2:異世界へ降り立つ者たち(AM8:00 現地説明会。)
「皆さん、お待たせいたしました。当バスは異世界へ到着いたしました」
ぶしゅうう、と空気が盛大に抜ける音を立ててバスの扉が開く。
「これからドラゴン
乗客たちを安心させるためのパフォーマンスか、クーリエがまずバスを降りた。それから腕をいっぱいに広げて深呼吸する。
「すうう。はぁああ。うん、新鮮な魔力とマイナスイオンをたっぷり含んだ美味しい空気です。故郷に帰って来たって感じがしますね。さあ皆さん、ここは安全ですからバスを降りても大丈夫ですよ。ただしバスを中心にして500メートル以上は決して離れないでくださいね」
乗客たちが恐る恐るバスを降りる。
見慣れない異世界の景色を前に、各々の言葉で感動をあらわしている。
「うわー、すごい! あたし日本から出たことないのに。海外行く前に異世界きちゃった」
例の女子大生が振り返って、九郎に言う。
「すごくない? あ、おじさん全然感動した風に見えないね。クールぶるタイプ? それともおじさんって異世界慣れしてる?」
「馴れ馴れしいヤツだって言われたことはないか?」
「え? ムードメーカーだとはよく言われるよ。あ、写真撮らないと!」
自覚のないアホは手に負えない。スマートフォンで自撮りを始めた女子大生と離れて、九郎は目の前の景色を眺めた。
バスが到着したのは、人工物の何もない平原だった。人の手の掛からない平原。そして、結晶化してガラスの光沢を放つ草花――ドラゴンの吐く魔力を含んだ炎で焼かれ、変質したものだ。
空には眩しくもない太陽が二つ浮かび、地上を照らしている。建物はもちろん、視界を遮るような樹木もなかった。
あつらえたように広がる芝生、ガラス化した草原、透き通るような透明の小川。
日本では有り得ない非現実の景色を見ても、九郎は感動を覚えなかった。
「皆さーん、ここに集まってくださーい。写真撮る時間はたくさんありますから、いま撮らなくても大丈夫ですよー」
クーリエが声を張り上げて、ツアー客を一ヶ所に集める。
運転手がいそいそと、バスのトランクルームから荷物をおろしている。
「ドラゴン
「はい!」
威勢よく、女子大生が手を挙げた。
「元気ですねー。えっと、
クーリエがパチンと指を鳴らした。
突然、乗客たちの身体がエメラルドのように輝くいくつもの泡に覆われた。
神楽永久だけが大慌ててで泡を払っている。
足元の泡がはじけた。
連鎖するように、身体中にまとわりつく泡がはじけて消える。
「今のがひとつの魔法です。身体強化ってところですね。自分がスーパーマンになったとでも思ってください。これでドラゴンの炎が直撃しようと痛くもかゆくもないですし、時速160キロのトラックにはねられてもミサイルの直撃を喰らっても無傷です。さらにさらに、もう一つの魔法があります」
クーリエが光速バスを指さした。
「皆さんは気付かなかったでしょうけど、なんとこのバス。異世界に到着してからずっと魔法を発動してるんですよ」
バスから放たれている魔法について、クーリエが乗客に説明している。
九郎は眠気をこらえきれず、大きなあくびをした。
「牧島九郎さん? ちゃんと聞いてましたか?」
「ん? ああ……」
名前を呼ばれて、九郎はクーリエの方を向き直った。
「経験者だから余裕って感じですね。どんなことでも慣れた頃が事故を起こしやすいんですよ」
「いや、ちょっと眠くてぼうっとしてただけだ。説明はきちんと聞こえていた」
「ホントですかぁ? じゃあ、私が何を説明したか言えます?」
「結界の話だろ。バスの周囲には結界が張ってあるから、たとえドラゴンが大挙して押し寄せようと爪先だって入れられない。天井部にあるパラボラアンテナは魔法の送受信用だから間違っても傷付けるなって話だよな? アンテナが吸収した周囲の魔力は導波管を通じて内部の魔法回路にエネルギーを供給する。魔法回路は予めプログラミングされた魔法を走らせているだけだからバス内部の回路が破損しても終わりだ。で、結界は乗客の保護を目的としたものだが地球側での時間軸の特定にも使われている。周囲に垂れ流している魔力波の偏差を測定して異世界時間を確認しているんだ。地球時間と異世界時間は違うからな。突入先の異世界に過去五年間のツアー客が殺到しているなんて自体になったら大事だし、帰ったら地球時間は出発の三日前だなんてことになってもまずい。同じ時間軸に同一人物が存在してしまえばパラドックスの発生にも繋がりかねないし、そうすれば二つの世界にどんな影響が出るかもわからない。つまりこのバスが破壊されたらおれたちは二度と、同じ時間軸には戻れないってことで……」
いつの間にか、ツアー客たちの視線が九郎に集中している。
まるで九郎が異世界の言葉を喋り始めたかのように、彼らはジッと九郎を見ていた。
