第2話 仲間
男みたいな女、歴史が浅いようで深いレズビアンの世界での男役、おかまの女版、おなべとも言われる人たちがいる。俗にミス・ダンディと呼ばれる。彼女たちはその世界専門のお店を営んでいて、女性客のみを相手にしている。ミス・ダンディは普通にしていると男に見える場合が多い。自分たちも男になりきっている。男にけんかを売られれば買ってしまうような人もいる。
ある晩、高橋貴子と山上歳子というミス・ダンディが、公園の近くを通りかかると、女性の叫び声や物を叩くような音がしていた。駆けつけてみると、どうも不良同士のけんからしい。二人は女同士のけんかに入っていくわけにはいかないので少しの間そのけんかを見ていた。すると、どうも妙だった。ただのけんかではなさそうだ。けんかではなく、リンチか、いや、闘いとしか言いようがない。なぜなら、それは十対一、いや十一対一かと言ったところで、しかもその一人がリンチにあっているというのではなく、一人が十人ほどの不良を次々と倒しているのだ。その一人は、二人が一瞬男なのかと思ったくらい強く、また見た目も男の子っぽかった。さほど時間の経過を待たずして決着が着いた。男の子っぽい少女は、他の女を全員倒し、ただ一人、立って、肩で息をしていた。そして少し落ち着くと、その辺に落ちていたジージャンを拾いあげ、ふと、公園の外で見ている二人に気づいた。―この少女、この電灯の明かりに照らし出された孤独な少女こそ、海野晶であった。
「つえーな、お前」
「一体どうやったら一人でこんなに倒せるんだ?」
公園の外の二人は感心して晶に話しかけた。晶は無視して帰ろうと思い、出口へ向かって歩き出した。しかし、足が痛くて上手く歩けない。懸命にゆっくり歩いていると、公園の外の二人は柵を跳び越えて晶のそばへ駆け寄ってきた。
「大丈夫なのか、お前」
そう言って一人が晶の肩に手をぽんと置いた。「いてーっ!」
激痛が肩から体全体に走って晶は思わず悲鳴をあげた。
「お前、そうとう殴られてないか」
晶は黙り込んで下を向いた。大当たりである。晶が強いのは、殴られても倒れないからだけのことなのだ。相打ちをしても晶は絶対に倒れないのだから負けるわけがない。実を言うとほとんど全員、相打ちをして倒したようなものだった。
―その辺に倒れている奴等とは根性が違うんだ。
晶は心の中でそう叫んだ。
今まで晶は自分の体のことなど全く構わずけんかをしかけ、体をボロボロにするとしばらく家でじっと痛みに耐えていた。そして痛みが癒えるとまたけんかをしに出かける。そんな生活を一ヶ月くらい続けていたのだった。「一体どういうわけでけんかしてたんだよ」
「…」
「家はどこら辺?」
「…」
「お前口利けねえのか?まあいいや。ところで女は好きか?」
「?」
晶は顔を上げて二人の顔を見た。
「俺は高橋貴子、タカって呼ばれてんだ。こいつはトシ」
「山上歳子でトシさ」
晶は思わず口を開いた。この二人はどう見ても男にしか見えなかった。晶が目を見開いて二人をジロジロ見ていると、二人は笑い出した。
「ハハハハ。そんなに驚くなよ。俺はてっきりお前も同類かと思ったよ、俺たちと。」
晶は返す言葉が見つからず、何か言いかけたがやめて目を泳がせた。
「俺、お前のこと気に入っちゃった。もし良かったら、うちの店で働かないか」
「あ、いいねえタカ。女の子たちが喜ぶぜ。店も繁盛だな」
「そうだな。とりあえず傷の手当てしてやるからさ、な、来いよ」
「…」
「相変わらず暗い奴。名前は?」
「…海野晶」
結局晶はタカとトシについて行った。本当は淋しかったのかもしれない。男も嫌い、女も嫌いと思っていた晶の前に、そのどちらでもない存在が現われて、晶は困惑し、安堵した。この二人はとてもいい人そうに見えた。いい人に会ったのは本当に久しぶりだった。
