第1話:紅い林檎④

 少年が部屋を出て行って、初めてこの部屋の違和感に気が付いた。

 あまりにも静かすぎるのだ。

 鳥の鳴き声も、風が木々を揺らす音も、何も聴こえない。

 甘い林檎の香りがしているから、外に林檎の木があると思うんだけどな。

 がちゃ。

 「ただいま。おかゆを作ってきたよ」

 ドアを開けて戻ってきた少年は、小さな土鍋を乗せたお盆を持っていた。

 でも、おかゆにしてはなんだか…

 「甘い匂いがします」

 「林檎入りのおかゆなんだよ」

 なるほど、それで甘い匂いがするのか。

 「食べながら、自己紹介でもしよっか」

 少年は、私の足の上にお盆を乗せた。

 「僕の名前は、憎園虹輝ぞうえん こうき。『憎しみの園で輝く虹』って書くんだ。年齢は秘密だけど、たぶん君よりは年上かな」

 憎園ぞうえん…あまり聞かない苗字だな…でも、

 「虹輝さんは、愛されているんですね」

 お盆からレンゲを取り、土鍋のふたを開けた。

 おかゆなんて食べるの久しぶりだな。

 「…愛されてる?なんでそんな風に思えるの?」

 虹輝の纏う雰囲気がガラリと変わった気がした。

 先程までの温かさは消えて、私の思考を見透かそうとする猛禽類みたいな鋭い視線。

 「虹輝さんが今説明してくれたじゃないですか。貴方の名前には、『負の感情が渦巻くこの世に、輝く希望になって欲しい。』っていう願いが込められているのでしょう?」

 「そんな、押し付けられた“願望”を君は“愛情”だなんて言うのかい?」

 虹輝は眉根を寄せながら、苦しそうに頭を抱えている。

 「“愛情”なんて、与える側の自己満足で、受け取る側の自己解釈なだけじゃないか。それに、子供なんてみんなそんなものだよ。特に人の子なら、なおさらね」

 虹輝は両手を頭から外し、膝から崩れるように座り込んでしまった。

 私は、動揺を隠せないでいる虹輝を見下ろしながら話を続けた。

 「親という存在モノは、ドロドロした“欲望”を薄っぺらい“愛情”という名のベールでくるんで、自己満足に陶酔しているだけでしょう?」

 私は視線を、床を凝視している虹輝から土鍋へと移した。

 土鍋の中は想像していた乳白色ではなく、クリーム色のみぞれだった。

 林檎が入っているとは言っていたけど、コレは私の知っているおかゆじゃない。

 「…これは?」

 湯気の消えた土鍋から虹輝に視線を移すと、さっきまでの動揺が嘘だったかの様に、ピエロのように口の端を釣り上げながら、人差し指を口元にあてていた。

 「君の名前を教えてくれるなら、ソレが何か教えてあげてもいいよ」

 上目遣いで見つめるさまは、『絶対に何か企んでいる』そんな風に思わせる笑顔だったけれど、不思議と頭の中で警報音は鳴らなかった。

 

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