第3話 いかにして、その猫は名を得たか
とりあえず、邪魔だった3人には申し訳ないが、
「……ありがとう。この巡り合わせを、天に感謝しなければ。……君の名を教えてくれないか?」
気を取り直した青年が名を問うてきた。名…名前か……名は、まだ無い。
どうしたものかと考えながら、この若者を改めて見つめてみる。
彼、本当に顔がよろしい。いや今はそんなことはどうでもいいのだった。
猫は困ってしまった。
猫は猫である。
「あ、あては、幼少より、人より呼ばれた事がありませぬので。だから、主様より、頂きたいので。」
猫に名はない。ただ永きを生きただけの、ただの猫であるのだ。だから、この際だし、どうせならこの顔のよろしい若者にねだってしまおう、と。
「僕がかい?分かった、少し待ってくれ……そうだな……」
じっと私を見つめてくる。造りのよろしい顔を見つめながら、そういえばこの彼の名前はアーシェスといったなぁ、などと取り留めもないことが頭に浮かんでは消えていく。
ふと、彼の眼尻に微かに、刀傷が残っていることに気が付いた。
気が付いただけで特にどうということはないのだが。
なんて頭の中でぼんやりもやもやしていると、少しばかり考え込んだ彼が、閃いたという風な仕草。どうやら、決まったらしい。
「あぁ、君の黒い髪は夜を思わせる。ならば、夜を見守る天頂の女神より三文字を頂いて君の名としよう」
猫は、結構どきどきしていた。
幾度の春を迎えて、此度、初めて名前がつくのだ。
私に、名前がつくのだ。
「イルル。君の名は、イルルだ。」
イルル……地元では聞き慣れぬ名前だ。
けれど、なんというか、とてもしっくりと来た。すとんと胸に入るような、そんな感覚。
イルル、私はイルルか。
「イルル……イルル!ふっ、ふふっ、あての名前はイルルでありやすか!……大切にしますにゃ!」
初めて、人から何かを貰った。
とても、とても嬉しいものだった。
今まで、色々な贈り物を見てきた。
見てきただけで、知らなかったのか。
何かを貰うというのは、こんな嬉しいことなのだと。
「ふへへ、不束者でありやすが、どうか宜しく願いやす。」
なんとも言えない感じに破顔するイルルをみて、彼も思わず笑ってしまっていた。
◇◇◇ ◇◇◇
そんなやり取りの後、いまがとても緊迫した状況であることを思い出した。
私と彼は、とりあえずはその場を逃げようとした。
何せ、追われる者故に。
「さて、どうしたものかな……」
「はて、どうしましょ……」
ところが、私と彼は今、周囲を取り囲まれている。
先ほど気絶させた騎士達の仲間が、二十と少し。
部屋から出て、屋敷を出ようと階段を降りたところで。
実はこの屋敷、ハッキリいって一つの城といってもよい広さで、とんでもない広さを誇っていた。気絶させた3人はたまたま近くにいたのだろう。彼らを眠らせたときの音で、ほかの仲間が来なかったのも頷ける。それほどまでに広かった。彼は金持ちであるか。
いやまぁ、わざわざ正面の玄関から出ようとせず、窓なりなんなりから逃げ出せばこんなことにはなっていなかったのに、何を思ったか真正面から行こうとしたのだ。
当然、出入り口を塞ぐのは基本である。
正面玄関を守っていた騎士に見つかり、仲間を呼ばれ、このありさまであった。
要反省である。
次からは、応援を呼ばれる前に容赦なく意識を刈り取らねば。
猫は決心する。これからの私は猛獣になるのだと。
それはともかくとして、剣呑に周囲を取り囲む騎士達。
「フレイスネル卿、どうか、諦めてはいただけませんかな」
その内の一人、騎士たちの中でもひと際装飾の多い鎧を着た騎士が、話しかけてくる。
「我が身に掛けられたのは、無実の罪。証明するためにも、今はまだ、この命、落とすわけにはいきませんので」
青年が堂々と答える。
私はその青年の前で、青年を守るように、刀を抜いていた。
今すぐにでも全員ぶっ飛ばしてやるのも吝かではないが、ここにいる騎士達は賊というわけでもないので、一応どういう事情なのかは知りたいので、我慢、我慢である。
「無実の罪……成程。ところで、その獣人は卿の護衛ですかな?見慣れぬ意匠の装具。年若く見えるもその立ち振る舞い、中々の手練れと見受けるが」