連れて行かれた店は新宿の「WINDOWMOON」というバーだった。中に入って行くと案外普通に見えた。そこにいた半数は男のように見えたからだ。それほど広くない店内で、照明は明るい。みんなが知り合いのようで楽しそうだった。
タカとトシが入っていくと、派手な中年の女性でママと呼ばれる人がまず声をかけた。「いらっしゃいませ。あら、タカにトシ」
「ママ、いいもの拾っちゃった」
「え、いいもの?」
タカとトシは後ろにいる晶を振り返り、晶の後ろに回ってみんなに晶を見せた。店中の人間が晶に注目した。晶はうつむいて斜め横の床を睨みつけていた。
「どうしたの、この子」
「海野晶君、ノーマルな女の子だけどさ、そうは見えないでしょ」
「怪我してるんだよ、手当てしてあげてほしいんだよね。で、この店で働かせてやってほしいんだ。どう?ママ」
店中がざわめいた。どうやらお客の女の子たちのお気に召したようだ。
「怪我って、何でこんなにひどい怪我を?」
「けんかしてたんだ。別に俺たちが助けたわけじゃないよ」
「それがさ、この子、つえーんだよ、すごく。一人で十人くらい倒しちゃって」
「へーえ。ふむ、随分いい男だねえ。まあとりあえずこっちへおいで、手当てしてあげるから。ああ、美樹、あんたも来てちょうだい」
「はい」
美樹と呼ばれた女の子は格好も女の子でとてもきれいな穏やかな子だった。ママと美樹は晶を連れて奥へと入っていった。
「ああママ、そいつ全身ひどい打撲だから、触るときに気をつけてね」
「はいよ」
奥の部屋に入って晶はソファに座らされた。何となく自分が男になったような気分になって来る、変な感じだった。
「晶って本名なのかい」
―何言ってんだこの人は。
「そりゃそうか。この世界ではね、男っぽく名前を変えたりするんだよ」
ママは晶の顔の切り傷に薬を塗った。だいぶしみるので晶は少し顔をしかめた。
「我慢強いのかな、晶は。ああ、美樹、ちょっとガーゼ取ってちょうだい」
晶は美樹をじっと見た。美樹はちょっと顔を赤くしてうつむいた。
「あ、私、島倉美樹っていいます。ママは私の実の伯母なんです」
晶はますます自分が男のように思えてきた。
「晶、あんたいくつなんだい。家には帰らなくていいの?」
「…あたし…俺は、十五。家はあるけど一人暮らしだから、別に…」
「一人暮らし?…そうかい。いろいろ事情があるんだろうねえ。まあ、良かったらうちの店で働きなよ。あんたの好きでいいよ。あんたモテそうだからさあ、いてくれると助かるんだけどねえ。そう思うだろ、美樹」
「えっ、ええ」
「もう惚れちゃったのかな」
ママは楽しそうに笑い、美樹はうつむいた。晶はちょっとだけ幸せな気分を思い出した。そしてものすごく眠くなって、そのままソファで眠ってしまった。それを見てママと美樹は顔を見合わせて微笑んだ。
次の日から晶はWINDOW MOONで働き始めた。ママ以外の従業員はシフト制のアルバイトで、働きたいときに自由に出て来て、制服を着て給仕する。働かない日も夜はだいたい私服で遊びに来ていた。晶は午前中は家に帰って眠り、午後から出て来て掃除などをして、夜は給仕をする。初めのうちはどうせ暇だし知り合いもいないので、毎日働きに来た。黒いズボンにベスト、青い蝶ネクタイの制服がとても似合っていた。晶はだいぶ年少の方だろうが、ママと美樹以外の人には年は告げていなかった。相変わらず晶の瞳は暗く、無口だが、それでも時々笑うようになっていった。だんだん仲間が増えていった。
「マチコもそうとうお前にゾッコンだな。ちょっとつき合ってやれよ」
タカがからかうように晶に囁いた。
「無理言うなよ」
「お前、男が好きなのか」
「男は嫌いだ」
「じゃ、女は?」
「大嫌いだ」
「ふうん。じゃあ、俺らみたいなのがいいわけ?」
「…」
晶は絶句した。
「アハハ。晶は女の子だしなあ。好きになっちゃうかもなあ」
タカはそう言いながら調理場へ引っ込んだ。
「なんか妙だな」
晶は独り言を言いながら首をかしげた。晶がアイスコーヒーを二つお盆に乗せて歩いていくと左右から熱い視線を感じる。照れるのも何となく妙な気がした。
「お待たせしました」
「キャ、晶君だわ」
「やーん、嬉しい」
お客の女の子たちは絶叫した。
「ねえ、少しお話していただけないかしら」
女の子と言っても多分晶よりは年上だろう。晶は嬉しいような気持ちもあるが何だか気味も悪い。
「え」
「なーんて素敵なのかしら。けんかも強いんでしょ」
「触ってもいいかしら。キャッ」
晶は冷や汗をかいてきた。
「お客様、こいつ、無口なもので、申し訳ございません。僕でよかったら話し相手を務めますよ」
そこへユキこと川原由紀子が助け舟を出しに来てくれた。ユキは晶に目配せをするとたちまち彼女たちを巧みな話術でひきつけてしまった。晶はホッとして調理場へ向かった。すると途中で小さな女の子が駆け寄って来た。
「あの、これ読んでください」
そう言って手紙を晶に渡し、くるりと向き直って奥のテーブルに帰っていった。晶は何だか目眩がした。しかし、こういう奥床しい女の子を見ると、こういうのも悪くないかなと思ったりもした。
閉店になり、さっきもらった手紙を開けて見ると、案の定ラブレターだった。
―初めてあなたを見た時、あなたは傷だらけでした。その時私は胸がどうかしちゃったみたいに痛くなって、それ以来ずっとあなたのことばかり考えています。切なくて苦しいです。あなたはいつもかっこいいです。みんながあなたをかっこいいと言うけれど。私は、あなたのことが大好きです。もしよかったらお話して下さい。 マチコより
「何読んでんだ」
トシが手紙を覗き込んだ。
「いや、別に」
晶は素速く手紙を元の通りに折った。そしてふと前を見ると美樹が不安そうにこちらを見ていた。晶と目が合うと美樹は慌てて奥に引っ込んでしまった。晶は一瞬動きを止めた。それを見てトシは大笑いした。晶の困惑ぶりが手に取るように分かったからだろう。
そんな生活をしばらく続けているうちに、晶の体の傷はハサミで付けられた頬の傷以外、完全に治った。自分の家でお風呂に浸かりながら、また自分の使命を思い出す晶だった。
―復讐だ。
少し眠ってから街へ出かけ、情報を集めに行く。そしてグループを一つターゲットとして搾り、挑戦状をさりげなく渡し、見つからないように帰ってきた。その時の晶の瞳は、いつも以上に暗く輝いていた。そしてその日は私服でWINDOW MOONに出かけた。つまり、客として店に入ったのだ。
「あれ、遅いと思ったら、今日は客なんだ」
制服姿のタカが注文を取りに来た。
「今日はちょっと用事があって。コーヒー。ブラックで」
「はい。で、遊びにでも行くの?一人で?」
「まあ、そんなとこかな」
タカはあまり納得出来ずにとりあえず引っ込んだ。そこへ、マチコが店に入ってきて、一人で座っている晶を見てはっとした。そして少しためらってから晶の隣に座った。
「あの、こんにちわ。昨日は、どうも…」
マチコは恐る恐る晶に言葉をかけた。
「やあ、早いね」
晶は微笑んだ。普段こんな表情はしたことがない。マチコは思いの外優しい晶にほっとしたようだ。
「今日は私服なんですね。あの、晶さんは何を着てもかっこいいです」
最後はほとんど聞き取れないくらい小さな声でマチコはそう言った。そこへタカがコーヒーを持ってきた。
「ありゃ、マチコちゃん、いらっしゃい。あ、そうだ、晶、昨日マチコちゃんから手紙もらっただろう。返事書いたか?」
「えっ、いや、その…」
「い、いいんです。返事なんて。そんな。言葉を交わして下さるだけでも」
「こいつは本当にモテるなあ。何でだろ。硬派なのがいいのかなあ。でも単にノーマルなだけなのに。ん?もしかして、今日はマチコちゃんとデートなのか?」
