第7話  心の在り処

目の前を塞いでも、男に変化は見られなかった。

僕を見ているのかすらもわからない。

兜の隙間は暗く、中の様子を知る事はできない。



「花など、想いなど、夢など、下らん。秩序だ。それさえあれば、人は生き永らえる」



つぶやきながら剣を高々と掲げた。

青い光はゆっくりとこちら側へ侵食を続ける。

冷たい風を伴って。

心の底から凍りつきそうになるほどの冷たさだ。



「早く戻れよ、殺されちまうぞ!」

「ソウマくん! お願いだから戻って!」



こんな超常現象を前にして、僕に何ができるだろう。

無力だと知りながらも見過ごす訳にはいかなかった。


ーーこの花を散らせてはいけない。


理由は無いけど、そんな確信を得ていた。

仲間たちの声を無視して光を押し返そうとした。

サックス用のハードケース。

唯一の道具を盾にするように、光と向き合った。


「貴様も同類か。小娘の同種か。無意味な妄想に取り付かれ、本質を見失う愚か者ども」


見間違いかとも思った。

でも、僕の両目がそれを否定する。

なんの変哲もないサックスが入ったケース。

それが暖色に染まり始めた。


それは見た目通りの温かみを秘めており、敵に立ち向かうように光を放つ。

この中には楽器しかないはずなのに……。

急いで中を改めると、より強い光が辺りを照らした。

金でコーティングされた僕の相棒。

それが今は、無言のまま凶悪な敵と相対している。


ーーお前と一緒なら、助けられるのか?


僕はサックスを本来の姿に戻した。

光の中心がより色濃くなった気がする。

僕は口をつけて、息を送り込んだ。

文字通りそれが息吹となるように。


それに応えるかのような風が吹く。

向かい風だった冷気とは違う、暖かい追い風。

お互いの発する光が衝突する。

それでも相手の方がずっと大きい。

侵食を遅らせる事はできても、押し戻す事ができない。


ーー何か、力はないのか。この場で役立つものはないか。



迷っている間も花は枯れ、石畳が敷かれていく。

モタモタしているゆとりは無かった。

僕は思いつくままにメロディを奏でた。



 ◆

演奏しながら向き合うことで、状況が見えた。

襲ってきた光の正体は『音』だった。

偉大なる作曲家が、アーティストが生み出した旋律、和音、リズム。

おびただしい程の情報が、僕の体へとぶつけられる。

まるで暴風雨に曝された一本の若木のよう。

自分の姿勢を保つことさえ覚束ない。


「人が心地よく感じるメカニズムは解明されている。なぞれ。貴様ごときが入り込む余地は、有りはしない」


僕はこの言葉を聞いて、初めて理解した。

なぜここまで腹が立つのか。

なぜこの男が憎らしいのか。


この花は僕の心なんだ。

この世界に生まれた証を残そうと、必死にもがく僕の魂なんだ。


「はみ出すな、疑問を持つな、自惚れるな。偉大な先人を飛び越すことなど、出来るはずがない」


その通りかもしれない。

誰も僕の思い付きの音なんか、聞いてくれないかもしれない。

それでも……。



「ゴチャゴチャとうるさい! 気持ちいい音を良いと言って何が悪いのよ!」

「あっはっはぁ、こんなファンタジーな世界が見られるなんてなぁ! つうかこれ、生きて帰れんのかよ?」

「2人とも? どうして?!」


僕らは並んだ。

いつものような円ではなく、横一列に。

もちろん、それぞれに音を鳴らしながら。


「なんだか花が枯れていくのを見てたら、じっとしてられなくて」

「オレはな、明るい未来への布石だ。この場を格好良く治めて、10年後のあの子と結婚するためのな!」

「ハンッ、相手にされるわけ無いでしょ。見るならマシな夢を見なさいよ」

「やってみなきゃわかんねぇだろ。オレはいつでも最高峰を狙ってんだよ」


こんな時でもノンキだなぁ……。

状況はわかってるんだよね?

口喧嘩をしながらも、音を乱していないのは凄いけども。


「従え、厳然たる掟に。染まれ、先人たちの思想に。嵌まれ、用意された型に」

「たとえ褒められなくても、愛されなくても、貶されても、僕たちは負けたりしない!」


手法を真似するのは良い。

名作から学ぶのも良い。

時には手を引っ込めて、誰かに譲る事も必要だろう。


でも、この想いだけは……。

魂だけは、何にも模倣しない!

自分の心が認めた感動を、情熱を否定なんかしない!


昨日と同じように、僕たちは法則の無い音を並べ始めた。

それでも要領は心得ている。

瞬く間に音はメロディとなり、リズムが整い、コードでそれらが紐付けられる。

僕たちの持つ光は、より鮮明な橙色となり、青い光とぶつかった。

先ほどまでの頼りなさは無い。

互角の押し合いを繰り広げている。


ーーもっともっと。まだ上にいけるよ!


そんな声が聞こえた気がする。

その通りだと思う。

ここまで荒らした礼を、この程度で済ますハズがない。


より鋭く、鮮明に、意思を込めた旋律。

天まで響かせるような、全身全霊の合奏。

ジリジリと青い光を追い返す。

それでもまだ弱い。

もうひと押しだ。


ーーもうちょっと、もうちょっとだよ。がんばって!


いやいや、『もうちょっと』じゃあないよ。

その一歩先まで行ってみよう。

その先も、さらにその先にも世界は広がっているはずだから……。


そう思った時だ。

僕らの光は勢いを増して、青い光を一気に塗り替えた。

そしてそれが銀色の男にまで届くと。


ーーパァァアン!


と炸裂音が響いた。

辺りは強烈で真っ白な光に包まれる。

目を開けることすら叶わず、両腕で顔を守ろうとした。

終わらない光の渦にさらされ、直向きに耐えていると、こんな声が聞こえた。


ーーその想いこそ大切なもの。決して忘れないで。


大人の女性だろうか。

とても優しく、どこか諭すような色の。

君は誰だ?

それを聞く前に光は収まった。

 ◆



目を見開くと、辺りは真っ暗だった。

所々に小さな灯りが見える。

遠くには鉄橋を走る電車の音、高架線を行く車の音、自転車のペダル音。

目が慣れた頃に僕たちは気づく。

ここは入り口になっている小屋である、と。


そして後日、僕たちは知る事となる。

あの森へ向かう手段を無くしてしまった事を。

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