流石、騎士を率いているだけあって、武芸にも秀でているのだろう。イルルを一目見て、侮り難しと油断なく構える騎士。この騎士、相当使う。かつて見た中でも、相当に上位に位置する武人であるのは間違いない。
何よりも、おそらくこの騎士の得物であろう、背中に背負っているドでかい巨剣が目を引いて仕方ない。なんだあれは、漫画とやらでみた竜殺しか。
「あのようにか細い身体付きでは、たかが知れておるか……」
「……どう見ても、か弱い少女にしか見えぬが。」
ざわつく騎士たち。
彼らの多くは顔を兜で隠しているがために、その表情は伺い知れないが、声に含まれた侮りの色は隠せない。私を、その見た目通りの少女としか見れないあたりは、あのぶっ飛んだ得物を持った長とは違って、只の人であるらしい。
「……騎士ともあろう者達が嘆かわしい」
やれやれとばかりに、長と思わしき騎士が肩を竦めている。なるほど、周囲より隔絶した実力差を持っているというのも、中々に複雑な心境を抱くものらしい。猫は当事者となることで、また一つ知ることができた。
「しかし、逆賊の謗りを受けているとはいえ、正しき人と高名響くフレイスネル卿をこのまま数に任せて討ち取っては、誉れ高きイルイナス騎士の名が泣きましょう。……それに、我とて、王国への忠義厚き卿が、王を殺したなどという話、信じるには些かばかり無理がありましてな」
どうやら青年はこの騎士達とは知り合いらしい。しかも、彼は多くの人々の信を得ている様だ。
ちらりと横目で彼を見れば、じっと、気迫の籠った眼差しで騎士長を見つめていた。凛々しい横顔である。いい男であるな。
「そこで、我は一つ、卿を試そうと思う。……我と手合わせ願いたい」
突然、そんなことを言い出されて、私も彼も首をかしげてしまった。
「今、なんと?」
「卿が近衛の長である我を打ち破る程の力あれば、あるいは此度の下手人を探し出せるやもしれぬ。力及ばぬのならそのまま我が、卿を処断し、其の後に我が責任をもってその任に就こう」
「……貴殿は、王殺しが他にいると」
「無論。そもそもにして此度の件は不自然な点が多過ぎる。だがしかし、既にフレイスネル卿、貴様が罪を犯したと、審判は下ってしまった。故に、近衛たる我は卿を処断せねばならない」
近衛長が、背に背負っていた背丈ほどもある大剣を、ゆっくりと肩に担ぎ上げる。いやぁ、やはりおかしいのではないだろうか。あれはどう見ても、片腕で持ち上げられる得物ではないと思うのだが。あれは人ではないのではないだろうか?
「だが、その我が力及ばぬとなれば、卿は逃げ延び、王殺しの真実を負う力有りと、ここにいる皆納得するであろう。皆、卿の人柄はよく知っている。卿を斬りたいと心底から思っている者は誰もおるまい」
周囲を取り囲む騎士たちが、顔を伏せる。
なるほど、まだ彼の事をよく知らないが、本当にこの若者は、愛されているらしい。
「……貴殿らのその信頼、私は今、この身震えるほどに嬉しく思う……だが、私には、とてもではないが近衛長、あなたに相対しうるほどの力は……」
「フレイスネル卿。卿の目の前で、卿を守らんと手に剣持つその者は、卿の力ではないのか」
ハっとしてこちらを見るアーシェスと、目が合った。
彼の顔に葛藤が浮かんでいる。
それは私という力を認めながら、私をまだ守るべき者として見てくれているからだろう。
何せ、見た目だけなら華奢でか弱い少女である。
先ほど力の一端を見たとはいえ、名立たる武人である近衛長の前へと背中を押し出すのは、男としてあまりにもどうかと思うのも無理はない。
「……私は男で、彼女は女だ。矢面に男が立たずしては、そこに誉れ等あるものか」
「卿。その者は女であり、女を前に立たせるのが恥だと思うておるのなら、それは間違いである。剣持てば、男も女も無く、その者は戦士なのだ。その証に、その者の目には闘気が満ちておる。
卿よ。我にはわかるのだ。そこな女子は、卿よりも出来るのであろう?」
「っ……私は……」
そこに女子供などという嘲りなどはなく、ただ武を貴ぶ者として、戦う力持つものとして相対するのが礼儀だとする近衛長。
「主様よ」
「イルル?」
私は彼に微笑んでみせた。
「あてはな、主様を助けるために呼ばれたのにゃ。故に、何も気兼ねすることにゃく、あてに頼め。力を貸してくれと」
ぽんと、胸をたたいて見せる。
それをみて彼は、ふっと苦笑してみせた。
