いかにして、猫は世界を旅したのか

フランソワ吉光

第1話 いかにして、その猫は世界を跨いだのか

 私は、猫である。


 多少長生きをしているだけの、二叉の尾を持っているだけの、ただの猫だ。


 四季を経験しただけの、ただの猫である。

 人に飼われた事はないが、人の営みを見続けて生きてきた、ただの猫。

 人の生み出した業、文化、言葉、生き様、死に様。あらゆるものを見聞きしてきた。


 そんな、ただそれだけの、猫なのだ。

 人を見るのが好きなだけ。


 不干渉の観察者。


 猫はただ見てきた。


 戦乱の世を見た。

 何度も起こった戦を見た。


 武士の武技を見ればそれを理解できた。

 密かに京を守る陰陽師達の使う術も理解できた。

 けれども、私はただの猫。

 見て聞いて理解した、だ。

 それ以外、何もしなかった。


 人が生まれたのを見た。

 人が死んだのを見た。

 人が殺されたのを見た。


 人は生き死にをとても大事にすることを知った。

 人は、死そのものに意味を求めるものなのだと、猫は理解した。

 


 人が恋をするところを見た。

 人が休日を家族と過ごすのを見た。

 人が学校に通うのを見た。

 

 人の扱う学問というものは難しかったが、見ている内に理解した。

 理解しただけで、猫はなにもしなかった。

 ただ理解しただけだ。

 数字というものを知ったし、お金や計算、数式に化学式、いろいろなことを知った。

 それで何かをしたわけではない。

 ただの猫にできることはなかった。


 人が泣いているのを見た。

 人が、人たちが住んでいた場所が、炎に包まれたのを見た。

 それでも猫は、見た。


 そして、人が何も無くなった場所にもう一度町を作ったのを見た。


 それを見て、猫はとても嬉しいと感じた。

 けど、それだけだ。


 ただただ、見て、聞いて、覚えて、見届けた。


 猫は何もしなかった。

 ただ、見ていて面白いと感じていたのは確かである。




 そうして、その日もただ見ていたのだ。

 晴れ渡る空を飛ぶ、人の乗る飛行機を。

 見上げながら、大きな欠伸をした。

 いい天気の日は、よく眠くなる。

 起きたら、夜の街を歩きながら、また色々見よう。


 そんな風に、いつもと変わらない昼寝の時間を過ごそうとした、その時だ。

 静かに、猫の体が光った。だが、猫は寝ていて、それに気が付かない。


 そして、光が収まった後、そこに猫の姿はなかった。



◇◇◇                     ◇◇◇



 そして猫は、いつものように目を覚ました。


「君が、僕の守護獣……」

 

 すぐに違和感に気付く。いや、違和感だらけで、まず何が何だかわからない。

 先ほどまで、家屋の屋根の上で寝ていた筈の自分。

 聞こえるはずのない人の声につられて、上を向いた。

 猫である筈の自分を、少しだけ見下ろしてくるのは、齢20を数えるかというところの、薄い金色の髪が目を引く青年。

 着飾って街を出歩けば年頃の女性の視線を虜にしてやまないであろう整った顔立ち。

 少し吊り気味の目。

 額には少し、汗が流れている。

 そしてその髪と顔に負けず劣らずの美しい輝きを持つ紫の瞳に、しばし魅入られていた私は、その青年の顔が、立っているにしてはずいぶんと近いことに気が付いた。


 言いようの無い違和感に、ゆっくりと自分の前足を見下ろしてみたのだ。



 そこにあるはずの、いつも通りの黒い艶を持った毛並みの、人の足が…………人の足?


 見下ろした先にあったのは、人の、人間の少女の身体だ。手首足首より先が、人間の様な形でありながら、猫のような毛並みに覆われ爪も見えていたが、それ以外は概ね人間の身体だった。

 絹のように滑らかな白い肌。

 ほっそりとした腰は少女特有の華奢さを備え、控えめに膨らんでいる胸部には仄かな桜色に包まれた真ん中にツンと、気の強そうな突起。

 肩からふわりと広がる様に脇へと垂れているのは、艶々と鴉の濡れ羽を思わせる黒の髪。後ろ髪は腰の辺りまで伸びているのが見える。

 全体的にもふっとしていて、触り心地は良さそうだ。

 慣れ親しんだ尻尾の感覚はあった。

 よく見れば、腰の背面、人間の言う尾てい骨の辺りから生えているのが見える。

 慣れ親しんだ感覚に少しだけ安心すると、猫であるも頭頂部の辺りにあるのが自覚できる。こちらも変わらぬ感覚でいつものように動かすことが出来るのを確認。だが、やはりそれ以外は、何度見ても同じである。

 


 自分は猫であった筈だ。

 

 それなのに、それなのに。

 今の自分は、一糸纏わぬ少女の身体だった。


「……に、に…」


 声にならない声が漏れる。

 たらたらと、冷や汗が流れていく。

 視線を周囲へと巡らせてみれば、そこは西洋風の豪華絢爛な調度品の並ぶ部屋の中。明らかに、お金が掛かっている。猫は見て聞いて理解していたので、人間の価値観についても分かっていた。だからわかる。

 部屋の持ち主は、この部屋に相応の身分の人だ。


 いや、そんなことよりも、もっと他の疑問が。


「初めまして、ボクの名前は、アーシェス。アーシェス=エル=フレイスネル。急に呼び出してしまって済まない。でも、君の力が必要なんだ。僕の力になって欲しい。」

 

 そう言って、目の前で跪く青年。

 もう、何がなにやら分からなくなってしまった。

 まず、なぜこの人間の言葉が分かるんだろうか。

 聞いたことのない言葉のはずなのに、意味が分かるとは何なのか。

 これはおそらく、しゃべることもできるだろう、多分。

 

 これは、これは確か、人の年頃の男の子たちが好きだった本の物語、そんな話題の中に聞き覚えがある。異世界とか、転生とか。

 

 いやいや、またベタすぎであるなぁ、と心の内で突っ込んでしまった。


 まぁ、そう、そこまではまだ良い。

 猫は割とそういうことには大らかであるし、ここが今までいた場所とは大きく違うというのも、


 問題は、もっと大きな問題は。


 私は猫だったはずだ。

 四本足であって、今の様な二本足では無かった筈だ!

 

 何故、何故、何故何故何故何故何故何故?


「に、にに、にゃぁ~~~~~~~~~~っ!??!」



 結果、混乱に耐えきれなくなった自分の口からでたのは、可愛らしくもどこか似非っぽい、猫の様な(猫なのだ)悲鳴だった。


 猫なのか、人間なのか、どっちであるか。


 こうして、訳が分からないままに、いろいろなものを見て聞いて知っていた猫は、人間になって自分が知らない場所に来てしまったのだ。


 こんな時に、人はどう反応するのだったか?

 あぁそうそう。そうだ。

 


 ここはどこ?あては、誰?





 

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