第2話 いかにして、その猫は殴り合うか
「おい、何か聞こえたぞ!」
「こっちだ!」
先ほどの私の叫び声は、よほど響いてしまったらしい。
ここにきて、どうやら今ここは戦場になっているらしいと分かった。狙われているのは、目の前にいる男だろうか。
目を白黒させ、落ち着かない様子の私を見て、青年は悟った様に沈痛な面持ちを浮かべている。
「やはり、失敗なのか……僕としたことが、無関係の人を誤って召喚してしまうとは……すまない、巻き込んでしまったようだ……」
「いや、その、あて、あては……」
意気消沈する彼に、なんと返せばいいかわからない。
けれど、私の口から出てきた初めての人の言葉が、思ったよりも流暢に、人間の様に出てきたことにすこし驚いてしまった。
喋れた、私は初めて会話してしまった。
「心配しないで。そのままどこかに隠れているんだ」
そういって、振り返りながら扉へと向き直る青年。その背中からは、迫りくる脅威に対する怯懦の色など微塵もなく、ただただ、頼もしく見える。
例えそれが強がりだとしても、それは青年の矜持を示すがごとく、ただ真っ直ぐに伸びた背中が、青年の気高さを映していた。
「こうなっては仕方ない……聞いてくれ、僕が君を呼び出すのに使った守護獣召喚の秘術は、主が死ねばその力を失う。つまり、僕が死ねば君は元の場所へ送り返される。だから、君は隠れていてくれ」
言いながら、青年はその腰に佩いた長剣に触れた。それは高貴な血筋であろう青年が使うにしては余りにも飾り気のない、しかしそれでいて使い込まれている事が分かる無骨な直剣。
その柄に手を置いたまま、青年は今にも破られそうな扉を見据える。
「僕の責任だ。だから、この命をもって君を送り返す。それが、男としての務めだ。だから安心してくれ。君を危ない目には合わせない」
優しい声。
ふと、思い出したことがある。私は、幾千の人を見てきた。戦があった。何度も何度も、そのたびに、私は見てきた。そんな時に、この声を聞いたのを思い出した。
戦地へ赴く者たちが、残される家族を少しでも安心させようと掛ける声。
同じ声で、私に話しかける彼。
思い出してみよう。なぜ私を呼んだのか。彼は追い詰められているらしい。
助けを呼ぼうとしたのだろう。そして、なぜか私を呼び出してしまったのだ。
あぁ、きっと私が思っていた姿と違って、がっかりしたことだろう。
しかし、それでも私を責めることなく、彼は自分の責任であると言い、私の為に、命を投げ出そうとしているのか。
なんと高潔なのだろう。
だから、私は見届けようと思った。
故に、その場を動かず、青年を見つめていた。
じっと見つめる私を、振り返って見た青年は、その様子に少し表情を崩して微笑んだ。
「ふふっ、つい先ほどまで、あれだけ死にたくないと思っていたのにな……今は、嘘のように落ち着いている。君のような可憐な人に看取られて死ねるというのは、案外と悪くないな」
微笑んで前を向く青年の、その横顔を見て、
胸の奥に、何か痛みを感じた。
そして今、扉を破って入ってきたのは、皆同じ様式の全身を包む板金鎧に身を包んだ三人の騎士。サーコートには紋章が縫い込まれ、その身分が確かなものであることを示している。賊の類ではない。
「卿。ここにおられたか」
つまりは、この青年の敵は、権力である。騎士団を有する領主、或いはもっと大きい、国そのものか。
自分に、こんなにも優しい声を掛けてくる青年が、賊として断罪されるほどの罪を犯したというのが、私は信じられなかった。
「審判が下った。王殺しの罪により、貴殿をここで処断致す」
三人の騎士、そのうちの真ん中に立つ一人が罪状を言い渡した。
王殺し?この優しい青年が?
「貴殿らに言っても詮無き事だが、改めて言わせてもらおう。私は、王に刃を向けてなどいない。」
そうだろう。猫は、その言葉が嘘でないと分かった。
長い間人の会話を聞いてきた猫にとって、嘘か真を判断するのは簡単なことだ。
正直者も嘘つきも、たくさん見てきた。
本当のことのように嘘をつく詐欺師も、正直者が付く嘘も。
だからわかる。
青年は嘘を言っていない。
だが、騎士たちの言葉にも、そこに嘘の色は無い。
騎士たちは命令に従い動いているだけなのだろう。
ならばあとは自明である。青年は罪を被せられたのだ。
そして、重要なのは一つ。これを仕向けたのは誰か。
「……ところで、卿の後ろにいるのは誰か?」
騎士が、私を見て問うた。兜で顔は伺い知れぬが、その声色にはこちらを心配する色が混じっている。この騎士もまた、優しい人間なのだろう。優しい人が優しい人を殺せと命じられたのか。
なんとも惨いことをするものだと、私は少しばかり憤りを感じた。
「彼女は、罪無き人だ。手出し無用に願う。」
青年は、身を挺して私をその陰に隠しながら、騎士に請う。
「……承知した。では、改めて卿を処断する。どうか、抵抗なされるな。」
騎士の声に、苦悩の色が混じったのを感じた。
一介の騎士とて、この若者を処断するのを躊躇うのだ。
「……卿が、王殺しの罪を犯したなど、私は信じられぬ。しかし、主命なれば、騎士として従う他ないのだ……許せとは言わぬ……」
「……これが私の天命ならば、潔く受け入れるしかあるまい……ただ一つ、約束してほしいことがある」
「…卿の願いを聞こう、約束はし兼ねるが」
「王の、仇を。頼む。」
「……私には、約束し兼ねる。」
悔恨の色をその声に滲ませながら、騎士は剣を構えた。
青年も目を閉じ、覚悟を決めた様子。
だが、私は、
先ほどまで顛末を見届けようと思っていた私は……
―出会い頭に、助けを求められた。
だが、私が怯んだのを見て迷い無く、彼は自らを盾にすると言った。
――そんな優しい青年が、謂れなき罪で断罪されるなど、そんなことがあって良いはずがない。
彼は私に助けを求めて自分を呼んだ。ならば私は彼を助けなければならないのではないか?