「いいえ」
マチコが否定するとタカは一瞬やばい、という顔をしたが、次の瞬間真顔になった。
「晶、もしかして…けんかしに行くのか?」
「…」
「そうなんだろう?」
「止めても無駄だよ。もう呼び出しちゃったんだから」
タカは少し考えて、それからゆっくりと言った。
「止めはしない。だけど、俺も行く。他にも行く奴がいたら連れて行く」
晶はそれを聞いてはっとした。
「どうして…」
タカは晶の言葉を無視して奥へ引っ込み、私服に着替えて出てきた。そして客として来ている何人かの仲間に声をかけている。晶は胸がドキドキしてきた。さっきまで凍りついていた心臓が急に温められたような感じだった。自分に仲間が加わるというのか。なぜタカは自分について来ると言ったのだろう。
「晶、これだけ集まったぜ。次からは多分、この倍くらいになるよ。今日はどことやるんだ?」
「どうして…」
「どうしてって、俺らも不良が嫌いだからさ。女性に暴力をふるうのは好みじゃないが、不良の女どもは別ものだろう」
「そうそう、それに俺たちけんかが大好き。最近ちっともしてないけどさ。」
「力になるせ、大将、あんたが何の目的でやってるのかは知らないけどよ、一人でやろうってんだからそうとう恨みかあるんだろうな」
「晶さん、俺、陰ながら憧れてたんです。晶さんかっこいいし、強いんでしょ。俺も晶さんと一緒にいて、晶さんみたいになりたいんです」
タカ、トシ、ユキ、その他数人が晶を囲んだ。晶は言葉が出なかった。驚きと多分喜びと、みんなを巻き込んで良いものかどうかという思いが頭をぐるぐる回り始めた。客はまだ少ない。マチコはけんかと聞いて心配らしく目を潤ませている。晶は周りにいる六人ほどの仲間を見渡した。
「今日の相手は鬼林というレディースだ。そこの新宿支部の奴らで、多分二十人くらいだろう。…本当に、来るのか」
仲間たちはニッと笑った。晶はフーッと溜息を洩らし、フッと笑った。
晶はけんかが楽しくなった。仲間がいる、と実感する瞬間は、けんかに出かける時とけんかをしている時だけだった。仲間は約十人。けんかの相手は回を重ねるごとに大規模になっていく。晶が一人で闘っていた時に比べれば、メンバーの怪我も軽く、休みをそれほど長く取る必要はなくなった。そしてだんだんと向こうから挑戦状が来るようになった。
言うまでもなく、晶たちは全戦快勝だった。男並の体格になろうと日頃から鍛えている者がほとんどで、確かに身長もズラッと高い。みんな一七〇㎝前後である。晶は一人、一六〇㎝くらいだった。一番力も弱いであろう晶は、しかし一番身軽で人一倍けんか慣れしていた。そして恐らく一番相手を痛めつけることにためらいを感じていなかった。
強さを顕示していけば当然有名になる。暴走族の世界ではこの集団の存在を知らぬ者はなくなったし、海野晶の名もまた、知られるようになった。闘いの場では一貫して冷徹な態度を示している晶であるが、何故か人気を得る。一目、晶を見たいからと、挑戦状を出す奴らもいるらしい。しかしそんなことは晶は知らない。容赦なく不良女どもを叩きのめしていった。
「晶、挑戦状が来たぜ」
店で働いているとトシが手紙を一通持ってきた。けんか仲間十人は今日は働く日だ。晶はその場で手紙を広げた。
「爆闘…。知ってる?」
「知ってるけど…まさかあの爆闘じゃないだろうなあ」
「ん?」
「隣の県でNO1の暴走族ですよ。支部をたくさん持ってるみたいですよ」
通りかかった中田百合子、通称ユウがオーダーを運びながらそう言って行った。
「調べる?」
「…まあ、いいや。行ってみれば分かるだろう。明日だってさ」
「O.K、みんなに知らせとくよ」
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