行った。手首が痛い。何とか逃げてみるか。
トイレを出ると、もうスパゲティが二つ出来上がっていた。和弘はタバスコをかけようとしてふたをしたまま瓶を勢いよく振っている。カウンターの後ろをさりげなく通れば何とかなるかも。晶はそうっと和弘の後ろを通った。すると、和弘は前を向いたまま左手を後ろに伸ばし、
「何処行くんだ」
と軽く言った。晶はがっかりして椅子に座った。和弘はニヤニヤしながらフォークをスパゲティに刺した。スパゲティは温かくておいしかった。いらないと言ってるのに和弘が晶のスパゲティにタバスコをかけたのだが、それが却って良かったのかもしれない。いつも一人になってしまうのに、今日は一人になりたくてもなれない。晶は、久しぶりにいつもの淋しさから解放されていた。
晶は、その他いろいろな所に引っ張り回された後、また和弘のアパートに連れてこられた。
「明日の朝ちゃんと送るからさ、今日は泊まってけよ。まだ帰しちゃもったいないからな」
「帰りたいって言ったって帰さねえんだろ」
「まあな」
和弘は帰りにコンビニで買ってきた食料を冷蔵庫に入れながらしゃべっている。手錠は外された。
「なんで俺のこと、捕まえたの?」
晶はちょっとだけドキドキしていた。泊まるとはどういうことなのだろう。別に、こいつと一緒にいてもいいな、と思っていたけれど、本当の和弘がまだ隠されているのではないかと思って探りを入れたくなった。和弘はちょっと手を休めて晶の顔を見たけれど、またすぐ野菜に手をかけ、パタパタと素速くかたづけて冷蔵庫の扉をバタンと閉めてから言った。「お前が有名だったからさ、ちょっと見てみたくなたんだよ。」
「じゃ、別に怒ってるわけじゃないんだ。すっぽかしたこと」
「ん?ああ、まあな」
「でも、見てみたかったんなら、見ただけでよかったじゃん」
「見たら一緒に遊びたくなったんだよ。なんかお前かわいいんだもん」
「え?」
「美少年って感じ。俺弟欲しかったからさ。俺に弟がいたらこんな感じかなって思ったんだ。ちっちゃくて、年の離れた弟って感じだもん、お前」
「年の離れたって、そんなに離れてないだろ」「いくつ?」
「…十五」
「ふーん。思った以上に若いじゃん、俺は十八だから三つ違いだね。本当に弟みてーだよ、お前」
晶は別に男扱いされるのは慣れていたし、それで傷つくことはなかったけれど、今はなんとなく淋しい気がした。でも、和弘が本当に自分を男扱いしているなら、とりあえず安心だなと思った。ドキドキはおさまってきた。
「さあて、寝るかね。パジャマ貸してやるからな。おっと風呂沸かさなきゃ」
和弘は本当に嬉しそうだった。最初は随分怖そうな奴だと思ったけれど、こうなると優しいお兄ちゃんといった感じだ。お兄ちゃんがいたらこんな感じかな、と晶は初めてそんなことを思った。そして、お兄ちゃんがいたら一人ぼっちじゃなかったろうなと思って胸が少し痛くなった。
二人で順番に風呂に入り、晶は洗濯をして、二人分の洗濯物を風呂場に干した。下着を見られたらやだなあと思ったけれど、仕方がない。ユニットバスなので、トイレに行くと洗濯物が見えてしまうので、和弘がトイレに行って布団に入った後に干した。
晶が洗濯物を干し終わって戻ってくると、和弘はベッドの上に上半身裸で座っていた。そして晶がブカブカのパジャマを着ているのを見て笑った。和弘は本当に弟のように晶がかわいいと見え、晶の腕を引っ張って頭を撫でたりした。晶は、今更意識するのも妙なので、一緒にベッドに入った。和弘は正直言ってかっこ良かった。
「あんた彼女いないの?いくら俺でも女泊めちゃまずいんじゃねえの?」
「彼女はいないよ。なんか女は面倒くせえんだ。自分で言うのもなんだけど、モテ過ぎてうんざりって言うの?まあ、周りにいい女がいないのかな。こう、命がけで守りたいような女がさ」
