第3話 夕焼けに染まらない
「夜にはもう会うな」
俺がせっかく淹れてやった珈琲に口もつけず、目の前の珍妙な客―――「夕暮れ」と名乗る女はそう言った。
「不躾で申し訳ないけれど、時間がないんだ―――私の稼働時間は、あの子と比べると遥かに短い。まぁ、あの子の領分が多すぎるというのもあるか」「……あんたも、『そういう手合い』なんだな」「優しいね、素直にバケモノでもなんでも好きに呼べばいいのに」
その通り。
私が夕暮れで、夕暮れこそが私なんだ―――あの子があの子であるように。あの子が夜であるように。
そんなことを言って彼女はようやく珈琲に口をつけて、顔を顰める。
「砂糖が欲しいかな」
珈琲の好みこそ違ったけれど、顰めっ面は夜によく似ている気がした。
俺は自分でも驚くくらいに、この来客のことを受け入れていた。夜と出逢った時もそうだった、なんてことを思い出しながら、今度は俺から切り出した。
「妹、といったな」「うん。夜は私の妹―――まぁ、家族の中では末の妹ってことになる」
今のところはね。
そう、付け足した。
「……どういうことだ」「このままじゃ、私が末っ子に成り兼ねないということさ」
夜は、夜ではなくなりつつある。
「南米のあたりで今、白夜が続いているのは知ってる?」「あぁ、TVで見たよ。それがどういう―――」「あの子の力が弱まっているんだ」
私たちは現象なんだ、と。
角砂糖を一つ、指で弄びながら夕暮れは言う。
「私たちみたいな存在は、一回性のものでなくてはならない。命を受けたものではないからね―――継続しても、連続することは許されないんだ。人間のようには」
それは誰か決めたわけでもない法則、彼らがこの世に存在するためルールのようなもので―――破れば力が弱まる。
「存在が薄れていく、と言うのかな。私たちを持続させるエネルギーみたいなものが、どんどん枯渇していくのさ……白夜は、あの子が弱っていることの発露だ」「話がよく分からないな。時間がないんじゃないのか」
嘘をついた。
分かっていた。これから何を言われるのか―――俺が、夜に何をしたのか。
分かったうえで、どうか違っていてくれと願うあさましい自分が居た。
「……その通り、もう時間がないんだ。そうだね、簡潔にいこうか」
「このままだと、夜は死ぬ」
夕暮れは、角砂糖を指の腹で潰した。
その残骸がカップに注がれるのを、俺は黙って見ていた。
「私たちは出現と同時に、産まれなおすような存在さ―――だから」
「だから、『明日もまた、このひとと会いたい』なんて願っちゃいけないんだよ」
ね、分かるだろ?
俺は何も答えなかった。
ただこう言った。そうしか言えなかった。
「……どうすればいい」
どこまでもあさましく。
まず初めに、夕暮れはその答えを教えてくれているのに。
「私たちが見える人間は少ないんだ―――これは生まれつきや性質の問題だから、どうしようもない。……問題なのは見える奴のなかでも、きちんと会話してくれる者が更に少ないってこと」
ある者は悪魔と恐れ。ある者は神と崇拝し。ある者は狂人と無視し。ある者はバケモノと迫害した。
想っていないように見えなくてもいい。夜にとっては、ただ話ができるだけで嬉しかったのだから。
<私の友達になってください>
初めて出逢ったあの日から、あいつはそう言っていたのに。
「もし―――あの子が出逢った人間たちのなかで、一人でいい。君と同じくらい優しいやつがいたら。あの子は君をここまで拠り所にすることもなかっただろう。君とはよい友人として程よく、楽しい時を過ごして、君に置いて逝かれたことを悲しみながらも、それでも夜のままでいれた筈だ」
でも、そうはならなかった。
そうはならなかったんだよ。
「これまでの何万年かより、これから先の永劫より。あの子はきっと君と最期に過ごす、いくつかの夜を選ぶだろう」
だから、君は。
もう、夜に優しくしちゃいけないんだ―――。
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