猫は今まで見ていることしか出来なかった。猫だったときは。
そう、猫の身ならばいざ知らず、今の私には、戦える力があるはずだ。
「元柱固具、我が誠映す装具現世に顕す……五陽霊神に願い奉る」
ちょっとした、おまじないを唱える。今の私に必要な物を得るために。
綺麗に揃えた自身の右手の人差し指と中指。人はこれを刀印と呼んでいた。刀に見立てた印。それを持って宙に九字を切る。
それは昔、都にいた時に見た、人の使う不可思議な業。
刹那の間、裸身を包むのは、緋色の着物。足を包む足袋が磨かれた床を踏みしめれば、突き出した右手には、いつの間にやら装飾艶やかな籠手を装い、刀印に代わって一振りの刀が握られている。
白無垢鞘、鍔無し、刀身の反りは深く。
飾り気のない白木は、抜かれるのを今か今かと待っている様。
拵えもないその白木鞘は、武士でない者の持つ刀。
つまりは、猫である私にこそ相応しい形だ。
私の心を映す、受肉した
つまりは、私がイメージするさいきょうのぶき。
それがこの刀。
私の心が折れぬ限りその刃も折れることなく、私の心が曇らぬ限り切れ味は鋭いまま。
子供たちの言っていた言葉を借りれば、
扉を通すまいと横に並んだ三人の騎士が、青年の後ろに立つ獣人の様な少女の、俄かに漂い始めた尋常ならざる気配に困惑し、青年は後ろに立つ少女の姿を返り見た。
「仁と義しかと見届かば、化生の身にゃれどその人道、助太刀仕りやす」
白無垢鞘を抜き去れば、まろび出でるは、乱れ刃紋。
曇り無き刃光が、相対する騎士の姿を映す。
「正しき人の命奪うは出来ぬが故、すみませぬが、少々お眠り願いたく」
身体の動かし方が分かる。いや、知っている。
千年の時を見聞きしたその記憶が、余すことなく身体に刻み込まれている。
使うべきは、あの戦乱の世で兵が磨き上げた武技。
生ればこそ、その一閃は達人の一撃足る。
そして尋常ならざるその身体は、人常ならざる動きを可能とするのだ。
即ち、一足にして、青年と騎士との間へ。
そこは、既に間合いの内。
「ひと」
その場にいた誰一人として、その一刀は認識ならず。
故に、後にあるのは、左手で柄先持って刀を振り抜いた少女の残心のみ。
鉄の響く轟音
壁ごと、三人の騎士は、室外まで吹き飛ばされていた。
峰打ち。
しかしそれも金属製の銅鎧が無ければ、打たれた者は肉片に変わっていたであろう一撃。
空気が弾ける勢いで振り抜かれた刀、それは破城槌が如き粉砕力を持って、三人の騎士を、ただの一撃で戦闘不能に追い込んだ。
やろうと思えば今の一撃で肉片にも出来た。
だが、この騎士達も、この青年と同じなのだ。
この者達に罪はなく、そしてこの者達の生を祈る人がいる。
で、あるならば、殺生は無用である。
「君は……君はいったい…」
背後から彼の震える声が聞こえる。
只人の身に余る力が、目の前で振るわれたのだ。
只人たる彼が臆してしまうのを、誰が責められよう。
だから、努めて柔らかな笑顔を作り、振り返って彼を見つめた。
「実は主様、あては、ただの猫でして。」
そんな訳があるか、という声はなかった。
青年は、青年を振り返るその人ならざる猫の少女を見た。
綺麗な緋色の瞳と黒い髪が、青年の視線を奪う。
いつの間にか、青年の臆した心も雲が散り霧が消えるが如くであろう。
「
鞘鳴りもなく、鎮と納めた刀を腰に佩き、微笑みかけるその少女には、獣の耳と、二叉の尾有り。
ふりふりと、機嫌よさげに揺れる艶々とした黒毛尻尾。
「しかししかーし!主様!出会ったばかりのあてを、命を賭して守らんとするその背中に!あては甚く感服した次第!助けを求めて呼ばれたにゃらば、あては力ににゃりとうございますので」
腰を折り、綺麗なお辞儀で艶やかに一礼。
猫は人の世をずっと見てきた。
義理人情に浪漫や恋模様を見てきた。
人の一生は面白い。それぞれに物語がある。
悪人であれ、善人であれ。その道筋に生まれる煌めきが、猫は大好きなのだ。
だから、猫も一度くらいはなってみたいと思ったのだ。
そんな物語の、一員に。
「どうか、
これが、私と主様の、出会いとなった。
猫が、観察者ではなく演者として舞台に上がった、初めての物語である。
今のあて、かなり決まってにゃい?
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