「ふーん」
晶は疲れていた。誰かと一緒に寝るなんて久しぶりで、何だか気持ちが良かった。疲れているのに、なかなか眠れなかった。
明け方、ようやく晶が眠れた頃、和弘は起きてトイレに行った。寝ぼけ眼でトイレに行くと、洗濯物に顔をぶつけて驚いた。そのぶつかった物を見るとさらに驚いて、目が覚めた。用を済ませてベッドに戻ると、和弘はボーッと晶を見た。そして思いっ切り頭を横に振り、静かにベッドに座った。
―女の子か…。いや待て、弟じゃなくて妹だと思えばいいんだ。そうそう、妹だ。
和弘は気を鎮めて横になった。しかし何だか気になって、横にいる晶を見た。そっと晶の前髪をかき上げてみる。そして顔を触ってみる。すると晶は目を覚まし、パチッと目を開けた。二人は目が合ったまま、何を言ったらいいか分からずにいた。薄暗い部屋の中で、今、二人は男と女になっている。相手が何を考えているのか測りかね、次の動作に移れない。
そのうち晶は、これじゃいけない、と感じた。昨夜二人がどのように会話をしていたか、少しずつ思い出してきた。自分は女じゃないし、いわば捕虜だ。
「今何時?」
晶はその体勢のまま低い声でそう言った。
「え?ああ、今は―五時半」
「早いじゃん」
晶は、和弘が時計を見るために目を逸らしたとき、呪縛が解けたように起きあがった。
「もう起きるか?」
「早く帰してもらわないと」
「ああ、そうだな」
和弘はまだ、夢うつつの感じだった。しかし、晶が立ち上がって洗面所に行こうとすると、和弘は急に我に返ったようにガバッと晶を後
和弘は急に我に返ったようにガバッと晶を後ろから捕まえてベッドに座らせた。
「な、なんだよ、放せよ」
「ハハハ、おもしれえ、お前、かわいい」
「っとに、気色わりいなあ」
腰に巻きついた和弘の腕を懸命に解き、晶はアカンベーをして洗面所に逃げ込んだ。そして顔を洗い、服に着替えた。
朝食を食べた後、和弘はバイクで晶を家に送った。バイクの後ろに乗ったのは初めての晶は、かなり必死に和弘にしがみついていた。 晶の家に近づくと、家の前に数人の男が屯っているのが見えた。しかしよく見ると男ではない、晶の仲間たちだった。晶はズキンと胸が痛んだ。一晩中心配してここにいたのか。店にでも電話しとけば良かったのに、自分は仲間のことを忘れていたのか。
「いい仲間を持って幸せだな、お前」
和弘が小声でそう言った。晶は、みんなに申し訳ない気がして、和弘にはあまりいい顔ができなかった。ただ、仲間たちがものすごい形相で和弘を睨んでいたので、乱闘は防がなければ、と思った。
「みんな、心配かけてごめん。ほんと、ごめん。俺は無事だから」
みんな聞いてないといった風に和弘を睨んでいる。今にも飛びかかろうと少しずつ和弘に歩み寄っている。もはや言葉も出ない様子だ。「おお、こえー。悪かったよ。大丈夫だって、何もしてないから。じゃ、晶ちゃん、ちょくちょく店に遊びに行くからね」
和弘は早口でそう言うと、バイクで去った。仲間の何人かは、
「待ちやがれ!」
とか言いながら少し追いかけていった。タカは晶のところに走り寄ってきた。硬い表情のまま言葉もなく晶を見つめている。晶はタカがこんなに自分のことを心配していたのかと思って胸を打たれた。
「晶さん」
「晶、大丈夫か」
ほかの仲間たちも晶を囲んだ。
「みんな、ありがとう。本当に何もされなかった。あいつ、変な奴でさ、俺を弟みたいとか言って街引っ張り回したりしてさ。電話くらい出来たのに、ホント、ごめん。もう、心配かけたりしないから」
みんなはこの晶の言葉を聞いて安心したけれど、タカだけは浮かぬ顔だった。
みんなが帰るとき、晶はタカを引き留めた。
「タカ、怒ってるの?」
「いや」
タカはあまり話そうとしない。
「うち、入れよ」
晶がそう言うとタカは黙って家の中に入った。 家の中に入ると、突然タカは晶を抱き締めた。晶は驚いて声も出ない。
「怖かっただろう」
「え?」
「俺が一緒にいながら、お前だけ連れ去られるなんて。俺は自分が許せない」
「ちょっ、分かった、分かったから放せよ。くっ苦しいよ」
タカはようやく晶を放した。そして床に膝を付いた。こりゃかなり落ち込んでるな、と晶は思った。さて、どうしたものか。
「タカ。俺は本当に行きたくなかったなら、多分逃げられたと思うよ。途中でだって逃げられたと思うし。俺はさ、体なんかどうなっても構わないんだ。もちろん心だって、これ以上傷つくような気もしないし。だから、まあいいやって思ったんだよ。タカのせいじゃない。自分のせいだよ、捕まったのは。あのヘッドさ、面白い奴でさ、自分はモテ過ぎて女にはうんざりだとか言っててさ、俺みたいのが気に入ったみたいなんだ」
「晶も?晶もあいつが気に入ったのか?」
「え?んー、まあ」
タカはショックを隠せないといった風に大きく目を見開いて晶の顔を見た。
「タカ、俺のこと好きなの?」
「え?いや、その。…実はそうなんだ」
「女として?」
「うん」
「そうか。俺もタカのこと好きだけど、やっぱり女同士というか男同士というか」
「あいつは?あいつとは男と女って気がするのか?」
「いや、あいつとは男同士って感じで、兄弟という感じかな」
「ふーん」
タカは少し元気を取り戻したらしい。告白してスッキリしたと見える。
「それじゃ、店で会おうぜ」
と言って帰っていった。
その後和弘は、しょっ中、WINDOW MOONに来るようになった。夕方、晶が店に出ていると、和弘が一人でバイクでやってきて、晶を呼ぶのだ。
「すみません、ここは男性の方お断りなんですけど」
と言われるのはいい方、晶の仲間に見つかったならば乱闘騒ぎが起こりそうになる。ある日、ユキが店の入口にいると、和弘がやってきた。
「やあ、晶ちゃんいる?」
「お前は、…てめえ、何しに来た。晶さんに何の用だ」
それを聞いたトシや、そして私服で来ていたタカが来て、
「このやろう、よくもぬけぬけと」
「表出ろや、いい加減にしねえと…」
そこへ晶がやってきた。奥に私服で座っていたのだ。
「あーあー、ちょっと待った、タカ、トシ」
「よう、晶ちゃん、今日は非番?遊びに行こうよ」
「お前、もうちょっと角立たないように頼むよ」
そんなことを言いながら、仲間には悪いなと思いつつ、晶は和弘のバイクの後ろに飛び乗り、行ってしまう。残された仲間たちはあっけにとられる。そして、こんな風に和弘が晶を迎えに来ることが、一週間に一、二回行われるようになった。
晶と和弘は二人でいろいろなことをして遊んだ。料理をしたり、スケートボードをやったり、バッティングセンターに行ったり。少しでもいかがわしい所に行くと知り合いや敵に会ってしまい、二人がお互いに統領であるため、無邪気に遊んでいられなくなる。だからなるべく子どもやおじさんばかりがいるような所へ行った。
しかし、それでもいろいろな所で見つかっていたらしい。ある日、晶に挑戦状が届いた。―男女のくせに、私たちの和弘様をとるな。―
と書かれたその挑戦状は、和弘のファン一同からだった。今までとはちょっと違う。ものすごい恨みを感じる。しかも、一番違うことは、晶の仲間が一緒に闘ってくれないことだった。
「最近の晶さん、ちょっと変だよ。俺が憧れてた晶さんじゃない」
「女同士のいがみ合いじゃねえか。恋だの愛だのの問題だろ。俺たちが出てくのはおかしいよ」
「近頃ずっとけんかなかったし、なんか平和の方が良くなっちゃった。俺らの統領は男できて腑抜けだし、女の子殴るのもさあ、やだな。女の子と仲良く遊んでる方が楽しいもん、俺」
陰口がだんだんクレッシェンドしてくる。晶はどこからだか分からないがちゃんと聞こえていた。晶は久しぶりに涙が出そうになった。強くなってたわけじゃない、仲間に支えてもらってた。今、改めて気づいた。
…だからダメなんだ。自分の事ばっかり考えて、友達をなおざりにしちゃうんだ。いつも、いつも。だから友達なんかできない。孤独がお似合いなんだよ、俺は。
確かに、自分に嫉妬した女の子たちに呼び出されたのに、みんなを連れて行くのはおかしい。いつの間にか晶は、仲間が一緒に闘ってくれることを当然の事として期待していた。そんな自分が情けなくて恥ずかしかった。今日は一人で行こう。
思ったよりも敵は大人数だった。けんかは久しぶりだし、一人でこんなに相手したことはない。しかも、恨みはこっちよりも相手の方が募っている。晶は、人に助けを求めたかった。
乱闘が始まった。弱気になっているとは言ってもすっかり習慣として身に付いているけんかである。そう簡単にやられる晶ではなかった。しかし、一人で大勢を相手にしているのだから、まず疲れて来るし、そして一斉にかかってこられるとよけきれない。だんだん体中の打撲が痛んできて、立っていられなくなってきた。刃物だけはよけなきゃと思っていたけれど、とうとう顔をやられた。晶はだんだん崩れていった。意識が遠のいていく。
―助けて、和弘…―
そこへ、誰かがバイクで乗り込んできた。それを見て、晶を殴っていた女どもは動きを止めた。和弘が来たのだ。和弘はバイクを止め、ヘルメットをとって和弘のファン一同をすごい形相で睨みつけた。ファン一同は目を合わせられずにうつむいたり目を反らしたりした。
「晶、乗れ」
和弘は周りの女を眺め回しながらそう言った。晶は何が起こったのかよく分かっていなかったが、和弘の声を聞いてやっと、助かる、と感じた。そして晶はバイクの後ろに乗り、二人はファン一同を置きざりにして走り去った。
夕暮れの海岸。和弘は晶をとりあえず休ませるためにバイクを停めた。
「もう、けんかなんかするなよ。せっかくの美貌が台無しだろ」
「うん。水」
「よし、何か買って来るから待ってろよ」
和弘は走って自動販売機まで買いに行った。風が気持ち良い。海岸ではカップルが何組か歩いている。晶は目を細めてそれを眺めていた。顔の傷は大したことはなかったが、とりあえず殴られて口の中を切っている。何か飲んだらしみるかなあ、などと考えていると、誰かの顔が目の前に現れた。
「あれえ、海野さんじゃない?」
懐かしき、野村昭次だった。昔、好きだった人。でも今は嫌な思い出しかない。そう言えば、自分がこうなった発端の事件は、こいつの彼女の嫉妬だったっけ。今日は和弘のファンの嫉妬にやられた。今日こいつと会うとは何という偶然だろう。野村は、晶が今有名になっていることを知っているらしい。
「随分感じが変わったよねえ。びっくりだよ。秀才だったのになんで?うちの族に捕まったでしょ。それ以来話聞いてないから、どうなっちゃったのかなと思ってさ、心配してたんだよね」
晶は、野村としゃべると昔の自分に戻りそうで、これだけ擦れて、こいつの族のヘッドとまで親しくしゃべっているのに、不思議だった。
「こらあ、ヒトの女に何チョッカイ出してんだ!」
ジュースの缶を手にした和弘が戻ってきた。それを見て、野村とその仲間は飛び上がった。和弘は野村たちのことをとくに知らないようだった。
「ヘ、ヘッド、ど、どうも、実はこいつとは同じ中学でして…」
とか何とか言って、野村はヘコヘコしながら走って逃げていった。
―情けないなあ、中学の中ではみんなに恐れられてるっていうのに。
晶は和弘を見た。晶が女の子の顔、すなわち昔の顔に戻っていたからか、和弘は心配そうに晶を見た。
