ハシバミのせい
~ 十月六日(金) お昼休み 七十センチ ~
ハシバミの花言葉 賢明になってやめなさい
ついネタばらしをしてしまう俺への非難。
久しぶりに席を遠く離して通路を塞いでしまったドラマ好き女子、
軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は頭のてっぺんでちょろちょろと遊び髪が飛び出したお団子にして、さらにそのてっぺんにハシバミの花を葉っぱごと活けている。
イソギンチャクのような、赤いちょろちょろが飛び出したハシバミの花。
ヘーゼルナッツが採れると聞いてもピンと来ないものがあります。
そんな教授を囲むクラスメイトたち。
現在、一同揃って必死の形相なのです。
「教授、ご再考ください」
肯定派も多少いるけど、ここまで教授が否定されるのは湯豆腐以来かもしれない。
でも、エプロン代わりの俺のYシャツを翻した教授は、そんな嘆願をはねのけた。
「なにごとも実験なのだよロード君! 先駆者は、理解されないものなのだ!」
「お言葉ですが、この場にいる全員が理解しています。大惨事が約束されてます」
俺の言葉に鼻白む教授。
その正面では、麺つゆで煮込まれた玉ねぎと豚肉が深鍋にくつくつと音を立てる。
ここまではいい。
むしろ、とってもいい香り。
でも、教授が手にしているものを突っ込むとその意味合いが瞬時に変わる。
「昨日の帰りに決めていたの。今、これを食べないと二十二時間にわたる遠大な計画がすべてぱーなの」
「ぱーで結構です。それを突っ込みたいと言い出す君が十分にパーですから」
あ、しまった。
説得してやめさせようとしてたのに、なんたる失言。
教授はふくれっ面と共に、実験を開始してしまった。
「投下!」
「すとーーーっぷ!」
差し伸べた手をかいくぐり、鍋に購入された茶色い塊がお湯を跳ね上げる。
ぼちゃん
「あつっ! あーっつ! ああ、入れちまいやがった……」
跳ねたお湯を食らって逃がした右手。
すぐに茶色い物体を回収すれば大参事は避けられたかもしれないけど、熱湯のダメージには勝てなかった。
……そして始まる混沌。
教室に広がる香りは、クミン、カルダモン、ガラムマサラ、シナモン。
絶望と共に窓を、扉を全開にするクラスメイトたち。
すると上下左右、近隣の教室から非難の声があがった。
いつの時代からだろう。
教室内にご法度とされて久しいカレー臭。
そこに加わるかつおだしと醤油の香り。
ジャパニーズアンドエスニック。
夢のコラボレーション、今、開幕。
教授はおもむろにどんぶりを手にすると、別の鍋でさっと湯がいたうどんを網ごと一度その中に入れて器を温める。
そして余分なお湯をどんぶりから捨てながら、網を腕一杯の高さから床すれすれまで落としてのダイナミックな湯切りを披露した。
この技は、プロのラーメン屋さんが驚愕のあまり言葉を失ったほど。
その名も、『余分な水分があるとスープが薄くなっちゃうの奈落落とし』。
俺の目から見ても驚愕だ。
たったの一振り。
それなりにしかお湯は切れないのに、飛び散り方が半端ない。
周囲がびっちゃびちゃになる、へったくそで迷惑千万な技だ。
熱い熱いと逃げ惑うギャラリーの皆さん。
騒ぐものじゃありません。
正面に立って、全身で熱湯を浴びた俺に比べれば可愛いものでしょうよ。
「へいおまち!」
もう、ここまで来たらしょうがない。
せめて美味しくいただくとしましょう。
教授と向かい合って、手を合わせて。
「いただきます」
「いただきますなの」
あっつあつのカレーうどん。
そこにトウガラシをばっさばっさと振りかける教授を尻目に、慎重に麺をすする。
どれほど気を付けて食べても100%汁が跳ねる恐怖の食べ物、カレーうどん。
大変美味しいのですけど、思い切って食べたいものです。
でも、こいつにはそんな心配も皆無。
気持ちよくちゅるちゅるぷるんとすすっては、目を丸くして美味しさを表現する。
「……教授。ちょっとは手加減してください」
「そっちに跳ねた? ごめんなの。でも、カレーうどんはこう食べるのが一番おいしいの」
ちゅるちゅるぷるん。
びちゃっ。
ちゅるちゅるぷるん。
びちゃっ。
べつに、こっちに跳ねて来やしませんよ。
「……エプロン、びっちゃびちゃですけど」
「エプロンだからいいの」
そうね、エプロンだしね。
俺は、自分のYシャツが茶色に染まっていく姿に溜息をつきながら、うどんをゆっくり慎重に口へ運んだ。
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