ミズヒキのせい


 ~ 九月二十九日(金) 全校朝礼 八十センチ ~


   ミズヒキの花言葉 慶事



「……つまり皆さんも藍川君のように、心に少しの勇気を灯すことが大切なわけでありまして、これがいくつも集まれば、それはつまり国を動かすような大きな力へと変貌を遂げるわけですから、一本の矢は簡単に折れますが、これが三本集まることによって折れぬという話をした毛利……」


 地上八十センチ。

 校庭の朝礼台の上で、長々と句点の無いお話を続ける校長先生。


 その横に立つのは、しょんぼりと俯いて、スカートを握りしめる藍川穂咲。


 今日は軽い色に染めたゆるふわロング髪を、頭の後ろで水引のように結った祝いの席スタイル。

 髪留めに、ピンクの小花をたくさんつけたミズヒキの枝を飾ってある。

 なんたるセンスの良さ。


 散々叱ったとはいえ、そこはおばさんの親心というものだろうか。



 『穂咲がひったくり犯逮捕に協力しちゃった案件』は各所に大きな波紋を生んだ。


 すなわち、学校は手放しで穂咲を褒め。

 クラスメイトは穂咲をますます甘やかし。

 昨日、俺がムキになって反論したせいで先生は答えを保留にして。

 俺とおばさんは、二度と同じような事をしないよう穂咲を叱りつけた。



 ……おばさん、泣いて怒ってたな。


 一昨日はドラマを見たいから適当な事を言ってごまかした穂咲。

 そのウソ申告が俺の密告によって明らかになると、おばさんはお店を開けたまま穂咲の部屋にあがって行って。


 そして外まで響くほどの大声で叱りつけて。

 穂咲の頬をはたく音まで聞こえてきた。


 俺も、例えば十人を救うためなら自分が傷つくこともやむなしとか思うけど。

 それが正しいと思ってきたし、母ちゃんに聞いてみたらいつものようにがはがは笑いながら、男だったら百人助けて来いとか言い出したし。


 でもおばさんの気持ちを思えば、大人しくして救われる十人の側に回って欲しいと叱りつけることはとっても理解できる。



 ――校長先生が拍手と共にお話を締める。

 それを合図に、校庭中も拍手に包まれる。


 でも、危険な事をしてはいけないと、俺とおばさんから散々叱られた穂咲はしょんぼりしたままだ。


「では藍川君。何か一言」


 校長先生に促されて、穂咲がマイクの前に立つ。

 はてさて、何の話を始めるやら。


 どうせ予想外な事言い始めるに違いない。

 そう身構えていたのに。


 俺は穂咲の言葉を聞いて、目頭を熱くした。



「ごめんなさいなの。もうしませんなの」



 ざわつく校庭。

 先生方も右往左往。

 そんな中で、鼻をすすり始めた穂咲は言葉を続ける。


「でも、何をしちゃいけなくて、何ならしていいのか、線引きが分からないから誰か教えて欲しいの」


 なんたる超難問。

 実にこいつらしい発言だ。


 ……俺は、穂咲について尊敬しているところがある。


 こいつは、分からないということを誤魔化さない。

 格好をつけて知った風な事を言わない。

 ちゃんと分かるまで、一生懸命に立ち向かう。


 でもね、穂咲。

 それに答えられる人はいないと思う。

 あるいは、おじさんだったら正しい答えを教えてくれたのだろうか。



 校庭に漂う混沌。

 でもそれが、にわかに整然とした空気に置き換わる。


 先生が朝礼台に上って、いつものぶっきらぼうな調子で話し始めたのだ。


「昨日一晩考えた。全員、よく聞くように。犯罪には出会わないのが一番だ。だから、犯罪から一番遠い世界で生きるよう心がけろ。それでも犯罪に出会った場合は、助けを求めろ。そのうえで、逃げろ。だから、おばあさんの代わりに大声をあげたのは褒めてやる。だが追いかけたのはダメだ」


 そう言って、校長先生が持っていた賞状を取って丸めだした先生。

 きょとんとしたまま鼻をすする穂咲の頭を、それでぽこんと殴りつけてから丁寧に渡してあげた。


「分かったら、一時間目の授業の間、廊下に立ってろ」


 すごいや、さすがは大人。

 実に分かりやすくて頼りになる答え。

 悪いことは悪いと言おう。

 でも、必ず危険から離れよう。


 昨日から暗いままだった穂咲の顔。

 ようやく晴れやかな髪形に似合う、輝いた笑顔に変わった。


「はいなの! でも、罰だけじゃなくて、いいこともしたからご褒美も欲しいの」

「賞状を渡してるじゃないか」

「こんな紙じゃなくて」


 ひどい。


「面白いものとか、そういうの」


 次から次へと難問を出してくる穂咲に怒りもせず、先生は昨日のように腕組みをしてうむむと悩みだす。


 ほんと、悲しいほどに応用がきかない人だな。

 しょうがない、助け舟を出してあげよう。


 俺が大きく咳払いをすると、先生は手をポンと叩いて頷いた。


「だったら、隣に秋山を立たせといてやる」

「それは面白そうなの。最高のご褒美なの」


 俺は最悪ですけどね。

 まあ、今日の所は先生の大岡裁きに免じて協力しますよ。


 すっきりと、ベストな解答が出せたわけじゃない。

 でも、人生にはよりベターな解答が求められる時もあるんだ。

 そんな大切な事を学んだ朝になった。





 ……

 …………

 ………………



「あと、何か欲しいというのなら、おばあさんがお前に渡したい物があるそうだ」


 ん? 穂咲が助けたおばあさん、来てるの?

 

 神尾さんに手を引かれて、おばあさんが壇上へ。

 まさか穂咲が助けたのって、出張編み物教室に行ってたっていう神尾さんのおばあさん?


 なんたる偶然。

 そんなおばあさんが、満面の笑みと共に、穂咲へプレゼントを手渡した。


「当店自慢の初心者編み物セットよ。受け取って頂戴」

「え!? 待って! それはあげちゃダメ!」


 風呂敷の中身、知らなかったんだね。

 俺と共に、神尾さんも慌て始めた。


「何を騒いでるんだ、秋山、神尾。水を差すな。罰として壇上で立ってろ」


 校長。おばあちゃん。神尾さん。先生。穂咲。


「俺まで上ったら、誰か落ちるわ!」


 校庭を包む、みんなの大笑い。


「面白いの。本当に最高の気分なの」

「俺は最悪な気分です」



 どうしよう、誕生日のプレゼント。


 ……あと、君のせいじゃないです。

 どうかその頭をあげてください、神尾さん。


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