「どうした?何かされたのか」
「うん。昔ね」
和弘は無言で腰を下ろし、買ってきたスポーツドリンクの缶をカチッと開けた。そしてそれを晶に手渡した。
「しみるから、ちょっとずつ飲めよ」
「うん」
「さっきの奴ら、うちのグループなんだな。お前が少し前まで優秀で真面目な中学生だったって事は聞いてるぜ。多分あいつらから流れて来たんだろうな。…どうしてけんか始めたんだ?」
晶はちびちび飲んでいた。あんまりしみるから涙が出てきた。
「晶…」
「しみるよ。痛えよ」
晶が鼻声でそう言うと、和弘はがばっと晶を抱き締めた。晶は久しぶりに泣いた。和弘がやさしく頭を撫でるから、体中の力が抜けてきた。ゆったりと寄りかかると、ほのかないい香りがした。
「お前、親いないのか」
「いるよ。でも家にはいない。それぞれ外国に行っちゃったんだ」
「晶がしっかりしてるから平気だと思ってんだな」
「いた時だって帰りが遅かったし、いなくても同じだよ」
「学校には行ってるのか」
「行ってない」
「いつから行ってない?」
「春。五月頃かな」
「ふーん、六、七で九月か。まだ間に合うかな。今からでも行けよ、留年なんて面倒だろ」
「死んじゃうと思ってた。こんなことしてれば殺されちゃうと思った。だから先のことなんて考えてなかった」
「もったいねえよ、きっといい女になるのに」
「ならないよ。いじけてるし、友達作れないし…友達…」
また流れ始めた涙で視界がぼやけた。そろそろ辺りは暗い。
遠くにビルの夜景が見える。晴れていても曇っていても、夜景はいつも同じように美しい。同様に、悲しくても辛くても日は沈み、また昇る。よく言われることだが。
「晶、女に戻れよ」
「なんで」
「だから、いい女になれるからだよ。いい男にはなれないぞ」
「男になるつもりはねえよ」
「だから、もっと女の子らしく」
「お前、女は面倒くせえんだろ。女になって嫌われるんなら、このままの方がいいよ」
晶は和弘の腕をスルリと抜け、立ち上がった。「もう、店にも戻れないな」
晶は独り言のように言った。
「仲間割れか」
そう言いながら和弘はゆっくりと立ち上がり、晶の肩を抱き寄せた。
「心配するな。俺が守ってやるよ」
「女に戻っても?」
「女の子らしくなった方がもっといい」
「面倒くさくなるなよ」
「お前なら大丈夫だよ。俺がついてないと危ねえし」
「ふん」
「俺はこれでも高校行ってるんだぜ。これから職を捜すんだ。お前もまた勉強してさ、高校入れよ」
「…」
和弘はバイクのエンジンをかけ始めた。
「はじめは周りの目が冷たくて辛いだろうけど…。お前なら強えから大丈夫だろ。もしいじめられたら殴っちゃえばいいんだし。…ああ、殴っちゃダメか。それに無視される方が辛いかも…」
一生懸命に自分を学校へ行かせようとしている和弘を見て、晶はおかしくなった。学校に行くことも、別に怖いことではないような気がしてきた。店を辞めて、また前のように普通に学校へ行こう、そう思った。
二人はバイクでWINDOW MOONに戻ってきた。そして晶は、痣だらけの顔や腕を気にしながら一人で奥へ行き、店を辞めることをママに告げた。この、垣間見た特殊な世界とも今日でおさらばだ。仲間には言わずに来てしまった。説明するのも面倒だし、角が立ったままの方が別れを悲しまなくて済むと思ったからだ。最後にチラとタカを見た。タカは晶を見ないようにテーブルの上を凝視していた。ギュッと握り締めた拳は、晶には見えなかった。晶はまた和弘のバイクに乗って家に帰った。バイクに乗っていることも、本当はかなり体中が痛んで辛かった。痛みに強くなった晶は、いつしか何でも出来るような自信を備えていた。
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