「僕は、力が無いことをこんなに悔しいと思ったのは、生まれてから初めてだ……だが、近衛長の言う通りだ。……恥を忍んで、頼む。任せても、いいかい?」
彼は、私の目を見つめていった。
もはやそこに心配の色などはなく、ただ、私への信頼だけである。
ならばもう、私の答えなど決まっているのだ。
「応ともよ!あてにどーんと任せにゃ!」
私は、強く彼にうなずいて見せた。
◇◇◇ ◇◇◇
近衛長が、その巨大な剣を床に突き立てる。
そして周囲の騎士たちも、示し合わせたが如く、剣を鞘に納め、盾を掲げる。
「この場に立ち会った騎士達よ。これより、武をもって真を神に問う。証人として、立ち会う誉れを得るは誰か!」
「「「我ら、この眼にて、見届けん!」」」
「ならばしかと見届けよ。これより、裁定を行う。」
近衛長が、背丈にも及ぶ大剣を構える。
その剣は銀に輝き、人の腰ほどもある幅の肉厚なその刀身には、びっしりと
頭からつま先までを覆うのは、白金色の煌びやかな全身板金甲冑。
芸術的なまでに美しいそれらは、しかし儀礼鎧ではなく、実戦の為の甲冑だ。
体の可動部を邪魔することなく配置された装甲。
当然、中には鉄鎖と布を組み合わせた中鎧も着ているだろう。
圧倒的重装甲、かつ、超重量。
こんなものを着て動ける人間は、いったい如何なバケモノか。
顔を一切晒さぬ兜のせいで、顔すら伺い知れない。
本当にこの中にいるのは人間なのかすら怪しい。
相対するは、巨躯の近衛長と比べれば、大人と子供。か弱い少女。
およそ、勝ち目などあるはずがないと誰もが思うだろう。
だが、その少女は、人ではない。
少女は、猫である。
長くを生き、多くを見た、猫である。
そして、
「あての名はイルル。主様に代わって、いざ尋常に、お相手仕る!」
刀を構えるは八相。
今その身に宿しは、戦にて磨かれた流派の一。
タイ捨流。
「……オン、マリシエイ、ソワカ」
化生が、化け物が神に祈るなど、有り得るのか。
いや、神に祈らないからこそ化生なのかもしれない。
そう、私は化生ではない。ただの猫である。
だから、神仏の加護を願っても、罰は当たらないだろう。
そもそも、さっき装具を呼ぶときにもう神頼みはしたのだ。今更である。
九字は省略。摩利支天の加護あれと、真言を唱えて、空を震わす威光を我が身に。
世界が違うとかそんなことは関係がなかった。
私が、人の為に戦うのだ。
だからきっと、遠い
少女の口が聞き慣れぬ呪文のような言葉を唱えた瞬間、発せられた威圧の気に、その場にいる者達が呑まれ、慄いた。
剣を向け合う一人を除いて。
「おぉ、見事……」
近衛長は、感嘆していた。
長くに亘り、近衛長に比肩しうる戦士はこの国にはいなかった。
イルイナス王国一。否、大陸一の誉れ高き騎士の中の騎士。
盾持たず、ただその巨剣をもって全てを守り、全てを斬る。それがこの騎士。
ところが今、その最強の騎士をすら、気配だけで震わせる者が目の前にいる。
見慣れぬ意匠。何処から来たのかすら見当もつかぬ。
しかし、勘が告げているのだ。
この少女は、強い。
「イルイナス国筆頭騎士、近衛騎士団長、イルルカ=エル=ヘリアル。我が武を示す。」
その名前を聞いて、私は気が付いた。
そう、主様は女神の名から三文字をもって私の名前としてくれたのだ。
そして、いま対峙する騎士の名前。なるほど。
「我が身に、夜の女神の加護あれ」
不思議と響いたその声が、やけに印象に残った。
そして、次の瞬間、私は目を見開く。
大剣が、鎧が、光を纏っている。
超常の術。知らない理。
この世界の、術か。なんだか、とてもかっこいい。
「こ、近衛長が、本気であるか……」
「守りを固めよ!余波が来るぞ!」
「こうなっては……少女よ、敵ながら無事を祈るぞ……」
周りがざわめいている。
なるほど、つまりは、滅多に見せないものなのだ。
本気。なるほどなるほど。
向き合えば、分かった。
あれに力を貸しているのは戦いの神。
夜を見守る女神であるか。
否、見守るなどと、そんな生優しいものではない。
あれは、
見守るなどと、どの口に言わせるのか。
なかなかどうして、血が滾る。
「「勝負!」」
私と騎士が、踏み込む。
直後、世界が震えた。
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