第1話:紅い林檎⑦
林檎を大急ぎで食べた私を見て、虹輝は口元を手で覆い震えている。
「そんなに急いで食べなくてもよかったのに」
虹輝さんに言われて、確かにもっとちゃんと味わいたかったな…と、少し後悔した。
けれど、今はそんなことよりも質問の答えを聞く方が何よりも大事なのだ。
「じゃあ、行こうか」
虹輝さんは、私に手を差し伸べた。
「行くって、何処へ?」
“扉”の向こう側へ行く事に抵抗がある私は、虹輝さんの手を取れずにただ見つめることしかできなかった。
「これからしばらくの間、この家で共同生活する事になるから、色々案内しようかなって思ってさ」
「…でも、まだ」
「質問の答えは、その時に教えてあげるから」
虹輝さんに手を引かれながら部屋の外に出ると、甘い林檎の香りが濃くなった。
「あれが、自慢の林檎の樹だよ」
虹輝さんが指差す方を見ると、室内だというのに1本の林檎の樹が生えている。
虹輝さんに導かれて林檎の樹の前まで行くと、濃くて艶やかな赤色の、美味しそうな林檎が沢山実っていた。
「そうそう。さっきの質問の答えだったね」
質問した事さえ忘れられてるいるのではないかと思っていたけれど、覚えてくれていた様だった。
「実喜ちゃんが望んでる答えにもよるんだけど、『虹輝さんの林檎があまりにも美味しすぎて、ほっぺたが落ちちゃいそうです』が答えかな?」
まるでからかう様に、少し高めの声でふざけた事を言うので、思わず睨みつけた。
「それか、実喜ちゃんが夢見る乙女なら…『林檎を喉に詰まらせちゃって気絶』かな?」
やはり、林檎と連想させるのに『白雪姫』の存在は大きい様だ。
「それとも、『禁忌を犯した罰として、天罰が下る』だったりしてね」
最後のお話は聞いた事がないけど、そんな物語もあるのかな。
「でも、残念だけど。やっぱり僕の答えは『虹輝さんの林檎があまりにも美味しすぎて、ほっぺたが落ちちゃいそうです♡』だな」
さっきよりも、大袈裟な虹輝のモノマネは悪質で、語尾にハートマークが見えた気がした。
両手を頬にあてて、片目をぎゅっと瞑る虹輝を見上げて、ため息をこぼした。
「なんでそうなるんですか」
頼むから、あまりふざけないで欲しい。
私は真剣に質問していると言うのに。
「そんなの簡単さ。あくまで、『実喜ちゃんが』どうなるかでしょ?『喉に詰まらせて気絶』は、その後の展開を考えれば僕にはとても美味しい話なんだけど。さっき林檎を急いで食べてた時にちゃんと噎せてたでしょ?実喜ちゃんは良い子だから、『喉に詰まらせて気絶』なんてしないよ」
それじゃあまるで、『喉に詰まらせて気絶』したお姫様が悪い子って言ってるみたいじゃないか。
…それにしても、『女の子にキスができる口実』か。あの人も、似た様なことを言っていた気がする。
「じゃあ、もう1つは?」
「それこそ簡単さ。此処は“エデンの園”じゃないし、『林檎を食べちゃいけない』なんて決まりも存在しない。」
“エデンの園”…何処かで聞いた事がある気がするけれど、なんだったかな。
なかなか思い出せなくて首をかしげると、虹輝は『実喜ちゃんには、少し早かったかな』と呟いた。
「知らないのを恥じる必要はないよ。知らなくたって生きていけるしね」
そう言う虹輝は、声に寂しさを滲ませながら満面の笑顔だった。
器用なのか不器用なのか、よくわからない変な人だな。
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