「あー……なにか間違ったことを言ったか?」
「間違ったというか、あってるんですけどね。でもわたし、そこまでの説明はしてないですよ。バスの周囲500メートルは結界が張られてるから、休憩する時はここでって話しただけです」
クーリエはニコニコと笑っている。
「ずいぶん魔法にお詳しいんですね、牧島さん」
「何度も参加しているからな。ひょっとしたら前に他の会社のツアーで聞いたのかも知れない」
「ふうん。でも今のはかなり専門的なお話でしたよ。競合他社がそこまでの説明しているとはちょっと考えにくいです」
「だとしたら何かの雑誌で読んだのかも知れない。記憶力は良い方なんだ」
「記憶力は良いのにどこで知った話かは忘れちゃったんですか?」
「何か問題でもあるのか?」
「いいえ、別に」
エルフは何を考えているのかわからない。美の極致を詰め込んだような容姿。完璧な笑顔。自分は決して本音を漏らさず、相手の考えを見透かそうとする。まるで敏腕の営業職を相手にしているようで、やりにくい。
「さて、魔法のお話はこれくらいにしましょう。皆さんお待ちかねのドラゴン狩りの時間です! 事前に希望を聞いていた武器をお渡ししますので、簡単に練習してみましょうね。筋力も強化されているのでどんな重さでも軽々ですよ」
ツアー客は各々、貸し出された得物を手にしている。中世ファンタジーの戦士が振り回すような大剣、西洋のサーベル、人間の頭部を一撃で破壊できそうな鉄槌、片手斧に日本刀もある。
神楽が大剣を軽々と振り回した。
「うわ、すごい。重いのにぜんぜん、重くない。どうなってんのこれ? うわー」
軽々と振り回し、大地に叩き付ける。地面が砕けて砂ぼこりが舞った。
はしゃいでいるのは彼女だけではない。腰の曲がったおじいさんが刀を抜き、まるで演武のように刃を振るっている。その横でおばあさんが槍を回転させ、穂先をおじいさんの眼前にぴたりと振り下ろした。
身体強化の魔法が効いている。九郎も全身に力がみなぎるのを感じた。試しに拾った小石を軽く放り投げる。小石はどこまでも高く舞い上がり、地平線の彼方まで飛んで見えなくなった。
「牧島さんは、何の武器ですか? 事前のアンケート、書いてもらってないみたいですけど」
クーリエが言った。九郎は首を横に降った。
「おれは……見ているだけでいい。狩りは苦手なんだ」
「そうなんですか? じゃあどうしてドラゴン狩りに?」
「異世界の空気が好きでね。だから参加している」
「へえ。そういうお客さんもたまにいますけど……でも、牧島さんはそういう風に見えませんね」
クーリエが声をひそめるように言った。他の乗客に聞かれないようにしているのだろうか。
「……どういう意味だ」
「なんて言えばいいんですかね。アナタからは魔力の匂いがします」
クーリエが九郎に顔を近づけた。九郎は思わずのけぞるが、クーリエは構わず九郎の首元に顔を近づける。
「私たちエルフは敏感なんです。この匂いは地球には存在しませんからね。故郷の匂いですよ」
「汗じゃなくてか? 昨日と同じワイシャツだからな」
「ごまかさないでください」
クーリエが九郎を見る。宝石のような輝く青の目で、九郎の目をじっと見据える。
「わたしの勘違いならいいんです。でも、お客さんを守るのも私の役目ですから……何のためにツアーに参加したんですか?」
「人聞きの悪いことを言わないでくれ。まるで何かを企んでいるみたいじゃないか。おれがテロリストにでも見えるか?」
「さあ。ですが、異世界の魔力や領土を狙って良からぬことを考える人は大勢います。逆に、良かれと思ってみんなを危険にさらす人もいますし。異世界での事故は取り返しが付かないことになります。十五年前にもツアー客の全員が行方不明になる事故もありました。その中にはまだ小学校も出ていない子供もいたんです」
「十五年か。ずいぶん昔の話だ」
「地球人にとっては昔の話かも知れませんが、わたしたちエルフには十五年程度なら昨日の出来事と変わりません」
フン、と九郎は鼻を鳴らした。
「おれはただ、たまの休日を楽しもうとしているだけだ。意味のわからない勘繰りは止してくれ」
「アナタが、本当にお客さんなら大歓迎ですけど」
ツアー客の元へ戻っていくクーリエの、背中を見送る。
長い金髪が、背中で揺れている。
「楽しみましょうね、牧島さん」
振り返った彼女は、ツアー客に向けるのと同じ笑顔を見せた。
カンの良い添乗員がいる時は、面倒だ。
九郎に異世界を楽しむつもりなんて毛頭ない。
真っ青な空を、二つの太陽が輝く空を睨みつける。
誰にも聞かれないように、九郎は舌打ちをした。
(こんな世界、滅びてしまえばいい――)
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