ホウセンカのせい
~ 十月十九日(木) 帰り道、寄り道中 10℃ ~
ホウセンカの花言葉 急ぎすぎた解決
いよいよ明日は誕生日。
でも毎年気をもむばかりで、楽しみと感じなくなったのはいつからだったろう。
俺と同じ日に生まれてきて俺を悩ませるばかりのお隣さんは、
軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は頭の上にふたつお団子にして、そこにホウセンカをひと株ずつ挿している。
わっさわっさと揺れる赤いホウセンカ。
久しぶりにバカっぽく見えます。
それにしても、えらい冷え込みだ。
急に真冬のような気温になって、寒くてたまらない。
秋の景色に見え隠れする冬の足音。
これを耳にすると、穂咲は必ずこうして川へ来る。
魚がいなくなっちゃうのが寂しいからという変な理由なのだけど。
そもそもどれだけ魚が泳いでたって、岸にいたら見えやしないでしょうに。
「さむっ! ……ねえ穂咲。もう帰ろうよ」
「うん、もうちょっと……。やっぱり魚さん、気配を感じないの」
「夏だって大して泳いでないさ。それより寒い……」
手がかじかんで、ポケットに突っ込んでいるのに温まりもしない。
腿をすり合わせて、奥歯をガチガチさせて。
寒さを全身でアピールしていたら、穂咲が振り向いて俺の様子に気付いてくれた。
「そんなに寒いの? あ! なら、これがあるの!」
何かを思い出した穂咲は、鞄から使い捨てカイロを取り出した。
貸してくれるなんて嬉しいな。
俺はカイロを受取ろうとしてポケットから片手を出して伸ばすと、その姿をあざ笑うかのように穂咲は自身のポケットに突っ込んだ。
「ほんとだ、あったかくなったの。冷えきってたみたいなの。……道久君、なに? おひかえなすって?」
「手が冷えた分の埋め合わせにしちゃ中々面白いです。怒りのあまりホットになりました」
まったく、どうしていつもいつもそうなんでしょうね。
この寒さの中で君を見ていると、心にあかぎれが出来そうです。
ズボンの後ろポケットに入った商品券。
これでカイロ買ってきてもいいか?
――せめて、心があったまるものでもないものか。
河原を見渡したら、一匹のネコに気が付いた。
「ほんとに魚がいなくなっちゃったのかね。ネコも寂しそうに川を眺めてるよ」
野良だろう。
橋の下のあたりに行儀よくちょこんと座って、寒さをものともせず水面を見つめている。
そして聞こえる衣擦れの音。
穂咲が俺を見て、猫の方を見て、そしてまた川の方を向く。
いやいや、ネコと張り合わなくていいから帰ろうよ。
俺がそう声をかけようと思った時、急に穂咲が声を荒げた。
「大変! 橋の足に子猫がいるの!」
「子猫? …………あれか!」
丸い橋の支柱、川に浸かった部分は子供が座れる程度の台座になっている。
そこで、小さなネコがみーみーと大きく口を開けて鳴いていた。
無我夢中。
俺は靴を脱いで川へ飛び込んで……、そして後悔。
冷たいよ!
それに、なんでこんなに泳ぎ辛いの?
水泳はめちゃめちゃ得意なのに。
服が水を吸って、それに体がかじかんでまるで言う事をきかない。
でも子猫の元に急がなきゃ。
必死に泳いで、なんとか支柱にたどり着く。
こんな短距離を泳いだだけなのに、体力は限界。
台座に体を持ち上げることもできない。
そして、こうして水に浸かっているだけでどんどん体力が奪われている気がするんだけど、困ったことにここから動くことができない。
だって……。
たどり着いたはいいけど、どうしたらいいの?
子猫は怯えて離れちゃったし。
どうしよう。
悩んでいた俺の耳に、穂咲の悲痛な叫び声が届く。
なに? 王子がどうしたって?
……よく見れば、河原から誰かが泳いでくる。
俺の不格好な泳ぎと違って、美しいクロール。
その救世主はあっという間に俺の隣にたどり着くと、台座に上って子猫を優しく抱き上げた。
「まったく、秋山君は無謀だね。勇敢とは思うけど、猪突が過ぎるよ」
「岸谷君!? パンツ一丁!」
俺の後ろの席に座る岸谷君。
ルックスにさえ目をつぶれば、ご覧の通りのイケメン王子様だ。
そんな岸谷君は、たいこっぱらの上に子猫を抱いて少々脂ぎった髪をさっと片手で掻き上げると、いつもの紳士的な声音で俺に問いかけてきた。
「さて、河原まで戻る体力はあるかい?」
「俺は平気だけど、岸谷君はどうやって戻る気さ」
「このキティーを持ち上げたままの立ち泳ぎになりそうだけど、任せておきたまえ」
そう言いながらゆっくり着水した王子は、苦も無さげにスイスイと進む。
ほんとにかっこいいな。
男の俺ですら惚れてしまいそうになる。
さて、いつまでも彼の勇姿を目で追っているわけにもいくまい。
俺も岸谷君の後を追って、ばっしゃばっしゃと不格好に泳いで、なんとか河原にたどり着いた。
「岸谷君ありがとう! 俺じゃ助けられなかったよ!」
「なに、当然のことをしたまでさ。藍川君の大きな声が聞こえなかったら気付くことができなかったんだ。御礼なら彼女に言うと良い」
くはっ! ほんとにかっこいいなあ!
事も無さげにそう言った岸谷君が、お腹の下まで下がったパンツを引っ張り上げながら服のある所まで歩くと、座り込んで靴下を履き始めた。
立ったまんま履けないんだね。
……そうか、穂咲のおかげか。
そんな穂咲は、マフラーで子猫の体を拭いている様子。
周りにはビリビリに破いた包装紙が散らばってるけど、なにそれ、買ったの?
穂咲の部屋で見たものより爽やかな青い色のマフラー。
編み目も綺麗なところを見ると既製品なんだろう。
なんでそんなの持ち歩いてたんだろ。
誰かへのプレゼントだとしたら、台無しになっちゃったね。
……プレゼント?
嫌な予感がして、後ろポケットを探る。
そこにあったはずの商品券。
どこにもない。
「うそだろ!? ……あちゃあ、どうしよ……」
「道久君!」
うわ、びっくりした。
急に大きな声をあげたもんだから、子猫も驚いて親猫と一緒に逃げて行く。
「なんだよ急に」
「危険なことしちゃダメなの! 道久君がそう言ったの!」
……ああ、そうか。
俺も同じ気持ちで君の事を叱りつけたんだった。
先生の言いつけを守って、助けを呼んだ穂咲が正しい。
穂咲の目には、涙が浮かんでる。
心から反省だ。
「ごめんなさい。もう危ないことはしません」
「じゃあ、明日の一時間目は罰として立ってるの」
君に何の権限があるのさ。
ちょっとだけ納得いかないな。
「いいことをした分のご褒美は?」
「あたしも一緒に立ってるの」
ムッとした顔で、穂咲のふくれっつらを見つめていたら、急におかしくなってふき出した。
なんだよ、それじゃお前の時と一緒じゃないか。
「……でも、困ったの」
「なにが?」
穂咲は、手にしたマフラーを悲しそうに見つめながら呟いた。
「何でもないの」
「そう。……俺も、凄く困った」
「何がなの?」
「…………何でもないよ」
俺は、冷たく流れる川を、悲しい思いで見つめながら呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます